憲紀様を居間で待たせている間、私はいつもの様に和服へと着替える。準備が整った所で鏡に映る自分を見つめながら可笑しな所が無いか隅々まで厳しくチェックした。見た感じ変な所は無くて一安心した後、寝室から出る前に視線を今日持ち歩いていたバッグへと移し、少し悩んだ末にそれを手に取った。
憲紀様からのお土産を切り分けながらお茶の準備もしていく。出張先は九州だったらしく、お土産を見ただけでどこに行ったのか分かる物だった。2人でお茶を飲みながらする談笑は、いつの間にか今日の事についての話題に移り変わる。
「君はよく外出をするのか?」
「いえ…加茂家に招かれてから初めてです」
「誰かと会う約束でもあったのか?」
彼からの質問に言葉を詰まらせる。別に聞かれて困る事ではないけれど、それを言うとしなければいけない事がある。緊張のせいか心の準備はまだ出来ていなくて、はぐらかす方に回ってしまった。
「いえ……。ただ…用事がありまして」
「用事?」
それでも憲紀様は追求の手を緩めない。逃げられないと悟った私は意を決してバッグの中からラッピングされたプレゼントを取り出す。緊張で震えながら私はそれを憲紀様の目の前に差し出した。
「今日はこれを買いに行っていました。憲紀様へプレゼントです。遅くなりましたが21歳のお誕生日おめでとう御座います」
過ぎてしまった6月5日は憲紀様の誕生日だった。誕生日に何をあげるか悩んでいた所、会話の中で嗜好の話しになりコーヒーが好きだと知る事が出来た。
既に粉にされた物よりも豆を挽いて淹れた方が好みだと聞いていたので本格的な人だと思った私は、ネットで話題のちゃんとしたお店で豆を買った。私はコーヒーが苦手でどの豆が良いか分からなかったからお店の人と相談して一番高い豆を買った。
コーヒー豆は買いたてが1番良いらしく、良い状態の物を直接渡したかったから憲紀様が今日来てくれて本当に良かった。当日は会えないと分かっていたから、ずらして買いに行って正解だったかもしれない。
買ったはいいものの、側女の私からプレゼントをあげるだなんて烏滸がましいと思うし喜んでくれるか不安だった。憲紀様の追求がなかったら結局心の準備が出来ずに渡せなかったかもしれない。
迷いながら買った誕生日プレゼントは差し出されたまま一向に受け取ってくれる気配は無い。しかも憲紀様はずっと無言で空気が重くなるばかりだ。やはり渡さない方が良かったのかと不安になり顔を伺うと、いつも閉じられていた眼が珍しく開いて驚いている様だった。
「先日、たくさんの贈り物をもらったが……どの品よりも嬉しい」
憲紀様からやっと出た言葉は私の気持ちをマイナスから一気に反転していく。加茂家当主にこんな貧相な物を贈るなんて、周りから見たら侮蔑の目を向けられるかもしれない。けれど憲紀様は優しい人だからかこんな物でも喜んでいる様に見えた。
「お世辞でも嬉しいです」
「世辞では無い、ありがとう。早速開けても良いだろうか?」
「勿論です」
憲紀様は細く長い指を使い包装紙を開けていく。丁寧に開けていくその様子は憲紀様の几帳面な性格を表している様だった。
「珈琲豆か。私の好きな品種だ」
「以前お好きだと聞いていたので。お好きな品種の物で良かったです」
「早速豆を挽いて飲んでみたいが、無くなってしまうのは惜しく感じる。だが珈琲豆は時間経過と共に味も質も落ちてしまうから困った」
それをじっと見つめながら深く悩む憲紀様に私は思わず笑みが零れた。そんなに悩まなくてもお店に行けばたくさんあるのに。けれど加茂家当主として忙しい彼には買い物をする時間も無いのかもしれない。
「また買ってきます」
「本当か!?ならば縛りを結ぼう。名前、君は私にまた珈琲豆を買って来る。その代わり私は君が望む物をあげよう」
懐かしい“縛り”と言う言葉に目を見張る。呪術師同士が結ぶ誓約は破られたら最後、災いが降りかかると言われている。別に破るつもりは無いが呪術師ですら無い私は縛りを結んではいけない様な気がした。それに欲しい物なんて思い付かない。
「縛り…ですか?でも私は呪術師ではありませんし。それに…望む物は何も無いので」
「そうかならば…」
彼は小指を突き立て私の目の前に差し出す。
「…え?」
それの意図はなんとなく分かっていたけど憲紀様がそんな事をするとは予想だにしなくて思考が一瞬だけ止まった。
「指切りだ。約束を交わす時にするやつだ。そんな事も知らないのか?」
眉間に皺を寄せ不思議そうに憲紀様は首を傾ける。指切りは知っているけど最近になってする事はほとんどなかったし、彼がそんな事を提案するとは思ってもみなかった。
「これだったら君も出来るだろう?」
子供のような約束の契りは憲紀様なりに呪術師では無い私への配慮なのだろうか。彼の優しさが素直に嬉しく、心が温まる。
「はい」
私は小指を立てて憲紀様に近付ける。そしてゆっくりとお互いの小指が絡められた。小指に感じる彼の温もりに心臓が大きく鼓動を打ち憲紀様に聞こえてしまうのではないかと心配になる。
「約束だ」
「はい、約束です。必ずまた買って参ります」
子供っぽく嬉しそうに微笑む憲紀様に釣られて思わず笑ってしまった。あの日、自分の気持ちを自覚した時に見た凛々しい御当主様はそこにはいなくて、今日の憲紀様は一段と可愛らしく感じる。
彼の喜ぶ姿を見て、私は嬉しくなった。加茂家当主なら誕生日の祝いの品などたくさん贈られる筈だ。その中で私が贈った品は一番貧相な物だろう。それなのにこんなに喜んでくれると思わなくて、あの日に気づいてしまった想いは間違いでは無かったと実感する。
私は憲紀様の事が好きだ。
21.1002
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泡沫の夢