ダイイングメッセージは甘め 2


「コーヒーのペーパー何処にあるのかなって思って」

「ペーパー?…あぁ、それならその右の棚の…」


と、説明と共に一歩出掛かった足だが、それは止まる。



「此処?」

「…あぁ。そこの上から二つ目にあるはずだ」

「んー…」


これ以上これを持ったまま近寄れば何のために早々と纏めて部屋に持って行こうとしたのか分からない。なので口頭説明でその場を凌ぐ。



「あ、あったあった」


これがないとコーヒー落とせないもんね。そう言って一枚手に取り折り目部分を山折りする。



「ありがとう烏間。引き止めちゃってごめんね」

「構わない。すぐにまた戻る」

「うん」


コーヒーを落としにかかった柴崎を背に、烏間は自室へと足を向ける。これでやっと、変にドギマギせずに済む。少しぶりの安楽さに肩を下ろしながら、彼はそれを部屋のデスクに置いた。













一口飲む。やはり違う。彼の入れてくれるコーヒーは何処よりも美味い。



「…落ち着く」

「ふふ、大袈裟なんだから」


コーヒーくらいいつも飲んでいたでしょ。と、そう言われてみれば確かにそうなのだが、それだけではない。彼とこうして過ごす時間。それが何より落ち着くのだ。

ソファに座り天井を見上げて、このひと時に身を投じる。肩の力が抜けるとはこのことをいうのだろう。瞼を落とすと何故だか眠気が顔を見せた。




「…烏間、何か悩んでるの?」

「?どうしてだ」


瞑っていた瞼を持ち上げ、顔を柴崎の方へと向ける。だが視線は合わなかった。



「深い理由はないけど、なんとなく。ここに来た時も、玄関の音に気付かないくらい集中してたから」

「…それは、」

「何にもないならそれで良いんだ。ほら、ストレス溜めちゃうのって体に良くないでしょ?それで気になっただけ」


変なこと聞いてごめんね。そう謝る柴崎だが烏間は逆にそんな彼に謝りたくなった。恐らく気付かなかったのは行き詰まりを感じたせいであり、その原因というのが物件選びをしていれば丸の物が多くなってしまいどうしようと、それだけだ。後自分で入れたコーヒーの不味さに彼のコーヒーを欲したせい。故に柴崎に非はなく謝る必要もない。なんならそんな心配をしてくれたことにこちらが感謝をしなくてはいけない。

あぁしかしこんな顔をさせてしまった事が酷く心苦しい…。烏間は柴崎作のコーヒーを片手に胸を手で押さえた。



「えっ、ちょ…烏間?どうしたの?胸が痛いの?」

「…すまない柴崎。お前には酷いことを…」

「何?なんの話?何にもされてないけど、ってそんなことより大丈夫っ?」


お前が胸押さえるって余程じゃない!?

ここまで振り返ってみても本日の柴崎は動揺を強いられている感満載であった。

その後烏間より問題ないと伝えられ、それに安堵する柴崎。何もないならそれに越したことはない。人間健康が一番なのだ。そこで入れたコーヒーは早々となくなり、彼は烏間にもう一杯飲む?と尋ねてみる。



「…そうだな。貰おうか」

「じゃあ入れてくるね」


カップを拝借し、柴崎は自分の物も手に持ち再びキッチンへ向かう。…が、その途中で彼は何かを見つけてしまった。




「…?」


ダイニングテーブル添え付きの、チェア。その一脚の座に何やら一枚の紙が。後ろにいる烏間を振り返って、それからまた紙を見て…。




「……家?」


というより、何処かのマンションの一室。見たところ物件に関するもので、事細やかに駅から何分だの築何年だのが書いてあった。一度カップをテーブルに置くと、彼はそれに目を落とす。どうしてこんなものが此処にあるんだろう。烏間、引っ越すのだろうか?いろんな疑問が積もり積もるが、答えは見付けられない。



「ねぇ烏間」

「ん?」


早いな、もう入れたのか?そう思い振り返った烏間だがあるもの目に入れれば彼はソファから勢いよく立ち上がった。



「お前、それ…」

「烏間、引っ越すの?」


見せられているのはあの、物件の紙。可笑しい。全て自室に持って行ったはず。なのに何故此処にあるんだ。



「(…まさか、拾い残し…)」


あぁもうどうして今日という日はこうもうっかりが多いのか。厄日過ぎる。いつもはこうではないのに。烏間は後に悔いる、即ち後悔を今まさにしていた。



「でも一人にしては広いよね…」

「…それは、だな…」

「2LDKじゃ余るんじゃない?」

「…〜……っ、」


そりゃあ、確かに一人だと1LDKで十分だ。なんなら1DKでも事足りる時は事足りる。此処だって実際1LDKで、柴崎のマンションも1LDKだ。…しかし、そうじゃない。事はそうではないのだ。

柴崎は紙に目を落としながら不思議そうにする。間違えて選んで来たのだろうか。けれどあの烏間が?そんな間違いをしそうには思えない。では何故?…やはり考えてもその答えは出てこない。




「(……此処までだな)」


別に勝負も賭けも何もしていないが、話すならばもう少し色々と見てからにしようと思っていた。が、見付かってしまったならば仕方がない。変な拗らせをしてしまうより、余程良い。それに今後のことも考え、いずれ話すつもりであったこと。それが早まっただけだ。

烏間は少し深めの息を吐く。…柄にもない緊張だ。あのプロポーズの時も緊張はしたが、これもまた緊張する。仕事でだってこんな風にはならないというのに、相手が柴崎となるとてんで話が違ってくる。




「……柴崎」

「? なに?」


彼の持つ紙を、まず始めに抜き取る。これがあってはなんだか不恰好過ぎるからである。取ったそれはダイニングテーブルに置き、もう意味もないと分かっていながら裏を向けた。…日当たり×に、近さ◯。あぁあれか…罰物件だ。烏間はその紙を視界に入れてはそんなことを頭の片隅で考えた。



「烏間?」

「……引っ越しはする」

「あ、そうなんだ。いつするの?」

「日程よりも先に重要なことがあるんだ」

「重要なこと?」


なんだろう。手伝いの人手だろうか。それなら手伝うけどな。なんて思う柴崎だが、真っ直ぐと見てくる烏間の目を見るとなんだが今は言えなかった。そういう空気じゃない気がすると、所謂第六感が告げたのだ。

また沈黙だ。今日は良く多発する。



「…………どうしても2LDKじゃ嫌、とか?」

「違う。一旦2LDKから離れろ」

「…はい」


じゃあなんだと言うのだ。一人暮らしに2LDKなど掃除場所が徒らに増えて手間だろうに。今程に烏間の考えていることが読めない時はそうない。彼が思う重要な事とは一体なんなのであろうか。

前に立つ烏間が息を吐く。柴崎は彼からの答えを待っている。…時計の針の音が異様に大きく聞こえた。




「……柴崎」

「…はい」

「…共に暮らさないか?」

「…はい。……はい?」


え、今なんて?そんな表情で柴崎は烏間を見る。その色は大層驚きに満ちていて、今ひとつ現状況の飲み込みが薄いことを告げていた。



「だから、俺と共に住まないか」


共に住む。それはつまりルームシェア。しかしもっと深くこの関係性に似合う言葉に表すならば…まさしくそれは同棲を指す。柴崎は円滑でない脳の働きの中でその二文字を思い浮かべた。

同棲…同棲……同棲?




「2LDKを選んでいたのはそのためだ。二人で住むなら1LDKでは些か私生活と仕事が混同すると思ったんだ」

「………」

「それに折角住むなら狭いよりは広い方が何かと良いと……、柴崎?」


共に暮らさないか発言を烏間がしてから、柴崎からはなんの音沙汰もない。ずっと口は噤まれていて、開かれる様子も見えない。烏間はそんな彼が心配になったのか、少しその顔を覗き込むようにした。



「柴崎、大丈…」


けれど視界に映した彼の顔を見てしまえば、その言葉も止まってしまった。口を噤んでしまうのは今度は烏間の方。本当なら何か言うべきなのだろうけれど、何一つとして口から出て来なかった。それよりも瞳に映る柴崎の表情に目も、意識も奪われる。



「……っ…」


言われた言葉を咀嚼して、自分の中で腑に落とす。そうするとじわりじわりとやって来るのは羞恥心。勿論喜びもあるけれど、それを超える恥ずかしさが襲って来る。同棲。共に住む。共に住まないかと、そう言われた。それはつまり、同じ屋根の下で暮らすということ。それはつまり、同じ時間を、今よりもっと共に過ごすということ。烏間と、愛する彼と、今よりももっと…。



「柴崎、」


烏間の手が柴崎の頬に触れかける。…が、それは飛び退かれた事によって叶わなかった。見れば彼の頬は赤く染まっていて、するとなんだか返答を聞かずして答えを得てしまっている気がした。しかし微妙に距離が開いていっている。その元を辿ればそれは柴崎が確実に後ろへ下がっていることが原因だった。



「こら、どうして逃げる」

「に、逃げてなんて…っ」

「いいや、お前の足は確実に後ろへ下がっている 」


答えは、恐らく得た。だがやはりこういうことは本人の口から聞かねば両者了承とは言えない。烏間だって無理強いなどはしたくないのだ。柴崎が拒むならそれ相応の理由をきちんと聞くつもりだ。



「柴崎」

「っ、」


逃げに逃げて、けれどもう逃げられない。理由は彼の背中が壁に付いてしまったからだ。トン、と。行き場を失い後ろへ下がれない。だから横へズレようとすると、腕を突かれて通せんぼを食らった。これでは世に聞く壁ドン状態である。視線が安定しない。柴崎は烏間の顔を見れないでいる。そのことは烏間にも良く伝わった。彼は要して目を逸らしているのだと。



「……俺とでは嫌か?」


狡い、かもしれない。あの反応を見てこれを聞くのだから。けれどこうでもしなければ彼は顔を上げ、この目を見てはくれないと思った。


「そ、そんなことない…!」


やっぱり、案の定だ。柴崎は烏間の思う通りその顔を上げ、前に立つ彼の目と視線を合わせた。しかし思う以上に近いその距離に驚き、彼は下がれない体を後ろに下げた。その際に可愛らしくもコツンッと、頭を壁に当てていた。



「…っぅ…」

「大丈夫か?」


痛いのか頭の後ろに手を当てる柴崎。音は可愛いが痛みは普通に訪れる。烏間も彼が頭を打ってしまうとは思わなかったのか、そ、と後頭部に同じく手を添えた。その際に体温が伝わったのだろう。柴崎は微かに肩を震わせた。ぶつけた時に少し横を向いた体。頭の後ろに手を当てたせいで俯き加減な顔。そのため烏間からは彼の横顔を僅かにしか見ることが出来ない。

柴崎は頭を手を当てながら、考える。まだ少しじわっと痛むが、この際無視だ。今はぶつけた頭どころではない。それより重要なことがある。…烏間は、冗談を言うときもあるがこんな冗談は言わない。声からも表情からも、決して彼が茶化して言った訳でないことくらい伝わって来る。……しかしだからこそ、嬉しくて恥ずかしい。あの彼があんなことを言うなんてと思うと、本当に身に余る程だ。



「……あの、ね…」

「、…なんだ?」


けれど折角のその気持ちを、想いを、蔑ろにしたいわけではない事だって事実だ。

柴崎は頭に触れていた手をゆっくりと下ろして、耳元近くで止める。



「…嫌じゃないよ」

「……」

「…ただ、その…」


言い澱めば覗き込んできた烏間の目と目が合う。瞬間また頬が熱くなって、けれど冷ますことだって今は儘ならない。だから精一杯の逸らしをして、そこから逃げる。


「…ただ、なんだ?」


問い掛け方が優しい。声も優しい。しかし詰められる距離が柴崎の心拍を上げる。彼は普段周りから落ち着いているだの冷静だの言われるが、それも烏間の前では形無しだ。簡単に崩れていく。



「……は、恥ずかしくって…」

「…恥ずかしい?」

「…烏間と一緒に暮らせるんだって思ったら、嬉しいんだけど…その反面、恥ずかしいっていうか…」

「…………」

「今でもこんな風なのに、一緒に暮らし始めたらって思うと…」


どうしようもなく、逃げたくなった。

嫌じゃない。断りたいわけじゃない。けど恥ずかしい。酷いジレンマである。それに柴崎は苛まれていた。その傍らで頬を淡く染める彼の横顔を見つめる烏間は、告げられた彼からの言葉にどうしようもなくやられていた。表すならドス、と。心を射抜かれた感じである。




「………頼む、柴崎。あまりそう可愛いことを言わないでくれ…」

「…言ってない…」

「こちらの身が持たない…」

「…だから、言ってない…」


恥じらいの余り壁に体の側面を凭れさせ、手で顔を覆えばうぅ…と縮こまる柴崎。そんな彼の本近くに居る烏間は、この壁に突いた手を離していっそ彼を抱き込んでやりたくなっていた。しかしそれをすると柴崎のキャパを超えさせてしまいそうだったので、



「……それで、返事は」

「………よろしくお願いします」


十歩二十歩下がって自重した。


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