きびだんごを下さい
優しい人が怒った時の、淡々とした言葉責めは恐い。
(どうして見抜けなかった)
ミナト先生がその典型だったが、似たような人が暫く周りにいなかったため油断していた。
「ところで、はたけさん」
カウンターを挟んで、目の前で笑顔を崩さない彼女がその類だということを。
「お時間、10分程よろしいでしょうか」
曖昧に笑みを返したオレの頬を、冷たい汗が伝った。
▽
「あと3ヶ月」
その日、オレは任務の合間を縫って、里内の本屋を回っていた。
3ヶ月後に18歳になる。
18歳は『イチャイチャパラダイス』を読むことが出来る歳だ。
こんなに誕生日が待ち遠いのはいつぶりだろうか。今から胸の高鳴りを抑え切れないーーー!……のに、
「どうしてどこにも置いてないのよ」
早くも心折れそうだった。
棚を端から端まで見ても、目当ての本が見つからない。無名な本でもないだろうに。
出版から経っているからか。はたまた、人気で売り切れたのだろうか。
「参ったね、こりゃあ」
誕生日の午前中は、意地で半休を捩じ込んだ。それまでは、任務が立て続けに入っている。今日のうちに買う店くらい目星をつけておきたかったが、里の書店はさっきのところで最後だったはずだ。
かくなる上は、
「取り寄せてもらうか」
いや、まだ17なのに、18禁を取り寄せていいのか。まあ、よく歳上の女性から誘われるし、オレの見た目ならバレないだろう。最悪、変化すれば。……だがなぁ。
うんうん唸りながら歩いていると、通りがかった店の扉が開いた。
「じゃあ、義政さん。残りの本も頼むわ」
「おうよ」
出てきた年配の男性は、本と巻物が入った紙袋を抱え直し、店内に呼びかけた。
オレが入口を避けたら、入るものと勘違いされたらしい。男性は、扉を閉めずに行ってしまった。さり気なく中を覗くと、なんとそこは本屋で。
「ノーマークだった」
『末廣亭』というから、てっきり料亭だと思っていた。とんでもない店名詐欺だな。
扉を潜ると、インクと紙の香りが鼻腔を擽った。
木造の温もりを感じる店内。昔懐かしい電球色の照明が目に優しい。
店の広さの割に、書籍数も多い。
本棚は、入口含む三面の壁と、店の中央の太い木の柱を中心にぐるりと展開されていおり、開放的な作りになっている。
唯一棚のない壁は、家の入り口になっているのか、鶯色の暖簾がかかっていた。その前には、カウンターが設置されており店主らしきおじいさんが座っている。
時折、ページを捲る音や、店員と客のやり取りがあるだけで、店内は静かなものだった。
(いいな、ここ)
静か過ぎて足音一つが気になるでも、喧しくて煩いわけでもなく、ちょうどいいというか。
(なんか落ち着く)
立ち読みする人、本を探してゆっくり棚沿いに歩く人、目当ての本を手に取って早々に出る人、店員と他愛無い話をして帰る人、様々だ。
声も、足音も、動作も。
共有空間のはずなのに、他人が自分のパーソナルスペースに入ってくるような鬱陶しさがない。
(ここ、もしかして置いているかも)
ささやかな希望を胸に棚を見て回ると、
「!あ、あれは」
あった!イチャイチャパラダイスの上!
運命だ。今、猛烈に運命を感じた。
マスクをしていて良かった。今、オレ絶対ニヤけている。
当日はここで買おうと決めて店を出た。
自分の誕生日に再び訪れると、カウンターにいたのはおじいさんではなく、女の子だった。エプロンをかけているから店員だろう。
店を見渡すが、オレ以外の客はなく、彼女以外の店員の姿もない。
(えー……)
おじいさん相手だったら、買いやすかったのに。ぱっと見、少し年下か同い年くらいの子だよな。ま、向こうも仕事なんだから変に意識する必要はないか。
時間も押していたため、本を手に取って真っ直ぐカウンターへ向かう。
「……これを」
「?はい」
本を受け取った眼鏡の奥の目が、すっと細められた。まさか、訝しまれてる?18歳以上か疑われているのか、オレ。
身分証が必要かと聞くと、彼女は首を横に振って打ち消した。杞憂だったらしい。今日18歳になったとか、いらんカミングアウトしてしまった。
支払いを終えて本を受け取ると、表紙に押し花の栞が重ねられていた。
「これは」
「お誕生日だと伺いましたので、心ばかりですが」
花の名前は知らない。胡蝶蘭に似ている紫色の小さな花。
花の脇には、『幸せが舞い込みますように』と綴られている。
「おめでとうございます」
誰が想像できただろう。
本を買いに来て。誕生日プレゼント加え、お祝いの言葉をもらえるなんて。添えられた控えめな笑顔に、胸の奥が疼いた。
「……ありがとう」
もう少し気の利いたお礼が言えなかったものかと思ったが、それでも彼女は嬉しそうに「こちらこそ、ありがとうございました」と、柔らかく微笑んでくれた。