純真のとりこよ 2


「………ということは、嫌ではないのか?」


窺うように、知り得たい答えを聞くように、烏間はそっと柴崎に尋ねる。それを聞いた彼は顔を上げて、目の前にいる烏間と目を合わせた。視線が合って、すると真っ直ぐと見つめてくる瞳につい逸らしたくなる。けれど逃げてはいけない。伝えたいことはちゃんと言葉にして、声にして、そして形にしなければならない。




「…嫌じゃない」

「……」

「…嫌じゃ、ないんだけど…ただ恥ずかしいだけで、……〜〜…っ…なんか駄目なんだよね、俺」

「…駄目?」


一体何が…。そんな風な目で見てくる烏間から視線を落として、柴崎は頬骨の下に手を添えるよう首筋に指の腹を当てた。



「……烏間が相手だと、途端に優柔不断になって…情けないくらいにあれこれ考えちゃう」

「……」

「嬉しいなら嬉しいって、素直になれば良いのに…それが出来なくて…」


いつだって、彼を前にすると心が駄目になる。恥ずかしさが勝って、そのせいで未だにキスも恥ずかしい。迫られると逃げ出したくなるし、抱き締められると安心すれど心臓の鼓動は煩くて堪らない。




「…俺も、烏間みたいになれたら良いんだけどな」



真っ直ぐに、例え迷ったとしてもちゃんと気持ちを伝える。それが出来る彼が少し羨ましい。烏間のようになれたら、こうやって自分の気持ちを持て余さずに、もっと上手く想いを伝えられるのに。他の人が相手ならきっとこうはならない。…相手が彼だから、烏間だから、要らない、欲しくない感情が本音を覆って邪魔をする。

烏間は柴崎から告げられる言葉に少しばかり喫驚する。けれど思っても見なかった想いを聞けて、自然と口元には笑みが浮かんだ。同時に目元も柔く和らいで、安心した様子を彼は見せる。



「……馬鹿だな、柴崎は」

「、…ごめん」

「ふ、いや。別に謝らなくて良い。…だが、そうだな。一つ訂正しておこう」

「…?」


下がってしまっていた顔を持ち上げる。すると表情を穏やかにさせる烏間の、優しい目と目が合った。



「俺だって散々悩んだ」

「ぇ、」

「同棲の件も、今回のこの話も」

「…そ、そんな風に見えなかったけど…」

「だったら上手く隠せていただけだろう。これでも結構頭を悩ませた」



何せ相手は今世一等と言えるほどに愛しいと想う柴崎だ。同棲の話を持ち出すにもあれこれと悩んだし、物件のことだって頭を捻った。一人ならば適当にするが、今回だけは一人じゃない。ちゃんと相手がいて、その相手と共に暮らす部屋だ。だからきちんと、良い加減になんてしないで一つ一つを見て行きたいと思う。その一つがこのベッドの件であり、事をややこしくしたくなかったのならあの日─宮野と会った日─に本音を話しておくべきだった。…だがそれがどうにも出来ず、告げるならば柴崎と二人きりで話す場所を設けたいと。結局はそう思ったのだ。

だからこうして、日にちを置いて次の休みの日にとした。すると案外その間というのが思った以上に心を落ち着かなくさせてきて、それが烏間を困らせた。下手な意地を張らずに、あの場に宮野がいるからと躊躇わずに、思う気持ちを柴崎へ伝えておけば良かったと少しの後悔もした。だが時間は願っても戻らない。そうと分かっているから、今日というこの日を腹を括って迎えたのだ。



「確かに柴崎は少し不器用な面がある。他に対しての接し方は器用なくせしてな」

「…ぅ、」

「しかしだからと言って別にそこを無理に直せとも思わないし、俺はお前がそんな風でも構わないと思っている」


なぜならそうやって自分に対して不器用なところが柴崎であり、そんなところがまた愛しいとも思える。我儘や甘えを素直に言えないのなら、尋ねてその願いを叶えてやりたくなる。同時にそういう特権を持てているのだと思うと、少しばかり得意げな気持ちにもなれた。

柴崎は知らない。彼が思う以上に、烏間という人間が存外欲深いということを。だが知らなくて当然だ。烏間本人がそれを開けっ広げにせず、多くを見せることなく仕舞い込んでいるのだから。



「…それに結局はこうして話してくれた。お陰で俺はお前の気持ちを知ることが出来て、今は安心している」

「安心…?」

「あぁ。…嫌だとは思ってくれないで、逆に嬉しいと思ってくれていたことにな」

「ぁ、」


なんだか、改めて言われると照れてしまう。身を縮めて、柴崎は烏間から視線をズラした。



「……面倒臭いって思わないの?」

「ん?」


あ、なんか今のも面倒臭いかもしれない。柴崎は質問をしてからやってしまったと心の中で舌打ちをする。あぁいやだな、どうして烏間の前だとこうなるんだろう。他の人の前では絶対にこんな風な言葉は出てこないのに。そう悶々と悩んで、しかし悩んだところでどうしようもなかった。



「俺はお前から言われることやされることに面倒臭ささを感じたことは一度だってないが…」



けれど本人からはこう言われ、抱いた悩みも即解決。というより返答的にどうしてと考える必要もない感じだ。

柴崎はポカンとして烏間を見る。すると烏間もまた、何か可笑しなことを言っただろうかというような顔で柴崎を見ていた。テーブルを挟んで互いが見合い、何秒間かの沈黙が起きる。




「……嘘じゃないぞ?」

「……うん、顔見れば分かる」



だって全然、本当に本当のことしか言っていないみたいな顔をしている。普段からなんとなく烏間の顔を見れば彼の考えていることが分かる柴崎だが、今回程分かりやすくもろに出ているのは稀であった。



「柴崎からのものなんて可愛いもんだ。なんだったらもっと言ってくれても構わない」

「いや、それはなんか…。それに何言ったら良いか分からないし」

「簡単だ。して欲しいこと。されたいこと。それを言えば良い」

「ん〜…」


…と言われても、これといってピンとしたものが思い浮かばない。多分今の状態で十分に満足しているからだろう。持っていた生徒は無事先の未来を決めて、烏間とは変わらず安泰な関係。もう桜の季節なんだなぁと呑気に構えていれば、思いもしなかった同棲話。順風満帆とは正にこのこと。不足なんて何もない。




「…烏間とこうしていられるのが幸せだし、十分満たされてる感じがするなぁ」


その上好きな人とまさかこうしてベッドの話をするなんて、柴崎の中では想像もしていなかった。しかもシングルか?ダブルか?それともセミダブルか?みたいな一見仕様もない話。他の人が聞けばなんでもいいだろ!と言われそうなこと。だが当人達の間では重要なことで、だからこうして態々休日の日に『第一回 ベッドの種類はどうするか。シングル?ダブル?それともセミダブル?会議』をしている。まぁ会議討論の結果、シングル案は無しという方向で無事落ち着きを見せた。


うんうんと。自分の発言に納得すると、柴崎は凝った背中を伸ばすようにしてんー…っと腕を真上に上げる。そんな彼の前には今度こちらがぽかんと、呆気に取られたような顔をして彼を見ている烏間の姿があった。だが柴崎はそんな彼に気付いておらず、何処かスッキリしたような面持ちを見せてる。



「はぁ…なんかホッとしたらお腹空いた」

「…食べていないのか?」

「…んー…こう、ずっと考えてたから、朝も食べたいとかそういうの全くなくて…」


なんなら睡眠も不足しているために眠い。プラスして気の置けない烏間の部屋なので、一旦肩に力を入れて話していた事柄が落ち着きを見せると簡単に気が抜けてしまう。それに今は11時半と丁度良い時間。昼には少し早いが、別に遅くもないと言える時間帯だろう。

ふぁ…と。小さな欠伸を柴崎が見せる。烏間はそんな彼にしばし黙り込むが、すぐに仕方がないなと笑ってしまう。と同時に彼の肩の力もまた抜けていき、それを知ると強張っていたのは自分も同じだったと、烏間は今更にして感じ取った。




「何が食べたい」

「え?」

「何でもいい。食べたいものがあるなら俺が作ってやる」


ほら、言ってみろ。好きなだけ聞いてやる。そうやって他の誰も見たことのないような優しい表情と甘い声で伝えられるものだから、無意識の内にかぁ…と柴崎の頬が赤くなった。しかし直ぐに火照って来たその熱さに気付いたのか、彼は明からさまに立ち上がって烏間に背を向けた。




「な、なんか暑いね。春なのに今日は特別あったかいのかな」


パタパタと、頬の近くで手で仰ぐ。微風さえも感じないが、何かしておかないと心が落ち着かない。ドキドキと、煩いくらいに心臓が速く動いている。今でこうなのに一緒に暮らしたらどうなるのか。これはもう考えたくもない。きっと毎日、慣れるまでは延々と烏間に対して恋をしている感覚を持ち続けていそう。いや、勿論この先もずっと彼以外を柴崎が見るつもりも気もないが、感覚として。感覚として、毎日がそんな感じがするのだ。




「気温は普通だぞ。なんなら少し、お前には肌寒いくらいだと思うがな」

「っ、」


隣に立って、顔を覗き込むようにして烏間が見てくる。この顔の意味を知っている。彼は分かっていて、こんな風に見てくるんだ。柴崎はそれを察したから、ふいっとその顔も目も逸らした。しかし頬は相変わらず。外の木々に咲く桜の花のように鮮やかな色を帯びている。




「だし巻き」

「、」

「ちゃんと烏間の分と、俺の分と作ってよ。…それから、」



少し悩んで、考えて、ちらっと彼は烏間を見る。



「…白ご飯と、お味噌汁が飲みたい」



物凄く平凡だ。純日本人が食べる和食そのもの。此処に魚があれば文句なしである。…笑われるかもしれない。もっと他の何かを言ってくるのかと思っていたと、ツボにはまったように。けれどぽんと、優しく頭に置かれた手がとても温かく感じた。




「それが良いんだな?」


顔を上げれば、もう…、と拗ねてしまいたくなった。それほどまでに烏間が見せてくる色全てが柴崎の胸をぎゅ、と優しく掴んでくる。手から伝わる愛しいという想い。表情や声から感じられる柔らかな甘さ。ずるい。柴崎は烏間から受けるもの全てを感じ取ってはそう心の中でごねた。そのまま髪から頬に手のひらが滑って、やんわりとその平で包まれる。



「…本当、目に入れても痛くないな。お前は」


だからもうやめてってば。そう言いたいのに言えないものだから、抵抗の意を込めて柴崎は彼の鳩尾に可愛らしい、痛くもなんともないパンチをした。するとくつくつと、堪らないなというかのように笑ってくるのだから立つ瀬がない。



「くく…っ、分かった分かった。すぐに作る」


離れていくて手にホッとして、キッチンへ向かう背中を目で追っていく。…いつかこうやって、こんな光景が日常になる。そう遠くない未来で、必ず。恥ずかしさや、緊張や、心落ち着かないなんて感情はまだ消えない。それでも不安という感情だけは何処を探しても見付からなかった。




「、…気になるか?」

「うん。…邪魔?」

「ふ、いいや。…あぁそうだ。炊飯のスイッチだけ入れてくれないか?」

「ん、分かった」


言われた通り炊飯のボタンを押せばピ、と音を鳴らして光が点灯する。これで炊飯は完了。見れば早炊きにしているらしく、通常より早く出来上がるようだった。

烏間を見ればもう既にだし巻き卵を作る作業に移っており、彼は味付けである出汁を溶いた卵に目分量で振り入れていた。特別物珍しいわけではないが、それでも気になるのか彼は烏間の隣に立ってじっとその作業を見つめる。偶に烏間がそんな彼を横目で見て、気付かれないよう小さく喉の奥で笑った。




「柴崎」

「うん?」


皿を取って欲しいと言われて取りに行っていた柴崎。手にはちゃんと二枚の皿が持たれている。それを一つ烏間に手渡しながら、彼は声掛けに返事をした。



「確認だがベッドはダブルで良いな?」


急な変化球(?)に柴崎は皿を渡し損ねそうになる。が、そこは流石の烏間だ。読めていたのか落とさせることなくその前に皿を受け止めていた。



「……はい」


それで、お願いします。…なんて。また何処かへ嫁ぐような台詞を残した柴崎は、これ前にも似たような返事をした気がすると。確かなデジャヴを感じていた。

そして結局『第二回 ベッドの種類はどうなるか。シングル?ダブル?それともセミダブル?会議』は結局行われることなく、開会される以前に幕も上がらなかった。


prev




.
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -