桜が咲き乱れ、まだ綺麗な制服を着飾る新入生が緊張して帰る中、照里は廊下で、ぼんやりと彼らを眺めた。
暫くすると照里は脇に挟んであった名簿をまくる。そして1人1人の名前を指でなぞり、目を細めながら、見ていった。だが順調に進んでいた目線は1人の名前で止まる。照里は黄色と緑の眼鏡をあげると、そこでひとつ、ためいきをついた。
「おい、てるてるサン」
照里はゆっくりと声がする方へ顔を向ける。ぶっきらぼうに呼んだのは、なんとも柄の悪い生徒だった。彼は新入生と同じ学年なのにも関わらず、新入生の彼らとは正反対に、制服と上履きは汚れており、緊張した様子もない。
照里は驚く。いつも見ている格好とはすこし、違ったからだ。そして気付く。いつもは黒髪を立てているのに、今日は短くなったようで無造作に後ろに流しただけであったからだ。その格好に照里は違和感を覚えながらも、名簿を閉じて笑いかけた。
「なんだい。」
「探したんだけど。なんで隠れ家にいねーのー」
「いつもそこにいるわけじゃないから。なにより、隠(こも)るほどの暇がなかったんだ」
ご立腹な彼に照里は、首を廊下の壁に預けて手を広げる。彼は壊れたストローが刺さってあり、もう飲み干したココアの紙コップを捻ると、たしかに、と笑顔を見せた。
「新入生の担任だもんな、照里が担任とかできんのか? 名前とか覚えらんなそう」
「…たしかに。だが、それは置いといて、時に柳田くん、何故2年に上がるはずのお前が俺のクラスにいるのかな」
照里は眼鏡のふちをもつと、下がってきたのか、上にあげる。そのカラフルな眼鏡の下にはいつも笑っているはずの目が、今日はまさに怒っていると表してるかのようにつり上がっていた。
柳田はその様子を見て、考えるふりをしながら、すこし笑った。
そう、つまり彼、柳田灯(ヤナギダ アカリ)は、2年にあがるはずが、留年して一年になり、照里が担当する1年C組になったのだ。
「理科数学社会こいつら全滅!」
「…笑顔で言うんじゃないよ、その中に数学がはいっているのがとても残念なんだけど?」
「先生が1つけたんだろ!」
「付けざるを得なかったんだ! 人聞きのわるい!」
柳田が責任転嫁するように照里を指せば、照里は正当な意見を口にする。その意見に柳田は、ばつのわるい顔をして口をとじた。
柳田は遅刻ならばまだしも、学校の休みが多々あった。それに増して、先ほど述べた数学、理科、社会などは毎回のようにテスト一桁。このような成績がつき、留年になっても文句はいえない。
「ったく、先生みたいなこと言いやがって」
「いや、みたいなじゃなくて先生なんですけど!」
「まあいいや、んで、照里に頼みがあんだよ」
「ちょっと! 自分のおばかさわかってるんですか?」
照里は半分怒鳴りながら言ってもどうやら柳田には聞かないようで、それがなに、と眉間にシワをよせるだけだ。それくらい照里は分かっていたし、留年すると辞める生徒が多いが、柳田はしないような奴だと分かっていたので怒るのを止めた。
それで、話を催促すると、柳田はポケットに手を突っ込みながら面倒くさそうに言う。
「今年の遠足、いかねぇから」
照里は瞬きをした。
柳田はそれじゃ、と手を挙げると背中を向けて昇降口へと歩いていく。
まてまてまて!
慌てて柳田の腕をつかむと、柳田は迷惑そうに舌打ちしかしなかった。
「んだよ」
「いやいや、なんで行かないの? 友達できませんよ、そのままじゃ!」
「去年も同じ場所いったしよ、だいたい、年下の友達なんか欲しくねーよ」
なにこのプライド高い面倒な生き物。
照里は腕を掴みながら、石のように固まった。
遠足は一年になってから一週間後にある。遠足、と言う名だけであり目的は交友の場を作るためであった。ただでさえ留年した生徒はクラスで浮きやすい。なのに柳田はその機会を、行かないと申し出たのだ。
たしかに柳田の言う通り、去年と同じ行き場所であり、柳田は二回目である。だが、それくらいいいであろう。
「良いのか、この場を逃がせばお前は三年間ぼっちだぞ」
「ぼっちってなんだ、ひとりぼっちって言いてぇのか。いや本望だよ、誰とも関わりたくねぇからな」
「ちょっとちょっと、悲しいこと言うんじゃありません」
「別にお前にゃ関係ないだろ、学校来て課題やれば遠足にこなくていいって言ったのはお前だろ」
「いやいや、それは形だけであって本当にこないやついないから!」
言えば、柳田は関係ないとでも言うかのように照里の腕を振り払った。照里は困った顔をして、名簿を指でとん、とならした。
何故、照里がこんなに困るかは理由があった。柳田が友達を作れなくなるのが心配なのは一理あったが、もうひとつ。個人的な理由がある。
照里の基本的スタンスは人に無関心であり、生徒と言う存在にも無頓着である。そのため一年の担任になったときも、初めて担任を任されたというのにプレッシャーすら感じず、責任を負ったとも思わなかった。むしろ、自分も成長したなぐらいにしか受け止めていてないのだ。だが困ったことに今まで通りにはいかない、担任と言う仕事は、存外照里には似合わない仕事だった。
遠足、体育祭、文化祭、修学旅行、クラスで仲良く、などと慣れないお遊びがあるからだ。どんどん仲が深まるクラスで、担任として笑えるはずがないと思う。まず楽しくないのに何故笑わなければならないのだ、正直そんな行事は面倒くさいし、いらないと照里は思う。だが担任を任された上では、それに参加しなければならない。仕方のない義務なのだ。
そんななか、柳田が留年した。留年したことには、一人の生徒と見てとても残念である。だが不謹慎ながらも、それが、照里にとって唯一の救いであった。
行事が嫌だ、プレッシャーを感じる、一人一人見守らなくては、などと自分らしくないことを考えるのはいやだ。だが一人だと、どうしても教師として担任という任務を意識してしまう。
だが、柳田が居るとどうだ。妙にリラックスして、自分はその任務から抜けられる気がした。馴れ合いなど気にせず、自分が話したいときに話す極端でマイペースな彼と居ると、いつも通りの自分で居られる気がしたのだ。
「まずいな、柳田をどうにかして遠足に行かせないとと。」
こんなときに生徒に頼り、自分のエゴのために学校に越させるなど、教師としていかに愚かかなど、照里には関係ない。
ただ、彼の存在が近くに欲しかったのだ。
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