憎むのは絆
四代目風影が、兄さんが大蛇丸により殺害された。
背には歴代風影の像が聳え立つ、上役たちの集う席で。里へ帰還するバキが道中寄越した文書を聞いたオレは、左手で目元を覆い、ギリリと奥歯を噛んだ。
(だから早まるなと言ったのに……!)
肘置きを握る右手に力が入る。
しかし、重い空気が立ち込めるのも構わず、円卓の向こうで狸のようにデカイ腹の上役が、机を叩き意気揚々と立ち上がり言った。
「今こそ好機だ!火影不在の里など恐るに足らず!」
「いいや、停戦だ」
「羅果、貴様ーーー」
「木ノ葉に全面的な謝罪を申し入れるべきだ」
即座に切って入ったオレが気に入らなかったのだろう。立ち上がった上役は、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見下ろす。
「フン、政治一つ知らん若造が。忍でもない。これまで会議に出る間も無く、兄の羽の下で安穏と商売ばかりしておった人間に忍の情勢の何が分かる」
「おい、言い過ぎだぞ」
隣の男が嗜めると、彼は大袈裟に両腕を広げて続けた。
「昔から目に余っておったのだ。兄が風影であることをいいことに、商談だと銘打って各国好き勝手飛び回る。どうせ遊んでおったのだろうて」
呆れた。どの口が言ってんだか。公務の最中、悠々自適に遊んでたのはテメェの方だろうがクソ狸。こっちは、着物や小物卸してる、風の国の某大名領地のお茶屋からクレーム預かってんだよ。娘息子いる身で芸妓の尻追っかけてるボンクラ親父が。主人に話して出禁にさせてやろうか。
言い返してやりたいのも山々だが、こうも棚に上げられると最早失笑ものだった。
俺は椅子に座り直し、深く嘆息して言った。
「流石は上役様。情勢をよくご存じであらせられる貴公は、たった一つの里で四大国を敵に回しても快勝されるおつもりらしい」
「なに……?」
「約束事の一つすら守れない里を、どこの誰が信用して物資や武器を援助するってんだ」
人ってのは不思議なもので。してもらったことは忘れても、されたことは忘れない。
戦争は一国では勝てない。だから、各国同盟を結ぶ。その同盟国を裏切ったことのある里に、どこの国が、里が手を伸べるというのだろう。
仮に伸ばす者がいたとして。
それは根っからの善人か。根っからの悪人だ。碌なもんじゃあない。
「今は武力だけの時代じゃねェ。避けられる争いは避ける。平和という名の停戦という環境下で。それこそ、いつ来るやしれん『本当に避けられない戦争』を前に、いかに多くの国の信用を得て自国の地固めをするか。その準備期間なんだよ」
「信用で国を守れると思うのか!」
「ギリギリまでそれをすンのが、政を担うテメェらの仕事だろーが!」
「「!」」
「ンなに戦争してェならテメェらだけでやれ。民の命まで死に晒してんじゃねーよ……!」
争いたけりゃ勝手にやってろ。
戦争なんざ、望む連中だけでやればいい。
そんなもンがあるから、加瑠羅は命を落とした。我愛羅は人柱力となった。夜叉丸は死んだ。兄さんだってーーー
『オレは里を守る』
『我愛羅を殺すように命令した』
『オレは風影だ』
追い詰められていった。
しん、と静まり返る部屋にノックが響く。
扉に一番近い者が「入れ」と声を掛けた。
「ーーーただいま戻りました」
バキだった。
部下二人を従え、部屋へと踏み入る。
(これ以上この場にいたところで時間の無駄だな)
上役お得意の「では、報告を」から始まる、事実確認という名のくだくだとした無駄時間の気配を察し、俺は一番に口火を切った。
「バキィ、ひとつだけ確認する」
「なんだ」
「お前は四代目に一番近かった。大蛇丸、あるいはその部下ともやり取りをしたはずだ」
「そうだ」
「大蛇丸が四代目風影を殺害し、あまつさえ三代目火影を殺すことを『知っていた』のか」
その問いに、バキはじっと俺を見つめた。
俺もまた、黙って彼を見据える。
バキは低く、だが確かに答えて言った。
「いいや、知らなかった」
「聞いた通りだ、貴公ら。
砂の里は大蛇丸に『惑わされ』『騙されて』いた。このような事態となり、慚愧の至りである。砂の里は木ノ葉の里に全面降伏し、和解を申し入れる」
「勝手なことを!」
「勝手ではない」
俺は手のひら天井へ向け、砂を集めた。砂は渦巻くように集まり、十秒も経たず眼球を形作る。それは宙へと浮遊し、今や懐かしい声を響かせる。
『羅果。お前はこれからも、お前のするべきことをしろ』
それは紛うことなき兄・四代目風影の声。
あの夜の言葉だった。
「これは四代目の遺志だ。俺は、俺のやるべきことをやる」
録音を唖然と聞いていた上役たちを置いて、俺は席を立った。
「バキ。突っ立ってる暇があンなら、最速のタカを手配しろ」
「どうする気だ」
「聞いただろ。さっきの要件を木ノ葉へ送る。三代目火影が不在であるならば、窓口は相談役。コハル殿、並びにホムラ殿とは面識がある。チヨ様に報告だけして、即刻飛ばすぞ」
いくらボケたフリしている老人でも、一応は里の相談役だ。無視するわけにもいかない。同盟なんぞと一蹴するババァだが、言わないは言わないで後で揖斐られる気がする。
(ついでに弟のエビゾウ様の耳にも入れとくか。どうせ今日も釣り場にいるだろ)
それに、万一の保険にもなる。
流石、年の功には勝てない。俺さえも足元に及ばん。顔の広さでいえば、里内において彼らに敵う者はいないからな。
ドアノブに手を掛け部屋を出ようとすると、不意に一人の上役から静止がかかる。
俺が振り返ると、彼は腕を組み背凭れに背中を預けて言った。
「ワシもひとつだけ問おう」
「どうぞ」
「もしお前のしたことが、逆に里に害を及ぼしたら如何とする」
静かな瞳だった。だが、同時に鋭くもある。俺はノブから手を離し、彼に向き直った。
「俺は自分の命が価値あるもンだと思ってる」
それは「命は尊いんだよ」とか、「大切なものなんだよ」とか、ガキに教えるような、道徳的な意味ではない。
俺は磁遁で金を生み出すことができる。
それこそ、無計画にじゃんじゃん作りゃあ、五大国分合算した国家予算を稼ぐことだって可能だ。
そうした存在の故に、『価値がある』と認識している。
だが。
「くれてやるよ、この命」
腹切れというならば切ろう。
首が欲しいなら差し出さそう。
守れと言うならば、身を挺してでも守り抜こう。
兄さんが守り、加瑠羅が愛し、夜叉丸が身を捧げたこの里を。
「それで守れンなら、くれてやる」
「守れなかったら」
「守れる」
「根拠は」
「俺ァ腐っても商人だ。年中カネのこと考えて、損得天秤に掛けてる。イケると思った勝負しかしねェよ。生憎、無駄に使う時間なんざ持ち合わせちゃいないからな」
余程のことがない限り、木ノ葉は謝罪を受け入れる。
頭下げている相手に刀突きつけるのも体裁悪いし。何より、影不在の影響は大きい。相当数の忍も失っただろう。
(それは砂(こっち)も同じだが)
里の復興。
今はそちらに力を注ぎたいと考えるはずだ。
俺は円卓を見渡した。
他に質問が出ないことを確認し、踵を返す。バキを引き連れ、会議室を後にした。
▽
それからというもの。まるで目紛しく日々が過ぎて行った。
「羅果、お前を五代目風影に推すことにした」
「断る」
木ノ葉が謝罪を受けて入れてくれたのを機に、コロリと態度変えた上役どもが揃いも揃って宣った。
「議会の総意だぞ」
「断るっつったろーが」
上は、大名、上役、相談役。
下は、暗部、上忍、他忍。
外部には、他国他里の大名から忍まで。
(誰が好き好んであんな身動き取れない席に座るかよ)
あちこちの顔色見ながら調整入れる仕事なんざやっていられない。カネ数える方がずっと楽しい。
「俺は中間管理職なんざ御免だ。他当たってくれ」
「風影を中間管理職呼ばわりするのはお前くらいだぞ」
バキが呆れ顔でこちらを見てくるが、俺はフン、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「ちなみに、チヨバア様からの許可は取ってある」
「な、ンだと?」
あンのクソババア……ッ!余計なことを……!
(は……、まさか)
木ノ葉に謝罪を申し入れる旨を伝えた時だった。いつものように死んだフリするかと思いきや、あのババァはくるりとこちらを振り向いて言った。
『ひとつ貸しじゃぞ』
こちらが保険と考えていたことを見抜いたのだろう。致し方ないと渋々首を縦に振った俺の判断ミスだったクソッタレが……!
「後は大名の許可が降りれば」
「ーーー代理だ」
「なに?」
「新しい風影が決まるまでの繋ぎとして、代理なら引き受けてやるよ」
「羅果、お前な……」
「そんなに言うなら、お前がやれバキ。俺はこれ以上は譲れん」
俺は器じゃない。
本当に風影になりたいのであれば、既になっていた。本気でやり合って、兄を負かせたことだってある。兄さんを押し退けて、俺自身がなっていたさ。
だが。
『オレは里を守る』
あの気持ちの強さには勝てなかった。
俺にはあそこまで強い想いはなかった。それを見抜いていたから、三代目風影ーーーお師さんも俺ではなく、兄を四代目風影に指名したんだ。
『羅果。お前は、お前のやりたいことをやれ』
そう言って。
(まァ、確かに戦うよりも造る方が好きだったしな)
この道選んだことを、後悔はしていない。
皆を引き連れ先陣切るより、我が道行く方が性に合ってる。
「風影には、『なるべき人間』がなるべきだ」
俺が言葉通り、引き受ける気がないことが伝わったのだろう。
上役たちは互いに顔を見合わせ頷き、こちらを向いた。
「いいだろう、ではそのように」
かくして。
五代目風影が決まるまで、俺は風影代理として務めることと相なった。
「ーーーっとに、とんでもねーよ。どうなってんだよ、風影って。名ばかりで、やってんのはほぼ雑務じゃねーか。机に座って書類の山に埋もれながらハンコ押して、部下からの報告受けて。そこまではまだいい。
だが、なンだ。大名や上役から呼び出されて無駄話ばかり聞かされンの、なんなンだよ、アレ。テメェがどこの折り菓子が好きなのかとか、どうでもいい。会議してる暇があンなら、さっさと動け。暇か。暇なのか、アイツら。テメェが暇だからあんなに人呼び出すんだよな、クッソが……!」
「口が悪いよ」と苦笑する夜叉丸の声が、風に乗って聞こえてきたようか気がするが、知ったこっちゃあない。
日々の職務の傍らで、これまで通りの仕事をこなす。正直、最初の半年は過労死するかと思った。
(かと言って休んだら発注が減るし)
いざ復帰した時に、仕事がありませんでしたじゃ洒落にならんからな。
俺は兄の墓の前で腕を組み、深く嘆息して言った。
「こんなことよく何年もやってたな、兄さん……」
俺なんて、一日で逃げ出したくなったわ。
風影にならなくて良かったと。心の底からそう思う。
今日は里から砂漠へ吹く風が強い。
顔を上げると足元から舞う砂と共に、遠い歓声が耳へと届いた。
(ああ、時間か)
風影の就任式が始まったのだと分かった。
「あのな、兄さん。実はな、我愛羅が風影になったんだ」
木ノ葉襲撃後。
里へ帰還した我愛羅は、自ら正規部隊へと籍を移した。
里の者たちから恐れられていることは、自分が一番よく知っていただろう。だが、アイツは言った。
『オレはいつか、誰もに必要とされる存在になりたい。この里に繋がり、生きるために』
風影になりたい、と。
自らの口でそう言ったんだ。
「しかも、なったはなったで俺に相談役やれって言うんだぜ。勘弁してくれ。ったく……」
ようやく清々して自分の席に戻れると思ったのに。
『ララはいつだって、オレ自身を見て話してくれた。オレから目を逸らさないでいてくれた。感謝する。ありがとう、ララ』
だからこれからも、オレのことを隣で見ていて欲しい。
そう言われた。
(なにが「だから」なのかさっぱり理解出来ないが)
真っ直ぐな、澄んだ瞳。加瑠羅と夜叉丸に似たその眼で見上げられては、断りようがなかった。
「どうしたら、あんな深い人間になるんだろうな」
いい子なんてもんじゃない。
お前を許せない、なんて言った相手に「感謝する」なんざ普通なら言えるかよ。
「一体誰に似たのやら。兄さんと俺じゃないことだけは確かだ。なあ?」
「ーーーオジキ!」
呼ばれて振り返ると、カンクロウが向こうからこちらへ大きく手招きして言った。
「やっと見つけたぜ!」
「なンだ、騒々しい」
「テマリに頼まれてんじゃん!どうせ、慰霊碑か墓の前でジメジメしてるだろうから連れて来いって!」
「アイツな……」
「早く来いよ、オジキ!オレまで我愛羅の就任式見逃しちまう!」
「らしいから、そろそろ行く」
ったく、姪と甥が三人もいると喧しいったらありゃあしない。
「今度こそちゃんと見守ってやれよ、兄さん。これからは里長としてじゃなく、ーーー父親として、な」
「オジキー!」
「行くっつってんだろーが、黙ってろ!」
俺は労わるよう墓石に手を置き、その場を後にした。
『私、大きくなったら砂のお城に住みたいなあ』
君が見ていた夢。
その言葉の意味が、今なら分かる。
俺は決して崩れない城を建てたかった。
金(きん)だけで作った、俺の理想だけが詰まった城を建てたかった。
でも、出来なかった。
立てようと思ったら崩れて。
崩れたから、また建てて。
そして崩れる。
繰り返していくうちに、金は次第に小さくなり。
色んなものが混ざって砂になってしまった。
こんなもの、俺の建てたかった城ではないと。
嫌になった時もある。
放棄したくなった時だって。
それでも性懲りなく、また振り返った。
そうして砂を寄せ集めるようにして建てた今の城は、金の城よりずっと脆くて。ずっと不恰好だけれど。
『仕方ないから、オジキの老後は私が面倒見てやるよ』
『早く来いよ、オジキ!』
『ありがとう、ララ』
案外、悪くないような気がしたんだ。
『羅果にも分かる日が来るわ。きっとね』
「ああ、俺も。今はそう思うよ、加瑠羅」
見上げた空は、向こうまでからりと晴れ渡っていた。