全員が離れた場所への避難を終えた。風が砂埃を舞い上がらせる。目に見える程の憎悪は先程よりも勢いを増していた。
「…地獄のような一年だった……。だが、今終わる」
殺せんせーから見える黒い怒り。二代目から放たれる黒い渦。それらが今、激突した。眩しい程の光が辺りを包み込む。
「……白…?」
黒かった光。纏われていた毒々しい色。だがそれは二代目の攻撃が殺せんせーに打つかった瞬間に気色を変えた。眩いほどの光。白く、濁りのない純白の輝き。殺せんせーから発せられるその白さは、一度も二度も周りの目を疑わせた。
「…違う、…黄色だ」
渚がふとそう呟く。しかしまたそこから殺せんせーは様々な色に自身を変えていく。赤、緑、青、白。烏間も柴崎も、彼が行う動作に目が離せなかった。そして察した。彼は今、全ての感情を、全ての過去を、全ての命を全て混ぜて…純白の光にしているのだと。
こんな状況でも、彼はブレない。怒りに任せて全てを終わらせようとしていない。殺せんせーは包み込もうとしているのだ。二代目の、元自分の教え子を、純白という穢れの知らない抱擁で。そして" 卒業 ''という形で…全ての所業を終わらせようとしている。
「…教え子よ。せめて安らかな…卒業を」
殺せんせーの触手より放たれる眩い程の光。それは一直線に二代目へと注がれ、彼は苦しみながらもその渦の中へと姿を消して行く。近くにいた柳沢もまたその余波を受け、二代目と共に宙へと飛ばされた。彼は巻き込まれた事に舌打ちを打つが、はたと己の状況を再認識し直した。
「(ま、まずい!!吹っ飛ぶ先には対触手用のバリアがある!!俺の体内の重要器官の殆どには…触手細胞を埋め込んで強化してある!!)」
つまり、このまま飛ばされバリアに当たれば只では済まないというわけである。最悪死か、救われても触手だけを溶かされ傷だらけの状態で生き長らえたという不名誉のみが彼に残る。
じたばたと。彼はなんとか今の状況から回避しようと空中でもがくが、場所が悪かった。大口を叩けども羽も生やせない柳沢には逃げ出すことなど困難の極み。
「(この俺が…こんな…ついでの雑魚みたいなやられ方……っ!!)」
嫌だという大きな叫び。しかしそれは誰に受け取られることもなく、彼の体は大きくバリアを超えた。そしてそのまま、姿も見えない程に遠くへ飛ばされてしまった。
残る一人は二代目のみ。殺せんせーは音速を持って地を蹴ると、飛ばされ宙に浮かぶ二代目の元まで飛んで行く。手には対先生用ナイフが持たれ、彼はそれを二代目の胸元に深く、深く、刺し込んだ。
思い出されるは過去における、ある日の記憶。テーブルに置かれた花瓶に生けられる一つの花束の姿。色合いも良い。見せ方も悪くない。だから一度褒めただけだった。…それなのに彼は心からの嬉しさが零れるような笑顔を浮かべ、あの時喜んでいた。…だがそれは声のみを聞いただけで、あの日の、あの時の彼の" 笑顔 "までは…気に留め瞳には映さなかった。
「(あの笑顔が見えていたら…違う人生に導けていただろうか…)」
しかし全ては今更なこと。それでも振り返ってみれば思うのだ。あの時、ああしていれば何かが変わっていたのではないだろうかと。……後悔。正しく字の通りだと思う。後になって、他の方法を思い浮かべては悔いてしまう。
けれどもう、あの日には戻れない。遡ることも出来ない。なんでも出来ると豪語したところで、幾らマッハ20の力を持っていたところで、過ぎ去ってしまった" 時間 "だけはどうする事も出来ない。
「……触手が僕に聞いて来た…「どうなりたいのか」を…」
二代目は震える声で、か細く力のない声で、目の前にいる自身の" 先生 "に語り掛ける。
「……あんたに認めて欲しかった…。あんたみたいに…なりたかった…」
褒めて欲しい。頭を撫でて欲しい。言葉で、良くやったと、言って欲しかった。けれど言って貰えなかった。あの日の、あの一度だけ…。花を生けたあの瞬間だけだった。それが酷く嬉しくて、また頑張ろうと思えた。
認めて欲しい。この人のようになりたい。追い越せない背中。追い越したい背中。手を伸ばせば届きそうなところにいるのに、彼はいつだって遠くて、指先さえも触れることが出来なかった。それがいつしか喉を詰まらせる程に辛くて、悔しくて…。心は鉛が落ちた様に重苦しかった。
「今なら君の気持ちが良く分かります。あっちで会ったらまた二人で勉強しましょう。お互いに、同じ間違いをしないように」
聞こえた声。伝えられた言葉。やっと、救われたと思った。やっと一から、再スタートを切れると思った。
二代目は目尻から涙を流す。そしてそのまま、白い光と共に空中で姿を消した。誰も歓喜の声は上げなかった。これで終えられた筈なのに、消えてしまった一つの命があまりに辛くて…。喜びの声さえ分かち合うことが出来なかった。
「茅野…」
渚の腕に抱かれる、だらりとした茅野の姿。目を開くことも、話すこともしない彼女は、その場にいる誰もの瞳に涙を浮かばせた。
「…そのまま降ろさないで、渚くん。あまり雑菌に触れさせたくない」
「殺せんせー…」
フラつき、最早満身創痍な殺せんせー。だがそれでも彼は身に宿る触手でしかと、その場に立っていた。
「柴崎先生。この上着、ありがとうございます。お陰で彼女の体に砂埃が付くこともありませんでした」
そ…、と。触手によって届けられる上着。それを受け取れば、柴崎は彼へと目を向けた。視線が合えばふわりと、優しい笑みを向けられる。それを受けた時、彼は察してしまった。彼は知っているのだ、この感覚を。
今も忘れられない。記憶にしっかりと残っている。今は亡き父、義彦から語られたその身を食い尽くそうとしている病について。それを打ち明けられるほんの少し前に感じた、あの日のあの感覚…。思えばあの時の彼も、少し笑ってからその病を告げてきた。
……似ているのだ。殺せんせーから向けられたあの笑みは、あの日の彼が柴崎に向けたものと、あまりにも酷く…。…だから分かってしまった。だから、察してしまった。
「(……もう、終わってしまうんだね…)」
命が泣いている。別れを惜しむように…。命が笑っている。ありがとうと伝えるように…。
「(…父さんと同じだ…)」
あの人も、きっと何処かで死期を感じていた。けれど諦めたくなくて、彼は一年という時間を掛けて人生を全うした。……同じだ。父も、彼も。たった一年。しかしされど一年。父は家族にとって、彼はこの場の全員にとって…。一生消えることのない記憶となる。そしてその身を、彼も父と同様に…空の向こうへと捧げるのだろう。
「、柴崎…?」
「…なんでもない」
腕に抱いた上着を見下ろして、彼はそれを羽織った。温もりも何もない。ただただ冷たいそれが、体の奥を冷やしていった。
「皆さん、戻った過去は取り戻せません。先生自身…多くの過ちを犯してきました。ですが、過去を教訓に…繰り返さない事は出来ます」
殺せんせーから伸びる細い細い、何本ものの触手が一つの球体を支えている。それは赤黒く、一見からして何なのかは誰にも分からなかった。
「…え、何これ」
「茅野さんの血液や体細胞です。地面に落ちる前に全て拾い…無菌に保った空気に包んで空中に保管していました」
「ば…バトル中にそんな事を!?」
「君達を守る為の触手だけは…戦いに使わず温存していましたから」
また彼から伸びてくる数え切れないほどの触手達。それらは全てに繊細な光を灯していて、確かに一つの命を救おうとしていた。
「今から…一つ一つ全ての細胞を繋げます」
細い触手が茅野の体、特に傷跡部分に集まっていく。球体から血液、細胞を送り出して彼女の元へ戻そうとしているのだ。
「より精密に、より速く。この一年…ずっと能力を高めてきました。あの時と同じことがあったとしても…同じ悲劇には絶対すまいと」
脳裏に浮かぶのは失ってしまったあぐりの姿。あのような事を二度と起こしてはならない。そう思い、彼もまたこの一年を通して力を身につけて来たのだ。いざという時、誰かを守る為の力を。
空中に浮かぶ血液や細胞。それが丁寧に仕分けされ、分子振動で温めながら茅野の体内へ戻されていく。光る触手からエネルギーを与えつつ…超高速で超精密に、手術を進めていく。細胞は1ミクロンのズレもなく並べられ…優しく接着されていった。
「修復出来ない細胞もあるので、均等に隙間を作り先生の粘液で穴埋めします。数日のうちに彼女自身の細胞が再生して置き換わるでしょう」
側で見ている竹林はあまりな出来事に目を瞠り食い入るようにその作業を見つめている。
「血液も少々足りません。AB型の人、協力を」
そう言って殺せんせーはイトナとカルマに触手を伸ばし、その血液を僅かに貰い受ける。しかしまだ少し足らないのか、彼は柴崎を振り返った。
「柴崎先生、貴方は確か…」
「ABだよ」
声を掛けられた時から、恐らく殺せんせーの言わんとしていることが柴崎に分かったのだろう。彼は片腕の服を軽く捲ると、その腕を少し前へ差し出した。
「…どうぞ使って。この血で良ければね」
「ありがとうございます。では少し、頂きます」
働きとしては注射器に似ている。街でも偶に見かける献血の類だ。伸びて来た触手は柴崎の肌に触れ、痛みも感じさせないほどに優しく血を採っていった。
「…痛みはあるの?」
行われる作業に興味が湧いたのか、イリーナは柴崎の側にやって来るとその様子を覗き見た。
「全然。寧ろ病院でされる方が痛いかもね」
「…やり手が下手な時は下手だからな。採血も献血も」
「私はまだしたことがないわ。その、…何だっけ?何血?」
「献血ね。イリーナももう出来る年齢だし、今度してみたら?」
「でも痛いんでしょ?」
「痛くないよ。相手によればね」
「(相手によれば…)」
じゃあ相手が悪かったら痛いんだ…。と、何か新しい事を知ってしまった彼女はその顔色を悪くした。人間、痛いことは嫌なのだ。なんなら避けて通りたい。
するともう十分なのか、柴崎の腕から殺せんせーの触手が離れていく。
「ありがとうございました。もう十分です」
「…いいえ、どういたしまして」
血を分けることで彼女の、茅野の命が救われるのならばこれくらいは安いもの。だから礼を言うのならば恐らくこちら側になるのだろう。…もう彼自身瀕死の状態だというのに、残る命を懸けて一つの命を救おうとしてくれているのだから。
「中村さん、破壊された誕生日ケーキを拾って来て先生の口に」
「はァ!?」
渡した時のような綺麗に作り上げられた面影もない、ぐちゃぐちゃの何かに変わってしまったバースデーケーキ。最早ゴミと間違えて捨ててしまいそうなそれを、彼は何を思ってか食べようと言うのだ。
「土まみれでグッチャグチャの生ゴミだけど…」
「エネルギーが必要なんです!!戦闘中もずっと食べたかったし!!」
こういう食べ物を、特に生徒達から送られたものを粗末にしないところは実に殺せんせーらしい。中村はええ…という反応を見せながらもきちんと拾い集め、それを一つ一つ殺せんせーの口の中へと運んだ。味覚云々の感覚はこの際突っ込まないでおこう。貰い受けた本人が「美味い美味い」と喜んでいるのだから。
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