会田心視点

「あら、心じゃない」

 俺は固まった、まさかだった。吸っている煙草が、床に落ちるのが分かる。目の前の女性、奏が俺に近づいてくるのが見えて背筋が冷えていった。
 ここは、清野の先輩(畠だったか)の会社である。なにかと理由をつけられて個人的に呼びつけられる清野だったが、うちの会社では大きな仕事が来るのではないかと清野に期待していた。そのため、何度呼ばれても、欠かさず清野はここに送り込まれ、清野がヘマをしないように俺が付いてきているのだが、実際しているのはおしゃべりである。そう、二人は楽しげにはなしているだけだ。清野は畠さんに抱いていた恐怖はすっかりなくなり、今では犬のようになついている。俺はその仲良しな二人がひたすら続ける会話を聞いているだけなのだ。
 そんな暇している俺に気をつかっていてか、畠さんは煙草でもすってくればと提案してくれた。これは俺にとってはとてもありがたいことである。俺は早速その親切に甘え、喫煙ルームに駆け込んだわけだが、そこに彼女、前に付き合っていた奏がいたのだ。

「ひ、ひさしぶりだな」
「うん、久しぶり。あーちょっと、人の会社に煙草落とさないでよー、焦げたらどうすんの」

 もう、とため息をつきながら奏は煙草を拾って俺へと渡す。俺は動揺のあまり、その煙草を受け取ってすってしまった。まずい、床に落ちたのを吸った所なんか見られたら引かれるか。思いながら奏をみると、奏は俺など見ていないで煙草をふかしていた。相変わらずかっこいい、女性である。

「私ねー」
「ああ」
「結婚したのよ」

 また、煙草を落としそうになった。錆びたロボットのように、ぎこちなく奏を見ると、奏は面白そうに笑い手をかざした。その白く細い指には、銀色の指輪が嵌めてある。
 左手の薬指。
 俺は、ショックを受ける場面のはずなのに、自然と拍手をしていた。これもぎこちなく。奏は驚いたようにこちらを向いて、ゆっくり手を下げていった。

「おめでとう」
「ありがと。…なによ、ショック受けないのね、つまんないの」
「そんなのお前にフラれたときに、充分味わったよ」

 まだSっ気は抜けていないのか…。
 半分あきれながらも、さっき買ったばかりの珈琲を開けると奏は指輪を眺めている。それがとても幸せそうなので、いい人に巡りあったのだなと安心した。俺と別れて正解だったな、とも。

「そんなに素っ気ないなんて。心、貴方恋人でもできた?」

 まだ話は続いていたようだ。奏は呟きながら、俺をみる。恋人出来るはずもない、こんなにつまらない人間だ、奏だってつまらない男と俺をフッただろう。俺がそういう意味も込めて首をふると、奏は疑い深い顔をする。本当にいないと言うのに、そのまま見返すと、奏は分かったと手を打った。

「じゃあ好きな人でもできたのね!」
「なんでそうなる」
「だって心が私を卒業するなんてそれしか考えられないんだもの」

 それを自信満々に言うから驚いてしまうが、それもその通り。奏とは同居までして、結婚を前提に付き合っていた。くさいかもしれないが、愛していたと言ってもいい。それなのに奏は俺を捨ててどこかへと消えてしまった。その間に奏はもう俺を忘れていただろう、それなのに俺は立ち直れなかった。
 だが、何故そんな彼女を忘れてしまったのだろう。少しだけ、引っ掛かる。吹っ切れた、時と言えば、ああ。

「たまたま、新人が入ってきてさ。そいつの世話したら、お前を忘れられた」
「じゃあその子が好きな子というわけ?」
「…ちがう」

 内心、ぎくりとした。清野は可愛い後輩ではあるが、好きな子なんてものではない。だいたい男である。だが奏はそうなんだ、と言うだけでまだ疑っていた。
 完全に吹っ切れているから良いが、吹っ切れていなかったらどうするんだ、奏の指輪を見ながら煙草をふかす。

「会田さん!」

 すると、まだ話しているはずだった清野の声が俺を呼んだ。俺が振り返ると、清野がこっちに向かっているのが分かるが、なにもないところで転ぶ。俺は眉間に手を当てながら、タバコを灰皿に擦り付け火を消すと清野に立ち寄った。

「大丈夫か」
「はっ、はい。すみませ…」

 俺が腕を持ちながら清野を立たせると、清野は謝っていたが言葉を止める。何故なら目の前に、奏がいたからだ。驚いて遠退く清野はまた転びそうになって、奏をまともに見れないでいる清野を見て、奏はからかうように笑った。
 俺は次は逃げてしまわないように、しっかりと清野の腰を固定すると、ため息をつきながら奏を見る。

「奏、あんまりからかってやるな…」
「かわいいから、つい。なんてお名前?」
「清野、です」

 怯えたまま奏を見て答える様が、また奏のS心をくすぐったようでわざと清野の隣に行ったりしていた。俺が盾になればつまんなそうにして諦めるが、今度はからかわずに奏は普通に清野に話しかける。

「ああー、あの清野くんね。畠さんの友達の。」
「! なんで知ってるんですか」
「私は受付嬢の子と友達でね。他社から来た者とその用事の名簿はよく目に通すの。清野くんはよく来ていたし、畠さんへの用事だって知ってたのよ。ただ、心の名前は書いてなかったから気付かなかったけど」

 まさかね、片眉を下げて笑う奏は、驚いていないように見えた。自分の仕事ではないのに目を通すとは、徹底主義な奏は相変わらず変わっていないようである。俺は笑ってしまった、奏は何?と不思議そうに聞くがその聞き方も面白かった。こんな奏が好きだったのだ。

「変わってないな、奏は」
「なによ、貴方こそ」

 奏は不満げに言いながらも口元を緩めて、俺もつられて奏を見つめる。こんなに笑い合える日がまた来るなど、思っても見なかった。俺は幸せだと感じる。
 それもこれも清野のおかげだと思った。形はどちらにしろ、忘れさせてくれた上に過去にしてくれたのは清野のドジのおかげである。まさかこんなところで、ドジが人を救うとは思わなかった。そして清野も俺を救ったとは、考えても見ないだろう。そんな清野も、好きになれる。俺は嬉しく思いながら、清野を見るが、清野は俺と反対に落ちた顔をしていた。あまりにも奏がこわかったのか。

「清野…?」
「あ、あのすみません。俺…」
「どうした」
「畠さんとまだ話したいことあるので戻ります!」

 顔も上げないで清野は言うと、引き留める俺の声も聞かずにその場を去る。奏はのんきに手を振っているが、俺はそんなことを出来る気ではなかった。
 そんなに、畠さんが好きか。そんなに、俺を置いてまで話したいのか。
 ここまで考えて我に戻る。畠さんは清野にとっては高校唯一の先輩で、恩人でもある。憧れの人と再会して嬉しくない人など、いるもんか。清野だって人間だ、上司より私情を先にしたい時もあるだろう。
 けれど、そう冷静に考えてもどこか腑に落ちない。今までなによりも自分を優先にされてきたから、尚更だった。
 遠ざかる清野の背中を黙って見ていると、奏が肩に手を置いた。いきなりの出来事に驚いて奏を見ると、奏はにっこり笑う。

「随分と好みが変わったようね」
「は?」
「綺麗系が好きなのに可愛い系、そして男なんて、さすが心。イカしてるわ」

 奏は言いながら先ほど目で追っていた彼の背中を顎で指すので、俺は必死に否定するのだった。









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