それしか手はないよね
一日続いた戦いの末、マダラが兄者の手を取った。
「もういい……お前の腑は……見えた」
一族が劣勢になってからも。
休戦協定の書状を送った時も、応じようとしなかった男が、初めて千手と手を結ぶ決断を下したのだ。
(信用ならんのには、変わりないがな)
己が死ぬか、弟を殺すか。
千手の長である兄者にそう迫った男を、どうあって信用しろというのか。
「よォし!そうと決まれば、早速里づくりぞ!」
「その前に協定だ」
これまでの戦の疲れはどこへやら。感無量とばかりに拳を握り、嬉しそうに歯を見せる兄。無論、マダラに抱く疑心など小指の先程もなく。
((これぞ兄者(柱間様)だな))
オレは嘆息し、マダラの言葉に張り詰めていた千手の者たちでさえ、長のその姿に肩の力を抜いて苦笑を漏らす。
兄者がマダラに肩を貸した。
「柱間、ひとつ頼まれてくれるか」
「!マダラ、お前まだ何か」
「扉間」
兄に嗜まれ、ぐっと言葉を呑んだ。マダラはこちらを一瞥し、口を開く。
「ここから二時の方向。檜の大木の隣に小屋がある。そこに、一人の男がいる」
「うちはの者か」
「そうだ。迎えに行ってやってくれねーか。戦は終わった。小屋を片して、こちらへ来るようにと」
「うむ。そういうことならば、扉間よ。お前が行ってこい」
「は、なぜオレが」
「オレが行けば、お前はまたいらぬ気を揉む。連れてくるだけであれば、扉間でも不足はないはずだ。
異論はあるか、マダラ」
マダラは暫しの間オレを見つめ黙考していたが、やがて首を横に振った。
「いや、ない」
「くれぐれも相手を恐がらせるでないぞ、扉間」
「弟の心配より、他人の心配か兄者」
「マダラがオレに頼むということは、お前に愛想がないからだろう。改善する良い機会ぞ」
「余計な世話だ」
オレは身の丈の巻物を隣の者に託し、二時の方向へ地を蹴った。
▽
檜の大木。
その影に隠れるように、ひっそりと小屋が建っていた。
中から、うちはのチャクラが感知できる。そして。
(向こうも警戒しているな)
オレのチャクラを感知したらしい相手側が、チャクラを練ったのが分かる。オレはいつでも向かい打てるように構えてから戸を叩いた。
「千手扉間だ。千手柱間、うちはマダラの遣いとして参った」
戸が開く。
金属音が響き渡り、刀と刀が交差した。互いに押し合い均衡する。
「名は」
「うちはコハク」
短く名乗った彼。その両目は三つ巴の写輪眼を発動している。
(厄介な)
舌打ちをして、押し返す。このもてなしをマダラが予測していなかったはずがない。嵌められたか。
距離を取り、刀を構え直して向き合うと。
「げほっ、ごほっ……!」
「!?」
突如、目の前の男が、咳き込みながら膝を折った。左手で胸を押さえ、刀を持つ手を地につく。
苦しげに吐息を漏らす。こちらを油断させるフリかと疑ったが。眉を顰め、額に脂汗を浮かべる様子はどうにもそうは思えなかった。
オレは刀を腰に差し、男の前に片膝をつく。
それを見計らったのように彼は刀を握り、こちらへ突き刺そうとしてきたが。
「やめておけ。今のお前の力では、オレを刺すことはできない」
オレは柄を握る手首を取り、阻止した。
唇を噛み、悔しげにこちらを睨み上げる瞳の色は、赤から漆黒へと戻っている。
「仕留めるならば、最初の一撃で決めるべきだったな」
「ええ、そのようで……げほっ!」
咳き込み、丸まる背中に手を置いた。
チャクラの流れに乱れはない。術ではないとすると。
「持病か。薬は」
「机に……」
オレは男の身体を起こした。膝の下に手を入れて横抱きにし、思わず瞠目する。
(軽い)
歳はオレより五つは下だろうが。それにしても軽過ぎる。細い肩。苦しそうに上下する薄い胸。華奢と表現するには、あまりに不健康な身体つきだった。
白いと思っていた肌も、近くで見下ろすと青白くも見える。
開いた戸を潜ると、向かいに木のベッドがあり、右手に二段の棚が備え付けられた机があった。
オレはコハクと名乗った彼をベッドに横たえ、机に向かう。見ると、ゆらりと細く湯気立つ薬缶、空の湯呑み。それに二種類の薬草が器に分けて置いてある。
(これは、確か。よもぎとおおばこ)
鎮咳・去痰の効果のある生薬。お茶として煎じて飲むと、咳と痰に効くと聞いたことがある。
オレは薬缶を傾け湯呑みに注ぎ、それをコハクの元へ持っていく。彼は薄く目を開け、ベットに手をつき、ぐっと身体を起こした。
「すみません」
「いい」
ベッドの端に腰掛け、その手に湯呑みを持たせてやると、彼は幾分冷めたそれを一口、また一口と嚥下する。
湯呑みを空にしたところで、コハクが深く息を吐いた。頬には僅かに赤みが差し、少しばかり血色が良くなったように思う。
薬缶にお湯が入っていたところを見ると、オレが戸を叩いた時、丁度薬茶を飲もうとしていたのかもしれない。
彼は湯呑みを枕元に置き、オレに向き直って頭を下げた。
「先程は失礼致しました」
「構わん。この時世、あれくらいの対応は普通だろう」
逆に疑ってかからない人間の方がおかしいのだ。オレは豪快な笑顔を晒す兄を、頭から叩き出して言った。
「『戦は終わった。小屋を片して、こちらへ来るように』。マダラからの伝言だ」
「畏まりました」
コハクは腰を上げて机の棚から、薬草を種類ごとに小さな麻袋に詰めた。
薬缶と湯呑みを洗い、布巾で拭いた。そしてそれらを麻袋と共に、さらに大きめの肩紐がついた袋に詰め、口を縛ってからこちらを振り返る。
「参りましょう」
「もう良いのか」
「僕が生きるために必要な荷物など、この程度です」
コハクと共に小屋を出る。
オレは彼が持ち上げようとした麻袋を攫い、自分の肩に掛けて歩き出した。
「あの……!」
「道中倒れられたらかなわん。自分の身だけもしっかり持って歩け」
慌てて追って来た声にそう返すと、一瞬息を呑むのが伝わる。そして彼は、小さく笑った。
「扉間。君は優しい人ですね」
「なに……?」
つい眉間に皺が寄った。
オレの機嫌を取ろうとしているのか。否、肩越しに振り返って見える笑顔は、儚くとも繕ったものではなかった。
それどころかオレと目が合っては、どこか嬉しそうに口元を緩める。
「ああ、無自覚でしたか」
「オレがいつお前に優しくした」
「人は、その人より弱い立場の人間を前にした時に、本当の自分が出てくると言います。
君は僕を殺すことができたにも関わらず、ベッドに運んでくれました。それから薬を注いで。今も荷物を持ってくれている」
「兄に頼まれたからだ」
「だとしても。僕は君のその優しさが嬉しい」
胸に手を当て、噛み締めるように微笑んだ。オレはその笑みを一瞥して言った。
「……何が目的だ」
「目的?」
「マダラと謀り、オレに付け入ろうというならば無駄だぞ。それくらいで絆されはせん」
彼は一瞬目を見開く。そして考えるように顎に手を当てた。
「目的、とは違います。ただ、過去に耽っていただけです」
「耽る?」
「僕も戦場に送られたことがあります」
身体が弱いからと、女子どもと共に後方支援をしながら過ごしていた。だが戦況が悪化するにつれて、年長であるコハクも戦に出ることになった。
「しかし、情けないことに身体が保たず。ご覧になった通りーーー」
「倒れたか」
無言の肯定。
「息があると気付いた相手から刀を振り下ろそうになった時は、目を閉じ自らの死を覚悟しました」
ところが来ると思った痛みは来ない。
「目を開けてみると、大きな背中に守られていました。それがマダラさんでした」
帰還後、一族からは責められたらしい。
無理もない。役に立たないどころか、長の手を煩わせたのだから。
「ですが、逆にその長がお怒りになってしまいまして」
「マダラがか」
「弟であるイズナさん。彼を亡くしたタイミングだったというのも関係していたのでしょう」
戦えぬとわかっている者を前線に出すのは何事かと。
かつて、子どもを前線に出していた大人たちと何が違うのかと。一族にある、それぞれに与えられた役割を果たせば良い。そう言って。
「彼は、僕を煙たがりませんでした。
肩身の狭くなった僕を匿い、身体が弱いことを責めもせず、前線に出られぬことを咎めもしなかった」
それどころか、うちは一族の者が次々投降し、千手へ亡命する中でマダラに問われた。
「『戦禍はますます激しくなる。お前も、千手へ行きたければ行け』と」
「それで」
「今に至ります」
断ったと、いうことか。
『長であるお前をやれば……、お前をしたう若いうちはの者がまた暴れ出す』
マダラ本人が打ち消した兄の言葉が頭を過る。
千手であれ、うちはであれ。
過去に子どもたちが戦に出ていた頃。兄弟家族を亡くした者は多く、その風習を忌み嫌う者も少なくない。
そして兄者とマダラがそれぞれ長になったことで、その習わしが改善されたというのもまた事実だった。
(無視できたものでもないな)
兄者の見立ては、正しいかもしれない。
考えながら歩いていたからだろう。
いつの間にか落ちたオレの歩調と、コハクの歩みとが並んだ。
「君のその眼は警戒し疑いことすれ、蔑みはしない」
「だから優しいと。薄い根拠だな」
「難儀な性格ですね」
「うちはの瞳力は憎しみの強い者ほど強く現れると聞く。お前たちはいつ何時、何をしでかすかも分からぬ」
吐き捨てるように突き放すと、コハクはこちらを見上げては、穏やかに微笑んで言った。
「なら、お見せしましょうか。そうではないうちはもいるということを」
「は……」
「そうしたら、君の眉間の皺も少しは解れるでしょう」
「余計な世話だ。お前はお前の心配をしていろ、コハク」
「フフ。そういうところですよ、扉間」
イカつい顔の人は皆そうなのかなぁ、と呟く声は聞かなかったフリをした。