逃避行 | ナノ
   

名前に初めて出会った時は一目惚れだったからか、鮮明に覚えている。



3つの顔で生活していると自分が誰か分からなくなる時がある。降谷零、安室透、バーボン。目まぐるしく変わる顔にその時は疲労が重なっていた。4月なのに日差しは強く背広が少し暑苦しく感じるそんな日だった。

その日は降谷零として警察庁に寄った帰りだった。ふと目の前に倒れている男性と心配そうに声をかける女性がいた。すぐに駆け寄り彼女達に指示を出す。救急車が来るまでの間心臓マッサージをし続けていたせいで疲労はピークに達していた。

救急車が到着し救急救命士に後は任せた後、近くのベンチで休んでいた。本当に疲れた。このまま眠ってしまいそうだった。何も考えずただ地面を眺めていると目の前にペットボトルのお茶が差し出された。


「お疲れ様でした。大丈夫ですか?」

顔を上げると救急車を呼んでくれた女性がいた。彼女の背後に太陽があったせいか逆光のせいでその女性が輝いて見えた。彼女から差し出さられたお茶を受け取り一気に飲み干す。倒れた男性に寄り添い、他人の俺にお茶を差し出すなんて優しい人だ。そんな彼女に無意識に名前を聞いた。


「私、苗字名前って言います」

「名前さん、素敵なお名前ですね。僕は降谷零です」

名前を言った瞬間、顔には出さなかったがやってしまったと思った。さっきまで降谷零として仕事をしていたから疲労と重なって普段はしないのに本名を名乗ってしまった。だが他人だここで別れてしまえばいい。

「降谷さん……珍しいお名前ですね」

「よく言われます。あの、名前さんさえ良ければ近くに良い喫茶店があるんですけどご一緒にどうですか?お茶のお礼に」

そう思っていてもお茶のお礼に彼女を近くの喫茶店に誘った。何をしているんだと心の中で思っていても名前が呼んだ俺の名前が嬉しくて、もっと呼んでほしいと求めていた。




「降谷さんは何のお仕事をされているんですか?」

「僕は探偵でして、その傍ら喫茶店のバイトもしていますよ」

さすがに公安とは言わなかった。安室透の設定を名前だけ変えて彼女に伝えた。名前と連絡先を交換した時、嬉しさと躊躇いが入り混じった複雑な心境だった。


名前と別れ帰宅してからスマホに記録された彼女の連絡先を眺める。今、彼女の情報を消せば全て元どおりだ。あっちから連絡があっても無視すればいい。連絡がつかなければ彼女もじきに俺の事を忘れるだろう。今は潜入捜査中だ、私情で女性にうつつを抜かしている場合ではない。彼女の連絡先を削除しようと指を動かす。

だけどそれは出来なかった。もう一度会いたくて気付いたらハロを出しに使ってまた会わないかと誘っていた。



名前と会う度にこれっきりだと思っていた。しかしそれとは裏腹に何度も逢瀬を重ねていた。


「名前さんは恋人とかいるんですか?」

「まさか!いないですよ。降谷さんこそ彼女さんとかいるんじゃないですか?」

「僕もいなくて。ですが片思いはしていますけどね」

「そう……なんですか。降谷さんは優しい人だからすぐに相手の方と両思いになれますよ」


暗く影を落とす彼女の表情を見て、思わず口角が上がる。

自分の気持ちなんてとっくに気付いていた。お茶を差し出してくれたあの時、輝いて見えた名前に心を奪われた。優しくて気づかいもできて会う度に笑顔を向けてくれる名前の事が好きだった。だが当時は告白するつもりなんて無かった。彼女の親しい友人として、時々会って話しができればそれで良かった。こんな仕事をしているし、彼女を危険に晒したくは無かった。

それでも彼女に恋人がいるか探りを入れたり、片思いをしていると言って名前の反応を見てしまっていた。ショックを隠そうとしている名前を見て、まさか俺の片思いの相手が自分の事だとは思っていないようだった。そんな所も好きだった。

きっと名前も俺に好意を寄せている。その事を感じた時は本当に嬉しかった。


誰かに好意を持ったり特定の相手を持つと仕事に支障をきたすという話しを聞いた事があったが名前を好きになってから、より一層仕事に打ち込めた。自分の仕事が名前を守っている事に繋がっている。その事に誇りを持てた。


会うだけで話すだけで良かったはずなのに、その内にもう元には戻れないと悟り、気付いた時には遅く名前を深く愛してしまっていた。
 
名前の隣にいたい。出会ったあの日の事を思い出しながら俺は名前に告白する決意をした。たとえフラれて恋人になれなくても見えない所で彼女を支えられればそれでいい。

名前の為なら、なんだってできるような気がした。




20.1029

前へ 次へ

逃避行

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -