ときめきエスポワール


 翌朝。
 定休日の札がかかった店内で、いのちゃんとサクラちゃんの手が忙しなく動いていた。

「サクラー、そろそろ前髪巻くわよー」
「分かってる。あと目元はビューラーだけだから」

 サクラちゃんから「ちょっと目を伏して」と言われたのでその通りにする。睫毛を挟まれて、上へ上へと軽く押さえられながらスッと解放された。

 両目終えると、入れ替わりでいのちゃんが前髪にコテを当てる。その隣で、サクラちゃんがリップを何種類か手に取って私と見比べていた。

「やっぱりスティックよりティントかグロスよね」
「食事に行くんでしょー。なら、落ちにくい方がいいわよー」
「でも、グロスの方が色淡いから。遼さんに似合うと思う」
「まだ時間あるし、両方やってみたらいーんじゃない」
「そうね」

 結局、グロスを採用。
 
 それから、いのちゃんの手がわたしの後ろ髪を掬って纏めて。左肩に流して。

「「できた!」」

 汗を拭いながら、ふたりが満足げに笑った。
 渡された手鏡。肘を伸ばして、自分の姿を少し遠くから写してみて驚いた。

「すごい……」
「「当然よ!」」

 そこにいたのは、わたしじゃないわたしだった。

 明るい目元。艶ある唇。ほんのり色付く頬。

 いつも首の後ろで束ねていたただ真っ直ぐだった髪が、今は前も後ろも緩く巻かれてふわりとしている。洋服も相まって、全体的に可愛らしい雰囲気を醸し出していた。

 (まるで、違う自分になったみたい)

 嬉しいような。楽しいような。わくわくするような。でも、恥ずかしいような。少しむず痒いような。そんな気持ち。

 わたし一人だったら絶対できなかったし、そもそもやろうなんて発想にもならなかっただろう。

「ありがとう、いのちゃん。サクラちゃん」
「いーのよー!遼さんにはたくさんお世話になってるんだからー!」
「そうそう!これで遼さんに春が来てくれれば私も嬉しいし!」
「は、春って……」

 それは、どんな急展開があっても有り得ないと思う。

「いいー?今日の遼さん、絶対可愛いんだからー!」
「とにかく押して押して押すのよ!」

 「何を?」とは聞けなかった。恋する女の子って凄い。

 曖昧に笑うわたしに対し、ふたりは「報告聞きにまた来るからねー!」と笑顔で手を振りながら、嵐のように去っていった。




 いつもと違う自分の格好がそうさせるのか。本を読んでいても何か落ち着かず、店の外と中を行ったり来たり。

 店内の時計は、既に午後一時を回っていた。

「流石に、おかしいよね」

 はたけさんが来ない。

 これまで約束をしたことはないが、本の予約や取り寄せをしたら必ず来てくれる人だし。約束をして破るような人ではないと思う。だとすると。

「急な任務でも入ったのかな」

 その時、店の前に小さな気配を感じた。
 トントン、と叩かれたので開けてみると。

「……遼、か?」
「パックンさん」

 わたしを見上げて、まん丸い目を更に丸くさせる彼の忍犬さんがいた。

「こりゃあ、見違えた。いつに増して別嬪だな」
「ふふ、ありがとうございます」

 しゃがんで目線を合わせようとしたら、服が汚れるぞと制された。

「カカシから伝言だ。『急の任務が入って長引いているから、今日は行かれない。すまない。また日を改めて埋め合わせする』とのことだ」
「やっぱり、そうだったんですね」
「やっぱり?」
「ああ、いえ。はたけさんがお忙しいのは存じてますから。来られないとしたら、理由はそれかなって」

 任務なら仕方ない。

「パックンさん。わたしからはたけさんに伝言ってお願いできますか?」
「言ってみろ」
「埋め合わせは大丈夫です。その代わり、無事に帰ってきてください、って」

 律儀な彼は本当に埋め合わせしてくれようとするだろう。でも、それよりも何よりも。またあの緩く穏やかな微笑みが見たいから。

「遼」
「はい」
「少し待て」
「はい?」

 パックンさんは「少し」という言葉通り。ドロンと姿を消しては五分とせずに戻ってきた。そして、わたしの隣に立って言った。

「では行くぞ」
「行くって、どちらに」
「ワシの散歩だ」

 かくして。
 パックンさんとお散歩に出ることになりました。




 少しだけ前を歩くパックンさんの背中を見下ろした。行先は知らない。

 (あれ?これってもしかして、わたしが散歩されてる?)

 そうも思ったが、忍犬さんとの散歩は貴重な経験だと思うので黙ってついていく。
 すると、とある定食屋さんの前で立ち止まった。

「ここの定食屋はランチの持ち帰りができる」
「そうなんですね」

 定食屋さん、ってもしかして。

「ここってはたけさんがいらしたことあります?」
「うむ。察しがいいな」

 来るはずだった定食屋さん。連れてきてくれたのかな。

 看板の営業時間を見てみると、ランチは午後二時まで。お持ち帰りのお弁当は二時半まで。しかも。

「お弁当一人前三十両」

 メニューの写真。
 ご飯は白米、炊き込みとが選べて。日替わりのお魚かお肉か選べて。お惣菜三種類は店主の気分。食べられないものがあれば言ってください。
 この量で三十両ってお得過ぎる。

「ありがとうございましたー」

 三人前購入してしまった。

「そんなに買ってどうする気だ」
「残ったら、明日明後日のご飯にすれば、お手頃だし楽かなと思いまして」

 可愛いからサービスだって、炊き込み大盛りにしてもらえたし。

 足取り軽くパックンさんに着いていくと、見覚えのある建物が近づいてきた。

 白い、大きい建物。

「木ノ葉、病院……?」

 小さい頃。
 風邪を引いたり、不知火くんとのくだんの件でお世話になった病院だった。

 パックンさんはスタスタと、その敷地内へ足を踏み入れる。そして、建物に入ることなく、外周をぐるりと回っていく。

 (ここって歩いていていいのかな)

 さくさく、と草を踏む。右手に建物、左手には木々が広がっている。これはこれで、冒険をしているみたいで楽しいかも。

 お弁当を傾けないように腕に抱えた。
 パックンさんを見失わないよう。洋服を引っ掛けないように気をつけて、木と建物の間を潜るように進んでいく。

 ふと。
 窓が開いている部屋を見つけた。カーテンが、ふわりと外へ靡いている。

 パックンさんはチラリとこちらを振り返り、その部屋の中へと飛び込んでしまった。

「え」

 置いて行かれてしまったものと思い、つい足を止めたが、違ったらしい。パックンさんが、窓辺からぴょこっと顔を覗かせる。

 早く来い。
 そう言われている気がして窓に近寄った。カーテンに触れようと手を伸ばすと、突然目の前が開け放たれ。

「遼……」
「はたけ、さん……?」

 任務に出ていると聞いてたはずのはたけさんと目が合った。

 黒いノースリーブのタートルネック。口のマスクは相変わらず。
 けれど、ここ数年はベストに額当てをしていることが多かったからか、幾分軽装に見える。

 彼はベッドに腰掛けて、左腕を首から包帯で吊るしていた。わたしを見るなり、その瞳は驚きに染まり。

「どうして、ここに」
「お散歩……ですかね」

 予期していなかったのはお互い様。

 私もまた、間の抜けた声を漏らしてしまった。
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