愛おしくて愚かな人
嬉しくないかな。
数年ぶりに見た甥は、
「近付いたら殺す」
絶賛反抗期を迎えていた。
▽
『今夜、我愛羅をそちらの家に送る』
その言葉通り。
先に荷物が届き、それから本人がやってきた。
遺品整理など、そんな悠長な暇はない。旅の疲れの癒えぬまま、夜叉丸の物を一旦全て俺の部屋に移して、彼の部屋を空にした。
しかし終えるなり、まるで待っていたかのように、間髪入れず兄の部下が荷物を持ってきて。仕方なくそれを空いた部屋に放り込み、今度は冒頭の挨拶。
「おい、大人に会ったら挨拶しろと習わなかったのか」
「必要ない」
なんだ、この可愛げのない子どもは。
礼儀もなければ、愛想もない。
表情ひとつ変えない我愛羅。そのツンケンした態度に、流石の俺もひくりと口元が引き攣った。
「夜叉丸は、余程お前を甘やかしたようだな」
「確かに、オレは甘やかされて育った」
「そうかよ。自覚があるなら直しやがれ」
「必要ない」
「あァ?」
「お前も殺す」
途端、砂が襲ってきた。
ーーーパァン!
「!」
「ナメんな」
俺が片手でいなしたのを見て、我愛羅の目が見開く。
「伊達に三十年近く生きてねーんだよ、クソッタレ」
砂金を作ることができる。
兄とは違い、商売として看板背負って歩いてきた。それには当然、リスクも伴う。
「襲われ慣れてんだ、こっちはよォ」
能力とカネ目当ての輩から幾度と襲われ、攫われそうになった。実際、攫われたこともある。
しかし、護衛を着けるという選択肢はなかった。里の手が足りないと、分かっていたからだ。
自分の身は自分で守る。
襲われそうになったら防ぎ、捕まりそうになったら倒し、捕まったら自力で逃げた。おかげで余計な戦闘能力がついた結果がコレである。
(ああ、それでか)
俺ならば、我愛羅に殺されないと兄は踏んでいるのだろう。おまけに使う術も似通っている。我愛羅が俺を見て学べば上々、と言ったところか。
(ったく、体よく使ってくれる)
俺は舌打ちして、目の前の子どもを見下ろした。
俺が最後に我愛羅を見たのは、世話役である夜叉丸の腕の中で哺乳瓶咥えている姿だった。それからザッと七年。
テマリとカンクロウは、兄さんのところにいたから仕事の打ち合わせがてら顔を合わせたことはある。しかし、我愛羅に至っては姉兄から離されて別宅で育った。
夜叉丸は仕事で潰れている俺を憚ってか、はたまた兄の指示があったのか。我愛羅の世話の合間、俺が間借りしている自宅に顔出す時も我愛羅を連れては来なかったし、俺からわざわざ会いにいくようなことはしなかった。
(そのツケか)
ツケもなにも。
忙しくてそれどころではなかったんだが。
俺は鼻から息を抜いて、腕を組んだ。
「飯は」
「不要だ」
「はっ、子どもは子どもか」
「なに……?」
「そもそも、テメェ如きが俺様に敵うわけがないんだがな」
事実を告げたのが気に入らなかったのか、ない眉がピクリと上がる。
「いくら生霊が憑いてるとはいえ、お前の肉体は生身だ。俺を殺したいなら、テメェは生きなきゃならねーだろ。それなら飯は食うしかない」
「……」
「俺を殺すんじゃなかったのかよ」
「殺す。それがオレの存在意義だからだ」
存在意義、ねェ。
俺は鼻で笑い飛ばした。
七歳の子どもが。自分が世界の中心だと勘違いしてるその歳で。存在意義(そんなもの)を見つけた気でいるのが、ちゃんちゃらおかしい。
「ま、やれるもんならやってみろ。テメェが生きてる限り死ねるもんも死ねねーよ、クソ野郎」
「貴様にオレの何が分かる……!」
「分かるよ。テメェが夜叉丸(俺のダチ)を殺したってことくらいはな」
隈に縁取られた目に鋭さが増したが、俺は構わず続けた。
「夜叉丸を殺したお前を、俺は今許すことができない。だが、お前の父親からお前を見るように言われた。だから見る。それだけだ」
畏怖も嫌悪もない。守鶴だからとかどうでもいい。
「忍術を使えること自体が、そもそも『普通の人間』の括りから外れている。金を作り出せる俺だって、十分に『オカシイ』からな」
「だが、お前は愛されていただろう」
「あ?」
「オレは愛されたことなどない。生まれながらの化け物だ」
どこで余計なことを刷り込まれてきたのか。淡々と語る甥に絶句した。
(愛されていないだと。冗談じゃない)
俺の愛する人の命の上に生まれ、俺の親友の犠牲の上に生きているお前が何を言う。
俺はギリリと奥歯を噛み締め、踵を返す。台所の棚から紙の箱を取り出し、蓋を開けてからレンジに入れる。
二分五十秒。
チンッ、と独特の電子音がしたら取り出して、次は白米のパックに入れ換えて再びツマミを回す。
台所の下、食器が積み重なっている中から楕円の皿を引き抜いた。軽く洗ってから、水気を拭き取り、温め終わった白米を持ってきて先に乗せ、その上から先に温めたルーをかける。
そして、それをテーブルに置き、スプーンを脇に添えた。
「腹減ってるからクソみたいなこと考える。食え」
言われて我愛羅は、訝しげに眉間を寄せる。
「なんだ、これは」
「どう見てもカレーだろ」
「カレー?これがか」
理解出来ないと言わんばかりに、頭を振った。
「まだオレを馬鹿にしているようだな」
「どうしてそうなる」
「カレーがこんなに早く出来るわけがない」
ああ、それでか。
(手料理しか出さなかったのかよ、夜叉丸(あの真面目野郎)は)
きっとこいつの頭ン中のカレーは、じゃがいもの皮を剥いて切って、たまねぎも皮を剥いて切って。にんじんを刻んで、肉炒めて、野菜を入れてぐつぐつ煮て、そこにルーを入れてお玉で掻き回して出来たものなんだ。
俺は台所に戻り、我愛羅の前にしゃがみ空箱を見せた。
「いいか。これはレトルトっつーんだよ」
「れとると……?」
「レンジでチンすれば食べられるもンだ」
小さな手がレトルトカレーの箱を受け取った。
余程珍しいのか。
青い瞳が瞬きも忘れ、手元のそれをしげしげと眺めている。
「今日は俺も他国から帰ってきたばかりでな。明日はもう少しマシなの買ってきてやるから、今日はそれで我慢しろ」
「フン、期待はしない」
そう言いながらも。
翌日。
ビーフカレーの甘口、中辛、辛口。キーマカレーにチキンカレー、野菜カレー。濃厚シチューに親子丼、中華丼。果てには、ハンバーグに焼き鳥、麻婆豆腐、海老のチリソースまで。
奮発してレトルトシリーズを二箱ずつ買って入れておいたら、全て試したらしく。
「おい、ララ」
「なンだ」
「土の国に行く前に、砂肝入れておけ」
「チョイス渋いな」
ーーーパァン。
飛んできた砂を金の手が握り潰した。