二、鳥と虫


 鳥達の定めた暦はオルニス歴と呼ばれた。
 始まりはソロイルスーザが三つの城を建てた年だった。鳥はそのうちの一つの城に集まって暮らしている。城の建つ荒れ地はいつも薄暗く、背後には暗黒連峰ドラドラが聳えていた。ドラドラは世界を囲む急峻な山で、壁だった。
 城に住まう鳥達は、長い間平和な時代を送ってきた。持ち上がる問題といえばせいぜい、食料のことか、同族同士の小さな小競り合いくらいであり、それも些末な出来事だった。
 そんな中、鳥達の歴史の中で、彼らは初めて困難な問題に直面することになった。
 敵が現れたのである。
 ソロイルスーザの庇護のもと、時間に命を削られることもなく生きていた彼らには、敵対する相手など、今まで存在しなかった。なので、「敵」と呼んでも差し支えない対象が出現したことは、多少なりとも鳥達の間に混乱を招いた。
 それはドラドラから降りてくる昆虫だった。鳥達が住んでいる世界はこの星の、外側の部分に属している。中心に近い場所には無数の小さな昆虫が生息していたが、この辺りに出没するようになったのはまたそれとは大きさや形、生態も異なる種類だった。
 昆虫といえば大きくとも普通はてのひらほどの体長がせいぜいといったところだが、これは一抱えほどもある。幾種類かいて、その全ての種類を把握することは不可能であったが、翅を使って飛ぶものから、たくさんの足を動かして地面を這うものなど様々だった。高度な思考回路を持つ生物ではなかった。小さな虫と同様、生命を維持するために動き回るのみだ。ただし小さな虫より、少々丈夫だった。ドラドラから離れた空気の中では生きていけないらしかったが、鳥達の城はドラドラの麓といってもいい場所で、大きな虫は生存可能の地域だった。
 小さな虫がそうであるように、大きな虫も一心に食物を食い荒らすのが得意であった。
 鳥は外部からエネルギーを摂取しなければ活動することができない。つまりは食事をしなければならないのだ。
 これまで食糧を安定して確保するのにさほど労を費やしてこなかった鳥達だったが、大きな虫とそれを奪い合う羽目になってしまった。
 このままにはしておけない。これからについて、話し合いの場を設けなければならないとのことで鳥達の意見は一致した。
 ソロイルスーザ――彼はソルと呼ばれるようになっていた――は白鳥と鷲を連れ、別の土地に長い間視察に出かけていた。
 それはとても長い間だった。とはいえ、彼らは時の流れを実感する機会が少ない。体に変化はなく、起伏のない日々を過ごしているから、余程暦を意識しなければ、積もる年月のことなど忘れてしまいそうになる。彼らは正確に数える習慣がなく、ただ認識を一致させるためにだけに時間という概念を共有していた。
 長い間でも短い間でも、どちらとも言えた。どちらにも思えるのだ。しかしとりあえず彼らは目盛りを定めておこうと決めたので、とにかく正式な単位に照らし合わせるとソルは長い間留守なのだ。
 重要な事柄を決定するにおいて、ソルの耳に入れておかなくてもいいのだろうか、というのがまず議題に上がった。
 鳥達の中には統率者のような者がいて、彼を中心にして会議は進められる運びとなった。
 鸚鵡(オウム)のロロという男だった。髪は灰色で、毛先にいくほど深い色になっている。眼鏡をかけ、ひときわ落ち着いて見える人物だ。
 彼は立候補したわけでも、推薦されたわけでもない。自然の成り行きでそのような立場におさまったのだ。彼自身も周囲も文句はつけなかった。
 それはおそらく彼の資質だったのだろう。誰も彼も役割というものがある。
 美しく若々しい姿を持つ者が多い中、ロロだけが一人余分に年を重ねたように成熟した風貌で、思慮深く見えたというのも理由の一つだろう。
 会議は全員参加というわけにはいかなかった。彼らは総勢六百羽近くにのぼり、一つのところに集まって話すのは難しかったのだ。それにこの件についての抱く思いも異なっていた。どれほどの重要性があるか受け止め方も違い、そもそも話し合いに興味の薄い者もいた。
 話し合うべきだと考える鳥だけが集まった。
 孔雀のタウスもその中にいた。
 青く光沢のある髪の彼は一際美しい容姿で目立っていたが、繊細な顔立ちはどこか神経質そうだった。
 タウスの仕事は主に食糧の管理だった。調達や配給、そのための人員確保や、やるべきことは多く、かつ重要だった。誰かに命じられてその職務についたわけではなく、言ってみれば成り行きだった。ロロの立場と同じだ。いつの間にか、おさまるべきところにおさまっていた。そういう者が多かった。
 重要な仕事をこなし、その部門で指揮をしている者は当然発言力を増す。分担して仕事をこなすうち、小さな群がいくつも発生し、その群に統率者が現れ、さらにそれを統率する者が現れたというわけだった。
 結局数十人集まって話し合った結果、ソルには事後報告をすることになった。白鳥や鷲を呼び寄せるという案も出たが、果たしてソルを煩わせるべきほどの問題かという点が議論され、自分達だけで対処する方が良いだろうとの結論が出た。
 続いて、大きな虫の駆除について話し合われた。
 虫を駆除するという流れに反対意見はなかった。虫と良好な関係を築くのは不可能であり、苦渋の決断と言えば苦渋の決断だった。彼らは争いに気乗りのする性格ではなかったのだ。そうでない者もいたにしろ、全体としての性格は、好戦的でないことになっていて、また、そうでなくてはならなかった。
 駆除は彼らにとって初めての危険をはらんだ挑戦だった。自分達の穏やかな世界に一つの区切りがつけられ、別の段階へ足を踏み入れることを予感させた。
「私は提案したいのだが、まず鳥達の属性を決めたい。戦闘員と、非戦闘員とにだ」
 ロロが発言した。彼の言葉は決して横柄ではなく、偏った響きもなかった。彼の声は言うなれば秤の台の部分だった。
 鳥達はこれまでも、はっきりとではないが肉体労働と精神労働の得意な者に分かれて仕事をしていた。今回をきっかけに、戦闘に向く、向かないを選別しておくべきではないかというのがロロの意見だった。
「そこまでする必要があるのでしょうか」
 と言ったのはタウスだった。
 タウスには大きな虫の駆除が想像の範囲を脱するほど大がかりなものになるとは思えず、提案は大袈裟であるように感じた。総員での戦争をするわけではない。食糧の管理を行っているタウスにとって、虫の発生は由々しき事態ではあったが、鳥達の属性について話が及ぶのは違和感があった。
「虫に限ってのことではない。この先についてのことだ。虫の件をきっかけに選別しておくのは、悪くないと私は思う。我々は何かと争うことを想定していなかった。あるいは想定することそのものに嫌悪感があったのかもしれない。しかし、このような事態が起こり得ると我々は学んだ。有事に備えるべきではないだろうか? 私はそれを望まないが、次に睨み合う相手が現れたとしたら、それが再び無口な節足動物であるという保証はなく、また、我々が態勢を整える暇を与えてくれるとも限らない」
「私は賛成する。ロロの言う通りだ。意識改革にもなるだろう」
 同意したのは鷹だった。彼はこの城の警備を担当しており、危機管理については度々意見を述べている。身体能力が高く、戦闘員に属することになるだろう、とタウスは思った。
 他にもあちこちから賛成の声があがり、多数決の結果、戦闘員、非戦闘員の選別が行われると決まった。

 * * * *

 その後、戦闘員の中から駆除隊が結成され、多くの虫が駆除された。以来虫がドラドラから降りてくることはなくなり、この問題は無事に収束した。
 鳥達は死んだ虫の塚を築いた。
 オルニス歴一四五〇年頃のことだった。



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