思えば思わるる

恋は思案の外の続き

 嵐ちゃんからスイーツビュッフェに誘われた。これは特段珍しいことではない。気になるお店があるからと誘われることはよくあることだし、それは逆も同じだった。いつもならメッセージを見た瞬間に、予定も何もチェックせずに“行く”の一言を打ち込んでいただろう。しかし今日はすでに既読を付けてから2時間経っていた。
 私の様子がおかしい。自分で表現するのも、それこそおかしな話だが、これ以外に適切な言葉が思いつかなかった。続きが気になる恋愛ドラマを観ていてもいまいち身が入らなくて、大好きな歌手のアルバムを聴いていても気付けば再生が終わっている。ぼんやりすることが多い。でもその中で必ず思い浮かべるのは彼の姿だった。
 いつからなんて考えるまでもない。嵐ちゃんからの好意を知った、すべてはあの日から。まさか嵐ちゃんが私を好きだなんて。私だって嵐ちゃんのことは好きだ。女友達とも男友達とも違う不思議な距離感。私はそれに居心地の良さを感じていた。誰にも代えられない、私の大切な友達。けれどどうにも前のように彼と接することができないのが今の現状だった。
 私からも嵐ちゃんからもあのことに触れることはなかった。メッセージのやり取りは前と変わらないものだったけれど、なぜか会話が続かない。メッセージが途切れることなんて今までなかったのに、いつもどうやって返しているのか分からなくなって、私の方から止めてしまうことばかり。
 今回のスイーツビュッフェは前から行こうと話していた。しかし正直なところ、今の状態で嵐ちゃんに会うことはどうにか避けたい。メッセージのやり取りですらこれだ。直接会ったら会話が続かないどころか、気まずい沈黙で悩まされるに違いない。申し訳ないと思いながら、断りのメッセージを送ろうと親指を動かしていたその時。ちょうど一つの新着のメッセージを受け取った。
“土曜日の午前ってバイト入ってなかったわよね。予約しておいたわ”
 嵐ちゃんは先回りするのが上手だった。

 腕時計はすでに、待ち合わせに指定されていた時間から、5分過ぎていることを教えてくれていた。私は人込みに流されながらも、なるべく駆け足で急ぐ。少し開けた場所に出れば、そこには伸びた背筋で美しく立つ彼がいた。絵になるその姿をぼんやりと眺めていれば、そんな私にすぐに気付いたようだった。可愛く顔の横で手を振るので急いで駆け寄る。
「ごめん、遅れちゃって」
「そんなに待ってないから大丈夫よォ。でも名前ちゃんが遅れるなんて珍しいわねェ。何かあったのかしら?」
 心配そうな顔をする嵐ちゃんに、内心どきりと音を立てる。何か、はあった。寝過ごしたなんてことはなく、支度する時間自体は十分にあった。いつも通り身支度をしていれば遅刻することなんてなかっただろう。そう、いつもなら。
 今日は朝から、服を着ては脱いでを繰り返していた。どの服を着てもしっくりこなかったからだ。この服は少し子供っぽいかも、こっちは気合い入れ過ぎているように見えるかも、でもこれはカジュアル過ぎるかもなんて。そのせいで家を出なければならない時間を過ぎてしまって、こうして遅れてしまった。
 嵐ちゃんの背後にあるお店のウィンドウに、乱れた姿の自分が映る。せっかく時間をかけてセットした髪も走ったせいで崩れてしまったようだ。なんだか恥ずかしくなって、ぼさぼさになった髪を手櫛で直していれば、嵐ちゃんの手がその上に被さった。
「今日も可愛いわね」
 そう言いながら、雑に直していた私の代わりに、髪を綺麗に整えていく。
 嵐ちゃんは普段から私に可愛いと言葉をかけてくれることが多い。こうやって待ち合わせた時は最初にそう言ってくれて、私は「ありがとう。嵐ちゃんは今日も素敵だね」なんて返す、そんなやりとり。今までそれを挨拶の一種みたいなものだと思っていた。けれどあの告白を受けた今ではそう思えなくて。
 私、いつもどんな顔して答えていたのだろう。
「名前ちゃん?」
「……っお腹すいちゃった!今日いっぱい食べようと思って朝ごはん抜いてきたんだ。早く行こう」
「ええ……そうね」
 どうにも気恥ずかしい。嵐ちゃんを見ることができないまま、私はうつむいたまま歩き出した。
 過去の私はよく平気な顔をして嵐ちゃんと一緒にいれたな、なんて変に感心する。隣を歩く彼との距離は10p足らず。服が触れるだけで心臓が音をたてて、頭一つ上から聞こえる耳触りの良い声に頬を熱くしていた。お店に着いて二人でスイーツを選んでるときも、少し手が当たっただけで過剰反応して、恥ずかしいやら情けないやらで下ばかり向いていた。席についてもそれは変わらず、テーブルの上に並べられた彩りを眺める。あんなに楽しみにしていたスイーツ達は、舌では確かに酸味も甘味も感じるのに、美味しいという感情が追い付いてこない。
「それでねェ……名前ちゃん、聞いてる?」
「え、あ、うん……何だっけ?」
 珍しく少し強めの語尾に、落としていた視線を少しだけあげる。けれど眉を下げた少し不機嫌そうな姿が視界に入り、再び目の前のケーキだけを見つめた。
「来月の映画のことで……ううん、もう良いわ」
「……ごめん」
 今日はこんなことばかりだ。嵐ちゃんはいつも通り接してくれようとしているのに、私は意味もなく謝ってばかり。せっかく二人でいるのだから、楽しく過ごしたいのに上手くいかない。どうにかいつもの調子を戻さないとと思っていれば、長い溜息が聞こえた。
「この前のこと、気にしてるなら忘れて」
「え……」
 その話題に触れたのはあの日以来だった。
「やっぱりあの時のことが原因よねェ……だからね、なかったことにしましょう」
「どうして?」
「だって、このまま気まずくなって、もしあなたが離れて行ってしまうようなことがあるのなら、そっちの方が悲しいもの」
「そんなこと」
 ないと言えるだろうか。むしろ嵐ちゃんが、こんなおかしな私に呆れて離れて行ってしまう可能性の方が高い。
「大丈夫よ。全然気にしてないから」
「でも」
「これからも仲の良いお友達でいましょう」
 そう言って笑顔を作る嵐ちゃんが無理していることぐらい、私にでも分かる。気にしていないはずがない。けれど彼の言う通りなかったことにしてしまえば、私もこんなに頭を悩ませなくて、おかしくならなくて済むかもしれない。
 でもそうなったら、嵐ちゃんの気持ちは、私の気持ちはどうなるの。
「無理だよ!」
 思わず大きな声を出してしまった。慌てて周囲を気にすれば、何人かから視線を向けられたが、すぐに興味を失ったように誰とも視線は合わなくなる。
 私は勢いで少し浮かせてしまった腰を下ろし、目の前の彼と向き合う。こうしてきちんと目を合わせたのは、今日はこれが初めてだった。
「もうアタシと友達でいることも嫌?」
 その言葉に、すぐさま首を振る。
「嫌じゃないよ。でも、たぶん、今まで通りでいることは難しいと思う」
「……そう」
 彼の気持ちを、自分の気持ちを知ってしまった今、仲の良いお友達として接することはできないだろう。だってその接し方を忘れてしまったから。今の私にとって彼はもう。
「今日が最後なのね」
「え?」
 ぼそりと言った彼の最後という言葉が、理解できなくて聞き返す。
「アタシ達が会うの」
 そこでようやく自分の言葉の足りなさに気付いた。加えて今日一日の私の行動は、彼を拒絶しているように見えても仕方ない。勘違いされている。
「違う、違うの、嵐ちゃん」
「名前ちゃん……?」
「私ね、あの日からずっと嵐ちゃんのことばかり考えてる」
 思い返せばずっと前からもう、私にとって嵐ちゃんは大切な存在だったのかもしれない。一緒にいるだけで楽しくて、可愛いと言われることが誰からよりも嬉しい、そんな存在。それに気付くことが出来たきっかけが、ただあの日だっただけ。
「今日嵐ちゃん何してるんだろうとか、また映画を嵐ちゃんと観たいなとか、そういうの全部お話ししたいなって……前よりもずっと、ずっと。でもそれは嫌なことじゃなくて、むしろ毎日楽しくて、嬉しくて」
 少女漫画も恋愛映画も、間違ってなかった。月並みだけど、世界が輝いて見えるなんて、本当なのだから驚いてしまう。
「でもいざ嵐ちゃんと会うってなったら、妙に緊張しちゃう。今日だって朝、おかしいところないかなって、家出るギリギリまで鏡とにらめっこしちゃってたし。だから遅れたんだけど……」
 要領を得ないこと述べる私に、嵐ちゃんはずっと耳を傾けてくれていた。最初は困惑した様子だった彼の顔に、いつもの柔らかな表情が戻っていく。
「フフ、可愛い」
 嵐ちゃんからの可愛いに、やはり前みたいにありがとうと簡単に返すことができなかった。代わりに顔に集まる熱を抑えるように、両の手で自分の頬に触れる。すっかり私はおかしくなってしまったみたいだ。
「やっと名前ちゃんの様子がおかしい理由が分かったわァ。なんだかそっけないし、目も合わせてくれないし。もう嫌われちゃったのかと思ったじゃない」
「嫌いになるはずないよ」
「それを聞いて安心した」
 嫌いじゃなくて、むしろその逆。でも意識すればするほど、から回ってしまう。
「なんでか分からないけど恥ずかしいし、上手く目が合わせられない。ねえ、私、どうしたら前みたいにできるのかな」
「前と同じでいる必要はなんてないんじゃないかしらァ。だってもうアタシ達、ただのお友達とは言えないもの」
 確かにただの友達としての感情はもう持ち合わせていない。
「でも……そうねェ。緊張してる可愛い姿を見ているのも楽しいけど、アタシ、名前ちゃんとお喋りすることも大好きなの。だから、もう少し気楽に話してほしいわァ。前と同じじゃなくて良いの。今の名前ちゃんとアタシでお話しましょう?」
「うん、私も嵐ちゃんと話すの好き」
 友達の嵐ちゃんと話そうとするから、変な感じになってしまうのかもしれない。大好きで大切な嵐ちゃんと、それなら上手くできそうだ。まだ気恥ずかしいけれど。
「少しずつ慣れていきましょう。これからのアタシ達で」
 嵐ちゃんが私に向かって手を差し出す。行動の意味が分からず首をかしげていれば、手を出してと言われた。彼と同じように出してみれば、その手をぎゅっと握られる。あの日と同じ暖かな、嵐ちゃんの手だった。
「いや?」
「……いやじゃない」
「ドキドキしてる?」
「身体中、心臓になったみたい」
「恋、してるのね」
 優しげに、愛おしげに微笑む彼に、私は小さく頷いた。

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