ああ、もう、うるさい
「アサヒさん!オレだけに抱かれてくれ!」
「無理ぃ」
「ならばオレだけを抱いてくれ!」
「だからぁ、無理だって言ってんでしょーぉ」
この返しは想定済みだ。というより三年前からやっているので、耳にタコのはず。
(その感覚を利用する)
人はギャップに弱い。完璧に見えるヤツが、途端馬鹿になったり。普段冴えないヤツが、急にカッコイイことを言うと胸が燃える。激アツだ。
やっぱりコイツはダメだと思わせてからのーーー、
「オレの隣でずっと咲いていてくれ!」
口説ける男の逆転劇!これでどうだ!?
グッと拳を握り、彼女の反応を待つ。アサヒさんはニコリと笑った。
「ぜぇーったい、嫌ぁ」
「な……!」
「華は散るときを自分で決めるのぉ。ほっといてぇ」
「ま、待ってくれ、アサヒさん!」
二週間ぶりに取り合ってくれたこのチャンスを、やすやすと逃すわけにはいかない。
ひらりと手を振って踵を返そうとするのを慌てて呼び止めると、彼女はあからさまに眉を顰めて小首を傾げた。
「ガイ、お前さーぁ。毎度毎度懲りずについてくるけど、本当にあたしの歳知ってて言ってんのーぉ?」
「無論だ!今年でよんぐッ!」
「あっは!女の歳を口に出すなよーぉ。いい加減、その鳥頭どうにかできないわけぇ?腹立ってくるんだけどーぉ」
「ず、ずまん……」
訊いてきたのはそちらなのに、答えたら鉄拳が腹を抉ってくるとは。理不尽にも程がある。
「だが、花だってドライフラワーにすれば枯れなーーー」
ミシッ……、と彼女の足が顔にのめり込む音がした。
「あっは!出直してこいクソ眉ぅ」
「ずびまべん……」
無念。
足を引き抜かれたオレの顔面には、アサヒさんの足型だけが残った。
▽
日向アサヒ。
オレがその名を知ったのは、カカシが暗部に入隊し、間もない頃だった。
「カカシなら、最近までアサヒの訓練を受けたよ」
「アサヒ?」
「日向アサヒ。見た目は若いけど、君たちのうんと先輩だ」
「うんと、ってそんなに歳上ですか」
「そうだね。会うつもりなら、礼儀正しくしておいた方がいいよ。羽交締めにされるから」
ミナト先生、もとい四代目火影から教えてもらい、オレは彼女を探した。
「貴女が日向アサヒか」
「……そーだけどーぉ?」
お前誰ぇ?と、目の前の女性は肩の長さで切り揃えられた黒髪を、サラリと揺らして首を傾げる。
一人。甘美堂の一角を陣取り、うず高く積まれた団子の皿の上にまた一枚積み上げながらオレに視線を注いだ。
「マイト・ガイと言います!」
「へーぇ」
「オレにもカカシと同じ訓練をつけてください!」
アサヒさんは、オレの言葉を聞くなり薄紫がかった白い色の瞳を丸くした。
暗部の訓練というからには、難易度はかなり高いはず。
正直、カカシの暗部入りには納得していない。だが、カカシが暗部に入ったからといってオレのライバルであることには違いない。
ならばオレのすることは、彼が一体どんな訓練を受けたのかを知り、これまで通り努力するのみ。
「とりあえず声デカイし、煩いんだけどぉ。静かにしてぇ」
「はい!」
「だから煩いって言ってんのにーぃ」
「すみません!」
どうだ!じとりとした目を向けられることにはカカシで十分に慣れている!これぞ日々の努力の成果だ!
キラリと歯を見せて笑い返すと、彼女は短く嘆息して店員に団子を包んでもらった。
「ガイ、って言ったっけぇ。お前誰のとこのぉ?」
「は」
「担当上忍は誰かって聞いてんのぉ」
「チョウザ先生です!」
「ふぅーん」
考えを巡らせるような間を置いてから、アサヒさんは腰を上げた。会計をして団子を受け取る。
そして緊張した面持ちでいるオレを振り返っては、きゅっと口角を上げて笑った。
「いーよぉ。訓練つけてあげるぅ」
「!本当ですか!」
「ん。ついておいでぇ」
「はい!」
気付いたら朝だった。
一糸纏わぬ素肌のままで布団を被り、仰向けになったオレはただ、呆然と木目の天井を見上げていた。
(なんだったんだ)
まるで身体が抜け殻のように軽い。
この部屋だけが別世界であるかのようだ。
窓の外から聞こえてくるはずの小鳥の声が、切り離されたように遥か遠くから聞こえてくる。
それに対し、アサヒさんのくすりとした声が、直ぐ隣から彼女の吐息と共に鼓膜を揺らした。
「これに懲りたら、のこのこと女に着いて行かないことだねーぇ」
何が愉快なのか。うつ伏せになり、肘を突いてはケラケラと笑う彼女。
「本当にカカシがこんなことを……」
「暗部には必要なことだからぁ」
「誰にでも抱かれて、誰でも抱くのか」
「仕事で任務ならやるでしょーぉ」
ごろりと仰向けになっては、背伸びをする。
「貴女も、そうするのか」
「だからぁ、そうだって言ってんじゃーん。数時間前のこと、もう忘れたのぉ?ま、あたしは趣味な部分もあるけどねぇ」
「だがこういうことは、好きな者同士ですることだろう……?」
オレが縋るような視線を送ると、アサヒさんはきょとんとして弾けるように破顔した。
「あっは!そう思うなら、そういう女探せよーぉ。日の下にはいーっぱい、いるんだからさーぁ」
日向アサヒ。
毒々しく、強か。しかし、どこか儚く美しい。その歪な笑みだけが、オレの脳裏に焼き付いて離れなかった。
そして目の前の彼女は今、その頃と何一つ違わぬ容姿のままで咲いている。
「貴女を愛している。狂おしい程に愛おしいんだ」
「はい、やり直しぃ」
今回もダメか……。
カカシからイチャイチャパラダイスを借り、幾度と目を背けたくなるのを耐えて必死に考え出した文句。今日も今日とて、彼女の軽い物言いに一蹴されてしまう。
(なぜだ。なぜこの激る気持ちが伝わらない……!?)
あの日以来。
彼女を見ていると、どうにも切なくなり、徒に過ぎる時間を感じてはもどかしさばかりが募った。
(それだけではない)
運命までが悪戯をする。
会いたくても会いたい時に会えず、やっと会えたと思ったら程よくあしらわれる始末。それでも諦めきれない気持ちが、余計に胸を締め付ける。
拳を握り項垂れるオレ。
アサヒさんはふと足を止めては、肩を竦めた。
「ま、三十年後に言えば似合うんじゃないのーぉ?」
「さ、三……!そんなに経ったらアサヒさんもお婆さんになってしまぶっ!」
「そういうところだよ、クソ眉がぁ」
容赦ない裏拳がオレの顔面を殴打する。
(しかし)
お婆さんになったアサヒさん、か。
いつも彼女のことを考えているのが功を成したのか。想像しようとしたら、案外あっさり浮かんだ。
呼ぶと、少し面倒くさそうにしながらも「仕方ないなぁ」と笑う彼女が。ゆるりと口元を綻ばせる彼女が。
まるで蕾がふわりと花弁を開く、その瞬間のような。優しく淡い笑顔。
何年経とうと。何十年経とうと関係ない。褪せることのないその微笑み。
「ああ。そんな貴女も、きっと美しいのだろうな」
何気なくそう言うと、アサヒさんが息を呑んだ。溢れそうなほどその瞳を見開く彼女の様子に、オレの方が戸惑う。
「アサヒさん?どうしーーー」
そして、言い終えるより早く目の前が真っ暗になった。
オレにそれからの記憶はなく。目を覚ましてみると、映ったのは木ノ葉病院の白い天井で。
「目が覚めたか、ガイ」
「カカシ」
カカシが俺のベッドの脇のパイプ椅子に腰掛け、本を読んでいた。
変わったところはないか、と聞かれたので身体を起こしてみるが、特段気になるところはなかった。
問題ないと伝えると、彼は足を組み直しながら呆れたようにこちらを見遣る。
「なら、聞くけどさ。お前、アサヒに何したのよ」
「何、とは」
「踏んだ土が舞い上がる程の凄まじい圧撒き散らしては、気を失ってるお前を片手で引き摺りながら」
『おい、カカシィ。自分の連れくらい自分で躾けろよ。出来ないなら、檻にでも繋いどけ。だらだらと甘やかすから、コイツがつけ上がるんでしょ。真面目なら真面目らしくキッチリ絞れよ、クソ真面目が』
「って。お陰で身に覚えもないのに、無表情のノンブレスで罵られる羽目になったんだけど」
「な、なんだと……」
オレは悔しさに歯噛みした。
無表情のノンブレスのアサヒさん。彼女にそんな一面が存在するというのか。
カカシはそんなアサヒさんに、八十字以上語ってもらったというのか羨ましい……ッ!
(いいや)
ふと過ぎった、意識が落ちる前の彼女の表情。あれはオレにとって、初めてのものだった。
そうだ。無い物ねだりをしている場合ではないぞ、ガイ。諦めなければ、いつか必ず得るものがあるのだから。
「……いいだろう、カカシ。今回はオレの負けだ」
「ハァ?」
「だが、見ていろ!オレは必ずお前を越えてみせる!アサヒさんに、もっとたくさん話してもらうからな!」
「それに関しては一生ガイの勝ちでいーよ」
ひらひらと手を振るライバルを横目に、オレは拳を握り、次なる目標を見据える。
「目指すは無表情ノンブレスの彼女に百、いや、五百文字話してもらうことだァ!」
「あのアサヒにそんなに喋らせたらお前、死ぬぞ?マジで」
オレは、決して諦めることはない。
彼女が心からの花(えがお)を咲かせる、その日まで。