声が優しいのはずるいと思います
「巻島さん」
「何ショ」
「どうしましょうか」
ガードレールに二人腰かけて、ぼーっと前だけを見つめる沈黙を破ったのは、私だった。もうかれこれ、数十分、何もしないでここにいる。握りしめた携帯に連絡が入ったのは、数刻前のことだった。
『すまない、姫……っ』
「ううん、いいのっ」
『巻ちゃんは傍にいるか?』
「え、うん」
『かわってくれ』
尽八君からの電話を巻島さんに手渡す。少し嫌そうにしながらもそれを受け取り電話に出た巻島さんを、ぼーっと眺めていれば、一言、二言話したかと思えば、携帯は私の手に戻ってきた。
途中、何度か私に視線をよこしては、気まずそうに視線を逸らして、頬をかく巻島さんだったけれど、私がかけた声に立ち上がると、こちらに手を差し伸べた。
「……とりあえず、行くか?」
「え?」
「映画。見たいんショ」
「付き合ってくれるんですか?」
巻島さんを見上げて小首を傾げる私に、彼は特有の笑いをこぼして、「じゃなきゃ、とっくに帰ってるッショ」と続けてくれた。
思わず笑みをもらして、彼の手を取る。
「あ……」
「どうしたんですか?」
「いや……手は、まずいッショ」
「?」
手? 何かまずいことでもあるのかな?
繋がれた手を見て、それから再び巻島さんを見上げる。どこか顔が赤いのを見て、益々意味が分からずに首を傾げた。
「俺は、東堂じゃねぇんだが」
「!あ……っ、す、すみません」
「い、いや。俺が手出したのが悪いッショ。謝んな」
何で私ってば。 思わず頬が熱くなるのを両手で押さえて冷ましながら、心の中で尽八君に何度も謝った。謝るという行為自体が、意識しているということだということは頭からすっぽり抜け落ちていた。
とまあ、そんなスタートを切った私たちの関係は、何だかギクシャクして映画館まで続いたが、映画を見終わる頃には、そんなわだかまりもすっかりなくなってしまっていた。
「感動しましたぁっ」
「お、おう。取り敢えず、涙拭くッショ」
「うっ、うっ」
映画館で号泣なんて、迷惑ばっかりかけちゃった。巻島さんが差し出してくれたハンカチで涙を拭いながら、そろっと彼を見上げる。
心配そうにこちらを見下ろす瞳は、私の危惧していることを吹き飛ばすかのようだった。
「ま、巻島さんは、楽しめましたか?」
「あ、ああ……。まさか、ラストでああなるとはな」
「!で、ですよね!伏線回収してる間は、きっと二人は結ばれてハッピーエンドだって、疑わなかったのに!」
「結局、彼氏の親友とくっついちまうなんて、今の恋愛映画はどうなってんだぁ?」
うん、うん。と、巻島さんの感想に頷きつつ、映画を振り返る。
私たちが今見てきた映画は、恋人同士の二人の前に現れた彼氏の親友が、彼女を好きになって三角関係に陥ると言う、一見して泥沼な映画だが、実はとてもピュアな純愛映画なのだ。
実は、彼氏の親友と彼女は、幼馴染で、小さいころのことをよく覚えてなかった二人がひょんなことから、お互いの存在を思い出し、それと一緒に大切な約束まで思い出す、といった何とも切ない展開が待っていた。
それでも、彼女は、彼氏と共にあろうとする。揺れる心を無視して逃げようとする彼女を、親友が強引に奪う形になる。
でも、それを彼氏は笑顔で送り出すんだ。
「でも……すっごくよかったなぁ。誰もが幸せになれる恋愛なんて、きっと存在しないんでしょうね」
「クハッ。……この映画、東堂とは見に来ねぇ方がいいな」
「や、やっぱり?」
「泣くぞ、アイツ。……うぜぇくらいにな」
「な、何か想像できるような……」
「だろ?」
巻島さんと二人顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出した。尽八君のことを誰より理解して、共に高みを目指す彼だからこそ、私は、こんなにも笑顔で、安心して傍にいられるのかな。
素の自分でいられるのかな。
「私にも、幼馴染、いたんです」
「それは、東堂知ってんのか?」
「はい。凄い剣幕で衝突してました」
苦笑いを浮かべながら、あの時の彼のことを語れば、巻島さんは、顔を引きつらせていた。多分、想像できるからだろう。
まあ、今思えばいい思い出だけど、あの時は彼の誤解を解かなきゃと必死だったな、と思い返せば、心臓に悪い出来事一位だ。
「大変だったな」
「でも、尽八君の真っ直ぐな気持ち聞けて、嬉しかったです」
「クハッ。お熱いねぇ」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
あわあわと謝罪の言葉を口にすれば、彼はただ笑って、わしゃわしゃ、と私の髪を撫でた。その手がとても温かくて、何だか懐かしい心地がした。
あれ、私、どこかで……。
尽八君じゃない。 尽八君は、私の髪を指に絡めとるように撫でるの。慈しむように、すっごく優しい心地。彼の手ではない。
「ん?どうした?」
「い、いえ。なんだか、懐かしい感じがして」
「!……そうかよ」
違和感が既視感に変わる。 でも、その既視感さえよくわからない。巻島さんは、何も言わずにそっと手を引いた。その時の表情がどこか切な気に揺れた気がしたのは気のせいだろうか。
「あ、尽八君のお見舞い、買ってかなきゃ!」
「あ、おいっ!」
「!?わっ」
巻島さんの様子が気にはなったものの、尽八君の事が頭に浮かんでそれはかき消された。お見舞い、とその場の空気から逃げるように飛び出そうとした私の腕は、彼の長い腕に引き留められた。
ポスッと彼の胸にぶつかって、かちこちん、と身体が固まる。そんな私の前を子供たちがはしゃぎながら走り去っていった。
「ちゃんと前見て動け。危ないッショ」
「ご、ごめんなさい…っ」
握られた手首が熱い。 顔を上げられずに俯いていれば、そのまま手を握った彼にそっと手を引かれた。
「ま、巻島さん!?」
「こうしてないとすぐはぐれそうだからな。東堂には黙っとけよ」
「!?え、あっわ、わ!!」
「な、なんだぁ?」
「巻島さんの彼女さんに誤解されちゃいます!!」
「いねぇよ、そんなもん」
「!?」
「な、なに赤くなってるッショ」
「だ、だって!!」
この手、知ってるの。 私、前にもこうして手を引いてもらった事あるんだよ。
映画の内容がフラッシュバックして思わず、彼と繋がれた手を振り払ってしまった。
「!……お前やっぱ、あれか。別荘で……」
「別荘……」
小さいころ、お父さんのお仕事についていって、森の中でお泊りした。木の家だ、と騒いで回る私のおもりをしてくれたのは、同い年の男の子で。そう、髪の色が……。
「裕ちゃん……?」
「!……ショ…」
「うっそ!!」
巻島さんが、裕ちゃん!? ハッ、そういえば、巻島裕介! え、えっ!でもでも、嘘ー!!
小さいころに何度となく遊んだ曖昧な記憶の男の子。玉虫色の髪で、ちょっと怖い顔。でも、笑うと優しくて、髪を撫でる手が温かくて。
「やっぱ、お前、姫だったんだな」
「……裕ちゃん、なんだ……」
随分と男前に育ったものだ。 背もぐん、と伸びて、髪も長くなって。色気なんて、私なんかよりずっとある。
「東堂には黙っとけッショ」
「え?」
「アイツの前で俺の事、昔みたいに呼ぶなよ」
「どうして?」
「また誤解されて困んのはお前だろ」
「!……」
だから、と続けて顔を逸らした彼の手を今度は私がぎゅっと握った。「ショォ!?」と声をあげる裕ちゃんに満面の笑みを向ける。
「尽八君は、裕ちゃんのこと大好きなんだよ。誤解なんて絶対しないよ!それにね、私、嬉しいの。尽八君の親友が裕ちゃんで、こうしてまた巡り会わせてくれたこと」
映画の内容が引っかからないわけじゃない。でも、彼は、あの映画の親友とは違うのだ。私も、映画の彼女ではない。そして、私の彼氏は、絶対に私の手を離したりなどしないのだ。
―「ならん!ならんよ!姫!お前は、俺のだからな!」
子どもみたいに真っ直ぐな愛情を向けてくれる彼の言葉が私の心を繋いで離さない。私を愛してくれる彼に、私はこれからもずっと応えていきたい。返していきたいの。
「俺のつけいる隙なんかねぇッショ」
「え?何か言った?」
「何でもねぇよ。ほら、見舞い買いに行くんだろ」
「うん!」
握った手を握り返して手を引く裕ちゃんに頷いて歩き出す。こうして並んでいると、本当にあの頃に戻ったみたいだね。
「裕ちゃん」
「クハッ。東堂に泣かれるぜ」
「何で?だって、裕ちゃんは裕ちゃんでしょ?」
「いや、何でもねぇ。お前は、お前らしく、いればいい」
「うんっ」
尽八君は、本当に私に一杯幸せを運んでくれる自慢の彼氏だ。
トライアングル 「ま、巻ちゃん!!どうゆうことだ!!一体何があった!!」 『あー、……だから、やめろっつったんショ……』 「姫が、姫が!!あの日から、巻ちゃんの話ばっかりだ!!」 『知らねぇよ』 「しかも何だ!裕ちゃんだと!?いつからそんなに親しくなったんだ!!」 『耳元で叫ぶなッショ!』 「これが叫ばずにいられるか!」
2015.10.23 編集20.01.12
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