時刻は夕方5時。まだ校庭には生徒がちらほら。遊んだり訓練したり話したりしている。柴崎と言えば、凝り固まった肩を回しながら外を歩いていた。先ほど烏間も珍しく休憩してくると外に出たので会うかもしれない。
「…あ」
「?」
ばったり偶然。校舎裏で烏間と柴崎が鉢合わせする。
「やっぱり休憩場所といえばここか裏山だな」
「静かだからな」
そろそろ夕方も肌寒くなってきた。前はそんなことなかったのになと。寧ろ夕方でも暑かったくらいである。暫く他愛ない話をする。
「…やっぱり、お前はその方がいい」
「?」
なんのことだと柴崎は烏間を見る。2人は校舎を背凭れにして立っている。
「隔たりがなくなった」
「…周りのおかげでね」
烏間から目線をそらして目の前に広がる地面の石に向ける。
「でも烏間とはそんなに隔たりなかったと思うけどなー…」
「俺は、お前にとって周りと同枠か?」
「……、いや、違うか」
烏間は周りと違う。ラインが引いてあるのだとしたら、きっと一番近い位置に彼は立っている。
「…その隔たりがなくなった分、俺ももう少し前に出れそうだな」
「前って?」
烏間は校舎から背を離すと柴崎の前に立つ。烏間は柴崎に対して警戒心はないし、柴崎も烏間に対して警戒心はない。それが、ある意味この2人がなかなか一歩前に踏み出せない原因の一つだったりするのだが。だが、どちらかが踏み出さない限り関係は変わらずずっと平行線のままであることは互いに分かっていた。
「……こういうことだ」
近付いて来たことに肩が少しだけ反射的に上がった。思わず目をグッと閉じたのと同時に、左頬に何かが当たった。パッと目を開ければすぐ近くに見える烏間の顔。その顔はきっと柴崎にしか見せない顔。気を許した者への優しい顔。見られているのが急に恥ずかしくなり視線を逸らす。いつも目が合っても普通なのに。
「…イトナくんにされた時と反応が違うな」
「…そ、れは…」
先に一歩前に踏み出したのは烏間だった。
相棒だ。相方だ。付き合いが長いから仲がいい。阿吽の呼吸だ。などと言われてきた。それが互いに嬉しい肩書き反面、見えない壁や線でもあった。越えたいけれど越えられない。越えていいのか分からない。
それと共に柴崎には過去のこともありなかなか前に進めなかった。例え相手が烏間でも、もしもなんて考えてしまうのだ。大切な人だと分かっているからこそ、喪った時の哀しさや辛さはきっとシェリー以上だと。
しかしその不安やトラウマは消えたのだ。同じことが二度起きるとは限らないのだと分かったのだ。それに、周りは自分が不安がるほど弱くはなかったと。たが、消えたからといってすぐに足を前に出せるかといえば…そう簡単にはいかない。先に越されるより越す方が難しい。それを烏間は知っていたからこそ、彼から前に出た。
「このままじゃ、変われないと思った」
「…っ」
「周りから与えられる肩書きは嬉しいが、それが壁になっていた。それとお前のこともあったしな。…だがそれも今はなくなった。…先に足を出すなら、俺だと思った。…嫌だったか?」
「…その聞き方狡い…」
「分かっててこういう言い方した」
俯いていた顔を上げる。
烏間と柴崎が出会ったのは、防衛学校の試験日。当時15歳。それから考えると13年の付き合いだ。13年間、2人は今言われる肩書きを受けながら過ごしてきた。13年間、互いの間にある線や壁を越えなかった。簡単に越えられるものでもなかった。
「聞かなくても分かってる癖に」
「互いに分かってるからこそだろ」
余裕そうに見える顔がムカついた。柴崎は目の前の男のネクタイを掴んだ。グイッと手前に引っ張ると、その頬に仕返しをしてやった。離れて顔を見れば珍しい。驚いている。こんな顔をさせるのはきっと自分だけだなと思うと優越感があった。
「仕返し」
「…やられた」
「余裕そうだからムカついた」
「余裕そうに見えるのか?」
「俺からはね」
「案外余裕でもないさ。なんせ、13年分の線を飛び越えたからな」
「そうだった」
13年目にして、やっとだ。ギリギリまで来て、戻る。それの繰り返し。背中を合わせて居ることに居心地の良さを感じてしまえば容易に越えて壊してしまうのが怖かった。
「…これで心配いらないな」
烏間は柴崎から離れると、その隣に立ち、壁に背を凭れさせる。
「心配?なんの」
「お前な…。周りからの目を気にしたことあるか?」
「周りって…そらあるけど」
「いや、ないな。…まぁいい」
「?」
例えば男女の間であれば気持ちを伝えるのに特定の言葉を贈るだろう。そう言われることによって自分と同じであることを確認でき、安心出来るから。
だが、この2人にその言葉はいらなかった。互いがどう思っているかなんて、言わなくても分かる。分かるけれども、一般的な考えや見方で考えれば、郷に入っては郷に従うかと。それに、烏間が一歩前に出てくれたのなら、自分も前に出なければ。
「…烏間」
「ん?」
大差ない身長なので、すぐ近くに耳がある。柴崎はそっと、耳打ちした。
「好きだよ
」それだけ言うと、烏間の顔を見ずにその場を去った。
「…〜っ」
後ろで額に手を当て俯いてる烏間なんて知らずに。
「(言い逃げされた…)」
今度は、言い逃げされる前に言おう。逃げられそうになったら、捕まえよう。それか、自分から言おう。言う前に逃げられそうになったら…捕まえたらいい。
「…俺もだ」
やられっぱなしは性に合わない。
「(〜っ)」
郷に入っては郷に従う。従ったが、思った以上に恥ずかしかった。顔を見られたくなくて言い逃げしてやったのだ。
「…あいつのことだから、今度は言い逃げされる前に返そうとか考えてそう」
そうなったら逃げよう。
「…あ、いや…もし言われそうになったらどうしよう…」
……それでも逃げよう。
と、思ったのに。結局その日の帰り、言われそうになり逃げようとしたのに捕まって言われたのは別の話である。
「急に腕掴まなくても!」
「お前逃げるだろ」
「…っ、言われるのは、なんか…」
「恥ずかしいって?安心しろ。言うのも恥ずかしい」
「じゃあもう止めよう!」
「言い逃げされたのは嫌だからな」
「負けず嫌いか!」
「あ、コラ逃げるな」
「じゃあ腕引っ張るな」
「…ったく」
「…俺もお前が好きだ
」「〜っ、分かったから!耳元で言うな!」
「お前もしたくせに」
「するのとされるのは別!」
prev | next
.