わたしのもの
- 「……だから、この議題だったら私が行った方が話が早いって……」
「ダメだ。お前はただでさえ激務なのに、ここんとこ国を跨いでの移動続きだっただろうが。少しは自分の体を労われ」
「いや、ライナーに言われたくないよ」
「ベロニカ、今はお前の話だろ。とにかく、昨日言った通り俺が代理で出る。それで決まりだ」
机に置かれた資料をコツンと指で叩いて、もういいだろう、と言わんばかりに話を終わらせようとする。その頑なな口調にすこしむっとする。
こういう、自分の言っていることが正しいと思っている時のライナーは、何を食い下がろうと異論を受け付けませんといった態度で人の意見に耳に貸そうとしないのだ。これが4年前にはずっとおどおどとこちらの様子を窺ってきて、「すまない」が口癖かと思うほど顔を合わせれば即謝罪してきた男と同一人物だというのだから人間は面白い。
今日に至るまで多くの出来事があった。20代も半ばに差し掛かって、大使も務めながら落ち着いた雰囲気になったと思っていたけれど、そうやって時折、だいぶ、いやかなり偉そうになるところはあまり訓練兵時代から変わらない。
「俺がいない間のことはジャンに任せてある。ちゃんとあいつの言うことは聞けよ」
「待って、なんでそこまでライナーが決めてるの」
「お前の健康管理能力は信用できないからな」
ライナーはふん、とそっぽを向いて偉そうな態度を崩そうとしない。
「……へえ、そんなこと言っちゃうんだ」
そうかそうか。そっちがそのつもりなら、こちらもずっと温めていた最終兵器を出そうというものだ。
目を細めると徐に懐から手帳を取り出す。怒るどころか妙に悪どい笑みを浮かべているのになにか嫌な予感でも察知したのか、何をする気だ?とライナーは少し怯んだ表情になる。微妙に不安げにこちらをちらちらと窺うくらいなら初めから素直に言えば良いのだ。見てろ、今日こそはぎゃふんと言わせてみせる。
ページを捲って、すう、と息を吸い込んで続ける。
「6月30日夜、同期と飲み。ライナーは珍しくかなり酔っ払っている様子だ。はじめはジャンの話に相槌を打つだけだったが、最終的にひとしきり理想の新居について語った後、突然真顔でまだ生まれていない孫とひ孫の名前の話をし始めて爆笑されていた。本人は自分のセンスに感極まって号泣していた。」
「!?」
ガタン、と勢いよく体勢を崩す音がした。唖然として二の句が告げない様子のライナーを横目に厳かにな口調で訥々と読み上げる。
「8月1日朝、ライナーが誕生日だというのに全然起きてこなかった。私を抱き枕にしたまま寝ぼけて離そうとしないので、ちょっと朝ごはん用意するから腕どかしてと頼むと、誕生日なら尚更このままがいい、と頭をすり寄せ」
「わああ!!!!」
ライナーは大声を上げて、それ以上日誌の内容が読み上げられるのを遮った。「な、お、おま、なんでそんなの書き留めて……っ!」羞恥心から顔を赤く染めた彼に手帳をバッと無理矢理奪いとられる。
「嘘だよ」
勿論、そんな内容は一ページたりとも書かれてはいませんとも。普段から持ち歩いている手帳だ、人に見られて特に差し障りのない内容しか書き留めていない。あっさりネタばらしされて、「あのなあ……」と脱力した様子のライナーにふふんと勝ち誇った笑みを浮かべる。
「……こいつ、本当こういうところがガキっぽい」
「なんか言った?」
「なんでもねぇ……」
額を抑えてため息をつくと、大きな手のひらが腰に伸びてきて体を引き寄せられる。そのまま半ば誘導される形でふたりでぼすんとソファに身を預けた。「……意地を張るのが馬鹿らしくなった」弁解するように、そうぽつりと声が落ちてくる。膝の上から顔を見上げれば罰が悪そうに睫毛が伏せられている。
「俺ばっかりベロニカに甘えている、気がするから……たまには、お前も休ませてやりたいって思ったんだ。それで、言うことを聞かせたくてつい意固地になっちまった」
悪かった。そう口籠るように言葉にして、ライナーは私の髪に躊躇いがちに口付けた。背中に触れる分厚い体躯は固く、熱い。ここから繰り出される許してくれるだろうか、と子犬みたいに惑う瞳にどうしても弱いのは私も同じだった。
「うん、私にも悪いところはあるし、揶揄うような真似をしてごめんね。きみの気持ちは分かってるつもりだけど、やっぱり素直に言ってくれた方が嬉しいものは嬉しいよ」
「ああ……次からは、そうする」
「よくできました」
腕を伸ばして、金色の髪をくしゃりと撫でる。こうやって彼の、丁寧にセットされている前髪を崩すのが好きだった。きっと無自覚なのだろう、こうするとライナーは毎回ほんのすこし嬉しそうに目元を緩めるものだから、それほど心を許されていると思うとどこか背徳的な気分になる。だけど今この瞬間、それを知るのは私だけだ。
むくむくと湧き上がる優越感に上がる口角を抑えきれないでいると、犬扱いされてるとでも思ったのか、ライナーが「俺の方が、二つも年上なんだが……」とぶつくさ文句を垂れた。それでも決して腕を離そうとしない、不器用なやり方しか知らない私のひとは、どうしようもなくかわいい。だけどそれを伝えたらまた臍を曲げてしまいそうだから、今日はここまでにしておこう。