遅咲きのリナリア 05



「……そのときわたし、バカみたいなこと思っちゃったんだ」

 一紀くんは視線だけをわたしに滑らせ、続きの文字を待った。

「……颯砂くんはわたしのことをただの友達だと思ってるってわかってるのに、告白して振られて気を遣わせて、今みたいにふつうに颯砂くんと話すことすらできなくなるぐらいなら、ずっとこのままただの友達でいたほうがずっと幸せだって、そう思っちゃったんだ。もしも……もしもの話だよ? なにかの奇跡が起きて颯砂くんの彼女になれたとしても、一生結ばれるなんて限らないし、そしたらやっぱり、颯砂くんの彼女にもなれなくていい。ずっと、颯砂くんの友達のまま死にたい」

 もしかすると喜劇よりもバカらしいかもしれないわたしの言葉を、一紀くんは遮らずに聞いていた。あるいは、ひどく呆れて遮る価値すら感じていないか、そのどちらかだ。
 一紀くんが黙っているあいだに、濃紺に染まり始めた波が四、五回寄せては返していった。恐る恐る一紀くんの顔を覗き込んだら、眉間に皺を寄せ、彼もまた水面を凝視していた。

「……呆れてるよね。言っておくけど、わたしもちゃんと自分に呆れてるよ」
「……黙ってたのは君の馬鹿さ加減に呆れ果てたとかそういうんじゃなくて、君の話を咀嚼して飲み込むのに時間かかってたから。……でもつまり、君が言ってることって結局、片想いしてる相手の前でだけ友達の皮をかぶって生きてくだけってことしょ。君のほうはノゾム先輩のこと、一ミリたりとも友達だなんて思ってないのに」

 あり得ないとかもう知らないとかそういう言葉を浴びせられる覚悟はできていたのに、今日の一紀くんはやけに冷静に物を言う。
 そして、それはどこか自分自身の言葉を整理しながら発言しているようにも聞こえた。
 一紀くんの視線が、自分の手のなかの四角い箱に落ちる。ブルーの箱にひかえめに艶めくシャンパンゴールドのリボンが主役のそれは、シンプルで彼らしいと思ってわたしが選んだものだ。まっすぐ縦横に伸びるそのラインを確かめるようにまじまじと見つめたまま、一紀くんは口を開く。

「最初はあまりにもバカらしいと思って聞くのをやめようかと思ったけど、よく考えれば君にとっては合理的なのか。……君の言ってる友達って、僕と君みたいな関係のこと言うんでしょ」
「……うん。そうだと思ってるけど」
「だよね。だとしたら友達って、こんなふうに隣に座って他愛もない話したり、バレンタインのチョコを渡してもその後の関係になんの影響も残らなくて」
「うん」
「頻繁に一緒に帰ったっていいし、これという要件がなくてもただ会話をするためだけに喫茶店に寄ったっていい」
「うん」

 彼は思い詰めたようにまたしばらく黙ってしまったあと、ひとりごとのように言った。

「たしかに、合理的かもしれない」
「……一紀くん、やさしいね。こんな変なこと言ってるのに真剣に理解しようとしてくれて、ありがとう」
「……この場面でやさしいとかそういう感想が出てくるって、君はやっぱり能天気すぎ。僕は、たしかに理屈にはかなってるって言っただけ」

 彼は「理屈には」の「には」部分を強調して言った。
 はあ、と一紀くんのついたため息が白い靄になって立ちのぼる。その唇がわずかに震えているように見えて、冬の海から上がったばかりの彼を長らく海辺に引き留めてしまっていたことを自覚した。
 慌てて立ち上がって、座ったままの一紀くんの肩に余ったブレザーの布を掴む。

「一紀くん、震えてる。ごめんね、寒いのにずっと外に引き留めて。話、聞いてくれてありがとう。今日はもう帰ろう?」
「――僕は無理だと思うけど」
「え?」

 その場から動こうとしない一紀くんが突然に発した言葉を、わたしはうまく呑み込めなかった。

「無理、だと思う。そんな関係、いつかは君が押し潰されることになる。たぶんだけど、そんな気がする」

 遠慮のない瞳で彼はわたしを見上げた。そこには善意も悪意もなかった。冬の星空みたいに、ただそこにあるものだけを宿しているけがれのない瞳だ。

「でも、だからって君があのひとのこと簡単には諦め切れないだろうってこともわかる。君が学校でノゾム先輩に声かける前に何度も深呼吸してるの知ってるし。バイトの休憩中だって、店長に『はば学生が来てる』って教えられたら、急にそわそわし出すし。あのときだってきっと、ノゾム先輩だったらいいのにって考えてたんだろ」
「そ、それは……」

 急に具体的なエピソードを挙げられては居たたまれなくなってしまう。常日頃から一紀くんに感情を読まれてしまっているということを実感させられて、その場その場ではからかわれなかったぶん、一気に羞恥が込み上げてくる。
 彼のピーコックグリーンの透き通った瞳に見つめられるたびに、わたしはどんどん取り繕うのがへたになってしまう。

「違く、ないよ。一紀くんの言ってること、当たってる」
「うん」彼は腑に落ちたように目を伏せて続ける。
「だから、君の恋愛の部外者の僕が図々しく君に言えることってほとんどない。君が言うみたく僕はやさしくなんかないけど、君の友達としてひとつ言うなら、ゆっくりでもいいんじゃない、ってことぐらいかな」
「一紀くん……」
「……あ、でも。君が選んだことなんだから、つらくなったとしても僕には慰めは求めないで。僕、人を慰めるのとか一番苦手だから」

 つんとそっぽを向いて一紀くんは言う。さっきまでわずかにトーンの低かった声がいつもの調子に戻って、今のは彼なりのエールなんだと気付いた。
 一紀くんはやおら立ち上がって、制服についた砂をぱっぱと払う。

「何笑ってるの」
「ううん……ゆっくりでもいいよね。ありがとう、一紀くん」

 一紀くんは改まってお礼を言われることがあんまり得意じゃないのかと思っていた。いつもは「うん」とか「別に」とだけ言って興味なさそうにすたすたと歩いて行ってしまうからだ。けれど今日の彼は、ふっとまなじりを緩めてみせた。
 ――そんなやさしい顔もするんだ。驚きのあまり口を突いて出そうになった言葉を必死に堪える。彼を怒らせたくない。
 もうほとんど夜の色に染まってしまった海面に、月が反射してリボンをつくっている。一紀くんが持っているチョコレートの箱とそっくりだ、そう思いながら帰り道を進んでいたら、道すがらに振り返った一紀くんが「なんか似てない?」と同じことを言って箱を宙に掲げたので、わたしはまた笑った。


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