「ごめんね、部活中なのに」
「そんなことは気にしなくていい」
「ん、……ありがとう」
魔法少女を始めてから、夜が遅いせいか、身体が重たい。部活中に倒れるなんて、一年来なかったことなのに、大分体力が削られてしまっているのだろうか。情けないなあ、ほんと。
部活中に軽い貧血を起こしてひっくり返った私を保健室まで運んでくれたのは、柳君だった。精ちゃんは部長として、その場を離れることはできなかったから、柳君が代わりに運んでくれた。
手の空いている一年生に任せなかったのが、彼の精いっぱいの配慮だったんだと思う。私も、その方がよかったんだけど。
「苗字、俺たちに何を隠している?」
「!………何にも?」
でも、彼と二人きりになるのは少し怖かった。ここ最近、私の体調の変化に過敏気味だった精ちゃんと同じく、彼もどこか私の様子を訝しんでいた。柳君は、こういうところ、鋭いから苦手だ。
「お前の様子がおかしくなったのは、幸村が奇跡的に回復したあの時からだったな」
柳君の言葉にびくり、と肩が跳ね上がる。
それ以上、何も言わないで。今、自分が背負わなきゃならないものを全部投げ出してしまいそうになるから。
「何故、幸村と別れる必要があった」
「!――…」
「幸村の病気が発覚した直後ならわかる。だが、お前は病が治って、心身ともに回復するのを待ってから、別れを切り出した」
それがどうしても俺には、理解できん。そう続けた柳君には、きっとわかっているんだろう。私が精ちゃんを嫌いになったとか、他に好きな人ができたとか、そんな単純な理由で別れたんじゃないってことくらい。
でも、だからこそ言うわけにはいかない。
「それだけじゃない。一番、泣いて喜ぶはずのお前だけが、最初からこうなることがわかっていたような顔をしていた」
それはそうだ。だって、私の願いが彼を救ったのだから。こうならなければ、今の私の頑張りは全くの無意味ではないか。魔女と日々闘って、誰とも知れない人間の命を守っているのだ。
あんな化け物と、毎日――。
「何があった?俺たちには言えないことなのか?」
「……神様に」
「?」
「神様にお願いしたの。私、何でもするから、精ちゃん助けてくださいって」
そう、願っただけ。その代価を今支払っているの。この世の理を曲げてまで、叶うはずのない奇跡をこの手で起こしてしまったのだから。
「ねえ、柳君。私ね、精ちゃんが元気になって、今こうして皆とテニスしていることが凄く嬉しいの」
「………」
「こうなることがわかっていたんじゃなくて、信じていたんだよ」
こんなこといっても、きっと柳君の頭の中では、何の解決にもなっていないのだろう。眉間に深く刻まれた皺を見て小さく苦笑をこぼす。
ごめんね。私は何も言えない。言ったら、誰より彼が自分を責めてつぶれてしまいそうだから。
「相変わらず、強情な奴だな」
「…褒め言葉として受け取っておくね」
「今はこれ以上聞かない。部活が終われば誰か迎えに行かせる。それまで、ここでゆっくり休んでいろ」
「はーい……」
柳君が保健室から出ていいって、ゆっくり身体を起こす。もう夕暮れ時だ。そろそろ魔女が姿を見せてくる。ゆっくり寝ていられる時間はどのくらいあるんだろうか。
保健室の窓から見える夕日を睨み付けるようにしていれば、ジャージのポケットに入れていた携帯が振動した。どうやら、休める時間は一時もないようだ、と苦笑をこぼして、通話ボタンを押す。
「マミさん?」
『名前さん、まだ部活中かしら?』
「その様子だと、結構大物っぽいですね。今から向かいます。状況は?」
『助かるわ。まだ卵がかえってない状態なの。傍にキュゥべえと美樹さんがいてくれてるみたいでね。急がないと美樹さんが危ないわ』
「わかりました!多分、15分かからないかと、思います」
『私は先に行ってるから、後から追ってきてね』
「はい」
電話を切って直ぐ、ベッドから飛び降りて、保健室を後にする。テニスコートを横切るときに誰にも気づかれないといいけど、なんて頭の隅で考えながら、校門まで走る。このままバスに飛び乗れれば、ぎりぎり間に合うだろう。
美樹さんの傍にキュゥべえがいるということは、最悪の状態を想定してのことだろうし。
その最悪の状態になって、彼女が無理に願わばければならない状況に追い込まれないように、一刻も早く駆けつけなければならない。
せめて、卵が孵る前に間に合って!
バスに乗る手前、校門前に差し掛かった時、強い力に腕を引かれ、身体が後ろに揺らぐ。体制を立て直す間もなく、誰かにぶつかった。
「ちょ、急いでるのよ!離し――!」
「どこ行くんじゃ。体調悪いんじゃろ」
「名前さん、さっきぶっ倒れたばっかじゃないっすか!」
しまった。今、休憩中?
二人にしか見つかってないことが今は幸いかもしれない。これが、精ちゃんとか柳君だったら終わりだった。
「離して。行くところがあるの」
「幸村に言われて様子見に来て正解じゃったのぅ」
「!……っ」
固く握られた手を振り払おうにも、女の私の力ではたかがしれている。力を使えば、こんなの直ぐに振り払っていけるけど、正体をみすみすばらすわけにはいかない。でも、このままじゃ、間に合わない。
マミさんが、こんな時間に私を呼ぶってことは、結構危ない状況なんだ。
魔女がいる場所、もしくは魔女のレベル。一人で闘うことが不利だというなら、私が彼女の背中を守らなきゃ、誰が守るの。
それに、鹿目まどかと美樹さやか――。
あの二人は、魔法少女じゃない。今はただの足手まといなんだ。
「名前、さん?」
「離して。人の命がかかってる。こんなとこで時間をくってる暇はないのよ」
「体調崩してるお前さんを行かせるわけないじゃろ。保健室に戻るぞ」
もう、あれこれ考えてる時間なんてない。指輪を宝石に戻すと、手の内で強く握る。私の武器は桜。幻影の力が最も得意な武器。
「な!」
「名前っ!――赤也は幸村に知らせんしゃい」
「え、あ、了解っす!」
一瞬、彼らの目にうつってしまったかもしれないけど、今はマミさんの元に向かう方が優先だ。仁王君の手を振り切ったところで、直ぐに変身をとき、走って向かう。バスだったらあっという間だったのに、とか思ったけど、仕方ない。
後ろから追いかけてくる気配を感じたけど、彼ら以上に鍛えてきた私の足に追い付かれることはないだろう。
まくことはできないかもしれないけど、あっちの世界には連れて行かない。
そのまま走って、隣町へと向かう。立海は境界線の直ぐ傍に立っているから、バス停三つ分くらいで済む。そこからは、この宝石が案内してくれる。
何だか妙な胸騒ぎがする。何だろう。今まで感じたこともない類のものだ。三人とも無事でいることをただ切に願って走った。
「ここね」
大分上がった息を一旦落ち着けて、あちらへの入口の前に立つ。マミさんはもう、中にいるのだろう。こじ開けられたあとがある。
近づいてくる足音にハッとして、急いで変身を済ませると、薙刀を手にあちらへの入り口を開く。中へ飛び込んで、マミさんへとテレパシーを飛ばした。
『マミさん、大丈夫ですか?』
『ええ、皆無事よ。もうすぐ、卵が孵る。急いで』
『はい』
取りあえず全員無事なことに安堵して、魔女の卵がある場所まで急ぐ。まだそんなに行ってないところで、マミさんのリボンを見つけた。あれ、と思い見上げれば、ぐるぐる巻きになっている少女の姿。確か、暁美さん…?
「見ていないで、これほどいてくれないかしら」
「だって、マミさんがそうしたんでしょう?」
「今回の魔女は、彼女の手に負えない。そう、忠告しただけよ」
じゃあ、急がなきゃ!と走り出そうとした私を暁美さんが止める。振り返れば、彼女の視線が私の後ろを見て止まっていた。
「貴女、余計なお荷物連れてきているようだけど」
「なんで……」
私の後ろにいた仁王くんがただ呆然と、こちらを見ている姿に心臓が握りつぶされるかと思った。