ポニーとクラウドの攻防


 あるお城に、ものぐさ男が住んでおりました。男は窓から空を見て、夢を食べながら生きています。

「いつかは城の外に出てみたいものだ」

 ところが男は大変ものぐさで、指一本動かしません。外に出ることは愚か、一人立って歩くことすらしないのです。

 今日ももぐもぐ。明日ももぐもぐ。

 夢を食べながら過ごしているうちに、夢はどこかへ消えてしまいました。
 男は窓の外を眺めるだけの、ただのものぐさになってしまったのです。

 その日も男は、夜更けにぼうっと空を見上げておりました。

 そんな男の後ろに一人の青年が降り立ちました。
 男は驚き目を丸くしました。
 まるで夜空の月が降りてきたものと思ったからです。

 それから月のような青年は、男を城の外へと連れて行ってくれました。
 
 窓から出て。風に乗って。
 男の胸には、食べてなくなったと思っていたあの頃の夢が蘇ってきました。

 ところがその青年は、男を城下町の外れへ下ろしたら、忽然と姿を消してしまったのです。




「それで、着る物も食べる物も住むところもなかった男が、うどん屋の天女様に拾われてうどんを打って暮らしているうちに、天女様と結婚して子どもができて幸せに暮らすんでしょー」
「おお、覚えたのか。偉いねえ」

 厨房で鍋の中のつゆをかき混ぜながら、反対の手で腰の位置にある愛娘の頭を撫でてやると手を払われてしまった。

「お父さんの話全然面白くないんだもん。嫌でも覚える」
「普通逆じゃないのかい」
「ツッコミどころが多過ぎるのよ。
 男はなんで城でダラダラしてたの。青年はどこに行ったの。うどん屋の天女様って何よ。なんで天女様がうどん屋なんかやってんのよ」
「さあて、なぜだろうねえ」
「もうっ!」

 頬を膨らませては、子供扱いばっかりして!とぷりぷり怒りながら厨房を出て行った。

「そろばん行ってきます!」
「はいはい、いってらっしゃい」

 律儀に飛んできた挨拶を返したら、入れ替わりにバタバタと忙しい足音が帰ってきた。

「ただいま!ごめん!お塩忘れた!」

 息を整えるより早く厨房に顔を覗かせたのは、買い出しに出ていた妻だった。

「おかえり。おつゆ足しておいたよ。
 お塩は私が行って買って来ようか」
「ありがとう六夜!愛してる!」
「私もだ」

 冷たい水を入れたコップを渡すと、うどん屋の天女様はそれをぐいと飲み干して笑った。




 六年前のあの日。
 火に包まれた城から逃げ出し、月のような青年の背を見送った後。

 (慣れないことはするもんじゃあないねえ)

 風邪でも引いたか、寒気がして頭が痛い。どうにも身体が重く動けなかった。日が一度か二度と沈んだように思う。

「もしもーし?生きてます?大丈夫?
 あ、生きてる。ちょっと待ってね。よっこいしょ。じゃあ行こうか」

 私は妻に、文字通り拾われた。
 彼女は買い出しに街に出ていたらしい。荷台に積んだ荷物を自分で背負い、空になったそこに私を乗せては店へ連れて帰った。

 やはり風邪だった。
 看病してもらった恩を返そうと店の手伝いをしていると、彼女の父親が言った。

「うどん、打ってみないか」

 そこでうどんの打ち方を教えてもらい、生まれて初めて働いた。
 底抜けに明るい妻の人柄に惹かれ結婚し、娘を授かった。

 仕事があって。
 腹一杯に飲むもの食べるものがあって。
 雨風凌げる家があって。
 笑い合える家族がいる。

 (これを、幸せと呼ぶのだろう)
 
 塩を買うため店を出て、短冊街へと向かう。
 人を避けながら歩いていると、街を象徴する城の前に出てふと足を止めた。

 (月のようなあの青年はどうしているのだろうなあ)

 風に誘われて前を向くと、賑やかな子どもたちとすれ違う。大きな鞄を背負った、木ノ葉の額当てをした三人組。

 (やんちゃ盛りか)

 引率の教師も大変だなあと彼らを目で追ってから顔を上げると、向こうに陽の光を浴びた銀色の月が佇んでいた。

「カカシ先生ー!早くぅー!」

 子どもたちの声に催促され、こちらへ歩いてくる。

 (カカシ、というのか)

 人の流れの中で、私も歩を進めた。
 ところが、彼は私に気付く様子はなく。

 (体重も増えて、身体も頑丈になった。後ろ髪は切ったし、皺も増えた。今は歳相応に見えるだろうからねえ)

 そういう彼は少し背が伸びただろうか。
 苦労しているのか、歳の割には猫背気味で。
 
 (今から目頭に皺があってどうするんだい)

 懐かしさが胸を掠める。
 話したいことはいくつもあったが、伝えたいことはひとつだけだった。

「ーーーありがとね、カカシちゃん」
「っ!?」

 擦れ違い様に、風に乗せた言葉。
 息を呑むのが伝わってきたが、振り返ることはしなかった。

「さあて、お塩はどれくらい買って行こうかねえ」

 はみ出した風が、私の背をそっと押した。
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