016話 仲直りできました



「ん……っ」


何か、手があったかい――。
重たい瞼を上げれば、ぼんやりとした視界が赤い髪をとらえた。征兄ちゃん来てくれたのかな、とぼんやりする頭で考えながら、温かい手元に視線を落とす。しっかりと握られている手に、ほわっと心が温かくなる気がした。

ぎゅ、と握り返してみれば、同じように返ってくる力が、私の小さな手を包んでくれる。


小さく笑みをこぼして、覚醒してきた頭は、妙な違和感を覚えた。征兄ちゃんにしては、髪が長い気がする……あ、れ……。

再び赤い髪に視線を戻し、ゆっくりと顔を覗き込めば、静かに寝息を立てる馴染みの深い顔。すっごい、気持ちよさげに寝る、凛の寝顔なんて、何年ぶり――ん?

り、凛――!??


思わず声を上げそうになったのを、あいている方の手で口元を覆って回避した。心臓がばくばくとうるさいのを耳にしながら、目の前にある現状をうまくのみこめないでいた。

まずまず、何で、兄さんが鍵かけてでていったはずなのに、凛がここで寝てるの!?


「んっ」
「!――……?」
「……っ、まつり……っ」
「!は、はい………」
「ん?……」


寝言に応えてしまったのだろうか、と思って暫く状況を見守っていれば、ばっちし目を開けておられる松岡凛くんが、眠気眼で私を見つめている。

徐々に開かれていく目に、あ、さっき起きた時の私もこんな感じだったんだろうな、と冷静に先程の自分と比べてみた。


「まつり…?」
「う、うん?」
「何でお前がいんの?」
「それ、私の台詞?」


まだ、ぼーっとしているんだろうか。繋がれていた手がはずれ、両頬に伸ばされた手が私の顔を包み込む。近すぎる距離に、顔がゆでだこのように熱い。

り、凛。ねぼけてる……?


「凛、あの…っち、ちかいですっ」
「おう、」
「おうって、ね、寝ぼけてるでしょ?……ちょ、ちょっと!」


すとっぷ!!
待って!の私の声は耳に入っていないのか、凛の腕の中に引っ張り込まれる。あわあわと慌てる私をぎゅっと抱きすくめる腕が、何だか懐かしい。って、そんな悠長なこと考えてる場合じゃない!

これ、完璧寝ぼけてますよね!?


「まつり……」
「っ、り、凛!!起きてってばぁあああ!!!」


これ以上は私の心臓が持たない。
そう判断して大声を上げれば、なんだかバタバタと騒がしい足音がいくつも階段を駆け上がってくるのが聞こえる。

え、と思った時には、ばん、と勢いよく開かれた扉から目を真ん丸にしたハルと、いつものメンツが勢ぞろいで飛び込んできた。


「え、ええ!お兄ちゃん何してんの!」
「まつりっ!……凛、離れろ!」


大声を上げて慌てる江ちゃんとハルによって、自由になった身体はぐらりと傾いて、咄嗟に支えてくれたのは、心配げにこちらを見下ろすまこだった。


「大丈夫?」
「平気。あ、ありがとう」


よかった、とそう言って、私から離れたまこは、凛に殴り掛からんばかりに詰め寄っているハルを止めに行った。ちなみに、渚が今必死に止めている。

江ちゃんは、凛の前に座って、頬をぺちぺち叩いて目を覚まさせようとしているようだ。


私一人取り残されて、現状把握もままならないまま、今目の前に広がる異様な光景をただただ見守るしかできなかった。


「お兄ちゃん!」
「!……ん、江…?」
「起きた!?じゃあ直ぐにまつり先輩に謝って!ほら早く!」
「はあ?何言って――…っ!」


どうやら、漸く目を覚ましたらしい凛が、江ちゃんに押されるまま私の前までくる。現状認識をできていないのは、どうやら私だけではないようで、凛の吃驚したような瞳がこちらを見つめて揺れている。

昨日の今日だ。私とて顔は合わせ辛い。


す、と視線を外してベッドに落とせば、江ちゃんの凛を呼ぶ声が耳についた。謝っての言葉は、凛には相応しくないよ、江ちゃん。


「凛ちゃん、まつりちゃん心配してきたんでしょ?」
「!…はあ?…偶々通りかかっただけだよ!」
「鍵はしまってた。偶々通りかかって、何でまつりの部屋で寝てたんだ」


手なんか握って、と余計な単語を発していまだ暴れているハルの声にびくり、と肩が跳ね上がった。それは、どうやら、私だけではなかったようで、小さく凛の舌打ちが聞こえた。

私は知らない。兄さんが出て行ってから、どういう経緯で凛が私の部屋にいたのか。どうして、握られていた手が、とても温かいのか――。


「ハルちゃん、どうどう。取り敢えずさ、僕ら下にいるし、二人で話しなよ」
「そうだな。俺らがいたら、凛も話しづらいだろ」
「そうですね!じゃあ、私たちは下に行きましょう」
「俺は残る」
「だーめ!ハルちゃんも降りるの!」


離せ!と声を上げるハルを無視してずるずる引きずっていく皆を呆然と見つめる。ばたん、と再び閉まった扉を見つめたまま、凛も私も暫くの間、押し黙っていた。

閉鎖的な空間に重苦しい空気が充満して、息がつまりそうだ。


凛は、私を許してくれる気になって、会いに来てくれたのだろうか。


ベッドの上から、床に座り込む凛をじっと見下ろす。でも、視線が交わることはなかった。凛の視界に、私は映り込まない。

ねえ、凛。せめて、こっち見てよ。


ぎゅ、とパジャマの裾を握りしめる。何も言ってくれない凛と二人、こんな空間にいても、昨日の問題は何一つ解決しないし、私と凛の距離も隔たれたままだ。

下に行きたい。皆のところに。


その時だった。重たい沈黙を破るように、私の携帯が着信を知らせる。弾かれた様に顔を上げた私は、躊躇いながらも携帯を手に通話ボタンを押す。

ディスプレイに表示されていた名前が彼だったから。


「はい、もしもし…」
(まつり?起こしてしまったかな。体調はどうだい?)
「あ、うん。大丈夫。友達がお見舞いに来てくれて、ね。熱も引いたし、もう大丈夫だよ」
(そうか。今やっと仕事が片付いて、これから向かおうと思って連絡したんだが、行かないほうがいいかい?)
「!え、あっ…」


電話の相手は、兄さんが言い残して仕事に出かけた征兄ちゃんだ。たぶん、征兄ちゃんの事だから、忙しいのに無理して時間を作ってくれたんだろう。

久しぶりに顔は見たい。会いたい。


――でも、


凛の方に視線を向ける。ばっちり合わさった目は、大きく見開かれた後に、私から逸れた。そんな些細な動作にも胸を痛める私が、このまま征兄ちゃんに会うことはできない。

凛と、ちゃんと話をしなくちゃ。


「征兄ちゃん、あのね。買ってきてほしいものがあるの」
(ん?)
「あっちゃんとこのね、ケーキ食べたいなって」
(ああ、敦の。分かったよ。じゃあ、もう少ししたら行くから安静にしているんだよ)
「ありがとうっ」


優しく笑って気遣ってくれた征兄ちゃんにお礼を言って、通話終了ボタンを押す。そういえば、兄さんにもおんなじこと頼んだな、とか思いつつ、今なら皆いるし、いっぱいケーキ来ても食べきれるだろうと勝手に自己完結した。

さあ、次は――。


「じゃあ、帰るわ。邪魔したな」
「え、」


それはないよ、凛――。
電話を聞いていたなら、きっとこれからここに誰かが来ることは分かったのだろう。だけど、凛が今すぐこの場を去る必要はない。

それに、私、まだ凛に何も言えてない。


立ち上がり、ドアノブに手を掛けた凛を引き留めるため、咄嗟に背中にしがみついた。勢い余って飛びつく形になってしまったが、凛は体制を崩すことなく、そのままで、一瞬息をのんだような音が上からした。

腰に腕を回して、ぎゅっとしがみつく。


「り、ん。行かないで…っ」
「!――…」
「ご、ごめんなさいっ。謝るだけで、何もできてないけど…っ。でも、私、凛と一緒にいたい…っ。凛に嫌われてても、それでも…離れたくないっ」
「っ……」


何度でも謝る。何でもする。許してくれなくてもいい。それでも、離れ離れはもう嫌だ。近くにいるのに遠いのは、離れていたこの四年より、ずっと苦しいものだから。


「私の事、もう、一人で置いていかないで――っ!」


本音はこうなのだ。
四年前、笑顔で私の前からいなくなったキミを、もっと違う意味で失ってしまうのが、私は怖い。離れ離れが、距離でなく心なのが、とてつもなく怖い。


力をこめていた腕が、凛によって引きはがされた。抵抗を示す私の力なんてたかが知れていて、「嫌っ!」と声を上げることが精一杯の抵抗だった。

でも、その声を阻むように、力強い腕の中に再び抱きすくめられる。


思わず息を止めて、凛を見上げた。私の肩に顔を埋める凛の表情は伺えなかったけれど、あの時みたいに冷たい瞳はしていない、とそう断言できる。


「凛、ごめんなさいっ」
「もうわかったから、黙れバカ」
「!……うんっ」


凛の腕の中で、ただ胸に抱いた想いはあの頃よりずっと確かな恋心として芽吹き始めているような、そんな気がした。




(仲直りできました)
りん、りん
なんだよ
だいすき
!っ……(やめてくれマジで。

ハ、ハルちゃーん?
ハ、ハル、ほら、そろそろ二人とも降りてくるんじゃないか?俺たちここにいたら、まずいと思うんだけど
そ、そうですよ。取り敢えず仲直りできたみたいでよかったじゃないですか、ね!


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