今ならわかるよ

 寒さのせいで、十本の指はもう凍り付いているんじゃないかと思うほどに冷えていた。
 輝石の国のなかでもいっとう寒い地域だというのに、主催がヴィル先輩とあって、ぞろぞろと何台もの馬車が周りに増えて来た。

「あーあ、馬車って揺れるでしょ? お尻痛くなっちゃうからニガテなんだよね〜。馬車必須の格式高〜いパーティー開くなんて、さすがヴィルくんって感じ。いまどき芸能人のオフィシャルのイベントくらいでしか見ないのにさ」
「馬車に迎えに来られて入学した人が何言ってんすか」
「ハハ、言えてる〜」

 ケイト先輩は苦笑して、たいくつそうに窓の外を見やる。
 せまい社内に男二人のむさくるしい空間。姉ちゃんズと監督生は、パーティーメイクやヘアセットにまだ時間が必要だと言って、別の馬車で向かうことになったのだ。

「ま〜オレらは先に入って、ウェルカムドリンクでも飲んでよっか」

 ナイトレイブンカレッジも大概広かったが、同じぐらいの面積を有していそうな古城。パーティーのためだけにここを貸し切りにする主催の顔が見てみたい。いや、見たことあるんだけど。
 受付を済ませて中に入ると、ちょうどジャックとエぺルがオレたちに気付いて、歩み寄ってくる。

「あ、エースクン! 久しぶりだね」
「先輩も、ご無沙汰してます。エースお前……あいつは?」
「あー、あとで来るよ。ケイト先輩の姉ちゃんたちと一緒に」

 怪訝そうに眉を顰めていたジャックはホッとしたようだった。
 ケイト先輩は地元の知り合いがちらほら見えているらしく、挨拶周りに行ってしまったので、残された三人でそれぞれ手にしたグラスの端を合わせた。
 そばにある名前も知らないお菓子をつまみながら、会っていない半年間の近況を報告しあう。
 おおかた想像はしていたものの、二人の興味はオレの恋愛事情にあるらしかった。

「――えっ、まだアタック中なんだ。エースクン、すっごく一途だよね。昔から」
「それが普通だろ。……まあ、俺だってお前らのこと気にはかけてた。二人で来てんならよかったが」

 なんだかんだ仲間思いの二人の言葉は照れ臭い。
 エペルに号泣しているところを見られて元気付けられたことや、ジャックがわざわざオレのことを心配して招待状を手配してくれたことを思い返すと、余計にだ。
 明日の夕方、輝石の国を発つ。
 それまでオレは、監督生にとって「なんでもない男」でいられる。彼氏でも友達でもない、不安定で危ない「なんでもない男」。
 明日が終わってしまえばそれ以下になってしまうかもしれない、その可能性に怯えていた。何をしているかも、誰とどんな時間を過ごしているかもわからない、知る必要もない、有象無象の人間に。
 監督生に出会う前の何も知らない自分に戻れたらどんなにいいか。この数年間で拗らせに拗らせた恋愛感情は、もう二度とすっきりとは消えることがないと、皮肉にも「最後」である今日、確信してしまった。

「エース」

 ぼうっと思考の波に飲まれていたオレの背後に、聞き慣れた声がかかる。
 反射的に、研ぎ澄ませたすべての感覚をそっちに向けてしまう。

「お待たせ。……あれ、ジャックとエペル! 久しぶりだね!」

 声を弾ませてひらひらと手を振ってみせる監督生の姿を見て、オレは思わず固まってしまった。
 理由は二つある。
 一つ目は、ドレスアップした姿に視線を奪われて。
 繊細なレースが華奢な肩から落ちている。髪をアップにしたうなじがすっきりとしていて綺麗だった。プロムのときにもどうにか手配したドレスを着てはいたけれど、あの頃とは違った大人びた美しさを今日の監督生は纏っていた。
 二つ目は、その色だ。
 白い肌には鮮やかな色が映えるだろう――と思っていたのに、降る雪がやわらかに積もっていくように、その「純白の」ドレスは監督生によく似合っていた。
 けれど、『……そこの赤いの、お前に似合うと思う』と、オレはたしかにそう答えてしまったはずだ。
 『私の好きなのにするね』と監督生が微笑んだ映像も、脳内で何度も巻き戻す。

「キレイだね、そのドレス。たぶん、ヴィルサンもきっと褒めてくれると思う。それぐらい、似合ってるよ。……ね、エースクン?」
「え? あ、うん……」

 脳にノイズが入ったみたく、スムーズに言葉を紡げなかった。

「ほんと? ありがとう。エペル、エース」

 なんにも知らないような、なんにも考えていないような顔で監督生は笑う。
 オレはシャンパンでからからに乾く喉を潤しながら問答していた。
 ――つまり、そういうこと? ドレスの色がオレへの「答え」ってこと? たしかに今着てるドレスは超似合ってるし正直見惚れたのは認めるけど、オレは「赤」を選んでて、監督生はそれを選ばなくて。その、いわゆる「暗に」「言外に」オレのことは「選ばない」っていう、そういう?

「エース、どうしたの?」

 はっとして煌びやかなパーティーホールに意識を引き戻される。
 ジャックとエペルはなにかを察したか、親戚たちも招待しているからと言って「じゃあ、がんばれよ」「二人とも楽しんでね」と意味深に背中を叩いて、行ってしまった。
 乾いた空気を吸って一思いに口を開けば、喧噪は遠くなる。

「監督生、その――」
「え?」
「それが、お前の選んだ答えなの?」

 オレの問いに監督生は疑問符を浮かべたように見えたけれど、視線の先が自分のドレスに這っていることに気付いてか、やがてゆっくりと頷いた。

「そうだよ」

 柔和で、あたたかく、幸福そうな笑みだった。
 オレは一回でも監督生をこんな笑顔にさせられたことがあったか。胸がずきりと疼くように痛む。 
 そしてまた、あの頃のことを思い出してしまう。

『……よかった。実は、エースが好きかなと思って買ったんだ』
 
 そう言って、オレのためにいろんなものを選んでいた監督生はもういない。
 それが当たり前のことだとすこし考えれば分かるはずなのに、一年という時間をかけて昔の自分がいかにバカだったかを実感しているオレにとって、心を折るに十分たる出来ごとだった。

「……そっか。はは、だよね」

 自分でも驚くほどに乾いた笑いがこぼれる。
 この反応が予想外だったか、監督生は探るようにオレを見つめたままだった。
 居た堪れなさをこの一瞬忘れるためだけに、もう数杯目のシャンパンを喉の奥に流し込む。

「ねえエース、さっきから飲みすぎじゃない? 明日帰るのに大丈夫?」
「……んー、今日は飲ませてよ」
「でも――」
「いーから。止めないでよ監督生、今日だけでいーから」

 「今日だけ」なんて言ったって、次はないのに。
 黄金の液体のなかで、いくつもの透明の粒が、窓の外に降る雪とは反対のほうへ揺蕩っている。
 ――戻りたい、オレだって。昔に戻って、もっとちゃんとこいつのこと大事にしてやればよかった。
 あと半日ほどで終わってしまう関係。雪が解けるよりも先に消えてなくなる関係。
 今更取り返しもつきやしない、いくつもの間違った言葉や行動に想いを馳せて、気付けば目頭を熱くしてしまっていた。

「ねえエース、やっぱりしんどそうだよ。先にホテルに戻る? 送っていくよ」

 監督生はオレを見かねたのか、顔を覗き込んでくる。泣きそうなのがバレないように、ふいと顔を逸らした。
 明日で終わるのなら、せめて目一杯話をしたい。今日ぐらい甘えたって許されるはずだ。同情でもなんでもいい。
 オレはぱっと顔を上げると、強いて痛々しい笑みをつくる。

「……うん。オレのこと送ってって、監督生。寒いけどゆっくり歩きながら帰ろうよ。酔い醒ましにさ」





 宿は、パーティーホールを出ておなじ敷地内、煉瓦のアーケードをしばらく歩いた先にある。
 まだほとんどの人たちが会場で騒いでいる最中のアーケードは当たり前にしんとしていた。
 するどく冷えた外の空気は、いやになるほど一瞬で酔いを醒ましてくれた。ズボンに手を突っ込んで、感情的にならないような安全な言葉を探していた。

「エースとここに来られてよかった」

 ゆっくりと端に積もった雪を避けながらしばらく歩いてきたけれど、監督生はしみじみと噛み締めるような声で沈黙を破る。

「――こんなに寒くて荷物もなくなったけど、よかったって思うの?」
「もちろんだよ。……こっちに来てから旅行なんてしたことなかったけど、自分の知らない素敵な場所が、この世界にもたくさんあるんだなって思えたし。荷物はたしかに残念だったけどね」

 いつ決定打を放たれるのか、気が気じゃない。
 監督生が並べ立てているこの小綺麗な言葉たちが「終わり」の合図なのだとしたらぞっとする。どうせなら、もっと完全に、完璧に、「オレじゃない」のだと知りたいのに。

「ならよかったわ。お前にとっても思い出になったんなら。……もちろんオレにとっても、思い出んなったよ。……たぶん一生忘れない」
「……言いすぎじゃないかな」
「言いすぎてねーって。荷物が珊瑚の海に沈んだのもさ、今思えばおもしろすぎだよね。お前がせっかく給料はたいて買ったドレスが海の藻屑って。……けど、今着てるそれも似合ってる。正直さっき、目が離せなくってさ、オレ」

 せめて最後ぐらい卑怯に立ち回ってやろうと思っていたのに、唇は勝手に、監督生が別れを告げやすいように、その土台になるようにと、明るい言葉を紡ぎ出す。

「ありがとう。私も、荷物が珊瑚の海に沈んだの、ほんとはよかったなって思ってるの」
「は? なんで?」
「沈んじゃったドレスは、エースが今日選んでくれたのとたまたま同じやつだったから」

 意図の汲めない発言に、思わず「え」と間抜けな声が漏れてしまう。

「……それってさ、ホントはアレ着たくなかったってこと? お前、そこまで言わなくても――」
「ちがうよ。そういうわけじゃない。エースと同じで、私も赤が好きだし」
「は…………?」

 どういうこと、と情けない声が漏れる。
 ――オレと別れてから一年間、オレが好きな色だって分かっていながらもそれを身に着けたことがなかったくせに。それなのに、今日は赤いドレスにするつもりだったって? でもやっぱり、それにしなくてよかったって? そんな、そこまで、そこまで言わなくたってよくね!?
 身を打ち砕かれたようなショックが走る。

「でもね、ほかの色も好きなの」
「え……?」
「だからね、エースに言いたいことがあって――」
「いや、ちょっとだけ待って。……だいたい察しついたから。わかんないほうがバカっていうか、今、めちゃくちゃ堪えてるし」
「え?」
「え、って言われても」

 監督生は戸惑ったようにあちこちに視線を泳がせる。
 じいとその瞳の奥を読んでみても、どうもオレをこっぴどく振ろうとしている女の子のそれには見えなくて。それが何よりも不思議で、怖い。
 オレは革靴の歩みをとめて、思わずその場にしゃがみ込む。

「……てかさ、海に沈んだドレスはさ、もしかしてオレに合わせて選んでた、ってこと?」

 唯一の希望である部分を引きずりだしてしまうあたり、オレはやっぱり諦めが悪い。
 頭を両手で抱えながら答えを待っていると、ためらいがちな「……そうだよ」が聞こえた。

「……じゃあ、なんで――」

 ――オレのこと選んでくれないワケ。
 そう続けようとしたけれど、監督生のまっすぐに伸びる声がそれを遮った。

「このドレスを選んだのは、自分のため。それと……もう一回、エースとやり直したかったから」

 呆気に取られているあいだに、びゅうと、雪を撫でて冷たくなった風が頬を撫でる。
 あわてて首にかけていたマフラーを監督生の肩にかけてやると、続きの言葉を待った。

「……私、エースのことすっごく好きだったの。エースに嫌われたくなくて、なにもかもエースに合わせて選んじゃうくらいには」

 たしかにその言葉のとおり、監督生の服も髪もつくる食べ物も、ぜんぶオレの好きなものだった。

「エースがホントは私のこと好きじゃないかもしれないって思っても、言い出せなくて。でも、ほんとの自分が好きなものまで抑えて一緒にいるのは間違ってるってわかっちゃったから、だから……別れようって言った」

 楔を打たれたように喉元が痛む。
 思い当たる節が、数えきれないほどあった。頭の中ではうっすらと感じていた、監督生の笑顔のぎこちなさ。どうして手を差し伸べてやり直して、大事にできなかったのか。もっと早くにできたはずなのに。
 どうしようもなくバカなオレには、いろんなものを監督生に押し付けては喜んで、その挙句、「失くしてから気付く」なんて愚か者の真骨頂みたいなマネをして。

「……あのとき、大事にできなくてごめん。お前のこと好きだったよ、もっと、前から。気付くのが遅すぎたけど」
「……ううん。本当はここに来るまで迷ってた。けど、今ならわかるよ。エースに大事にされてるんだって」

 監督生はふるふると首を横に振る。

「エースが『私の好きなものを知りたい』って、『好きなものを選ぶのがほんとの私だ』って言ってくれたから。だからあのときの二人の間違いは、荷物と一緒に海に沈んだって思えばいいかなって」

 かけてやったマフラーをきゅっと愛おしそうに握って、監督生は笑った。
 ぶわりと、春の風に吹き上げられるような心地がする。

「……好きだよ、エース。今もずっと」

 それを聞いてしまうと、背中を弾かれたみたいに愛おしさが沸き上がる。
 立ち上がると監督生のほうまで歩み寄って、潰してしまいそうなほど強く力をこめた腕のなかに閉じ込めた。
 監督生とは、何度もこうしたことがある。それなのに、まるではじめての想い人を、はじめて抱き締めているような気分だった。
 腹の底で渦を巻く幸福感。何度も何度も「好きだ」って口走りたくなるような熱。

「……オレも。オレもお前が好き。オレでいいなら、ヨロシクお願いします」

 視線が絡んで、笑い合った。
 唇に残る味はたしかにアルコールのそれなのに、カレッジのころの青さを再び纏ったようなこそばゆい空気があたりに充満する。
 ――目の前の女の子が、オレの彼女。
 そう繰り返していくら実感を得ようとしても全然足りなかった、もっともっと実感がほしいとわがままを言うのはあとで、もっとあたたかな部屋のなかで。

Fin.
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