03


 修学旅行、なるものがあるらしい。手元の紙を見下ろした崎島はふぅん、と頬杖を突いた。行き先は京都、期間は二泊三日。ただ純粋に羽を伸ばせると思ったら大違いのようで、あっちでも暗殺をするらしい。ご苦労なことだ。
 しかも面倒臭いことに教師も同伴とかで、「アンタだけ行けばいいだろ」と言ったら「契約」と一言返された。脅し言葉のようにチラつかせるのはどうかと思う。



「崎島先生的にどう思う?」
「目に悪ぃな」
「だってさビッチ先生!」
「何よ何よ何よー!!アンタまでカラスマの肩持つわけ!?」
「お前曲がりなりにも此処じゃ教師やってんだろ。ズレ過ぎにも程があんだろ」
「ううう〜〜〜っ、この色目が好きって風の噂で聞いたからわざわざ買いに行ったのに〜〜っ!!」
「(……なんて?)」
「(風の噂って何??)」
「(てかビッチ先生……はっはーん)」

 なるほどな、と頷く生徒が数名居る中、気付いていないイリーナはこれじゃ意味ないじゃない!と声高に叫んでいる。しかし残念なことに、既に意識が削がれたのか崎島はホームの片隅に寄って煙草を吸っていた。今回乗る新幹線には喫煙ルームがないらしいので、吸い時は今しかないのだ。
 簡易の灰皿に吸殻を落として再び口に咥える。それから何気なく前を見ると、完全に意気消沈しているイリーナと、その前に仁王立ちになっている烏間の姿があった。何かあった後で違いないと勘がプンプン匂わせてくる。
 彼と崎島の格好は通常通りのスーツ姿だ。学校行事と雖も仕事には変わりない。なので一つも考えずにスーツを手に取って着てきたが、イリーナはそうではないらしい。今し方足を引き摺るように車内へ消えていった。

「崎島」
「ん?……あぁ、もうそんな時間か」

 掛かる時計に目を向ければ、そろそろ新幹線の発車時刻に迫っていた。まだ吸えるが致し方ない。灰皿に煙草を押し付けた崎島は、スラックスのポケットに片手を入れて欠伸をしながら乗車口へと足を向けた。

「崎島先生寝不足?」
「もしかしてビッチ先生みたく実は楽しみだったりして?」
「昨日何時に寝たの〜?」
「人のこと詮索する前にさっさと乗れ」

 あと閊えてんだよ、と伝えれば聞き分けはそこそこ良いのか、「はーい」と返事をして残りの数名が車内へと入っていった。それを見届けたあと中へ足を踏み入れ、空いている適当な座席に腰を下ろす。
 京都までの移動時間は約二時間十五分。特にすることのないこの時間をどう過ごすか。先程欠伸は出たがそこまで眠いわけでもない。連絡を取り合う必要のある案件も、今朝方全て返した。返信が来るのは今日の夕方か、夜辺りだろう。となると完全に手持ち無沙汰である。

「、暇そうだな」
「放っとけ」

 事実そうなのでこれ以上に返す言葉もない。やはり寝て過ごすしか時間を潰す術はないらしい。のだが、今まさに横に誰かが座った気配を感じた瞬間、閉じていた瞼を持ち上げ崎島は隣を振り向いた。

「他空いてんだろ」
「生憎空いていない」
「はぁ?」

 一般車両の席数は約九十五席。そこまでの生徒数がE組に居るわけがないので、空いているのが普通だ。なので立ち上がって後ろを振り返ってみると、なるほど。確かに埋まっていると言えば埋まっている。
 時期的に何処も修学旅行シーズンなのか、将又季節的に後楽に適しているからか、移動客の数はこの時期多いらしい。
 仕方なく体勢を戻した崎島は窓の縁に腕を置いて頬杖を突く。すると鉄の塊は動き始めたのか、ゆっくりと向こうの景色が変わり始めていった。

「京都に行ったことは」
「ねぇな」
「仕事は海外での方が多かったのか?」
「まぁ、どっちかと言うとそうだな。次は何処の国に行った経験があるのか、か?」
「ふ、聞いて差し障りがないなら」
「別に構わねぇよ。……行った国な、まぁ大体回ったな」

 南米も行ったし、ヨーロッパも回った。アフリカの辺りも仕事で行ったが、あそこは駄目だ。暑過ぎる。当時を思い出しているのか、辟易とした表情を浮かべていた。余程体に堪えたのだろう。寒さ同様、暑過ぎるのも人間の体には毒だ。
 乗車してから二十分が経過した頃、早いもので新横浜まで来たらしい。流れるアナウンスが到着を示していた。携帯で路線案内を見ると、此処からが長いときた。一時間以上もあることを知ると、崎島は携帯を手放して窓の向こうを見た。

「依頼したって?」
「……お前には筒抜けだな」
「セキュリティが緩過ぎんだよ。あれじゃ鍵穴見せてんのと同じだぜ」

 コードも単純過ぎるとの指摘に、烏間は苦笑を見せる。プロである彼に言われては、事実そうなんだろう。とはいえこれをどう報告するべきか。ありのままセキュリティが緩過ぎるせいでハッキングされました、とは到底言えないだろう。

「レッドアイは狙撃の名手だ。実力的には申し分ねぇだろうな」
「率直な意見で良い。お前の目から見て、レッドアイは今回の暗殺計画に取るに足りるか」

 肘置きを指先で打つ音が消える。それがある意味答えを表していた。
 レッドアイ、暗殺成功数は三十五件。スコープの先を必ず赤く濡らすことから彼の呼び名はそう名付けられた。
 崎島の言う通り、暗殺者として申し分ない実力を持つ狙撃手だ。だがそれも対人相手ならの場合。規格外、それもペンタゴンすら敵わなかった相手を、たかだか三十五人殺した人間の歯が立つか。答えはNOだ。立つどころか型すら付くことはないだろう。
 崎島の反応を見た烏間は、その頭を座席に預ける。賞金に目が昏み集ってくる暗殺者は多いが、仕事の難易度を知って軒並み辞退する。分かってはいたが厳しい問題だ。これでどうにかしろと上はせっつくのだから、無理難題も良いところである。

 吐きたくなる溜息を喉の奥で押し留め、烏間は瞼を落とす。京都まで、残り一時間を切った頃だった。







 日本の故郷は京都だと言う。誰が最初に言ったか知らないが、所謂侘び寂びの文化がこの地には深く眠っているのだろう。大昔の都なだけあって建ち並ぶ建物も、通りの形も京都ならではの雰囲気がある。
 周りの景色などさておき、ようやく吸える煙草を取り出した崎島は、指の間に挟んだその先に火を点け煙を漂わせた。元から面倒臭いと思っていた仕事なだけに、座っていただけで肩が凝る。
 これから子どもたちは各班に分かれて移動を開始するらしい。そこで計画した暗殺を実行するとのことだ。行く前に綿密に立て、時折意見を求められたのを思い出しながら、揺れる紫煙を彼は目で追った。

 が、早々にやらかした班があったらしい。「ここ美味しいって雑誌で見たのよ!」とイリーナが紹介してくれた店でテイクアウトのコーヒーに口を付けていた崎島は、隣で電話を受けている烏間に目を向けた。
 切ったそれを手に息を吐く彼は、次にレッドアイへ報告を行うのか、再び携帯を耳に当てている。責任者ともなればコーヒー一杯も気楽に飲めないらしい。
 お陰で片手に持つ同じコーヒーは、蓋をされてはいるものの、淹れたての頃よりは冷めていることだろう。

「はぁ……」
「ご苦労なこったな」
「まさか旅行先でトラブルが発生するとは、予想外だった……」
「ガキどもならやり兼ねないわよ。現に起きてるし」

 聞けば他校の高校生との間で起きたことらしい。どちらが喧嘩を吹っかけたかまでは分からないようだが、手の早い人間が少なからず一人はいたのだろう。でなければ喧嘩になど普通は発展しない。
 殺せんせーが現場に向かったなら事態の収束の可否は目に見えている。今のところあれに出来ないことはないようなので、今回の一件も問題なく収めることだ。
 残るは向こう側の教師とこちら側との後処理だが、必然的に宛てがわれる人間は表向き担任として立っている烏間ただ一人だろう。

「荷物は持って帰っといてやるよ。旅館にも話は通しておく」
「悪いが頼む」

 こういうとき役人の立場は面倒臭い。何かあれば原則立ち回るのは彼であるし、事態が重くならないうちに解決する必要もある。
 崎島やイリーナは教員という名札を付けているだけで、本業は殺し屋だ。実質的な責任を彼等が負うことはまず無いし、あったとしてもそれは解雇に他ならない。
 走って行く背中から目を離した崎島は、残りのコーヒーを傾ける。片方にはほとんど残ったままなカップがあるが、流石に一気に二杯はきつい。旅館の部屋の机に置いて、飲む気があれば口にするだろう。

「ねぇサキシマ、このあとの予定……って、は!?ちょっちょっと!何処行くのよ!」
「何処って帰るに決まってんだろ」
「帰る!?なんで!?」
「ガキ共の暗殺計画は終わりだ。だったらこれ以上付き合うこともねぇだろ。俺は帰って寝る」
「アンタ旅先に来て寝るってめちゃくちゃ勿体ない過ごし方だって分かってる……???」
「どう過ごそうが俺の勝手だろうが」

 遊びたきゃ勝手に遊んで来いよ。迷子になんねぇ程度にな。振られる手と歩いていく背中に、残されたイリーナはポカンと目を点にする。
 こんな良い女が側にいて帰って寝る?旅行に来たのに?しかも京都まで来てまだ三時過ぎ。旅館に戻る時間なんて六時で良いのに今三時過ぎ。  
 京都と言えば美味しいお店が沢山あって、甘味処も多くて謂わば観光地そのもの。見て回るところだってそれはもう山の如しだ。時間なんてまだ三時過ぎ!!なのに人が往来する中一人ポツンと残されたこの気持ち。その上迷子にならない程度にって……。
 今まで幾多の男を唆し、落として手篭めにしては自分の思い通りに動かしてきた。誘えば乗らない男は居なかったし、腕を絡めれば勝手に勘違いする男は山のようにいた。
 なのに、なのに。ぎゅっと足の横にある手を握り締める。悔しいが異性からこんな接し方をされたのはイリーナ史上初めてのことだった。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ、なによもう!!このおたんこなす!!」

 周囲が振り返るが知ったこっちゃない。こうなったら隅から隅まで一人で周って楽しんで帰りの新幹線で自慢してやる!!
 年相応に頬を膨らませ、決して見栄えが良いわけではない服(※寝巻き)を着たイリーナは、地面を踏み締めて京都の街を歩き始めた。





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