レグルスは笑う

 芝生の上で大の字になりながら、ぼんやりと不明瞭な夜空を眺める。ESの空中庭園に忍び込んだは良いが、目的の星達は薄くかかる雲のせいで、本来の明るさを持っていなかった。
 それでもなんとなく動く気がしなくて。かれこれ何時間いるだろうか。そろそろ首に刺さる草に慣れてきたところだった。
 流れ星一つも見てないけれど、さすがに帰ったほうが良いかもしれない。そんなことを考えていると、遠くから芝生を踏み鳴らす音が聞こえた。
「探したぞ!」
 空の濃紺は遮られ、代わりに太陽のような明るい髪が視界を埋める。それはここ数日、私の脳内を占めていた人物だった。もちろん仕事関係の話だ。
「私を、ですか?」
「ああ。パーティー会場に来なかっただろ。バースデーイベントの片付けに長引いているのかと思ってたけど、いつまで経っても来なかったから探しに来た」
 今日は我が事務所所属アイドル、月永レオの誕生日だ。アイドルの誕生日と言えばファンとのバースデーイベントが付きものである。例に漏れず、月永さんも先程までバースデーイベントを開催していた。ちなみにスタッフとしてバースデーイベントの運営をしていた私は、ここしばらくこの仕事で走り回っていた。
 イベント自体は無事終わり、報告書などの後始末はあるが、大きな山は越えた。
「月永さんこそ、今日の主役がこんなところにいて良いんですか?会場から勝手に抜け出したら、また朱桜さんや瀬名さんに怒られますよ」
 イベントの後は事務所で関係者だけのパーティーが計画されている。こちらの方は私の管轄外なので把握していないが、アイドル達が楽しそうにケーキやプレゼントの準備をしていたのを見かけた。
 しかし、何故か月永さんはきょとんとした顔をする。
「今日?おれはもう主役じゃないぞ」
「え?」
「だって今は5月6日だ」
 その言葉に驚き、私は急いで腕時計を確認する。けれど暗闇でよく見えず、仕方なくポケットからスマートフォンを取り出した。スイッチを入れれば、時間を確認するより先に、通知の多さに驚く。サイレントモードにしていたせいで気付かなかった。見たところ、『今どこ?』という所在を確認するものが多い。心配をかけてしまっていたようだ。
 時間は0時12分。確かに日付は変わってしまっている。
「パーティーはもう終わって、みんな解散したぞ」
「なら、なおさらこんな場所にいたらダメじゃないですか。早く寮に帰ったほうが……」
「おまえこそ、なんでここにいたんだ?」
 こんな時間に一人、外で寝転がっている人間を見た人の感想としては至極当然のものだった。逆に見つけたのが月永さんで良かったかもしれない。警備員さんだったら怒られてる。
「……星が見たくて」
「星?」
 そうは言ってみたものの、実際理由なんてなかった。よく話題になる何とか流星群があるわけでなく、天体観測日和の晴天というわけでもない。ただなんとなく。一人になれるところを探していたらこの空中庭園を見つけて、たまたま夜空がよく見えたから。
 ここのところ忙しさに翻弄されていたから、少し一息つきたかった。一人で勝手にセンチメンタルな気分になって、それに酔いたくなっただけ。
「星……見えないな」
 息を吐くついでに、見上げた空の感想をこぼす。
「そうか?けっこうあるように見えるけど」
 そう言った月永さんは私の隣、芝生の上に躊躇もせず寝転んだ。衣装がイベントの時のままなのだが、あとで怒られないだろうか。
「今日は雲がかかってるので……1、2等星ぐらいまでなら、かろうじて見えますけど。それにこの辺りは周りが明るいので少し見えづらいですね」
 芝生に投げ出していた腕を上げ、私は濃紺の空を指さした。
「あの明るい星が七つ並んでいるの分かります?あれが北斗七星です」
「あの音符みたいなやつか?」
「音符……ああ。確かに見ようによっては、そう見えますね」
 音符、譜面のおたまじゃくし。星をそういった表現をするのは実に月永さんらしい。
 私が指を少し上にずらせば、月永さんはそれに合わせて顔を動かした。素直な人だ。
「黄色っぽく光る星。あれが北極星です」
「ふうん。詳しいんだな」
「詳しいってわけでもないですけど、好きではありますね」
 知識としては、中学校の理科の授業で終わっている。けれど星を見ることは好きだった。子供ながらに、星座早見盤と照らし合わせながら、よく夜空を眺めていた。
「晴れていたら、もっといろいろ見えるんですけどね。夏の大三角ってけっこう有名ですけど、春にもあるんですよ。うしかい座とおとめ座としし座で」
「しし座……おれと同じ名前だ!」
 珍しく大人しいと思っていたら、意外なところで反応された。しし座が同じ名前ってどういうことだろう。月永さんの名前はレオのはず。ああ、英語にしたらってことか。知らなかった。
 月を冠する名字に、春の星座を示す名。朧気で不明瞭、けれど柔らかく感じる、神秘的な春の夜空。それはひどく彼に似合うように感じた。
「どこにあるんだ?」
「ええと」
 昔に覚えたことだから、少し怪しいところがある。おぼろげな記憶を手繰り寄せながら、指を動かしつつ光と光のつながりを思い出そうとする。
「確か……北斗七星の延長線上に明るい星があって、そこから近くの2つの星で……」
「んん、どこだ?」
「あー、雲で見えなくなってますね」
 ちょうどタイミング悪く、大きな雲が広がり始め、辺りは暗くなる。雲間から覗くぼんやりと光る月だけが、私達を照らしていた。
「今日はもう難しいかな」
「え〜。じゃあ明日!明日また見よう!」
「月永さん、明日フィレンツェですよね」
「じゃあ、おまえも一緒に来れば良いだろ」
「そんな無茶な……」
 ちょっと近くのコンビニまでみたいなノリで言うが、考えてほしい。フィレンツェは簡単に行けない。
「そういえば、私のこと探していたんですよね。何か用事があったんですか?」
 すると月永さんは「そうだった!」と言って、勢いよく起き上がった。
「まだおまえからの、おめでとうを聞いてない!」
「……は?」
 あまりに深刻そうな雰囲気を出すから、何事かと思った。
「そうでしたっけ。イベントの時とか言ってませんでした?」
 せーの、でファンのみんなと声合わせた時とか。それか誰かスタッフが言っている時に、便乗して言った気がしなくもない。逆にはっきり思い出せないくらい曖昧ということでもあるか。
「少なくとも、おれは直接言われてない!」
「でも、今日はもう5月6日なんですよね」
「……いじわる」
 あからさまに不服そうな顔をされた。来年20歳になるとは思えない可愛さがあるが、それを言ってしまえばより不機嫌になってしまうだろう。別に出し渋るようなものでもない。事務所の人間としては、アイドル様のご機嫌を取るのも仕事のうちではあるし。
 私は数時間ぶりに体を起こし、大きく伸びをした。あちこちポキポキなるのは歳のせいか。月永さんとそう変わらないはずなのだけれど。
 それから月永さんと向き合った。
「遅くなりましたけど、月永さん。お誕生日おめでとうございます。この一年が、あなたにとって幸福でありますように」
 暗がりの中、屈託のない彼の笑みが周囲を照らす。
「ありがとう」
 今日はずっと彼の顔を見てきたはずなのに、この表情は初めて見た気がした。
「……なんかもう、月永さんで良い気がしてきた」
「何がだ?」
 星を見たくてずっとこの庭園にいたけど、それは案外近くにあったらしい。名は体を表すなんてよく言ったものだ。
 どんな星よりも眩しい。そんな柄にもなく、くさいことを思ってしまった。

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