エッグラック


 その日オレは、結愛とふたりで里に夕食の買い出しに出かけた。

「カカシのお兄ちゃん、ゆあも一緒に行く!」
「結愛も?」
「ゆあね、ガイのお兄ちゃんと一緒に、八百屋さんとお魚屋さんとお肉屋さん行ったんだよ!ゆあ連れて行くとオマケもらえるよ!ゆあお得です!」

 むんっ!と胸を張っている。
 お得なのは野菜と魚と肉で、結愛じゃないでしょ、と思ったが。まあ歩いたことのある道ならいいか。

 とはいえ、流石にショッキングピンクのタイツを着ている子と歩きたくはないので着替えてもらった。こちらへ来た時のワンピースに、どういうわけか首巻きを手放そうとしないので、そのまま巻いている。

 小さな手を繋ぎながら里の中を歩いていると、ちょいちょい視線を感じた。

 (なんだろう、なにか変?)

 向けられているのは敵意ではない。むしろ、その逆。微笑ましいものとして見られている気がする。

 親子か何かかと勘違いされてるかな。それとも兄と妹?どちらにせよ、一人っ子の自分にはむず痒いもので。

「お兄ちゃん帰ってきたのね。お肉オマケしておくわ。たくさん食べてね」
「ありがと、おかあさん!」

 お肉屋さんのおばさんはオレたちを見るなり、おやおやまあまあ言いながら笑ってお肉を包んでくれるし。

「おう、結愛ちゃん!りんご好きだったな!オマケしとくから食べな!」
「ありがとう、おとうさん!」

 八百屋のおじさんは頼んだのと倍の野菜を持たせてくれた。

「お前、すごいね」
「大切なのは感謝と笑顔です」

 結愛は、おじさんからもらったりんごの袋を抱えてご満悦。

 そして家への帰り道。
 あっちこっちと指差しては、オレが任務でいなかった時のことを話してくれた。

「あっちのお店でね、ガイのお兄ちゃんがお菓子買ってくれたの!」
「そっか」
「でね、そっちの木でね、ガイのお兄ちゃんがけんすい見せてくれたの!」
「へー」
「でね!向こうでガイの」

 ガイばっかりだな。

 ガイに預けたんだから、ガイの話をするのは当たり前だけど。

 聞いているのも次第に飽きてきた。飽きてきたいうか、面白くない。

 ふと。
 結愛がぴたりと足を止めた。夕陽の色を映した瞳が、オレを見上げる。

「カカシのお兄ちゃん」
「なーに」
「やきもち妬いてる?」
「は?」

 顔を上げて店のガラスに映る自分の顔を見ると、露骨に眉を寄せていた。なんだ、この嫉妬丸出しの顔は。

「むふっ」
「なによ、その笑い方」
「カカシのお兄ちゃん、結愛のことが好きなんだね」

 結愛は口を窄めながらぷっくりとした頬を染めて、嬉しそうに目を細めた。

 その自信は一体どこから来るのやら。しかし、先に会って暮らしていたオレより、ガイと仲良くなっていることが面白くないと思ったのもまた事実で。

「なーに、悪い?」
「悪くないっ!ゆあの一番はカカシのお兄ちゃんだもん!」

 こちらを照らすような笑顔を向けられて、らしくもなく微笑った。結愛は、りんごの袋を左手に持ち、右の手をこちらに差し出す。オレはその手を取ろうとして。

 ーーーキィン!

 荷物を持っていた手を離し、結愛を狙撃したクナイをクナイで弾いた。少し遅れて、野菜や肉が向こうの地面へ散らばっていく。

「結愛、伏せてろ!」

 幸い、辺りには人気はない。いや、そのタイミングを見計らったのか。狙いは結愛か。オレか。その理由は。

 何一つ分からないまま、飛んでくる忍具を弾き返した。背後に飛んできた手裏剣を捌いた瞬間、人影が結愛に迫る。オレはその間に入ろうとしたが、りんごを置いた結愛が先に腰を落とした。

「このは・れっぷう!」

 木ノ葉・烈風。
 相手の足を蹴り崩し、下段回し蹴りで追撃する体術。本来はそれであるはずだが。

「ゆあばーじょん!」

 思いっきり相手の脛を右左と蹴飛ばして、前屈みになった男の股間を蹴り上げた。なんかもう、やられた側の絵面がアレだが、意表を突くには十分過ぎる威力で。

「ゆあ、ガイのお兄ちゃんにお願いしたの!カカシのお兄ちゃんと一緒にいるために強くなりたいって!だから教えてもらったの!」
「へー、ソウナンダ……」
「カカシのお兄ちゃんは、ゆあが守る!」

 左手を腰の後ろにして、右手のひらを自分に向けるその構えは、師そのもので。

 (そのうち、眉毛と髪型まで似たらどうしよう)

 今後、絶対に預けないと決意した。
 オレは蹲っている黒尽くめの男に近づいた。しかし、それは影分身で。

「ーーー結愛!」
「わ……っ!?」

 解けた術の向こうから現れた男。オレはそのチャクラ刀から庇うように、結愛を抱き締めて身を翻す。左腕に焼けるような痛みが走り、血飛沫が舞った。

「ぐっ……」
「カカシのお兄ちゃん!」

 相手はオレの血がついた武器を捨て、距離を取る。
 結愛は、ぐっと唇を結んで目を凝らしていた。まるで、薄らと張っている涙を落とさないように、と。

「ククク、貴様も子どもは可愛いか」
「お前の狙いはオレだな」
「仲間を殺された仇だ。ーーー冷血のカカシよ」

 肌を刺すような、冷たいチャクラ。

「大切にしている子どもがいると聞いたが、その通りだったようだな」
「聞いた?」
「エラくご立腹でな。飲み屋で愚痴を聞いてやったら、快く情報をくれたよ」

 結愛に追い返されたあの女か。

 (因果応報だな)

 オレはズボンの裾を破り、左腕を縛ってから腕の中にいる結愛の肩を抱いて言った。

「いいか、結愛。あの岩、顔が四つあるだろ。あれは火影様の岩なんだ」
「ほかげさま」
「そう。あの岩に向かって走れ。誰でもいい。そこにいる、この額当てをした大人を捕まえて、オレのことを話して、火影様と会うんだ」
「カカシのお兄ちゃんはどうするの」
「オレもすぐに行くよ」

 そして結愛を離して、その小さな背を押した。

「さあ、行け!」

 駆け出す足音。遠ざかる結愛の気配を背で確認して、相手に向き合った。木の葉の額当てをしている男の瞳は、憎しみをたたえ、軽蔑の色を浮かべている。

 復讐。
 その対象にされるのもいい加減慣れた。仲間殺し、と称されることも。

 張り詰める空気。
 腰のポシェット。その中にあるクナイに指先を引っかけたが。あろうことか痺れて動かない。

 (まさか、痺れ薬?!)

 チャクラ刀に塗ってあったのか。相手がニタリと嗤った。

「死ねェ!」

 こちらへ迫る。地を蹴った、その足は。

「このは・野菜ごろごろー!」

 転がってきた大量の里芋のひとつを踏み。男はオレに近づく前に、盛大に顔から地面に突っ込んだ。

「ふんだ!食べ物の恨みは恐いんだからね!夢に見ろ!」

 いや、それ恨み買いそうなのお前の方。

 結愛は逃げていなかった。

 代わりに、オレが持っていた荷物をかき集めて来たらしい。パンパンの買い物袋を傍らに、勇ましい顔付きで肉の包装を開けた。

「小娘が……ぶっ!」

 男が視線を上げた途端、べたん!と大判の豚肉が顔に張り付きその視界を奪う。

 更に、結愛は男を起き上がらせんと言わんばかりに大根、にんじん、じゃがいも、たまねぎ……転がりそうな野菜を片っ端から転がした。そうして足場を損ねさせ、極め付けには。

「てやッ!」

 大好きなりんごをぶん投げた。
 怒涛の追撃。ひとつ、ふたつ、みっつ。頭、右肩、左脚。ものの見事にクリーンヒットし、男は堪らず体勢を崩して後ろに倒れ込む。

「ゆあは、生まれた時からボールと友達!」
「そうなんだ」
「ゆあの世界にひざまずけ!」
 
 肉がずるりと男の顔から落ちた。全身甘ったるいりんごの香り。無惨に散らばる野菜と果物の骸。他人事ながら、こんな世界は嫌だなと思った。

「このガキが。黙って見過ごしてやろうと思ったら……!」

 結愛は青筋を立てる男と、痺れて動けないオレの間に割って入る。

「結愛」
「にげないよ!だってゆあ、パパの子だもん!やればなんでもできるもん!」

 右手と左手に鳥のもも肉を下げて仁王立ちする小さな背中。揺れる黒髪。

 どうしたことだろう。それが広く、大きい父の背中に被って見えたのは。

 (父さんならどうしたのかな)

 父さんなら。オレの父なら。
 きっと絶対に諦めない。なんとしても守り切ろうとするだろう。

 縮まる男と結愛の距離。オレは感覚のない左手で、転がっているチャクラ刀を拾い上げ、出来うる限りの力で握り締めた。

 そして結愛を右腕で抱き寄せ、相手の左肩へ刃区まで深く突き刺す。男は驚きに目を見開いた。

「白い、牙」

 ごほっと咳き込み、吐息する。オレは言われて苦笑した。

「父さんだけどね、それは」
「クソ……」

 久々に言われたよ。

 膝から崩れ落ち、動かなくなった男。結愛はそれを静かに見つめ、オレを見上げて軽やかに笑った。

「やっぱりカカシのお兄ちゃんも、カカシのお兄ちゃんのパパみたいにぽかぽかだね」
「なんで?」
「刀抜いてないもん。息もしてる」

 正しい人工呼吸法知らない癖に、どうしてそんなことは知っているのよ。

 オレは血に濡れた手をズボンで拭いてから、その頭を撫でようとして。

「ーーーえ」

 すり抜けた。

 見ると、結愛の身体が透けている。手に持っていた鶏肉が、ぼとりぼとりと地面に落ちた。それに気付いた結愛が、自分の手のひらを見つめて目を丸くして言った。

「ゆあ、スケスケ?」
「今度は本当にスケスケ。でも、どうして急に」
「カカシのお兄ちゃん」

 結愛がこちらへ、ぐっと手を伸ばす。誘われるように地面に片膝をついて身を屈めると、口布越しに唇を寄せられた。

「結愛」
「本当に好きな人にはね、こうするんだって!パパとママが言ってたの!」

 触れることのないそれに、今は胸が締め付けられた。彼女の向こうに見える夕陽が目に滲みる。

「ゆあね、絶対にまた来るからね!もっと強くなるから!
 その時には、ゆあのお嫁さんになってください!」

 そうして笑う。
 弾けるような笑顔で。日差しのように笑った。

「カカシのお兄ちゃん、だーいすき!」
「ッ」

 堪らず伸ばした手が、その指先が。彼女の頬の軌跡を撫でるようにして空を掴む。
 オレは薄れゆく笑顔を、きつく瞼に閉じ込めた。




 その日は、抜けるような空だった。

 オレは、火影の建物の屋上。火影岩を背にして里の街並みに向いて立ち、笠の先を親指で軽く押し上げる。

「六代目、そろそろ会議のお時間です」
「はいはい」

 シカマルに呼ばれて、踵を返そうとした。その時だった。

「ーーーカカシのお兄ちゃん!」

 記憶より幾分落ち着いた、けれど澄んだ声が頭上から降ってきて思わず顔を上げた。笠が落ちたのも構わず目を凝らすと、太陽を背に一人の女性がオレに向かって、文字通り落下して来るのが見える。

 (それなのに少しも慌てていないところは、さすがと言うべきか)

 暗部、側近たちを制してオレは風遁で風を起こした。落ちるスピードを緩めてから、彼女に向かって手を伸ばす。オレの手が、腕が今度こそ、その温もりを抱き留めた。

 (ああ、大きくなったな)

 相応の重さがずしりと両腕にかかるが、そのことを言ったらまたヘソを曲げるだろうか。

 ふと。風に靡く豊かな黒髪。それを高い位置で一つに束ねる深緑のリボンが目に留まった。

「お前、そのリボン」
「えへへ、似合うでしょ!アレンジしてみたの!」
「そっか。今度は正しいアレンジだーね」
「あの、そちらはどなたですか」

 控えていたシカマルが、遠慮がちに口を挟む。オレは小首を傾げて言った。

「んー?そうね。オレのお婿さん、かな」

 眉を下げて笑うと、彼女はパッと笑顔を咲かせてオレの首に抱き着いた。
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