「仁王君、ごめんね。びっくりしたよね」
「……」
暁美さんが魔女を葬って、マミさんの死を悼む間もなくあの場からひっぱり出された私は、仁王君の背中の上でぐったりしていた。癒しの願いで魔法少女になった私は、他の魔法少女よりも回復力は早い。
それでも、身体に負った傷は大分残ったままだ。今回は頭に血が上りすぎて、暴走してしまった自分を深く反省した。
それに、彼にはとても怖い思いをさせてしまった。
「いつからじゃ…?」
「え…?」
「いつから、あんな化け物相手にしてたのか聞いちょる」
いつから――…。
それを応えたら、次に飛んでくる質問が容易に想像できる。それをわかってて、そんな怖い顔してる仁王君に言えないよ。
「今日見たことは忘れて。私も、もう巻き込んだりしないで、うまくやるからさ」
マミさんが死んだ今、あの町には暁美さんのほかに魔法少女がいない。魔女に食い尽くされる前に、誰かが防波堤になって、それを塞がなきゃならないのだ。暁美さんは、魔女が目的というよりも、鹿目さんのことを気にかけているようだし。
美樹さんと鹿目さん。あの二人は、多分もう、魔法少女への憧れは消え失せてしまっただろう。
そうしたら、私がやるしかないじゃないか。皆がいるこの街と、二つ守っていくしかないじゃない。
「なあ、名前。お前がおかしくなったんは、幸村が奇跡的に回復した時からやったの」
「!……」
怒りを押し殺したような仁王君の声に、びくりと肩が跳ね上がった。柳君同様に、彼も人間観察眼はなめてかかれない相手だ。私は、そんなにもわかりやすい態度をとっていただろうか。
「参謀も気がついとったぜよ」
「……うん」
「お前が隣町まで行ったあの時、帰り道に言っとった“頑張る”は、こういう意味か」
「――……」
何でそんなことまで覚えてるのよ。
しがみつく腕に力を入れれば、仁王君の足が止まった。ゆっくりとおろされて、地に足をつく私を仁王君が真っ直ぐに見つめる。
「今、俺に何の説明もないなら、勝手に解釈して、幸村に話すが、それでいいんじゃな」
「や、待って……っ!精ちゃんには、精ちゃんだけには、言わないでっ」
彼に知られてしまったら、私はどうすればいい。今まで必死に隠して、魔女と闘ってきた。精ちゃんの為だもの。こんなこと全然大したことない。精ちゃんの為だから頑張っていられるのに。
「俺はもう見て、関わった。今更、何も聞かずに今まで通りなんて、無理じゃろ」
「それは……」
「全部、話してくれんか?」
彼が私を心配して言ってくれていることは痛いほどわかっていた。でも、それでも、こんな私の勝手で首を突っ込んだ残酷な運命を、彼にまで背負わせなくてもいいじゃないか。
テニス部のレギュラーでもあり、大事な友達でもある彼の負担になるなんて、マネージャー失格だもの。
「マネージャーやめて、皆の前から消えるから。そうしたら、もう、何も関係なくなるでしょ?ね?」
こんなずるいこと言う私を許して。
仁王君の瞳が悲しげに揺れているのを見て見ぬふりをした。今更、私がマネージャーをやめたところで、彼があちらの世界に関わりを持った事実はなくならない。本当はもっと早くこうしておくべきだったのだ。
「泣かんでもいい。泣かせたくて言うたわけじゃなか」
「!……っ」
仁王くんの親指がそっと私の涙を拭った。そのまま頬を両手で挟まれて、額同士がくっつく。どきり、と心臓がはね上がった。
「わかった。今は、何も聞かん。じゃけど、次また行くときは、俺に言ってくれ」
「仁王、くん……」
「頼むから、一人であんなとこ行かんといて…っ」
腕を引かれて彼の腕の中に引きこまれ、縮こまる私を痛いくらい強く抱きしめる仁王君の声が震えていた。こんな弱弱しい彼を見るのは初めてで、ただ困惑して言葉が出てこなかった。
精ちゃん以外の男の人に抱きしめられるのは、初めてだったからなのか、心臓がやけに早鐘を打ち付けていた。
「名前っ!仁王!」
学校に戻ってくれば、皆が凄い勢いで駆け寄ってきた。ずっと待っていてくれたのか、それとも探し回っていてくれたのか、私たち二人を見つけてひどく安堵したような表情を浮かべていた。
「名前、どうしたんだい、この傷――」
「え、っと。転んじゃって」
「仁王」
「本当じゃよ。俺が捜しに行ったときには、もうこんなんじゃったき」
私の嘘に加担してくれた仁王君を見上げれば、ふい、と顔を逸らされた。心の中で御礼を言って、私の頬を包んで、心配そうに顔を歪める精ちゃんの手をぎゅっと握る。
「大丈夫だよ。ちょっと友達から大事な呼び出しがあって、どうしても行かなくちゃだったから、慌ててたの。あ、仁王君と赤也は責めないでね。二人はちゃんと私を止めようとしてくれたの」
特に、真田君。と言って、彼に視線を投げれば、ぐっと言葉を詰まらせていた。その隣では、赤也が、遅いっすよ、と唇を尖らせていて、ああ、もう制裁がくだった後かと、赤也に謝っておいた。
「そう。次からはちゃんと俺に言って。いいね。――もう遅い。今日は送るよ」
「ひ、一人でかえ――」
「こいつは俺が送っていくナリ。幸村は、病み上がりじゃしな」
一人で帰る、と言おうとしたのを途中で遮られた。私の首根っこを掴む仁王君を見上げれば、ばちり、と絡まる視線に二の句を紡げなかった。
絶対、話すまで帰してもらえない気がする。
今日は本当は、もう一回見滝原の方に行ってこなきゃならなかったんだけど。グリーフシードも残り少ない。そろそろ、ソウルジェムも、限界だ。穢れを浄化しないと、魔法が使えない。
「友達の用、まだ済んどらんのじゃろ?」
「!……うん」
「さっきは無理に連れ戻して悪かったな」
最後の一言は、私にしか聞こえていない。仁王君の心遣いに胸の内で感謝して、精ちゃんに笑顔を向けた。
「仁王君も隣町に用事あるみたいだし、付き合ってもらうね。さっき巻き込んじゃって遅れちゃったんだ」
そういえば、きっと精ちゃんは何も言わない。無理に作られた笑顔が少し心苦しくて、後ろ髪引かれる思いだったけど、最後まで笑顔を絶やさないで、皆と別れて、学校を後にした。
「あれ、何か仁王先輩のジャージ、赤黒くなかったすか?」
「何言ってんだ、お前。夕日のせいだろ」
「もう沈んだけどな」
「仁王が何かを隠していそうな確率は大分高いようだな」
「む、あの男は隠し事をしていてもよくわからんが……」
「いや、ですが今回は少し露骨でしたね。苗字さんを庇っているようにも見えましたが…」
「今はまだ、何も聞かないでおくよ」
名前、俺が奇跡的に回復した代わりに、君が背負ったものは、一体なんなんだい。何を一人で抱え込んでいるんだ――。