15 正義
- ベロニカがレイス領に潜入していた間、兵団は見事フリッツ王政へのクーデターを成功させていた。新聞社は中央憲兵による言論弾圧を告発し、人類を見殺しにしようとした偽の王政、その不信を民衆に明らかにする。一時冤罪を受けていた調査兵団は晴れて自由の身となり、エレンとヒストリアの奪還を急いだ。
「ハンジさん!みんなも!」
「ベロニカ!よく一報を送ってくれた!」
拠点としていた小屋で調査兵団の面々を迎え入れると、ハンジは両手を広げてベロニカをガッシリと抱きしめる。ベロニカは久しぶりに顔を合わせた同期たちと互いに無事を喜び合い、ほっと一息ついた。
「お前がいない間こっちも大変だったんだぞ。団長が殺人の嫌疑をかけられるわ、俺らは追われるハメになるわ」
「肝心のエレンとヒストリアは攫われちまうし。こうして早く見つかったから良かったけどよ」
「動きっぱなしでろくに食べてないんですよぉ……」
「……でも、ようやく二人を取り返せる」
「うん……一日の間に情勢が変わりすぎててびっくりしたよ。みんなお疲れさま」
疲労困憊といった様子で、口々に報告する仲間たち。彼らを横目にハンジは問うた。
「それで状況は?」
「エレンたちと思しき棺桶が、領内に運ばれてきたのが夜明け前。中には見慣れない装備の兵士もいました……中央憲兵でしょう。奴らは今、間違いなく礼拝堂下の地下空間にいます」
「やはりか。予想した通りだね」
ハンジは頷く。「みんな、急いで準備に取り掛かってくれ。アルミンの策を採用する。ガス管を樽にしっかり括り付けて――」指示を出すハンジの横で、アルミンがベロニカに声をかけた。
「ベロニカはまだ知らないだろうから説明しておくね。奴らがつけている立体機動は、対人用のそれだ。剣を振り回す代わりに散弾を撃ってくる。鞘の重さがない分、こちらより機動力も高いからかなり厄介だ……だけど、付け入る隙はある」
アルミンは言葉を切り、自身の握るトリガーを示した。
「弱点は2つ。アンカーの射出機と銃の射線が同じ方向を向いていること。そしてさらに、散弾は2発までしか撃てない。……それで配置を考えたんだ。僕は信煙弾で援護、サシャは火矢で煙幕を仕掛ける。ベロニカは、ジャンとコニーたちと一緒に敵の背後に回って攻撃してくれ。それで、ええと……狙うべきは……」
言いにくそうに一瞬言葉に詰まったアルミンに代わり、腕を組んで黙って佇んでいたリヴァイが口を開く。
「首だ。もしくは後頭部を狙え。ここを斬られりゃ化け物でもない限り相手は死ぬ」
言葉を切り、リヴァイは見定めるような鋭い視線を投げた。
「やれるか?」
「ッ……」
人を殺せるか。その厳しい問いにベロニカは逡巡した。これからの戦いは巨人との戦いとは訳が違う。そう目の前の圧が物語る。命を奪う重みと、命を奪われる悼みを嫌と言うほど思い知っている眼差し。ぎゅっと手を握り締める。汗を滲ませながらも、ベロニカは深く息を吸った。
「――はい。作戦は理解しました。動けます」
巨人と戦う。そのために調査兵団を志したつもりだった。人の命を奪うために兵士になったんじゃない。でも、エレンの存在は人類の希望だ。それを害するというのなら、戦う。引き金を引かなければ何も成せないまま殺される。仲間も、自分も。
……命の優先順位は明確だった。だから、躊躇えない。
答えを聞いたリヴァイは「そうか」と表情を変えず頷いた。
「ならいい。時が来たら俺から指示を出す」
「……了解です」
◆◆
ベロニカの案内で礼拝堂に辿り着いた調査兵団は、地下へと続く隠し扉を発見した。
「――」
各々が戸の前で息を潜める。リヴァイが無言で合図を出し、同時に勢いよく戸を蹴破った。戦闘の狼煙が上がる。準備していた樽を入り口からゴロンと転がすと、跳ねながら一息に階下へと転がり落ちていった。
舞台は整った。リヴァイとミカサが真っ先に駆け出す。弓を振り絞ったサシャが狙いを定め、正確に火矢を命中させた。光る結晶で形作られた洞窟で大きな火の手が上がる。火薬をふんだんに含んだ樽の中身は四散し、あたり一面へと煙を撒き散らした。切り裂くような速さで、リヴァイとミカサが立体起動で煙の中に突入する。その背後から何本もの緑の信煙弾が空を走った。
「――敵数35!!」
リヴァイが吠えた。
「手前の柱の天井あたりに固まっている!!全ての敵を――ここで叩く!!」
声が響き渡ると同時に、ベロニカは目の前の石柱へとアンカーを撃ち出した。身を空中に踊らせる。
視界を奪った以上、敵の有利はなくなった!息を止めて黒煙に突入し、気配を紛れ込ませる。「敵はどこだ!」男の焦った声。こちらを探して飛び回っている一人の兵士に狙いを定める。背中がガラ空きだ。
――殺せる。
目が合う。意志を以て閃いた半刃刀身は容易に人肉に食い込み、頸から吹き出した生暖かい赤が頬に飛び散った。
「……ッ!!」
巨人の分厚い肉を切り裂く時とは違う。ブレードの先から伝わる生々しい感触。怖気の走る感覚に歯を食いしばる。「お前!!」弾丸が肉薄する。すんでのところで避けた数発が柱に罅を入れた。
「そこだ!撃てェッ!!」
ベロニカに狙いを定めた銃口はアルミンの信煙弾によって射線を切られ、定まらない方向へと命中する。
「ベロニカ!!」
向かい側から飛んできたコニーが叫んだ。彼の後ろにも女が迫っている。一瞬の視線の交錯。ワイヤーが交差する。なりふり構わず前方へ突っ込み、回転をかけて女の頭を思い切り蹴り上げた。「ガッ!!」呻きと共に柱へとぶつかり、地に落ちて動かなくなる。こちらを殺そうとしていた相手もコニーの手で頭をかっ切られ、黒と緑が入り混じる煙の下へと姿を消した。
殺した……。殺した!殺してしまった!時間差でぶわっと冷や汗が吹き出て、心臓が早鐘の音を立てる。
ミカサ、リヴァイの猛攻に相手は怯んでいる。敵から囲まれまいと移動を続ける最中、数本先の柱に誰かが叩きつけられた。ブレードを手放し、血の跡を残して地に転がる見覚えのある姿にざっと血の気が引く。
「ハ――ハンジさん!!」
動揺の隙をつき、敵は一斉に撤退を始めた。慌ててワイヤーをしならせて地に降り立つ。駆け寄って肩を抱くと、右肩から酷い出血が見てとれた。
「アルミン!ベロニカ!ハンジを任せた!」
リヴァイの指示にアルミンも駆け寄ってくる。止血が済んでも、ハンジの意識はまだ戻りそうになかった。二人で両脇から支えるように肩を貸す。出口を遡って地上に脱出するや否や、あたり一面からゴオオと激しい地鳴りがし始めた。
「な……!?」
大地が波打ち、あちらこちらが激しく陥没する。礼拝堂が土に飲み込まれ、完全に姿を消すまでにそう時間は掛からなかった。蒸気が噴き出て、ビキビキと硬い地表に亀裂が走る。嫌な予感に駆られながら必死で距離を取って、振り返ると、目の前いっぱいを蒸気と肉色が妨げた。
目に映るのは――巨人。
それも、超大型よりも遥かに大きい。
高熱で木々が焼ける。大地の穴からゆっくりと這い出た巨人は、長細い腕を伸ばし、地表を掴んだ。
「土地が……」
ベロニカは呆然と呟いた。あたり一面の針葉樹は発火し、蒸気と煙が夜空に向かって立ち上る。平穏な村は見る影もなかった。巨人は周りにいたベロニカたちに一切の関心を示さない。知性はなく、ただ森を焼き、半身で地を削る。進む先には――暮らしがある。農夫が耕した農園、住人が代々守ってきた墓地、子供たちの遊び場。全てが踏み躙られる。
「オーイ!エレン!?みんなー!!」
「――その声!アルミンか?こっちは全員無事だ!」
崩落した地下に向かって必死に呼びかけるアルミン。元気そうな声が返ってきて、ホッとため息をつく。
「良かった。大きな怪我はないみたいだ」
「……ごめんアルミン。ハンジさんとみんなをお願い」
皆の無事を確認したベロニカは、居ても立っても居られず立ち上がった。
「住民を避難させないと。荷馬車も呼んでくる!」
「分かった。ベロニカも気をつけて……!」
街への滞在が最も長かったベロニカは、どのあたりに人が住んでいるかを概ね把握していた。途中でエルヴィン率いる兵士たちと合流し、エレンたちの居場所を伝える。同時に地図を渡し、分担して避難誘導を手伝ってもらうことになった。
巨人はオルブド区に向かって一直線に進んでいる。鈍い巨体でも、ここを通過するまでそう暇はない。あたりを馬で走り回り、巨人襲来を大声で告げる。住民の様子は様々だった。轟音で外に飛び出して呆然としていたり、怯えてパニックになっていたり。寝こけていた住民は、戸をどんどんと叩いて叩き起こし、一刻も早い避難を呼びかけた。
「落ち着いて!馬があります!足の悪い人は荷馬車に!」
慌てて荷物を纏め、逃げる支度をしはじめる家族。「その格好――」声をかけられて振り返る。ドアの横で、鳶色の瞳の少年が目を見開いてこちらを凝視していた。
「……姉ちゃん、兵士だったの?」
「――はやく行って!!」
あどけない視線を直視できなくて、ベロニカは強い口調で指示を繰り返し、次の家屋へと向かった。
王の暴走を止めるためにも、免れない被害だった――。無理やり己に言い聞かせようと手綱を強く握りしめる。そもそもはロッド・レイスがエレン達を攫わなければこんなことにはなっていない。自分達はただ人類の希望を取り戻そうとしただけで。
……でも、本当に?
犠牲を伴うこの選択が正しかったと言えるのか?
この村の人たちは、知らなかっただけ。何も知らなかっただけだ。あの日の自分のように突然争いに巻き込まれて、故郷を破壊される謂れはない。
――自分が礼拝堂の位置を教えなければ、ここの住民はそのまま争いに巻き込まれることもなく。ただ平穏な日々を続けていけたかもしれない。そんな凍りつくような心地が胸の中を吹き荒ぶ。
(……ああ、そうか)
いよいよ焼け落ち始めた家屋を、馬の背から茫然と見上げる。
(私――正しいことをしてるって思いたかったんだ)
人類のためという大義名分の裏で目を背けていたもの。巨人の正体が人間だと知ってなお刃を向けられたのも。罪のない住民を騙せたのも。容赦なく敵の首をかき切れたのだって。罪悪感こそあれすべて躊躇いなく行動に移せたのは――目的の邪魔だったからだ。
鎧に追いつきたいから。喪うのは痛いから。何も成せないで終わるのは怖いから。これ以上、理不尽に怒りを覚えたくないから。だから、きっとこれからだって欲張って、目指すもののためなら手段を選ばない。その傲慢さが自分の本質だとようやく気づいた。
「……ごめんなさい」
――私は、私のために人を殺した。
咄嗟にこぼれ落ちた謝罪は誰にも届かない、何ら意味のないものだ。
理不尽に抗っているつもりが、いつのまにか自分が誰かを傷つける側に立っていた。
……だとしても、今更復讐を諦めきれない。
故郷を取り戻し、仇を討つ。その使命感だけが、これまでのベロニカ・ファイトを生かしてきたのだから。