宵の案内人

レグルスは笑うの続き

 常夜灯の薄暗さの中、目に映るのはてっぺんを9にした時計の文字盤。短針が指し示す方向は記憶から対して変わらず、代わりに長針は反対方向を向いていた。意識が遠のいていたのは、ほんの30分程度か。日中の活動時間における30分は大きいが、夜の睡眠時間としては短すぎた。人間の睡眠時間の理想は6時間以上らしい。布団に入ってからの時間としては優に超えているけれども、この細切れな睡眠は理想の眠りとは程遠いだろう。目を閉じても、寝返りを打ってみても、意識がはっきりしていくだけで再び眠りに戻ることはできない。寝るという行為は何をすれば実行できるのだったか。眠りに落ちる直前の瞬間は覚えていないものだ。起きている時と寝ている時の境とはどこなのだろう。一瞬で切り替わるものなのか、その境は曖昧なものなのか。
 そんなどうでもいいことに頭を使っていると、余計頭が冴えてきてしまった。これはいけない。少しでも寝なければ明日の仕事に支障が出てしまう。ただでさえこのところ睡眠が上手くできなくて、だるい体を引きずって仕事をしているのだから。全神経を眠りに集中させようと、かけ布団を頭までかぶった時だった。
 枕元に置いてあったスマートフォンがけたたましく騒ぎ始める。目覚ましには早すぎるし、そもそもこの音は着信の音だ。こんな非常識な時間に電話を寄越す人間に対して応対などしたくないが、この音を聞き続けるのも睡眠妨害だった。やりようもない気持ちを胸にとどめ、仕方なく音の原因へ手を伸ばした。
『星座を教えてくれ!』
「……月永さん」
 耳が受け止めた第一声に溜息をついてしまうのを許してほしい。誰が相手だとしても、一瞬だけ通話に出て速攻切ってやろうと心に決めていた。しかしその相手はまさかの我が事務所所属アイドルの月永レオだった。事務所のスタッフとしては、看板アイドルを無下にすることはできない。たとえ非常識だったとしても。
「何時だと思ってるんですか」
『夜の9時』
「それはフィレンツェでの時間じゃないですか。日本は夜明け前の4時ですよ」
『そっか。おはよう!』
「……おはようございます」
 おはようにしては早すぎる。夜明け前だと言っているのに。相変わらず自由というかマイペースというか。電話越しですら彼のペースに巻き込まれるなんて思いもしなかった。
「それで、フィレンツェからわざわざ電話なんて、いったい何の御用ですか」
 こんな非常識な時間に、と付け足さなかっただけよく耐えたと思う。
『最初に言っただろ。星座教えてくれって』
「……そういえばそんなこと言ってましたね。それではおやすみなさい」
『ちょっと待って! 切らないで!』
 寝起きで頭が回っていないときに言われた言葉なんて、理解まで行きつかない。星座を教えてくれなんて、また意味不明のことを。
『こっちの夜空、今すごくきれいなんだ。星がいっぱいで。前に一緒に見た時はさ、曇ってて見えなかっただろ。でも今日は見えそうだから……なあ、しし座はどれだ?』
「こっちからは見えないのでなんとも……」
 どれと言われえても。月永さんの視界は満天の夜空だろうが、私の視界は薄暗く特徴もない1Kの一室。もしここで窓を開けて空を眺めたとしても、残念ながら同じ景色ではない。この地球に住む人々は同じ空の下で繋がってはいるが、時差によって同じ空を見ることは出来ないわけで。
 しかし彼が星座なんて突飛なことを言う原因が少なからず自分にあることは理解した。
「北斗七星って覚えてます? 星が7つ並んでるの」
『音符の星座か。ええと……あ、あった!』
「そこから……」
 前に月永さんに説明したように星と星とを辿りながら星座を示していく。私が言葉で説明するよりもネットで調べた方が早いのではないだろうか。検索すれば画像付きの分かりやすい解説付きのサイトが何かしらあるだろう。今更だけれど。
 見えないだけに一つずつ丁寧に教えていくと、『あ!』というはっきりとした声が聞こえた。
「分かりました?」
『うん、見つけた。おれの星座』
「どちらかと言えば、誕生日を考えると月永さんの星座はおうし座なんですけどね」
『……相変わらず意地悪だな。どっちもおれの星座だ』
「はいはい、そうですね」
 適当に返事をすれば、彼のうなる声が返ってくる。それを聞いてふと思った。
「月永さんはおうし座よりしし座の方がしっくりくるかも」
『どういう意味だ?』
「だって、月永さんってネコ科な感じするじゃないですか」
 神出鬼没。気まぐれ。マイペース。さっきの喉を鳴らすようなうなり声。少しきつめでくりっとした猫目とか、髪は触ったことはないけど跳ね具合が猫っ毛っぽい。そしてステージに立てば圧倒的な存在感を放つ、百獣の王の呼び名にふさわしいところ。月永さんの言う通りしし座は彼にぴったりの星座のように感じる。
「ふふ、確かにしし座は月永さんの星座ですね」
 思い当たる月永さんの猫らしいところに少し笑っていれば、スピーカー越しに息を吸う音が届いた。しかしそこから新しい音は生み出されず、突如として沈黙が流れる。揶揄するつもりで言ったわけではなかったが、もしかしたら自分の発言が彼の気分を害してしまったのかもしれない。普段ころころ変わる月永さんの表情も電話越しでは分からないのだから、彼の今の気持ちを察することは難しい。
『レオ』
「え?」
『レオ、だろ?』
 なんでいきなり自らの名前を。そう思ったと同時に彼の誕生日、正確にはその次の日だが、その時の出来事を思い出す。確かしし座の英語名はレオだ。
「レオですか?」
 彼の意図が理解できず、とりあえず聞き返してみれば、『うん』とあいまいな返答をされた。しし座という名より英名の方が気に入っているから、そっちで呼んでほしいとか。
「レオっぽい?」
 月永さんは。そう心の中で付け足す。とりあえず言い換えてみたが、これでいいだろうか。
『うん。やっぱりそっちの方がいいな』
 その柔らかな声を耳にした時、ふとあの日の彼の笑みを思い出した。
「月永さん、あの」
『レオ』
「……レオ」
 ただ深い意味を持たぬまま、こぼすようにその言葉を口にした。しし座を指しているのか彼の名を呼んでいるのか、私には分からない。受け取った彼になら分かるのだろうか。スマートフォンから伝わる、はずんだ息遣いに何も言えずに口を開閉していると、ふわぁと代わりに欠伸が出てしまった。
『眠いのか?』
「まあ、真夜中とは言いません、けど、まだこっちは夜が明けていないので」
『おれもそろそろ寝ようかな。セナがうるさいし』
「アイドルは、たいちょうかんりが、きほんですから……ちゃんと、せなさんの言うこと、聞いてくださいよ」
『んーお前が言うなら』
「わたし、じゃなくても……ちゃんと、はなしを……」
『はは、声が眠そうだ』
 気付けば視界はまぶたによって遮られていた。呼吸がゆっくりとしたスピードになっていく。さっきまであんなに冴えていたはずの意識が深いところへ沈んでいくのを感じた。眠りに落ちるとはこういうことなのだろう。
『おやすみ、名前』
 耳に届く歌詞のないメロディーは、初めて聴くのにどこか懐かしく心地が良い。それが現実なのか、夢なのか、すでに意識を手放してしまった私に確かめる術はなかった。
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