08


「私思うんですけどね」
「ぅわ、びっくりした!」
「なんだよ殺せんせー、急に喋んなよ……!」

 全くその通りだ。物凄く立て続けに心臓に悪い。振り返って袋の中に浮かぶ球体に目をやった烏間だが、パチリと合う視線に一瞬靴底が擦れる。
 振り向いて目が合うということは、振り向くまでの間中、ずっと彼の目が烏間を見ていたことになる。でなければこうも間良く視線が合うなどあり得ない。
 一瞬にして気色悪さを全身に感じた烏間は、寒くもないのに腕を摩る。当然気付いた殺せんせーからは文句が飛んできたが、咳払い一つでとりあえず水に流したらしかった。

「で、何言いかけたんだよ、殺せんせー」
「ヌルフフフフ。いえね、烏間先生と崎島先生って、とても良いバディ関係だと思いまして」
「バディって……」
「相棒って意味だよな、確か」
「なんでそう思ったの?」

 正しく今一番の疑問である。茅野の問い掛けに同じことを感じる者は多く、真意を確かめようと皆の視線が渚が持つ袋へと集められる。そのうちには烏間の目もあり、そこには疑問の色がありありと浮かんでいた。
 それを知った殺せんせーは、いつもの如く特徴ある笑いをくつくつと漏らす。やはり思った通り、本人は、否本人達は全く気付いていないらしい。

「先程の会話で崎島先生は何も言葉を発していません。同様に烏間先生も、彼の名前しか呼んでいない。しかしたったそれだけで、彼等の意思は通じ合った。その上口約束すらない状況で、実際に行動に移す行為は、相手を信頼していなければ早々出来ません」

 だから、お二人は良きバディ関係になれると思ったわけですよ、と締め括った殺せんせーに、生徒はなるほど〜!と頷いているが、全くなるほどではない。烏間は額に手を当て壁に体を預けさせた。
 確かに、あのとき「この場は任せて良い」という意味合いを持って彼の名前を呼んだ。これは認める。そして間違いがなければ、あのときの彼もまたそれを汲み取った上で、此処を任せてくれた、のだと思う。名前を呼ばれた衝撃で思考が止まってしまったことも、最早潔く認めよう。
 しかしそこで烏間ははたとした。待て待て、これではあいつの言葉通りなんじゃないか、と。
 大して言葉を発していないのに、そうだろうと互いに相手の思いを汲み取った上で受け入れた。ニュアンスが違うだけでほぼ意味は似ている。
  違うと否定して、事実はこうだと弁解したところで、これでは意味がない。それを悟った瞬間、烏間は彼等に背中を向けた。嫌な笑い声が聞こえて心底胸糞悪かったが、振り返れば負けである。

「(……バディ、な)」

 言葉を復唱して、烏間は目の前の扉を見上げる。仕事において、不足はない。崎島は良くしてくれている。頭が回る分出来る限りのフォローはしてくれるし、合理的な思考を持っているからか、隣に居て会話をしていても居心地は悪くない。寧ろ、話は合う方だと思っている。仕事を行う上で付き合いやすい人間だ。

「(それだけの、はずだ)」

 なのに何故今一つ腑に落ちていない感覚を抱くのだろうか。何も間違っていないのに、妙にもやついている。崎島風に言うなら、鬱陶しいだ。これ以上の答えは持ち合わせていないはずなのに、この感覚は一体なんだ。

「一番は崎島先生が烏間先生の名前を呼んだのが決定打ですね!」
「お前はそろそろ黙っておけ」

 一応これでも身を潜めなければならないのだ。騒がしくして崎島の仕事の邪魔にでもなれば、此処までの時間が全て無駄になる。君達もだ、と言葉を掛ければ、理解の早い彼等は一様に互いの顔を見合わせ口を閉ざした。こういうところは、中学生らしい姿だ。
 だがそれは彼等だけで、この生物だけは例外でない。

「そういえば律さんが今音声モードを起動してくれているらしいんですよね」
「はい、殺せんせー!」
「お前は本当に……っ」
「大丈夫ですってばぁ、崎島先生だってご存知ですよ。でも何も言わないで知らな振りを通したってことは、」

 つまりそういうことです。といけしゃあしゃあと述べるが、多分許可したのではなく色々と面倒臭かっただけだろう。彼は無駄を嫌うからこそ、面倒ごとは避けて通るタイプだ。極力騒ぎの中には入っていかないし、大体傍観に徹している。
 ただあの理事長とだけはどうにも性格が合わないのか、以前本校舎に赴いた際には、中間テストのことで冷戦が繰り広げられた。正直、側で聞いている身としては心臓に悪過ぎる空間だったのだが、その事実は誰も知らない。
「生徒の勉学に尽力してくださっているそうですね。大変、お時間が余っているご様子だ」
「契約内容通りの働きを見せただけだ。アンタも態々教壇に立つとは、仕事が増えてご苦労なこったな」
「理事長とは椅子に座って高みの見物をするだけが仕事ではありません。ご存知ではありませんでしたか?」
「そりゃアンタの勝手な意見だ。誰も高みの見物なんて言ってねぇさ。ただ、普通でも仕事が多いだろうに、その上で他の教師の穴埋めとは……非合理的だなと思っただけだ」
 あれは冷戦以外の何者でもない。二度とあの二人の顔を合わせないようにしようと、自分の中で誓ったのは烏間の心の中だけの話だ。

「烏間先生」
「なんだ。……?なんのイヤホンだ」
「向こうでどうなってるか、知っておいてもいいでしょう?」
「……、」

 どうぞ、と苦笑とともに渡される渚からのイヤホンを小さな溜息と共に受け取った烏間は、それを携帯に挿して耳に嵌る。少しの雑音の音、拾ったのは憤った鷹岡の声だった。
 余程気が立っているようだ。聞こえてくる会話(と言っても、今は鷹岡の声のみだが)に耳を澄ませば、どうやら治療薬を入れていたボックスに付けた爆弾が何故か作動しないらしい。
 やり方が汚いと思っていたが、此処まで来ると堕ちた人間の底が見える。もしもあのウイルスが本物だった場合。そして此処に崎島が居なかったら、本当に彼等の命は無かったかもしれない。心底、心証の悪い話だ。

《くそッ!くそッ!!なんで作動しねぇんだ……ッ!!》
《そりゃこっちで操作させてもらったからだ》

 これは崎島の声だ。全員がちゃんとそれを拾ったのか、彼の声が聞こえてきた瞬間、姿が映りもしない携帯の画面をじっと見つめてその手に力を込めた。

《なに……っ?》
《時限爆弾ならまだしも、手動で爆破出来るタイプのものは大抵電波を受信してる。その場合、外部から操作することは可能だ。大方目の前で爆破させてやろうって魂胆だったんだろうが、詰めが甘かったな》

 手土産として放り投げてくれたこれは頂いて行くぜ、と言っているあたり、彼の手には治療薬が持たれているらしい。ということは、もしもそれが本物であれば安静にしておく以上に早い回復が見込めることだろう。
 表情を明るくする生徒達が、互いに顔を見合わせ笑っている。水を飲んで安静にしていれば、と崎島は言っていたが、せっかくの沖縄だ。どうせなら彼等も少しの時間を仲間と元気に過ごしたいだろう。

 それにしても、治療薬に爆弾を貼り付けていたところまで情報を握っていたとは。その上ハッキングで爆破時間を操作し、止めたとまで聞けば感服の息すら溢れる。
 イリーナの師匠、ロヴロが話していた。彼こそ最も敵に回したくない人物だと。味方であれば有利だが、自分と相対する立場にいた場合は、最悪死を覚悟する必要がある。彼にあそこまで言わせる男は、崎島くらいらしい。
 此処までの動きを思い出しても、そうだろうなと納得しか浮かばない。もしも今回崎島が首謀者側に立っていたら、正直考えたくないが勝ち目はなかっただろう。

《さて、遊びの時間は終わりだ。此処からは──大人の時間だ》

 彼が言うと非常に様になる台詞だ。だが本当に、此処からなんだろう。爆弾も止めた、治療薬も手に入れた。崎島からすればこれまでのことは全ておまけのようなものだ。
 依頼内容に爆弾を止めて治療薬を奪えとはないのだから、ほとんど慈善活動に近かった。遊びの時間と称していたが、強ち彼にとっては誤りではなさそうである。
 それでも全てを回収してくれたのは、慈悲か、それともただの気まぐれか。何にせよ今回彼に助けられた面は大いにあった。
 イヤホンから特徴ある音が聞こえてくる。これはセーフティーが外された音だ。彼は今恐らく手に拳銃を持っている。一瞬烏間の喉の奥が軋む。だがそれに気付いたのは、袋の中で浮かぶ殺せんせーだけだった。

《選択肢を二つ用意した。好きな方を選べ。此処で大人しく捕まって、国の管理下に収まりながら、お前が強奪した機密費の総額約一億円を血反吐を吐いて返すのが一つ。二つ目は、此処で殺されて俺がその一億を肩代わりする》

 立ち上がりそうになった足を動かさなかったのは、烏間の中の理性が働いたからだ。同行を許可した際に、崎島は最低条件を立てていた。そしてそれに、自分達は了解したから此処まで付いて来た。
 《やり方に一切の口を出さない》それは依頼遂行に手出しをするなという意味だ。
 崎島は決して役人ではない。況してや警察の人間でもない。その反対側に立つ殺し屋だ。分かっていたはずだ。やり方の選択肢に"それ"が含まれていることくらい。

《お、俺を、捕まえるってのが、い、依頼内容だろうが!!》
《元役人の癖して分かってねぇな。ゴミを連れ帰って国に何の得がある》
《ッ、!!》
《あっちからすれば、お前が帰ってきたところでなんの利点にもならない。監視用に人員が必要になる、要は仕事が増えるだけだ。戻ってきて欲しいのは強奪された一億だけ。つまりお前が一生働いて返すか、此処で俺が返すか。国が求める答えは単純だ》

 それなのに、心の中には願っている自分がいた。どうか、殺してくれるなと。
 烏間自身、鷹岡のことを庇いたいわけじゃない。彼がしたことは到底許されない行為だ。防衛省から金を盗んだことも、殺し屋を雇ったことも、結果的に違っていたとしてもウイルスを生徒達に服用させたことも。
 たとえ彼が元居た場所に戻っても、再び今の役職に戻れることはまずない。崎島の言う通り監視をされ続けるか、警察へ連行されるか。どちらにしても、もう普通の生活には戻れない。

《お前の人生だ。好きな方を選べ》

 鷹岡の所業を許せるわけがない。だが例えそうだとしても、殺して欲しくなかった。理由なんてものは烏間にもよく分からない。見当たりもしない。ただ、ただ崎島のあの指で、引き金を引いて欲しくなかった。それだけだった。
 あれから時間が経ったが、未だ銃声は聞こえてこない。心臓が重く、拍動を繰り返す音が耳障りなほど近くに聞こえる。その烏間同様、生徒達もまた固唾を飲む様子でイヤホンの音に神経を張らせていた。

《……依頼完了だ。手筈通りの場所に来い》
《了解》

 聞き覚えのない声が聞こえてきたが、もしかするとあれは崎島本人が雇った人間なのかもしれない。銃弾の音がしない代わりに、セーフティーの掛けやれる音が聞こえる。それは選択肢のうちの前者を、鷹岡が選んだということだろう。
 つまり崎島は殺していない。あの拳銃の引き金を、彼は引いていない。
 大きな息が烏間から吐かれる。立て続けに心臓に悪いことばかりだ。否、ただ覚悟が足りていなかっただけなのかもしれない。殺すということを、それを所業とする人間との共存を。

「良かったですね。彼がトリガーを引かなくて」

 憎たらしいが、今は何も言い返せない。事実、殺せんせーの発言は烏間の心情と一致していた。崎島が鷹岡を殺さなくてよかった。情けないが、本当にそう思っている。
 殺し屋に人を殺して欲しくないと思うことは、傲慢だ。そして彼等の生き様を否定している。自分達が今の仕事にプライドがあるように、彼等だってその仕事には相応のプライドを持ってやっている。それがプロであるし、ヒト、モノ、金の社会で生きる上では普通のことだ。
 理屈では分かっている。理解している。納得だって、しているはずだ。ただ一つだけ、そのどれもが当てはまらないものがある。それは烏間の中にある、感情という目には見えないものだった。

「さて、崎島先生の仕事も終わったようですし扉を開けて合流しましょうか」

 肯定を示して立ち上がる生徒達がいる中、烏間も遅れてその腰を持ち上げる。そして切り替えろと自分に言い聞かせて、彼は重い扉に手を掛けた。
 生温い風が吹き抜け、一瞬目元を腕で隠す。それから半分ほど落ちていた瞼を持ち上げて見た先には、コンクリートに倒れる鷹岡と、その側で拳銃を手に立っている崎島の姿だった。
 視線が交わるのと同じ時に、大きな風とローター音が辺りを轟かせる。見上げた先には彼が呼んだのだろうヘリがあった。一人の男が吊るした梯子から降りてくる。こちらに目もくれずその男が走り寄ったのは崎島の元だった。

「崎島さん、これですか」
「あぁ。報告は俺がやる。適当に土産だっつって渡してやれ」
「はは、了解です。そうだ、乗ってきますか?」

 ついでだし送りますよ、と事もなく話しかける様子から、気の置けない関係なのかもしれない。だが話す二人の様子を目にした途端、騒ついた肺のあたりに烏間は眉を顰める。
 この感覚は一度や二度ではないのだが、未だに明確な理由が分からず、疑問ばかりが積み重なっている。
 答えを見つけようとこれでも色々と考えてはいるのだが、どれも当てはまらなくて手詰まり状態だ。一瞬病気か?と考えたこともあったが、崎島が居ない時には現れないので、そんな奇怪な病があるわけないと受診はやめた。
 顎のあたりに手をやり、崎島が思案している様子を烏間は視界に捉える。彼からすればこの地での仕事はもう終えた。残り続ける理由はない。東京に帰って政府が用意したセーフティーハウスにいる方が、余程休めるだろう。
 そう、頭では理解している。一応は。だが手が出てしまったものは仕方がない。

「いや、今回の一件で崎島には力を借りた。礼も兼ねて我々が送り届ける」

 顎に触れていたその手首を取って、烏間は崎島の体を引き寄せる。それらしいことを言っているが、ほとんど出任せも良いところだった。何を必死になっているんだろうかと、自分でも疑問に思うくらいには、計画性がゼロだ。現場監督者が聞いて呆れる。
 だが発言自体に不備はなかったからか、相手の男も崎島も大して怪訝な顔色は見せていない。「こう言ってますけど、どうします?」問われたそれに、烏間を見ていた崎島の目が男の方へと向けられた。

「一服して帰る」
「、了解です。じゃ、またいつでも呼んでください」
「あぁ」

 よっこいしょ、の言葉とともに軽々と鷹岡を担ぎ上げる男は余程腕力があるらしい。その状態で梯子に足を掛けて上へ上げてもらっていた。機内に乗り込めば顔だけを出して大きく手を振っている。それに鬱陶しそうに手を払う崎島に、男は笑って扉を閉めた。
 再び大きく風が巻き上がると、ローター音を轟かせてヘリが沖縄の空を旋回する。そしてしばらくもすれば、機体は東京方面に向けて飛行していった。

「で、」
「、」
「俺の分のホテル、用意してくれるんだろうな」

 今日で帰る予定だったから、明日までの分なんて取ってねぇよ、と話す崎島に、烏間は二度ほど目を瞬かせる。最終的に此処に残ることを選択したのは崎島だが、選択肢を増やしたのは烏間だ。それでも彼は、それを非難することはなかった。
 どうなんだよ、と見てくる瞳に少しの間を置いてから、烏間は静かにその眦を緩めさす。そして「もちろん、」と、彼はそのブルーグレイを見つめ返した。

「すぐに手配しよう」

 思えばただの口実だったんだろう。そのことを自覚し、気付いた頃にはすっかり夜は明けていた。怒涛のような一日が、今ようやく幕を下ろした。





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -