なんにせよちぐはぐだ
大蛇丸による木ノ葉崩し、サスケの里抜けから二年半が経過し、ナルトが自来也様との修行から帰還した。
オレはその後の風影奪還時に万華鏡写輪眼を使用した反動で、木ノ葉の里に戻ってからも入院生活を余儀なくされていた。
(よりにもよって、こんな時に)
大蛇丸との接触まであと二日。
テンゾウに班を預けたことに不安はないが、肝心な時に動けないもどかしさが胸中に残る。
五代目、自来也様、テンゾウ、シズネが集まった時の会話を反芻しながら、オレは巻物を読んでいた。
「カカシ、昼の回診だ。入るぞーーーって、お前な。一週間は絶対安静だって言ったろ」
「いやー、そうも言ってられないでしょ」
五代目から俺の主治医を命じられたチヒロは、あからさまに顔を顰めて言った。
「お前がこの二年半、任務の合間縫って、努力してきたことは知ってるよ。以前みたいに写輪眼のチャクラ切れで運ばれてくることもほぼなくなった。
でも万華鏡写輪眼ってのは、通常の術者もそうホイホイ使えない代物なんだろ。こっちからすれば、ほんとは二週間入れときたいくらいなんだ。俺だって五代目から指南受けてるものの、これ以上酷いと」
「ま!オレの主治医は優秀だから心配なーいよ」
にこりと笑ってみせると、チヒロは開いていた口を噤んで深く嘆息した。
「ベッドの上で、ナルトの修行法考えてるんじゃ世話ないな」
肩を竦めて、オレのベットの脇に立つ。オレは、巻物を巻いて枕元に戻した。
チヒロの診察を受ける間は、基本手持ち無沙汰だ。触診され、体調の変化を聞かれて答える。後は白い天井を見つめるだけ。
「よし。今夜変化なければ、明日から食事戻すか」
「ナスの味噌汁が飲みたい」
「当院では食事のリクエストは受け付けておりません」
カルテを書き込みながら、「最終日に魚の塩焼きくらいは差し入れてやるから文句言うな」と宥められたので、サンマがいいと返したら季節じゃないと一蹴された。
「じゃあ川魚」
「釣って来いってか」
「釣竿ならお前の家に置きっぱだから使っていーよ」
「いーよ、じゃねーよ。退院したら即持ち帰れ。人んちなんだと思ってんだ」
オレの頭をカルテのファイルが掠り、スパンッと小気味いい音がした。
家ではワタ抜かれてぺしゃんこに伸びたイカみたいになってる癖に、病院ではやけに口が立つな。仮にもオレ、病人なんだけど。
「もう少し優しくできないの」
「お前に優しくする暇があったら三十代の魅力を磨いて、イケてるおじさんとして女性の人気を博してやるわ」
呆れた。
彼女断ちして三年。よく続いているなと思っていたが、未だ女を諦めていないようだ。虎視眈々と仕様もないことを考えている。
「自分で言ってる時点で台無しだってことに気付けよ。
仮にオレが世帯持ったとして、命預けてるヤツが女に刺されでもしたら笑えないでしょ。オレも死ぬんだぞ」
「なんでお前が結婚出来て、俺は結婚するどころか刺されている設定なのか甚だ疑問なんだが」
チヒロは携帯用の筆のキャップを閉めて、白衣の胸ポケットに挿した。
「お互い家庭持つくらいになったら流石に、な」
ドクリ、と。続けられた言葉にオレの心臓が嫌な音を立てる。
「流石に、ってなに」
短く吐き出した声が、いつもより低く、震えた気がした。
真意を探ろうとするオレの視線はするりと躱された。代わりに彼が寄越したのは、貼り付けたような笑顔だった。
「お前にはお前の人生があるだろ」
一線を画すような言い方に引っ掛かりを覚えた。
「何もなかったあの頃みたいじゃない。お前には、仲間も部下たちもいる。守りたいと思う、大切なものがこれからももっと増えるはずだ」
なんでそんなことを言うんだ。
「だからもう、返すよ」
頼んでないよそんなこと。
「自分の命は自分で持ってろ」
「ーーー断る」
オレはチヒロの申し出を一刀両断に切り捨てた。
「オレの命はお前のもの。お前の命がオレのものだと、言い出したのはチヒロだろ。それを今更」
「そうだ。今更だ。だから、解かなきゃ。周りの人のためにも。俺の命なんて持ってても邪魔になるだけだ。必要なんてな」
「必要ないかどうかを、お前だけで決めるなよ……!」
ーーーオレとお前の命だろ。
そう続けると、彼はぐっと言葉を詰まらせた。唇を噛んで、眉を顰めて。それでもなお、ヘタクソな笑顔を剥がそうとしない彼に苛立ちを覚えた。
言い募ろうとしたが、
「ま!返さないし、受け取らないけどな」
既のところで軽口に変えた。
「……え」
「一度貰ったものは返さない。あげたものは受け取らない主義だから、オレ」
「返品不可なの。残念でした」と眼を細めてみせると、チヒロの瞳が動揺に揺れる。
「いや、だって俺はお前を自由に」
「だーから、頼んでないよ」
一言も頼んでいない。
「オレがどれだけ死にそうなって、絶望しても腐らずここまで来られたのは、オレが持っているのがオレの命じゃなくてお前の命だったからだ」
どれだけ仲間の死や裏切りを見ようとも。
どれだけの死線を潜ろうとも。
どれだけ後悔しようとも。
「死ねないと思った」
チヒロを殺すわけにはいかない。
オレの命を。
「お前の存在が、オレを『死(向こう)』じゃなく『生(こっち)』に繋ぎ止めてくれたんだよ」
腕の中に抱き込めば確かめることができた。
チヒロの鼓動と体温に。オレ自身が生きていることを感じられた。
そうして生きて来たから、ナルトたちにも会えた。ずっと気にかけてくれていた仲間たちにも気付くことができた。
今(未来)を見ることが叶った。
「誰がなんと言おうと、これだけは変わらない」
これからも変わることはない。
ようやく剥がれた仮面の裏は、泣きたいのに泣けない子どものように苦しげに歪んでいた。
「カカシ、ーーー」
「のはら先生ー!午後の外来お願いしまーす!」
「!今行く!」
薄く開いた口から漏れたチヒロの声は、病室のドアの向こうから響く声に掻き消された。
彼は白衣を翻して、ドアノブに手をかける。肩越しにこちらを一瞥し「また夕方、回診来るから」と、取り急ぎ繋ぎ合わせたような不恰好な仮面を被って病室を後にした。
誰も居なくなった白い部屋で、オレは天井を仰いだ。
(勝手に思い込んでいた)
チヒロは。チヒロだけは、なんだかんだ言いながらこの先も側にいるものだと思っていた。
チヒロにとってオレは、妹のチームメイトに過ぎない。例の約束のゆえにこれまでは一緒にいたけれど、これから先もオレと一緒にいる保証なんてどこにもない。
気づいてしまえば、抱えきれない寂寥感に襲われた。
(それでも)
二人で家でのんべんだらりとして。
草臥れながら帰ってきたチヒロにオレが手を焼いて。
オレが何も言いたくない時は、チヒロが黙って汲み取って受け入れてくれる。
この関係が心地よかった。
『だって俺はお前を自由に』
束縛されているなんて思っていない。
始めこそ、こじつけた様な約束をなぞりながら歩んでいた。でも今は、
『お前何やってる!』
『今まで悪かった』
『構わねーよ』
『ありがとうな』
逆だ。
オレの意志で側にいる。
ナルトでサスケでも、サクラでもない。アスマや紅、ガイとも違う。
「オレはお前と在りたい」
だから、年甲斐もなく縋りついた。
「いつからこんな臆病になったのかな、オレは」
それでもなお、アイツが離れようとしたらどうしたらいいだろう。
気を紛らわせようと巻物を開くが、文字の一つも頭に入って来やしない。
「……くそっ」
不確かな繋がりが。
子供のような口約束だと嗤ったものでしかチヒロを繋ぎ止めておけないことが、今はどうしようもなく悔しかった。