まばたきから始まる

 綺麗な人だと思った。
 この業界では、いわゆるイケメンや美人なんて言われる、偏差値60の人間が大多数で、70以上の人間だって珍しくない。美女も3日で飽きるなんて言うが、飽きるとは言わないまでも慣れはするものだ。今でも大物芸能人や憧れの役者さんを見かければ緊張はする。けれどテレビ局ですれ違うタレントたちを、いちいち気にすることはなくなった。
 それだけに、私の目を奪った彼は、この世界の中でも特別な人なのだろう。歩いているだけで目を惹くのは、容姿だけでなく立ち振る舞いもあってのこと。綺麗に伸びた背筋をそのままに、少し早い歩調で歩く姿を、誰もが振り向いていた。だが当の本人は歯牙にも掛けず、その目はただ真っすぐしか見ていなかった。絶対的な自信、それが見て取れた。他人など目に入らない。見たければ勝手に見ればいいと。
 だから、気のせいだと思った。あのまっすぐな青い目が、一瞬だけ私に向けられたなんて。

「ねぇ、さっきすれ違ったのって瀬名泉だよね」
「瀬名泉……アイドルの?」
「そうそう。Knightsってアイドルユニットの。それにモデルもやってて、最近はドラマとかバラエティーでもよく見かける」
 テレビ局の狭い通路は常に人が行きかっている。話の彼はとうに見えなくっていたが、隣の彼女は振り返ってからもその姿を目で追い続けていた。
「ふうん。歌以外でもいろいろやってるんだ」
「Knightsはニューディ所属だからね。あそこの事務所、けっこういろんなこと幅広くやってるってイメージ。それにしても、本物初めて見たけど、めちゃくちゃかっこいい。一回でいいからドラマで共演したいな」
「なんで?」
「恋人役とかならキスシーンできるでしょ」
 何当たり前のこと聞いてるの、みたいな顔をした彼女に、思わず吹き出して笑ってしまった。下心丸出しではないか。
「ファンの子に炎上させられるんじゃない?」
「瀬名泉とキスできるならそのぐらい安いでしょ」
 彼女のこういうはっきりとしたところは嫌いじゃなかった。表でいい子ぶって、裏では下品な人間ばかりのこの業界。このぐらいの方が分かりやすくていい。少々欲望に忠実過ぎるところが心配になるが、本人が楽しいなら何より。
「名前ちゃんはどう?」
「どうって?」
「瀬名泉と共演してみたくない? あわよくばキスできるかもだし」
「私は別に……仕事ならするけど」
 売れてきてはいるが、まだまだ駆け出し役者の私に仕事を選ぶ権利などない。最近だと、制服を着ても違和感がない年齢からか、青春ラブコメ系のオファーが多い。つまりは相手役がいるわけで、たいていは同年代の若手人気俳優や売り出し中のアイドル。可愛らしいファンがいっぱいついていそうなわけで。しかし仕事があるだけありがたいもの。ファンによる炎上が怖いからと、共演NGなんて大それたことはできない。幸いなことに、今のところ私は、女性の方々からも一定の支持を得ているようなので、炎上に至ることはないけれど。
「まあ名前ちゃんがそもそも綺麗すぎるから、どっちかといえば相手の方が得したって感じになるか。男女で比べるのもおかしな話だけど、名前ちゃんだって、まさに美って感じだもんね。あ、もしかして瀬名泉見た時、私の方が綺麗とか思った?」
「はは、まさか」
 綺麗。かけられたその言葉に、何も口にしていないのに苦みを感じた。そんなこと考えもしない。自分の容姿が他者から見られた時、どう思われるかは理解している。しかしそれは私にとってはむしろ重荷でしかない。それだけしかない人間だと思わされる。
「おーい、名前ー」
 耳慣れた声に目を向ければ、似合わないグレーのスーツに身を包んだ男が小走りで駆け寄ってきた。
「名前、どこ行ってたんだよ。そろそろ収録再開するって」
「ゆう君」
「ごめんなさい、名前ちゃんのマネージャーさん。私が連れ出したの。だってあのスタジオにいると、待ち時間の間、芸人さん達がやたら話しかけてきてうざかったから」
 彼女のあけすけなもの言いに、ゆう君が苦笑いする。彼の立場では、同意も否定も出来ないだろう。周囲を確認しているのは、関係者に聞かれていないかを確認してのこと。彼の心労が尽きることはないようだ。今回は私の責任ではないが。
「はは、あとでプロデューサーの人に言っておきますね」
「別に気を遣ってくれなくてもいいけど……そうしてくれると助かります。じゃ、行こうか。名前ちゃん」
「……うん」
 彼女のさっぱりとした性格の表すような軽快な足取りとは反対に、私の足は進むにつれて重くなっていく。
 ドラマや映画なら、どんな役柄だって演じてみせる覚悟はある。それは自分ではない誰かを演じるという、役者の仕事が好きだから。芸歴4年。まだまだ若手だけれど、この業界に、仕事に慣れてきたと思っている。けれど、いまだに慣れない仕事があった。

 決まったセリフはもちろんのこと、役もなく、あるのは生身の私だけ。派手な色合いのセットで飾られた、まとまりのないスタジオの中央に、これまた華美な椅子に私は座っていた。まるで見世物だ。映画、ドラマ、舞台とは違う、私自身を売りに出している感じ。居心地が悪い。今日はスタジオに観覧客がいない撮影だったからまだマシだけど、それでもこの空気感には慣れない。
「さて、次のコーナーに行ってみましょう! 『直感で答えて! 一問一答』のコーナー!」
 はやし立てるガヤの声に、さらに憂鬱さが増していく。しかしそれを表に出すのは、それこそ役者として面目が立たない。作り笑顔はもう慣れている。
「こちらは事前に視聴者から受け付けていた質問をゲストの方に直感で答えていただくコーナーです! 今日はドラマ『クラシカルレディ』にご出演のお二人の素顔に迫っていこうと思います! それではまず、清純派女優、そしてその美しい容姿で今人気急上昇中の名字名前さんから答えてもらいましょう」
 私の素顔なんて知ってどうするのだろう。
「ご年齢は?」
「先日、18歳になりました」
「あだ名とかあります? 幼少期とか」
「そうですね……名前で普通に名前って呼ばれることが多いので、とくにあだ名とかはなかったと思います」
「この業界に入ったきっかけは?」
「子供の頃に見た舞台に感動して。自分じゃない誰かを演じてみたいなって思ったんです」
「好きな食べ物は?」
「甘いもの全般でしょうか」
「得意料理は?」
「お母さんに教えてもらいながらですけど、肉じゃがです」
「今まで告白された回数は?」
「……うーんと、覚えてないですね」
「覚えてないほど告白されたってことでしょうか?」
「さあ、どうでしょう」
「美貌の秘訣は?」
「よく寝ることでしょうか」
「座右の銘は?」
「Nothing is impossible, the word itself says, I’m possible.大好きな女優さんの言葉です」
「好きな男性のタイプは?」
「好きになった人がタイプ……ていうのはずるいですよね。尊敬できる人でしょうか」
「ということは、僕にもチャンスが? おっと外野の皆さん野次とばさない! では気を取り直して……最後に一言どうぞ!」
「……新ドラマ『クラシカルレディ』、ぜひ見てください」
 ああ、やっぱり好きじゃない。

 体を横に倒し、足を投げ出して、一人後部座席を悠々と使う。外の景色を通さない、窓のスモークガラスが、夜特有の人工的な光だけを通す。ラジオから流れる曲はどこか懐かしのヒットナンバー。けれど曲名も歌っている人も出てこない。なんとか思い出そうと口ずさんでみるが、心に残るモヤモヤのせいでうまく紡ぐことができない。自分で思い出すことは諦め、調べようとスマートフォンを開けば、ちょうど先ほどの収録で一緒に出演していた、ドラマ共演者の子からメッセージが届いていた。
『今日は楽しかったね。また明後日の収録もよろしく』
 彼女に恨みはないが、明後日もまた番宣の収録があることを思い出し、つい顔をしかめてしまった。また今日と同じ様なことが行われるのかと。
「ちょーむかつく」
「まあまあ、落ち着けって」
「だってあの人達、人の趣味とか、好きなタイプとか、休日何してるとか……どうでもいいじゃん! 二言目には可愛いですねーなんて。聞き飽きてるんですけど! ドラマ関係ないし!」
「そのドラマを見てもらうための番宣だろ?」
「私のこと知って何が番宣になるの? それだったらまだ演技のこだわりとかそいういうこと聞けばいいのに。そういう話しようとすると、話そらされるのもむかつく。若手だからって舐めてるの丸わかりだから」
 司会者は中堅お笑い芸人。ぽっと出の顔だけの小娘とでも思っていたのだろう。扱いでだいたい分かる。これが大物俳優であれば、その態度は大きく違っていたに決まっている。
「そういえば、収録前のアンケートで、休日の過ごし方はって質問にスプラッタ映画観賞って書いてたのに、本番はスイーツ巡りになってたんだけど。ゆう君変えた?」
「俺がそんなことするはずないだろ。名前のイメージと会わないからって番組側が変えたんじゃないか?」
「印象操作よくない!」
「お前だってスプラッタ映画観賞とか嘘じゃん」
「うそじゃないよ。映画観賞は事実だし、たまにスプラッタも見るし」
「それにしたってなんでスプラッタ……」
 スプラッタ趣味の女優とか気味悪いし、何か変なこと言いそうだからとかで、もうバラエティー回してこなくなるのではと期待したが封殺されてしまった。無念。
 スモークガラスが外の景色の代わりに端麗な女の顔を映す。ガラスに向かって思いきり表情をゆがめてみるが、返ってきたのはどこまでいっても整った顔。つまらない遊びをやめ、私は小さくため息をこぼした。
「みんな顔ばっかり……私の演技なんて、どうせ誰も見てくれないんだよ」
 自分の容姿がそこそこ整っている方ということは、早い段階から認識していた。子供は誰しも可愛い。それは共通認識のようなもので、どんな子でも幼少期は親や親戚達に、可愛い可愛いと言われ育ってくるものだろう。私も例外なく可愛いと言われ育ってきたが、それは親族だけの範囲にとどまらなかった。街を歩けば、どこかしらから視線を感じ、聞こえてくるのは容姿に対する誉め言葉。ものごころが芽生え始めた頃には、幼稚園で子供ながらに可愛い告白もよくされたものだ。人の好み、嗜好はそれぞれだから一概に言えないが、少なくとも自分の容姿が優れている方であることは、幼いながらに理解した。褒められることは嫌じゃない。だから可愛いと褒められれば素直に喜んでいた。あの頃は。
 思春期に入り始めると、自己概念、アイデンティティーの形成が始まる。自分とはなんだろうなんて、今思えば青臭い悩み。「天からの授かりもの」「恵まれた容姿」「親に感謝しないと」なんて聞き飽きた言葉に考えてしまう。この容姿がなければ、私には何も残らないのではないかと。自分の顔が嫌いなわけではない。容姿はもちろんだが、健康児として生んでくれた親には感謝している。けれどそれは私の努力で生み出されたものではない。容姿ばかりが褒められて、けれどそれは私自身の力で得たものではない。では私のアイデンティティーはなんだろう。年相応にセンチメンタルになっていた時に、私は出会った。
 年に一回、学校で開かれる芸術鑑賞で見た『青い鳥』の舞台。当たり前だが、主人公の子供たちを演じるのは大人。けれど舞台上の彼らは確かに、無邪気な子供チルチルとミチルだった。現実を気にする隙を与えず、物語に没頭させるその姿、世界に目を奪われた。終わった後にこっそりと見に行った舞台裏の彼らは、正直ただのお兄さんとお姉さんだったが、むしろそれに心惹かれた。自分でない何かを演じるということに。
 それからはまるで転がり落ちるように演じるという世界にはまっていった。友人と話題に上がるドラマはもちろん、映画は邦画からハリウッドまで。舞台は両親に頼んで何度も連れて行ってもらった。
 いつか自分もなんて思っていた時に、たまたま同じ舞台の公演を見に来ていた、現事務所の社長に声をかけられたことが業界に入るきっかけ。最初はファッション雑誌の専属モデル、それから5分も満たない映画の端役、そして主人公の友人役と徐々に仕事を増やしていった。これが私の夢だった世界。そう思ってやってきたが、やはりここでもネックになるのはこの顔。書かれるのは“美しすぎる顔”、“国宝級の美女”。どんなキャッチコピーだ。むしろ馬鹿にされている気すらする。演じるということにプライドを持ってやっているのに、注目されるのは外見ばかり。腐りたくなくても腐ってしまうのは、仕方ないのではないだろうか。
「名前」
「んー?」
 運転中の彼は、その視線はまっすぐに、けれど語り掛ける声は私にしっかりと向いていた。
「俺だって、初めて見た時、確かにその綺麗な顔立ちに目がいったけどさ……それ以上にその演技に人を惹き付ける才能があると思ったんだ。今でも覚えてるよ、名前の演技を見た時のこと。レッスンでやってたエチュードだったから、本当に短い時間だったのに、表情、仕草、セリフのリズムでその役の人生っていうか、人となりを感じた気がした。いつか絶対すごい役者になるって、そう思った。だから大丈夫」
 顔を上げれば、バックミラー越しにゆう君の暖かな笑顔があった。
「……っゆう君好き!」
「はいはい、俺も好きだよー。だから運転中に抱き着くの止めてな」
 勢いよく体を起こし、運転席のシートに飛びつけば、さっきの熱さはどこへやらの塩対応。だがこれも信頼あってのこと。デビューから数年、マネージャーの彼とは二人三脚でここまでやってきた。
「夢は主演女優賞!」
「カンヌとかベルリンにもいきたいよな」
「映画祭いいね! ベネチアもモスクワも連れてってあげる!」
「俺の将来も安定だな」
 今は軽口のようにしか言えない夢でも、現実にできないことはない。気付けばラジオが流す曲は、誰しもが聞いたことのある有名な応援ソングに変わっていた。タイミング良すぎると笑いつつ、私はヘッドライトが照らす道の先を見つめた。

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