糜爛した愛護






やあみんな!みんなは朝、と聞いた時に一番に思いつくものはなんだい?うーん、ぼくの場合だとジジが持ってきてくれる卵のサンドイッチとか、たまーに来てくれるチョウチョのビビ(5世)!なんかがぼくの朝のイメージかな。まあ、今回の事件はそんな爽やかな朝とはほと遠い、おっかな〜い血を吸う鬼の話なんだけれど!

ホープがジッと集中して読んでいた手紙は、先程届いたものだった。彼には珍しく物静かにそれを読んでいた様子であったが、済んだ瞬間アハハと声を上げて笑う。「いやー、事実は小説より奇なりだっけ?そんな言葉あったよね、確か。さすがのぼくも現代と中世が混ぜこぜになったなんて、知らなかったなァ〜…うふふ」と隣に座っていたグレースに広げて見せた。
「ぼくとしては、ほんとにあったらめっちゃ面白いし、是非拝謁に賜りたいとは思うのだけれど…ヤッパリ、ものがものだからなァ…ジジはどう思う?」
グレースは手紙の文章に目を滑らせる。

7月xx日
  吸血鬼の件
拝啓
 当依頼者ガス・ローチ氏より同日付の書簡にて当社へ吸血鬼に関して照会がございました。本件は当社の取扱業務外となるため、貴殿をご訪問の上、ご依頼することを勧めた次第。
敬具
探偵斡旋事務所

「探偵さま、これは…」「そう!要するにぼく達にかの吸血鬼が関与する事件が割り当てられたってこと!アッハッハ!こんな愉快なことってあるんだね!」探偵のあまりのテンションの高さにさしものワトソンも思わず笑みを零す。
「一体事務所の方々は私達が悪魔に魂を売った亡者の何を知るとお思いなのでしょうか…、私達なら取扱業務内とでも?まぁ事実なのですが…」グレースは誇らしげに呟く。
「ぼくらにかかれば解決出来ない事件なんて無いさ!たとえグリム童話みたいな事件だとしてもね!」ホープはそう高らかに声を上げると、積み上がっている本や書類の更に奥の場所に積み上がった紙の束に手を突っ込む。
ゴソゴソと弄ると、目当てのものは直ぐに出てきた。
「あった!民俗学の備忘録!ハンガリーの吸血鬼信仰!さらなるは、トランシルヴァニアの吸血鬼!」
意気揚々と一緒になって熱心に紙を捲るも、ウンウンと唸りつつしばらく読み耽ったのち、その厚い冊子を当てが外れたと放り下ろす。
「全く駄目ですわ、探偵さま!心臓に杭を打たないと退治出来ない歩く死体なんて…神への冒涜です…愚かしいにもほどがあります」とグレースが静かに憤懣の情を滲ませる。
「まぁ、カーミラみたいな生きてる吸血鬼もいるみたいだけど…難易度が高い依頼である事は間違いないねぇ…ま、ローチさん本人からと思われるこの手紙が、彼の頭痛のタネにちょっとでも光を当ててくれるといいんだけど。」
そう言ってホープは二通目の手紙をどこからともなく取り出した。これは一通目に取り組むあいだ見向きもされず卓上に置かれていたものだ。
これに目を通し始めるやいなや、ホープの顔に楽しげな笑みが浮かび、次第に強い興味と本意気を示す表情へと移り変わる。
読んだ後は座ったまま、指から手紙をぶら下げ思案に耽り始めた。やがてはたと物思いから目覚め、「ランベリのブラウニー屋敷。美味しそうな名前だなぁ…ジジ、ランペリの場所は?」
「サセックス州、ホーシャムの南ですわ。」
「うんうん!ここからそう遠くない距離だ。ところで、このブラウニー屋敷について何か知ってる?」
「私の知識によれば、その土地は古い館の多いところで、名は何世紀も前にそれらを建てた人々に因んでいると思われます。つまり、チーズマン屋敷やハーヴィ屋敷、キャリトン屋敷だとか…要するに、名前以外忘れられた、かつての住人達…といったところでしょうか…」探偵助手は不安げに呟いた。
「ははあ…つまりはめちゃくちゃ古い家系ってことかぁ…」ホントに居そうだな、とホープは囁く。
「まあ、なんにせよ全部片付いたら全部わかるんだ。気楽に行こう!この手紙の差出人は期待通りガス・ローチ。なんだか君と面識があるみたいだ。」
「私と?」
「読むがよかろう。」
恐らくシャーロック・ホームズであろうモノマネをして、ホープはグレースに手紙を渡した。グレースがそれに目を通すと、冒頭には今引き合いの住所があった。

拝啓 ホープ先生
 得意先の事務所より貴方様を紹介されましたが、実のところ本件は並外れて扱いづらく、ご相談しづらい問題なのです。私は代理人で、当事者は友人、この紳士は五年ほど前ペルー人女性と結婚しました。ペルーの商人のひとり娘で、硝酸肥料の輸入つながりで出逢ったのです。ご婦人は美人でしたが、異国の生まれであること、宗教が違うことから、いつも夫婦のあいだでは好き嫌いや気持ちのすれ違いが起こりまして、そのためしばらくするとご婦人への愛も冷め、一緒になったのは間違いだったと思うようになったらしく。彼からして、ご婦人の人となりに首をかしげるところがあったのです。なおさら痛ましいのは――ご婦人がどこから見ても男子一身の愛を捧げるに足る貞淑な人物であることであります。
 さて要点につきましては、お伺いの際に明らかにするつもりです。正直のところ、この手紙は単に現状の概略をお伝えし、この件にご関心を持って頂けるか確認するためのものです。ご婦人はその優しく穏やかな気立てには、きわめて不釣り合いな、おかしな素振りを見せ始めたのです。紳士の結婚は二度目で、先妻とのあいだ息子がひとりおります。この子はもう一五で大変愛らしく優しい男の子ですが、不運にも幼い頃の事故で障害がありました。また、まったくいわれのない理由で、かわいそうにその子が今の妻に手を上げられたのが、二度目撃されております。一度などは鞭で打ち据えられたため、腕がみみず腫れになったほどです。
 このことでさえ、実の子に取った仕打ちに比べれば些細なことです。まだ一歳にも満たない可愛いお子さんなのに、一ヶ月ほど前のあるときのことです。乳母が数分この子から離れたすきに、痛みにうめく声があって、あわてて戻った乳母が部屋に飛び込んで目にしたのは、赤ん坊に覆い被さって、どうやら首筋に噛みついている様子の雇い主のご婦人です。首には小さな傷があり、そこから血の筋が垂れていました。ぞっとするあまり乳母は旦那様を呼ぼうとしましたが、ご婦人にやめてくれとせがまれ、何と口止め料として五ポンド渡されたそうです。言い訳は全くなく、その場は事が流されました。
 とはいえ、ひどく心残りだった乳母は、そのとき以来、奥様の動きに気を付け、情もあって赤ん坊をより近くから見張ることにしました。すると、こちらが見張っているときには、向こうからも見張られている気がして、さらに赤ん坊をひとりにしておくしかないときなどは、毎回手を出そうと待ち構えているというではありませんか。昼に夜に乳母が子どもを守り、昼に夜に母親が静かに監視しながら、羊を待つ狼のごとく待ち伏せていると。先生にはまったく途方もないことに思われましょうが、それでも取り合って下さいますようお願いします。ひとりの子どもの命と、ひとりの男の正気がかかっております。
 ついに来るある日、恐ろしいことに、旦那様にも事が露見してしまいました。もはや気が気でない乳母が、緊張に耐えられず、一切の胸のうちをぶちまけたのです。彼には突飛な話に思えましたし、今の貴方様とて同じでしょう。自分の知る奥様は愛の深い妻、義理の息子に手を上げることを除いては、情のある母親です。その女がどうして愛しい実の子を傷つけましょうか。乳母に告げます。お前は夢でも見ているのか、そんな疑いは馬鹿馬鹿しいにもほどがある、雇い主へのかくなる侮辱は到底許され得ない、と。ところが話の最中に、いきなり痛みに泣きじゃくる声が聞こえてきます。乳母と主人はふたり子ども部屋に駆け込みました。そのときの心境お察し下さい、ホープ先生。何と彼の目の前で、奥様が乳児用寝台のわき、膝を突いた状態から立ち上がり、そしてむき出しになった子どもの首と敷布には、血があったとか。悲鳴を上げて、奥様の顔を光に当てると、唇のあたりは血にまみれておったそうで。彼女が――まさしく彼女本人が――かわいそうに、赤子の血を飲んだのです。
 これが事の次第です。ご婦人は自室に閉じこもりましたが、やはり言い訳ひとつもございません。旦那様は気も狂わんばかりです。彼も私も吸血鬼信仰については言葉以上のことは存じません。国の外の突飛な作り話ほどに思っておりました。それなのに、ここイングランドはサセックスのただなかで――いえ、このことはみな明朝ご相談できればと存じます。お会い頂けますか。取り乱した男のお力になって下さいますか。受けて頂けるなら、どうかランベリはブラウニー屋敷のローチまでご電報を。明朝10時までにはお伺いする所存。
敬具 ガス・ローチ
 追伸 助手のベラさんは敬虔なクリスチャン信者ですよね?そちらの学内の礼拝堂に行く機会があった際、熱心にお祈りしてらしたのでお会いしたのを覚えています。

そこから下の行には、案内に対する感謝と、グレースの素行の良さに対する称賛が書かれていた。
「…あぁ!そういえば、我が校の副校長先生に用があるとかで、道案内した方が1人いらした様な気がします。あの人だったのかしら…友人の代理だなんて、とても善良な方だわ…」
案内がてらキリスト教について随分と語ってしまったのだ、とグレースは照れ臭そうに頬を朱に染めた。
「へえ!偉いね、ジジ!なかなかないよね、一回あっただけで覚えていてくれるなんて!よぉし、文面の書き取りをお願い!『貴君の案件喜んで調査する所存。』ってね!」
「貴君、ですか?かしこまった言い方ですね?」
「こんなにジジが褒められてるってのに、当の探偵がぼんくらとあっちゃあ、面目が立たないからね!あとね、ジジ。この人は友人の代理人なんかじゃあ無いよ。ガス・ローチ本人が今回の当事者さ!」


時間どおり明朝10時、ローチがホープの事務所に乗り込んできた。
元々大柄な体格だったのだろう。ひょろ長い体に手足をダラリと下げ、肩は丸まっているが、そこらの成人男性より明らかに大きく、異様な雰囲気を放っていた。
ホープ達が聞くと、どうやらスポーツをやっていたらしく、全盛期は一流選手として名を馳せていたらしかったが、現在は見る影も無い。亜麻色の髪も薄くなってきていた。
「電報、読ませていただきました。どうも、ホープ先生、ベラさん。代理人のフリは無駄だったようで。」ガスは力なく首を振った。
「直の方が話が早いからねぇ」と、ホープ。
「その通りです。とはいえ考えてもみてください、難しいですよ、自分が守り助ける義務のある女性のことを訴えるなんて。僕に何が。こんな話を警察に持ち込むなんてとても。それに子どもたちも守らねば。狂気ですか、ホープ先生。血筋が何か? 似たような案件のご経験は? お願いです、ご助言を。もう途方に暮れて。」
そう矢継ぎ早に捲し立てるので、ホープは落ち着かせるためにニッコリ笑ってみせた。
「それはもう、ごもっともだ。ささ、ローチさん。立ち話もなんだし、座って落ち着いて。幾つか質問をしてもいいかい?ぼくらで何かしらの解決策を必ずや!お見つけて差し上げます。まず、君にあだ名を付けたいんだけど、いいかな?」
「え??ええ…どうぞ。」
「やったぁ!じゃあ君のこと、ラグって呼ぶね!ラグビーをやっていたそうだし!じゃ、ふたつめ!奥さんは今も…お子さんと一緒にいるの?」
「はあ…ありがとうございます。………あれはすさまじい光景でした。実に情の深い女性なのです、ホープ先生。女から男への全身全霊の愛ということなら、むろんあるわけで。本人も心から苦しんでいます、このおぞましい、この信じがたい秘密を私に知られたことで。
口も開かず、責めても返す言葉もなく、ただ私をじっと見つめ、その瞳は取り乱し打ち拉がれたかのようで。そのあと自分の部屋へ駆け込み、閉じこもりました。以来、顔も合わせてくれず。
彼女には結婚前からそば付きの女中がおりまして、名をフローレスと言って、召使いというより友人です。食べ物はその者が運んでいます。」
「なら、その子に差し迫った危険はないんだね?」
「メイおばさん…乳母が夜も昼も絶対離れないと。私も信頼しきっております。ひとつ不安があるとすれば、幼いジェフのことで。かわいそうに、手紙でも申し上げましたが、二度手荒いことをされていて。」
「だが怪我はない?」
「ええ、打ち据えただけですから。身体の不自由な、害のない子だけに、不憫で。」
ローチのやつれた顔も、この少年の話をするときはほころんだ。
「この子の有様を観たら誰だって心和らぐとご納得に。幼い頃、高いところから落ちて脊椎を痛めまして、ホープ先生。けれども情の深い愛しい子なのです。」
 ホープは昨日の手紙を拾い上げて読み始める。「お屋敷にそのほか住み込みは、ラグ?」
「最近入った召使いがふたり。馬番がひとり、このミゲルも屋敷で寝起きを。家内に私、息子のジェフに赤ん坊、フローレス、あとメイおばさんで、全員です。」
「となると、結婚の時点では奥さんのことをよく知らなかった?」
「知り合ってほんの数週間後で。」
「女中のフローレスと奥さんはどれくらい一緒にいるの?」
「数年は。」
「だったら奥さんの人となりはラグよりフローレスの方がよくご存じってことか」
「はい、その通りかと。」
サラサラとホープはそこら辺にあった冊子に書き留めた。
グレースが見てみると、その冊子は中華麺のおいしい食べ方について纏められていた。

「ん〜……これは、ぼく達が直々にランベリに向かった方がいいかもなぁ。こういうタイプは自分から積極的に動かないとだし、奥さんがまだ部屋に引きこもってるんなら、迷惑にも邪魔にもならないし、なんなら宿は別にとる!ラグにとっては願ったり叶ったりじゃない?」
観光も視野に入れ始めているのを言わずに、ホープは目を輝かせて言った。ローチはホッとした素振り。
「願ったり叶ったりです、ホープ先生。お越しならヴィクトリア駅二時発にうってつけの列車が。」
「もちろん行こう!最近は依頼もないし、ラグの事件だけに尽力しよう!ジジ、出かける準備しておいてよ!あ、発つ前に…ひとつふたつ確認したい点が。この問題の奥さん、話を聞く限り実の子、ラグの連れ子、どっちにも手を上げているようだけど…」
「そうですよ。」
「だけど……手の上げ方は違うんだよね?」
「一度は鞭で、もう一度は手でしたたかに。」
「なぜぶったのか本人の弁解はなく?」
「ただただ憎しみからです。本人も何度もそう口に。」
「ふーん…継母としてはなくはない、か…先妻への嫉妬だとか…奥さんはもともと嫉妬深いタイプ?」
「ええ、大変やきもちで――南国生まれの激情がなせるわざです。」
「ええと、少年……ジェフ!ジェフは確か15歳だよね、おそらくは知恵はかなりついていて、自分でものを考えられるはずだ。彼は手を上げられたことに一言も?」
「ええ、ただ訳が分からないとだけ。」
「ふたりには、仲が良いときも?」
「いえ、お互い愛情なんてとても。」
「だけどお話ではジェフは情が深いんでしょう?」
「あれほど親になつく息子はそうおりません。何でも私の真似をして、わたしの言葉ふるまいを追いかけて。」
 再びホープは中華麺のレポートに書き留め、座ったまましばらく物思いに耽る。
「なるほどね…ラグとジェフは再婚まで大親友、と。もはや同志にも似たものであったんじゃ?」
「そりゃあもう。」
「じゃあ、その情が深いというジェフなら、きっと実の母の思い出も大切に。」
「ひたむきなほどに。」
「確かに、とっても興味をそそられる子どもだなぁ!さて、手を上げた件でもうひとつ。赤ちゃんへの奇行と、ジェフへ手を上げたこと、これらは同じ時期のことじゃない?」
「初回はそうです。妙な考えにでも取り憑かれたのか、どちらにも怒りを露わに。二回目の被害はジェフだけです。メイおばさんから赤ん坊については何も聞いてません。」
「いかにも込み入ってきたねぇ。」
「まったくついていけないのですが、ホープ先生。」

「それはそうだよ、人間はこうだよなって仮説を立てた上で、時を待つか、それを論破する十二分の情報を待つかするものだ。良くないクセだよ、ラグ。
ぼくのジジはぼくの推理の手腕をすっごい褒めてくれるけれど、しばらくはこう言っておきます。この件、ぼくには分からないところはないよ。それじゃあ、2時にヴィクトリア駅でまた会おう!」



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