タナトスの願い事

2 泣いたのは誰のせいで

「精ちゃん、今日は皆できたよー!」

「やあ、いらっしゃい」


練習をお昼前に切り上げて、久しぶりに立海レギュラー陣勢揃いで、精ちゃんの病室までやってくる。読書をしていたのか、本を閉じて、いつも通り、私たちを笑顔で迎えてくれる精ちゃんが、不治の病に侵されているなんて、誰が想像するだろう。

彼が倒れたのは、今から三か月ほど前だ。病院に運ばれて診断された結果に、誰もが閉口した。私は、泣きやまなくて大変だったと、後から皆にさんざん言われたっけ。


「ブンちゃん、ケーキ!ケーキ!」

「お前の方が食い意地張ってるんじゃねー?」


人の事言えねーだろ、と呆れた目で見下ろされても、この際はそんな視線は無視。私一人だけ、許された精ちゃんのベッドに腰掛ければ、くしゃりと頭を撫でられる感覚が好きだった。


「ケーキ買ってきてくれたのかい?」

「うん!」

「買ったの俺らじゃけど」

「そうッスよ!名前さん、一円もだしてないし!」

「それは、切原君もでしょう」

「ぐっ!そ、それは!」

「つーか、いいじゃん。そんなことはさ、とにかく食おうぜ」


ブンちゃんが箱を開けば、香る甘い匂いに身を乗り出せば、精ちゃんの足に手を取られてバランスを崩してしまった。そのまま勢いに任せて彼の胸に飛び込めば、一瞬驚いたような顔を見せてから、ふわり、と微笑んでくれた。

その笑顔が何より大好きだった。


「あーあー。いちゃつくなら、俺ら帰ってからにしてくれよぃ」

「本当ッスよ、もう」


ふてくされてる二人は気にしないことにして、自分の分のケーキをほお張れば、口いっぱいに広がる甘味に頬がとろけそうだ。やっぱり、ここのケーキは絶品だと思う。


「クリームついてるよ」

「どこ?」

「じっとして」


慌てる私を見てクスクス、と笑いながら口元についたクリームを拭って、そのままぺろり、と舐める精ちゃんの姿に思わず赤面する。耳まで赤く染める私を見て、皆が苦笑をこぼす中、精ちゃんだけは、ただ優しく微笑んでくれていた。

こんな日々がこれからもずっと続いて、精ちゃんが一日でも早くよくなって、退院できる日が来ること、それだけを私はただ切に願っていたの。



















“治ったとして、以前のようにテニスをすることはできない。手術の成功率も50%あるかないか、だそうだよ”


精ちゃんのその言葉に誰もなにも言えなかった。あまりにも無感情に吐き出された言葉と衝撃的な告白に、心臓が止まるかと思ったんだ。


「せ、精ちゃん」

「……暫く一人にしてくれないかな」

「で、でも……」

「出て行ってくれ!」

「!……っ」


初めて聞いた。精ちゃんの怒声に体が固まって動けない。そんな私を連れ出してくれたのは、テニス部員の皆だった。柳君が優しく肩を抱いて病室から私を連れ出してくれて、皆病室の外に出たところで、病室内から悲痛な叫び声が響いた。


ぽろぽろ溢れ出る涙は頬を伝い落ちて、留まることを知らず、しゃがみこんだ。ここにいる皆だって、中にいる精ちゃんだって、苦しいのは、私の何倍ものものだというのに、皆の支えにならなければならないマネージャーがこんなことでどうするんだ。


そうは、思っても何をどうすればいいのかわからなくて、ただ傍にいる皆の優しさに甘えた。そんな自分が許せなくて、大嫌いだった。







「名前は、俺が送ってくわ」

「ああ、頼んだぞ、丸井」

「おぉ……」


病院からの帰り道、家が近所のブンちゃんが送ってくれることになり、皆とは病院前で別れた。涙のせいで腫れてしまった目を伏せて歩く私のとろいスピードに合わせて歩いてくれるブンちゃんに申し訳なさを感じながらも、頭の中は精ちゃんのことで一杯だった。


「幸村はそんな軟な奴じゃねぇよ。お前がいつまでもそんなんじゃ、余計にアイツも気が滅入っちまうだろ」

「……うん」


ポンポン、と頭を撫でる優しい手。部長抜きで暫くやっていかなければならない選手のメンタルケアをするどころか、私が折れた心を皆に補正してもらっている。皆は優しいから、気にしなくていい、と口をそろえて言うんだろう。

だけど、それじゃ、駄目なんだ。


「ブンちゃん、ここまででいい」

「いや、送るって」

「いいから、ホント。……一人で頭冷やしたいの」


これ以上、彼らの重荷になっていいわけがない。私は出来るだけの笑顔を張り付けてブンちゃんにそう言うと、彼を残して駆け出した。後ろから名前を呼ばれたような気がしたけど、追いかけてくる気配はなかった。

角を曲がったところで、足を止めて息を整える。


それから私が向かった先は、自分の家ではなく、近所の公園だった。少し。気持ちを切り替えたかったのだ。このまま家に帰っても、また泣いて自分を責め続けるだけだ。余計に塞ぎこんで自分の殻にこもってしまいそうだったから。


夕暮れ時、真っ赤に染まる空を仰ぐ。まるで血の赤の様だと思った。


「ねえ、神様。私が代わるから、精市を助けてよ」


精ちゃんは、私と違って多くの人に必要とされて、テニスの才能にも恵まれているの。私なんて価値のない人間より、何倍もこの世界に必要な存在だ。彼を助けて。誰か、お願いだから。

私なんて、いらないから。


『じゃあ、死んじゃってもいいよね?』

「それで、彼が助かるなら……」

『じゃあ、死んじゃおうよ』


「………!え、」


突然開けた世界は、私が今までいた世界とは別物の空間だった。ぐにゃりと歪む世界で一人、私は自分に群がってくる気味の悪い化け物を前に、尻餅をついていた。場に酔う、というか、この意味不明の生き物を前に、咽あがってくるものを吐き出さないように口元を覆う。


足に力を入れようにも、震えて立ち上がることもできない。ケラケラと笑って近づいてくる化け物を前に後ずさるが、距離は一向に広がらず、どんどん狭まっていく。


「伏せて!!」


もう、だめだ。と思ったその時、私と化け物しかいなかった空間に凛とした声が響いた。声に弾かれるように身を伏せれば、私の上で何かが弾け飛ぶ。べちゃ、と体に飛んだ何かを条件反射で振り払う。


「間に合ってよかったわ。私の後ろで、じっとしていてね」

「え……?」


いつの間にか、私の前にいて、大きな銃をを片手に振り返った縦巻きロールの金髪の美少女は、私の返事も待たずに前方に飛んで、目の前の化け物を次から次から消し去っていく。俊敏な彼女の動きと、華麗な戦い方に目を離せなかった。


最後の一体を躊躇うことなしに一撃で葬り去った彼女は、私の元まで歩み寄ってくると、にこり、と微笑んだ。


「怪我はない?」


彼女がそう言った瞬間、視界が揺らいで大粒の涙が頬を伝い落ちていった。初対面にも関わらず目の前の彼女にしがみつけば、彼女は何も言わずに私を抱きしめてくれた。


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