ダイイングメッセージは甘め


烏間惟臣、29歳。彼は今悩んでいた。数枚の紙を前にして。彼の眉間には皺が刻まれており、もしもここに彼の恋人が居たならば「どうしてそんな顔してるの」と指の腹で皺を伸ばされたことだろう。しかしその彼は今ここに居ない。そのため烏間の皺が伸びることはなかった。つまり進行形で刻まれっぱなしである。


「……」


目線は変わらない。ずっと机に散らばる数枚の紙を見つめている。表情としては何処か考え込んでいるようにも見えた。



「……近さで行くと、これか」


だが日当たりが悪いな。夏場ならまだしも冬場ならば何も乾かないだろう。そう思うと、その紙を一旦裏返す。そしてその裏に《日当たり× 近さ◯》と書き込んだ。次にまた一枚を手に取り、それに目を落とす。連なる文字を読み進め、また裏返す。そこには《日当たり◯ 交通不便》と彼は書いた。また一枚、彼は手に取る。



「………ふむ、」


立地も良い。値段も手頃。交通良し。近さに文句無し。

烏間は今までと同じようにそれを裏返す。しかし今までとは違い、そこには《◯》と。それだけを書いた。どうやら彼のお気に召したらしい。その紙は他とは違う場所に置かれた。そしてまた一枚、また一枚と。彼は紙を手に取り中身を見ていく。暫く同様の動作を行い、裏返しては何かを書く。烏間が行うことはその繰り返しだった。



「……しまった」


しかし少し時間が経った頃。彼は何やら頭を抱えた。



「(…今度は良物件を見付け過ぎた)」


これでは逆に×を付ける事の方が難しい。面倒なことになってしまったと烏間は数枚の紙を前にして溜息をついた。

行き詰まりを感じる。しかし別に今決めるわけではない。きちんと、この話だって彼本人にするつもりでいる。だが何事にも準備は必要で、粗方の物件を前に進めた方が何かと良いような気がした。彼はあぁ見えて「んー、特にこだわりはないかな」などと言う何処かざっくばらんな性格をしている。だから多分、ある程度不便がなければ了承してしまうのだろう。



「(…別にそれを否定も何もしないがな)」


けれど欲を言うのなら、折角なのだから良いところを選びたいと言うのが本音である。少し前になるあのプロポーズだって、言って終わりそれで満足。な訳がない。言葉通りきちんと形にするつもりだ。…その一つが、これなだけで。……いや、だけと言うと酷く粗末だ。だから言い直すと、その一つがこれなんだ。



「はぁ、」



行き詰まりを感じる。こういう時は、



「(………癖は怖いな)」



喉元近くまで出掛かった言葉。それに気付いて、飲み込んだ。烏間は席を立つ。足はキッチンへと向かった。ケトルで湯を沸かし、その間の時間をワークトップの縁に腰掛け過ごす。

行き詰まりを感じる。そんな時は、特に柴崎の入れてくれるコーヒーが飲みたくなる。あの任務の時は朝から晩まで共に居たせいか、飲みたくなればいつでも飲めた。しかし無事ことが終わり、任務もなくなり、互いが互いの部署へ戻ればそれも減った。休日になれば丸い一日そんな機会はない。



「(…俺が入れるとどうにもあれにはならん)」


仕方ない。…仕方ないわけではないが自分で入れたコーヒーを飲む。だが彼の入れてくれるあの味には程遠く、なんだか途端に飲む気になれなくなった。カップを持ったまま再度椅子に腰を下ろす。揺らして、褐色が波打った。湯気が立っているのだから飲むなら今であろう。…しかし美味くない。この舌はこの味を求めていない。



「はぁ…」


くしゃ、と。休みゆえに無造作に上げている髪を掻き上げる。入れたからには勿体無い。そう思い飲みながら烏間は散らばる紙を少し集め出した。丸のものは右へ。罰の付いているものは左へ。ぼんやりと、何を考えることもなく手を動かす。口寂しさにコーヒーを飲んだが、効かないカフェインは役に立たなかった。




「なんだ、起きてたなら電話くら…」


ガタバサゴトッ。

…酷く似合わない音が部屋に響く。だがその音が無くなればしーー…ん、と。不気味な程に静かな空間が生まれた。



「……………ど、どうしたの…?」

「……い、いや、なんでもない…」


しかしどう見てもいつも通りでない動揺っぷりに訪れた彼、柴崎も動揺する。こんな彼は早々に見ることはない。だから尚更にどうしたの意外の言葉が出てこなかった。

片や烏間はといえばあれ程不味い、美味くない、効かないカフェインは役立たず。そう思っていたのに途端に効いてきたことに少々喫驚している。と同時に柴崎の訪問にも驚いている。だがその反応の速さというか反射は彼が訪れた事によって起きた為、決してコーヒーのカフェインのお陰ではない。そのことを冷静に判断出来ないでいる点、結論この場におけるカフェインはやはり役立たずである。

珍しくも気不味い空気が雪崩れ込む。その時、柴崎の目は床に落ちたらしき紙を認めた。さっきので落としたのかな。そう思い彼はそれに手を伸ばした。よく見れば何やら◯の記号が書かれている。あれはなんであろう。疑問に思いながらその紙に指先が触れる、ほんのコンマ数秒差。それで落ちていた紙はいつの間にやら烏間に拾われていた。なので柴崎の手は虚しくも空を掴んだだけだった。又もや変な沈黙が起きる。



「………と、ところでどうした柴崎。どうして此処にいるんだ?」


だが先にそれを壊したのは烏間だった。彼は不自然な程に今の出来事が何もなかったことのように振る舞い出す。その上さりげなくその紙を後ろの机に置くのだから抜け目がない。柴崎も急な話題の変わり具合にえっと…と、一度言葉を踏んだ。



「……いや、此処に来る前に電話もメールもしたんだけど返事がないし、」

「電話にメール…?」

「うん。それでもしかしたら体調不良で倒れてるのかなって、貰ってた合鍵で中に入ってみたら烏間起きてたから…」


それであの言葉が出たのである。そうしたらえ?と、ついポカンとしてしまう程の動揺具合を見せられたので、釣られて柴崎も動揺したというわけだ。烏間は彼の言葉を聞き、ポケットに入れてあった携帯を取り出す。見れば、確かに。



「すまない柴崎、気付かなかった」


音が鳴らない分、バイブレーションは付けていた。なのに気付けなかったとは余程のことだ。烏間は申し訳ない表情を浮かべて柴崎に謝罪をする。そんな彼に柴崎は大丈夫と笑って手を振った。


「ううん、気にしないで。それに元気そうだし安心した」

「…その確認の為だけに来てくれたのか?」


ただ疑問を打つけただけだった。けれど意に反して目の前の彼は言葉を詰まらせ、それから僅かに視線を横へずらした。


「……初めは、そういうつもりじゃ、なかったんだけど…」

「?」


柴崎を見つめる烏間の目は真っ直ぐだ。それがまた、顔も体も逸らしたいくらいな気持ちにさせる。


「…………どうしてるのかなって、烏間の顔が見たくなったから……それで…、」

「…………………………」


今日は良く沈黙の生まれる日だ。こんなにも二人の間で起きることはまぁそうないだろう。それくらいに珍しく、また稀なことであった。



「でもなんか忙しそうだし、邪魔もしたくないから今日は帰るよ」


元気にしていたらそれで良いんだ、と。彼らしい健気な笑みを見せてその踵を返していく。



「っ、待て!」


けれど烏間によって取られた手で、足はそれより先に行かなかった。柴崎は振り返って彼を見遣る。


「帰らなくて良い」

「…けど、」

「良いから。帰るな」

「………邪魔じゃない?」


だって後ろには何かの紙が置かれているし、その側にペンがあるところを見ると仕事をしていたのかもしれない。となると、やはり邪魔でしかない。


「邪魔なわけあるか。折角来てくれたお前を邪険にするわけないだろう。良いから此処にいろ」


そして帰るなと。もう一度言われ、柴崎の腕は烏間の手によって引かれた。それには彼も僅かながらに考える素振りを見せる。それから烏間の方へと視線を向けた。




「……じゃあ、お邪魔するね」


結局、考えたもののやはり彼からそう言われることは嬉しい。だからなのか綻んだ頬には笑みが浮かんでいた。

空気は緩やかになり、烏間の表情も柔らかくなる。彼が顔を見たいからと来てくれるなど嬉しい以外の何者でもない。ならば迎え入れるが筋。逆に帰らせるなどは論外だ。



「それにしても珍しく机の上が散らかってるね」


仕事のもの?そう言って机に近付こうとする柴崎を見て烏間は内心ハッ、とする。しまった引き止めるを優先にしてしまい後ろのあれを仕舞い忘れていたと。今日の烏間は稀に見るしまったさんである。だがそれほど表情に出ていないのだから、その点は流石だと言えよう。



「柴崎」

「ん?」


さりげなく。さりげなく机と柴崎の間に入る。そうして見えそうな部類の紙類だけをまず背中へと隠した。そんな彼に疑いの目さえも向けない柴崎は何?と首を傾げている。



「…あー…、」

「?」


ここでまたしまった案件発生。理由を構えていなかった。烏間は頭を回し、何か良い返しはないかと思案する。そこで視界に入った一つのカップ。最早これしかない上にこれを求めていた。そう思うと答えは一つだった。



「……その、来て早々に悪いんだが、お前のコーヒーが飲みたい」

「コーヒー?」


でもコーヒーならもう既に入れてるんじゃ…。そんな目をして彼は机に置かれているカップに視線をやる。



「俺が入れるコーヒーはどうしたってお前の入れてくれるあの味にはならない」


薄くもなく、濃くもない。だがなんだか二口目、三口目に及ぼうとは思えない。だから今机に置かれているコーヒーだって量はそう減っていない。



「試してみてもいつも上手くいかなくてな…。だから…」

「ふふふ…っ」

「、?」


だから入れて欲しい。そう言うつもりが笑い声が聞こえて来たことで途切れてしまった。声の元に目を向ければ、可笑しそうに笑う柴崎の姿が。口元に手を充てがい笑うのは彼の癖だ。



「じゃあ少し待ってて。一番美味しいコーヒーを入れてあげる」


その、向けられる笑みの優しさは、見慣れていても心臓に悪い。けれどそのことに気付きもしないで、彼は一言ハンガー借りるねと言えば着ていた上着を脱いでいた。

キッチンへと慣れたように歩いていく様子を目で追い、しかしダイニングテーブルに置かれている紙の存在を思い出せばそこから目を逸らした。とにかく気付かれる前にこれを自室へ持って行こう。烏間は机の上に置かれる紙類を集め、整えれば彼に背を向けた。



「あ、ねぇ」

「っ、!」

「え…なんでそんな驚くの?」

「いや、…なんだ?」


まさか声を掛けられるとは露ほども。なので烏間はつい肩を上げてしまった。その様子は柴崎の目にもきちんと映っていたのか、こればかりには流石の彼も疑問を抱いた。けれど努めて普通に返してくるので、まぁいいかと妥協する。


next




.
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -