04


 夜も更けた午後八時。夕食も済まし風呂も入った崎島は、煙草を吸いに外へ出た。ここ数日は西日本も晴れの日が多いのか、夜も星が良く見える。
 火を点けた煙草を口に咥えた後、煙を軽く宙に泳がせる。再び口に咥えて袖から携帯を取り出すと、慣れた手つきでその指を動かし始めた。
 この仕事に就いたからといって、他の案件を蹴っているわけじゃない。それなりに引き受けているし、土日には国外に出向して仕事もしている。無論防衛省側からの了承は取れている。こっちの仕事をちゃんとしていれば、然程文句は言わないそうだ。

「……なんか用か」
「あれ、バレた?」
「バレバレだ。ガキの気配一つ分からねぇ訳あるか」
「あははっ、やっぱ凄いね、崎島せんせーは」

 何やってんの?と隣にやって来たのはE組の中でも鬼才の内に入る赤羽カルマだ。夜でも目立つこの髪色は、何処に行ってもすぐに分かるくらいに原色に近い。初めは染めてるのかと思ったが、本人曰く地毛らしい。どんな遺伝子をしているのか些か興味が湧くところだ。

「メール?」
「メール」
「誰宛?」
「内緒」
「え〜。じゃあ煙草って美味しい?」
「興味あるんなら吸えば良いだろ」
「あはは、本当先生ってそういうところ先生らしくないよね」
「元が教師じゃねぇからな」

 つーか立つならそっちじゃなくてこっちに立てと引っ張られたのは風上側。ついきょとんとしてしまったが、どうやら気を遣ってくれたらしい。興味があるなら吸えば良いという割には、煙が行かないように誘導してくれる。
 ちょっぴり擽ったくて笑声を零しながら携帯を持つ側の腕に凭れたが、「打ちにくいだろうが」と軽く小言を向けられるだけで終わった。

「先生モテるでしょ」
「自分でモテるっつったら自意識過剰だろうが」
「やっぱモテるんだ」
「さぁな」

 興味ねぇよと返される声は本当にそうらしくて笑ってしまう。だがモテることに間違いはないんだろう。
 日頃の授業からも伝わるし、最近でなら定期試験もそうだ。機転の速さや知識量が普通の人の倍はある。あの殺せんせーにも引けを取らなさそうだなと、カルマは薄々感じていた。
 その上仕事も出来てそこそこ身長もある。顔だって悪くない。口調は荒っぽいがそれはご愛嬌の範囲内だ。
 神様から二物も三物も与えられた彼は、街を歩けば声の一つや二つ簡単に掛かってくることだろう。まぁそんなものも、彼なら鬱陶しそうに無視しそうだが。

「先生に質問」
「あ?」
「何歳?」
「二十七」
「えっ嘘、見えない」
「言葉には気を付けろよ」

 どうせ童顔とでも言いたいのだろう。自覚して気にしているだけに、そこを指摘されるのは癪に触る。「若く見えるって良いことじゃん」とポジティブに返してくるが、童顔の辛さは同じく童顔にしか分かり得ないので全スルーだ。若く見えて喜ぶ年頃じゃねぇんだよ、が崎島の本音である。

「じゃあ次の質問」
「お前何しに来たんだよ……」
「なんでこの仕事受けたの?」
「暇潰し」
「待って、ウケるんだけど。それ本当?」
「嘘吐いて金になんなら吐くぜ」
「現実的って言われない?」
「さぁな」

 まだ何通か送信する先があるのか、スクロールをしたり文字を打ったりと右手の親指だけが忙しく動く。そこから視線を離して少し見上げたときに、カルマはある一点に目が止まった。
 人差し指と中指で挟まれた煙草の灰を、親指の腹でノックして落とす。特別見慣れない訳でもないのに、視線の先で追ってしまう。
 思えばじっくりと見たことはなかったが、肌が見えやすい浴衣だからか覗く腕の白さが際立って見える。指もしなやかで細くて長い。全体的な形の良さに、思わずカルマの手はその手首に伸びた。

「お前仕事の邪魔してんならさっさと寝ろ」
「先生肌白いね。骨の形も綺麗。指とかめっちゃ長いし、なんかしてた?」
「してねぇよ。画面見えねぇだろうが」

 ったく、と煙草を口に咥えた崎島は空いた左手で携帯を持つ。言っても退かないので仕様がなしだ。残り一通まで来て内容を確認後打ち終えると、送信ボタンを押して画面を暗くする。短くなった煙草を口から離すと、彼は簡易の吸殻ポケットへとそれを仕舞った。

「真面目だね、先生」
「社会ってのは口煩いもんなんだよ」

 画面を消した時に見えた時刻で八時半を回っていた。となるともう三十分は此処に居たことになる。夜風は存外気持ちの良いものだが、当たりすぎると体に毒だ。体温を下げて体調を崩しやすくなる。

「さっさと中に戻れ。風邪引くぞ」
「先生は?」
「一服したら戻る」
「あれさっきしてなかった?」
「口の減らねぇガキだな。言うこと聞いとけ」

 風邪引いて寝込むのはお前だぞ、と釘を刺せば、語尾の伸びた返事が聞こえた。足音が遠くなるあたり、室内に戻ったのだろう。軽く息を吐くと、彼は再び煙草を一本取り火を点けた。

 一服を終え中に入れば何処からか騒がしい音が聞こえてくる。声からしてE組の生徒らしい。何を騒いでるか知らないが、備品を壊さなければ烏間からの雷も落ちることはないだろう。
 新幹線が自由席であるのと同じように、部屋割りの待遇も変わりない。男女それぞれ一つの和室が用意されており、教員も然りだ。
 そのためイリーナは一人だが、烏間と崎島は同じ部屋で寝ることになる。別に他人と寝泊まりすること自体に抵抗はないので、なんら問題はない。
 部屋に戻れば丁度仕事を終えたのか、書類を片付けている烏間の姿が見えた。旅先だろうが夜だろうが、仕事が付いて回るのはお互い様らしい。

「レッドアイは辞退か」
「、聞いていたのか?」
「まぁな」

 左耳に嵌る小型のワイヤレスイヤホンを人差し指と中指の二本でノックした崎島に、烏間は瞼を落として窃笑する。知らない間にこの部屋の何処かに盗聴器が仕掛けられていたらしい。
 本人は職業柄だと言うが、全くその通りだと思う。先程までこの部屋には殺せんせーが居たが、彼すらそのことに気付いた様子を見せなかった。

「無理ないな。なんせ規格外だ」
「結果的にはお前の予想通りだったよ」
「街観光か?」
「あぁ。一つの色に拘らず、色んな色を見て回る、だそうだ」
「はっ、あいつらしいな」

 少し前に会った時には少々天狗になっていたが、今回の件で良い具合に鼻が折れたんだろう。それが挫折の方向ではなく成長への歩みに向かっているようなので、彼にとっては良い収穫だっただろう。
 イヤホンを取り外した崎島は、ケースに入れてそれを鞄の中へ放り投げる。

「そういえば初めて知った」
「?何が」

 お、酒がある。と冷蔵庫を開けている崎島は缶ビールを手に取り、テーブルの上に置かれていた注意書きに目を落としている。
 飲んだ分だけ後払いらしい。まぁ別に良いかとプルタブを開けると、仕事を終えたからか目の前に座る男も手を差し出してきた。どうやら飲む気らしい。

「変装が上手いらしいな」
「ペチャクチャ人のこと喋りすぎだろあいつ、何話してんだよ」
「声も変えれると聞いた。本当か?」
「聞きてぇとか言うなよ」
「……」
「言うのかよ」

 アンタ本当顔に出るよな、と新しく出したビールのプルタブを開けた崎島は、軽く煽って中身を一口飲んだ。
 ただの観光に近い一日を過ごしたが、夜のビールはやはり最高に美味かった。この話題がなければもっと美味かったに違いない。

「……」
「……」
「……何聞きたいんだよ」
「、良いのか」
「良いから言ってんだろ。早くしろ」
「犬」
「流石に人にしろよおちょくってんのか」

 なんで犬なんだよ、と聞けば目が合えば吠えられると言う。ここに来てとんだ大告白である。思わず缶ビールを机の上に置いて笑ってしまうのも無理ない。

「笑い過ぎだ」
「犬に吠えられるってそりゃ災難だな……!」

 これは可笑しい。ギャップが激しくて腹が攀じれそうである。笑いの波が引かないので息が苦しい。初めの段階から抑えよう抑えようと懸命の努力を重ねてはいるが、そうすると酸素が足らなくて余計にしんどい。
 本人は好きで目が止まるのに、目が合った途端吠えられるなんて反発し合うにもほどがある。あまりにも反比例過ぎてどうしようもない。

 最早ビールを飲むどころではなくなったのだろう。今じゃ笑い過ぎて痛い腹を押さえて尚崎島は笑っている。
 こっちはそれが悲しくて犬に近寄れないというのに、何もここまで笑わなくても良いじゃないか。ついむっとした顔を烏間も浮かべてしまうのも、人間、感情があるが故である。

「崎島」
「OK……ッ、分かった、止める……ッ、……っ……、ふ、」
「お前なぁ……」

 何が分かって何が止めるだ。何も止まってないし何も変わらないじゃないか。一瞬の間があったので期待したが、漏れた笑い声で全ておじゃんである。
 終いには俯いたまま顔を上げなくなったし、肩は永遠震えている。これ止まる気配がないのでは。一抹の思いが烏間の中に過ぎった瞬間だった。

 肩に手を置くが一向に笑いは収まっていない。思いの外笑いのツボが浅い部類だったらしい。これもまた新たなる発見である。
 しかし今は何を言っても笑いの種にしかならないのか、つい呟いた「笑いのツボ浅かったのか……」には今度こそ彼はそのまま後ろに倒れて畳を叩いた。体勢を保つ体力も今はないらしい。
 日本には《箸が転んでもおかしい年頃》の言葉があるが、烏間は今それを当てはめても問題ない気がした。

「(まさかここまでとは……)」

 ついに声にならないレベルまで達してしまい、可笑しいより苦しいが先行しているように思う。少し心配になって覗き込めば、目尻に涙が浮かんでいるのが見えた。何度も言うが笑い過ぎである。
 生きてるか、と声をかければ頷かれるので、とりあえず生命維持は出来ているらしい。流石の烏間も今回のことが発端で、崎島を窒息死させた容疑者にはなりたくない。
 少し呼吸が落ち着いてきたので、笑いが収まるのももうすぐだろう。そう思い烏間が体勢を元に戻しかけた時、何故か前触れもなく障子が横へと引かれた。

「烏間先生〜!さっき此処に忘れ、にゅやァ!!?おおおおおお取り込み中でしたかァ!!!」
「声を掛けろ!なんの話だ!あと声が大きいッ!」
「まさかそこまで進展してたとは私思いもしませんでした!!」
「聞けっ人の話を!」
「大丈夫です私口は固いので!!」
「お前の口の固さはどうでも良いっ!会話をしろと言ってるんだッ!」

 もう無理。なんの話だか烏間同様さっぱりだが、会話の成り立たない攻防戦に終ぞ崎島は手のひらで耳を塞いで聴覚の暴力に蓋をした。こうでもしないと今度こそ《死因:窒息死》が現実のものになりそうで、謂わば生命維持活動の本領発揮である。
 本日前半まで楽だなと思っていたが、後半に掛けての比重があまりにも大きい。もっと上手く分配してくれなければ身が持たない。殺し屋にして有るまじき失態である。
 こんなにも笑う予定ではなかったし、無理矢理持たされ最終鞄にねじ込まれた《旅のしおり》にも、その文字は一切なかった。だというのにこの笑い地獄。疲労がとてつもなく半端無い。

 崎島の笑いが収まった頃、烏間の方も嵐を追いやるのに成功したのだろう。お互いに息も絶え絶え、折角湯船にも浸かったのに就寝前に乳酸溜まりまくりである。
 何とか上体を起こして互いにテーブルに腕を置く。あんなに冷たくて美味しかったビールも、今や気の抜けたただのアルコールである。

「……で、あいつ何の用だったんだよ」
「忘れ物を取りに来たらしい……」
「忘れ物?そんな会話してたか?」
「分からん。途中会話をすることを諦めた」
「あぁ、だろうな。俺がその立場なら早々に諦めてる」

 何がスイッチか知らないが、あぁやって暴走し始めると止まらないのだ。OFFと書かれたボタンでもあれば別だが、生憎備わってないので止める手立てがない。なので対処法としては会話を諦めるか、無視をするかの二択である。

「はーー……疲れた……」
「お前の疲れは笑い過ぎだろ……」
「アンタが笑わせてきたんだろ」

 そもそも何から始まったのか。今ではすっかり忘れてしまった。多分ものすごくどうでも良いことだったように思うので、このまま忘れたままにするのが平穏な気がする。
 もう夜も遅いし寝てしまおう。疲れは寝て取るのが一番だ。立ち上がった崎島は畳の上にマットレスを敷いて、二人分の枕と布団を取り出して準備する。
 明かりを消して体を横にすれば、今し方感じていた疲労がじんわりと芯から広がる感覚を得た。

「、思い出した」
「……何を」
「事の発端だ」
「いい、やめろ。そのまま閉まっとけ」

 多分これは開けてはならないパンドラの箱だ。烏間の方は思い出してしまったが為に蓋が開いたが、まだ崎島は開けてないのでセーフである。
 だがそれも今だけの話で、そう遠くない未来で箱は開かれることになるのだった。





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