すきの反対はきらい

 撮影前に顔合わせなんて珍しい。顔合わせとは、撮影や稽古が始まる前、出演者が一堂に会するもの。舞台の場合は、必ずと言っていいほど行われる。そこで監督から作品の意図やそれぞれの役について語られ、また読み合わせなどを行い理解を深め、稽古に入るからだ。対して、映像作品ではこの顔合わせが行われることは少ない。理由は様々だが、舞台と違って出演者全員がスケジュールを合わせる必要がないというところが大きい。舞台と違って、映像作品はストーリー通してでなくシーンごとで作品を撮る。だから都合によっていきなり2話から撮影することがあるし、また主要登場人物同士にも関わらず、ほぼ絡みない出演者も出てくる。たまに舞台挨拶で初めて言葉を交わしたみたいな相手もいる。
 だから、今日のような映画作品での顔合わせはめったにないこと。監督の意向らしく、スタッフ同士の結束力を深めるためとかなんとか。しかしこうして眺めると、すごい人達がそろったと変に感心する。テレビをあまり見ない人でも、一度は目にしたことがあるであろう面々。そして今、彼らから注目を浴びていると思うと、背筋が伸びてしまうのは自然のこと。
「キョウカ役の名字名前です。偉大な監督、そして役者の方々と共演できること光栄に思っています。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」
 この映画のオファーを受けたのは半年前。その時はまだ何人かの候補のうちの一人と聞かされていたが、私はすぐに予定を抑えた。なにせ公開された作品が毎回話題となる超有名監督、出演予定俳優も誰もが知る大御所の方々の名前が連なっていて。そして何より、主演が私の尊敬する大女優、赤座さゆり。最近は子育てで忙しいらしく、出演する作品は少なくなったが、その実力はいまだに顕在。一年前に彼女が出演した舞台の千秋楽は、ゆう君に無理を言ってスケジュールを開けてもらい行った。その時は感動し過ぎて、終わってからしばらく立ち上がれなかったほど。それぐらい大好きで、尊敬する彼女と共演できる機会が得られるなんてと。決まったと連絡が来たときは、ゆう君と二人で飛び跳ねた。
 この顔合わせが始まる前、ぜひ挨拶しようと意気込んだのはいいものの、結局オーラで近付けず遠目から見ていた。すると彼女の方から、「名前ちゃんと共演できるの楽しみにしてたの。いい作品を作りましょうね」と気さくに話しかけてくださった。たぶん今日のことは、しばらく寝る前に思い出してはニヤニヤするだろう。
 椅子が引かれる音に意識を戻す。大御所がそろうこの一室の中、私とそう変わらない年齢の青年が、すらりと立っていた。
「キョウヤ役の瀬名泉です。この作品が素晴らしいものになるよう全力を尽くします。よろしくお願いします」
 そう言った彼、瀬名泉は深くお辞儀をしてから、優雅な動作で再び席に着いた。
 瀬名泉。アイドルユニットKnightsに所属する21歳。私の3個上だそうだ。幼い頃にキッズモデルとしてデビュー、高校ではアイドル科という特殊な学科のある高校に進学しアイドルを目指す。卒業後はイタリアのフィレンツェでモデルとして挑戦、現在はモデル業はもちろん、俳優やバラエティーなどマルチで活躍するアイドルだ。
 ここまでの情報はここに来る途中、ネットで調べておいた。この映画において、私と彼は兄妹という役柄であり、そして出番が一番被っている。つまりは関わる機会は必然的に多くなる。世間話程度は話せるようになっておいた方がいいだろう。
 この映画で若手と呼ばれるような出演者は私と彼のみ。だからとは言わないが、彼の美しく端正な顔立ちは目を惹いた。だから凝視していたのは無意識で、ふと顔を上げた彼と視線が交わって、ようやく我に返った。つらぬく青の瞳に、どこか既視感を覚える。私はじっと見ていたことに後ろめたさを感じて、わざとらしくならないように、そっと視線をそらした。

 顔合わせが終わると、出演者たちはおのおのに歓談を始めた。皆さん芸歴が長いから、共演経験があったり、知り合いだったりするのだろう。私もまだの人に挨拶をしておこう。そう思い席を立つと、すでに目の前には人が立っていた。私より頭一つ分高いその人は、じっと私を見つめている。
 目をそらすのも失礼だと思いつつ、ぶしつけに見られるのもどこか居心地が悪い。このままではにらみ合いになってしまうと、私は先に口を開いた。
「初めまして。名字名前です。よろしくお願いしま……」
「やっぱり綺麗な顔してるよねぇ」
「……は?」
 挨拶を遮られてから開いたままの口から、そのまま声が出た。開口一番に何を言っているんだ、この人は。しかし私の様子など気にもせず、「それと」と言葉を続ける。
「会ったの初めてじゃないでしょ」
「えっと、申し訳ないんですけど、覚えが……」
「三か月くらい前だっけ。テレビ局の通路ですれ違ったじゃん」
 どれほど前かは覚えていなかったが、確かに彼をテレビ局で見かけた記憶はあった。瀬名泉という存在を、唯一認識したのがあの時だけだったからというのもあるけれど。だがすれ違っただけのあれを“会った”に入れるのは、どうなのだろう。むしろよく覚えているなと感心する。芸能人とはそういうものなのだろうか。
 しかし気まずい。なぜならその目がじっと私を見続けているからだ。いや、見るというより観察に近いように感じる。
「今ってあんまり化粧してないよねぇ。テレビとか雑誌とか、ああいうのっていくらでも誤魔化せるでしょ。だから実際見ないととは思ってたけど、こんな近くで見ても全然ボロ出ないし、本当に綺麗な顔……局のせまい通路にいたどいつもこいつも背景みたいに中途半端しかいなかったけど、あんただけは目を惹かれたんだよね」
 綺麗な顔。そうか、やっぱりこの人もそういう人なのかと、落胆の溜息を飲み込み目を伏せた。綺麗だと褒められることは慣れている。そしてそれにどう返せばいいかも。そう、いつものこと。だから私は、いつもの通り誰もが好む笑みを作り彼に返した。
「ありがとうございます」
 しかし努めて綺麗に作った微笑みは、彼の吹き出す笑いによって引きつることとなる。
「ふふ、何その顔。ありがとうなんてこれっぽっちも思ってないくせに」
「なっ……」
 あからさまな嘲笑に、言葉を失った。先ほどから彼の発言、行動の意味が理解できない。舐められているのだろうか。確かに芸歴は私の方が短いけれど、だからって何を言ってもいいわけではない。このままでは自分から余計なことを言ってしまいそうだ。周りに助けを求めようと周囲を見やるが、皆歓談に夢中なようで、私達を気にする人はいないようだった。
「俺が見てるってのに顔そらさないでよねぇ」
 ほぼ初対面のはずなのに、遠慮なく迫ってきた彼、瀬名泉との顔の距離が縮まる。
「ちょっと、近いですって――」
「あんた、きれいって言われるの嫌いでしょ」
 思わず両手のひらを握りしめていた。湿った感触は考えるまでもなく、私の動揺を表している。
 これからおよそ一ヵ月の撮影を共にする共演者だ。雰囲気のいい現場を作るにはまず人間関係。だからこそ最初の関係づくりが大切だと、頭では分かっているが、感情が追いついてこない。思わず彼を睨みつけてしまったのも、感情が理性を越えてしまったから。
「バラエティーとかで見かけるあんた、いつも微妙なな顔してるよねぇ。とくに可愛いとかきれいって言われた時。隠してるつもりだろうけど上手く笑えてないよ。世間じゃバラエティー慣れしてなくて可愛いとか言われてるみたいだけど、俺の目はごまかせないから」
 私とは反対に、彼は実に愉快そうに、軽快に、そして確実に私を腹立たせる言葉を選んでいく。この人、私が嫌いだと分かっておきながら、さっきからずっと「きれい」を連呼している。絶対わざとに違いない。たいして言葉を交わしたことのない相手に、よくこうも図々しい物言いができるものだ。
「何が言いたいんですか」
「別に、俺は思ったことを言いたかっただけ。けどさぁ」
 口元を引き締める。開いてしまえば言うべきでない言葉が出てきてしまうから。最後の防波堤のようなものだ。彼はさっきから好き勝手言っているが、私は同じ人種ではない。そう、大人な対応を、しなければ。
「せっかくこんなに綺麗な顔してるのに、ひねくれた性格してるよねぇ。もったいない」
 脳裏でプチッと、何かが切れる音がした。
 私の様子がおかしいことに気付いたのだろう。視界の端で、壁で待機していたゆう君が駆け寄ってこようとしているのが見えた。でももう止められない。
「私、瀬名さん嫌いです」
 笑顔を崩さなかったのは私のプライド。瀬名さんの意地の悪い笑みが、いっそう深くなった気がした。

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