崩壊・再来
中期の任務が入った。
しかも今回の内容は忍犬の鼻を必要とするため、パックンを置いてはいけない。
(参ったな)
結愛は火影様に、一人で留守番出来ると言っていたが。問題は食事だ。
飢えさせるわけにはいかない。かと言って、四歳児にご飯作れとは言えないし。一日二日なら、作り置きでなんとかなるが、今回はそれを軽く越えるだろう。
「……と、いうわけで。この子、知り合いから預かってるの。オレの任務が終わるまで、見てやって欲しいんだけど」
「ああ、もちろんだ!任せろ!」
腰に手を当て、ドン!と胸を叩くのは自称・ライバルのコイツ。
「ガイだよ。暑苦しいけど、悪いやつじゃないから」
「マイト・ガイだ!よろしくな!」
これ見よがしに白い歯を見せつけて、笑いながら結愛の方へ手を差し出すガイ。
ところが。
「結愛?」
固まっている。
目をまん丸くして立ち尽くし、ポカンとガイを見上げていた。
「なんだ、カカシ。オレのことを話していないのか」
「話したよ」
任務のことは昨日の夜に話をした。
任務が長引くかもしれないこと。パックンを連れて行くこと。代わりにガイが来ること。結愛はそれをふんふん、と聞いては。
「うん!分かった!任せて!」
誰かさんと同じように腰に手を当て、ドン!と胸を叩いていた。
おかしいなと首を傾げると、ようやく結愛が動き出した。右手と右足を一緒に出してガイの前に進み、その手を掬うように握って握手する。
「ゆあです。えっと、すみません。あの、ちょっとびっくりしちゃって。……眉毛」
眉毛。
「おかっぱも」
おかっぱ。
「カカシのお兄ちゃんって、ガイのお兄ちゃんみたいな人が好みなんだね」
「それは違う」
ほぅ、と感嘆の息を零されたが誤解だ。今も昔も、コイツが勝手に付き纏って来るだけだから。
オレがゲンナリしている傍で、ガイはチッチッチッと人差し指を立てて左右に振った。
「結愛よ、オレとカカシはただの友ではない」
「そもそも友じゃないけど」
「じゃあどういう友達?」
「だから、友達じゃないってば」
「永遠のライバルさ!」
「いや、だから」
「すごい!かっこいいね!」
「はっはっは!結愛も最高に可愛いぞ!その髪型も、澄んだ空色の瞳も、な」
うわぁ、と思った。
そんな臭いセリフにウィンク飛ばすか。そもそも、それくらいで絆されるような子じゃなーーー
「カカシのお兄ちゃん!ガイのお兄ちゃんいい人だね!」
チョロかった。
「結愛、よく見ろ。相手は、おかっぱゲキ眉に下睫毛、全身緑タイツだぞ」
「カカシのお兄ちゃん、差別は良くないよ」
「お前もしてたよね」
「ゆあはびっくりしただけだもん。こんなに濃い人初めて見た」
結愛は、くるりとガイに向き直り、にぱっと笑う。
「よろしくお願いします!ガイのお兄ちゃん!」
「こちらこそ!お前のことはカカシが戻るまで、オレが絶対に守る!約束だァ!」
「うんっ!」
歯を輝かせるガイと、キラキラした笑顔で彼を見上げる結愛。
「えーっと、じゃあよろしくね」
勝手に盛り上がる二人を置いて、オレは任務へ出掛けた。
▽
とはいえ。
(どうしてるのかな、あの二人)
三週間。
思ったより長引いた。しかも、写輪眼の使い過ぎでチャクラ切れ寸前。
階段の手摺りに寄り掛かりながら、なんとか自分の住む階に辿り着く。足はもちろん、腕も重い。鍵穴に鍵を差し込むことさえ億劫に感じる。
それでも。
(結愛)
元気にしているのか。笑っているのか。ご飯は食べているのか。夜更かしせずに寝ているのか。泣きべそをかいていないのか。
(ま!あの様子なら、大丈夫だとは思うけど)
任務中。
食事の時や、見張りの時など。
ふと、空を見上げてはあの子の瞳が頭を過っては自嘲した。
(自分の子でもないのにね)
ガチャリと音がして、錠が外れた。ドアノブを下ろし、手前に引いて。家に足を踏み入れて。一歩、二歩。ノブから手を離した矢先。
ーーードサリ。
「カカシのお兄ちゃん?!」
と、まあ、見事に倒れ込んだ。辛うじて仰向けに返ると同時に、足元で家のドアが閉まる。
ベッドが軋み、結愛が駆け寄って来る足音に視線を上げると。
「お前のそれ、なに」
「う?」
変わり果てた結愛の姿があった。
「ガイのお兄ちゃんとお揃い!」
「え」
「もらったの!特注だって!」
「は」
眉を勇ましくキリリと吊り上げて、腰に手を当てる結愛は、あろうことかショッキングピンクのタイツに身を包んでいた。
「すっごく動きやすいんだよ!」
「へ、へー」
「見た目はダサいけどね」
「自覚はあるのね」
「だからね、アレンジしたの!」
くるりと回ると、見覚えのある深緑色の首巻きがふわりと舞った。あー、それオレのやつ。ほくほく顔でやけに気に入ってたから、結局あげたんだっけ。
「ゆあね、修行してたんだよ!」
「修行?」
「ガイのお兄ちゃんと修行!」
結愛は、えいやっ!と右手で見事な突きをしてみせた。
ちょっと待て。その肝心のガイのお兄ちゃんはどこに行った。オレは面倒見てやってくれって言ったんだよ。お前二号を育ててくれなんてこれっぽっちも頼んでないから。
「ところで、カカシのお兄ちゃん」
「うん」
「どうして起きないの」
「起きないんじゃなくて、起きれないの」
ぴしゃーん!と結愛の背後に雷が落ちた。
「それは大変」
「うん、大変なんだよ」
おまけに視覚もショッキングピンク(それ)だから、見てて余計にキツイ。精神的にゴリゴリ削られていく。
できれば着替えて欲しいのが心情だが。オレの気を知らない結愛は、そのまま隣にすとんと座り、ぽんと肩を叩いて言った。
「大丈夫だよ、カカシのお兄ちゃん!ゆあに任せて!」
「なにを」
「ゆあね、ガイのお兄ちゃんに教えてもらったの!やったことないけど!」
「だから、なにを」
「誰かが倒れて大変な時はね!人工呼吸するんだよ!」
「は?」
「まず、鼻を摘んで」
「まっ」
「それで息をーーー」
送られると思っていた。
ところが。
(人工呼吸って言ってたよね)
待てど待てど、肝心の空気が一向に送られて来ない。
息が、できない。
「ぷはっ!」
「は……っ」
「むうっ!」
「ぶっ」
息吸い込んだ途端に、また塞がれた。
何をしてるんだ、オレ。何やらされているんだ。
(人工呼吸っていうのは、空気を送るんだよ馬鹿。誰が手で鼻を摘んで、口で口を塞げと言った。アイツか。クソッ……!)
どうせ教えるならちゃんと教えろよ。そもそも、呼吸できる相手にしても意味ないんだって。
(このままだとオレ、死ぬな)
しかし、悲しいかな。指一本動かせない。結愛を止めようにも止められない。声をかけようにも、呼吸さえままならない。
これが報いなのか。女を泣かせて来た報いなのか。思えば、ウチに喧しく来ていた女以外にも、似たような子が何人かいた気がする。別れたくないとか言われたこともあったっけ。そもそも付き合ってた記憶もないんだけど。
顔も思い出せない女たちの声が、頭の中にガンガンと鳴り響く。呪いかな、これ。
いよいよ目の前薄れて来た。その時だった。
「お、カカシ。帰ってきてたのか!」
「ガイのお兄ちゃん!」
元凶が八百屋の袋を引っ提げて帰宅した。
「ガ、イ……お前ね……!」
「カカシのお兄ちゃん動いちゃだめ!死んじゃう!」
「ぶっ!」
息絶え絶えに文句の一つでも言ってやろうとした矢先。どういうわけか結愛から横っ面を張り手された。思ったより強い。脳が揺れた。
「結愛、そうだ!今みたいな感じだ!」
「ほんと?こんな感じ?ゆあすごい?」
「ああ、凄いぞ!よく三週間で、カカシを倒せるようになったな!」
「えへへ!ゆあ、カカシのお兄ちゃん倒しちゃ……だめぇえええー!」
もうやだ。今回完全に人選ミスった。なんでこんなヤツに頼んじゃったんだろ、オレ。
遠ざかる意識の中、次からは子どもを預ける相手は慎重に選ぼうと心に決めた。
▽
「オレはさ、面倒見といてくれって言ったのよ。あんな強烈な張り手教えろなんて一言も言ってないから」
「いやぁ、あっはっは!」
笑って誤魔化すことじゃないでしょ、全く。
気を失って目覚めたら、病院のベッドの上だった。すぴすぴ聞き慣れた寝息に首を動かして見ると、隣の補助ベッドで結愛が眠っている。
「カカシと一緒にいたい、と医者に頼み込んでてな。おとなしい子だから大丈夫だと言っておいた」
「そうか。
結果ともあれ、ありがとね。助かった」
「ああ」
どんな夢を見ているのやら。むにゃむにゃと口が動いている。と思えば、ぐぐっと眉が寄り、今度はふにゃりと笑った。
「いい子だな」
「まーね」
「よく食べるし、よく動くし、よく笑う。
ただーーー」
「何かあった?」
「うむ」
言い淀むガイの横顔が陰る。
「夜、パジャマに着替えようとしないんだ。そのままベッドに入ってしまう上、途中で起きては窓の外ばかり見ている」
「え」
そんなはずはない。
オレといる時は、きちんと着替えてベッドに入ってきて朝まで熟睡しているのに。
(そういえば)
初めて会った時も、夜中だというのに、ちゃんとワンピースを着ていたっけ。
(もしかして)
頭を過ったのは、火影室でのこと。
『大丈夫です。ゆあ、ひとりでお留守番できます』
『できるよ。パパとママ、お仕事で遅くなることたくさんあるし。帰って来られない日もあるもん』
(いつ、親が帰ってきても出迎えられるように……?)
くいっと布団を引っ張られて、我に返る。見ると、結愛が腕を伸ばしてオレの布団を掴んでいた。
(オレも、似たようなことがあったっけ)
結愛と同じぐらいの歳だったと思う。任務に出た父さんを、布団の中でずっと待っていた。空が白んでも帰って来なくて。気づかないうちに寝てしまって。目が覚めたら、太陽が燦々と降り注いでいて。
お味噌汁の香りがして、掛け布団を投げるように起きて台所に駆けたら、父さんが帰ってきていた。
「おはよう、カカシ」
嬉しくて嬉しくて。
オレが飛び付くと、父さんは困ったように笑って頭を撫でてくれたっけ。
(結愛もまだ、子どもだったな)
いくら明るい子でも。いくら笑っていても。年相応より大人びて見えても。
本当に全然寂しくないかといったら、それは違うと思うから。
「ねえ、ガイ」
「なんだ」
「最後に一つ、頼みたいんだけど」
ガイに頼んで、隣のベッドに眠る結愛を、オレの布団に入れてもらった。いつも通り右肩を枕にしてやると、結愛はびくりとして一瞬目を覚ましたが。
「おやすみ、結愛」
「おやしゅみなしゃい……」
すぅ、とそのまま眠りに入った。
頭を撫でてやろうと思ったが、やはり身体が動かず。
「早く動けるようにならないとね」
「ほう。カカシの口からそんな言葉が聞ける日が来るとはな」
ほんとに、ね。
カラカラと笑うガイに対し、オレは苦笑して肩を竦めた。