【桜双】秋、はじめて

これは、桜時さんと恋仲になったばかりの頃。はじめての秋の思い出――



お昼時。わたしは先ほど街で受け取った引き札を手に、リアンへと向かっていた。
「桜時さん、今日予定空いてるかな」
夏に浅草でやるはずだった花火大会が、今年は雷で中止になった。その代わりに、季節外れではあるけれど、今夜秋の花火大会をするらしい。
「緊張するけど……誘ってみよう」
桜時さんと、はじめて二人で出かけるいい機会だ。頬が熱くなるのを感じながら、リアンの扉に手をかけた。
「こんにちは!」
扉を開けると、カランカランと聞き慣れたベルの音が響く。中を覗くと、カウンターに立つ桜時さんと葵くん、そんな二人に楽しげに話しかける紅狼くんの姿を見つけた。
「よう。お嬢ちゃん、いらっしゃい」
こちらにひらひらと手を振る桜時さんと目が合い、どきりとする。緊張で喉が乾いていくのを感じながら、わたしはなんとか口を開いた。
「桜時さん、あの、今日……!」
袂にしまった引き札を出そうとしたとき――
「双葉ちゃん、ちょうどよかった!」
紅狼くんはわたしに気づくと、こちらに駆けてくる。
「紅狼くん? どうしたの?」
「見てみて、じゃじゃーん!」
嬉しそうにそう言うと、紅狼くんはわたしの前に見覚えのある一枚の引き札を掲げて見せた。
「今日花火大会があるんだって♪ みんなで行かない?」
「花火……」
そっか、紅狼くんがもう桜時さんを誘ってくれたんだ。それに気づくと、自分の引き札を掴んでいた手をそっと下ろす。
「……うん! わたしもさっき街でその引き札もらって、気になってたの」
そう答えると、紅狼くんはよかったとにこりとした。
「今日は双葉ちゃんもアオも浴衣ね! 花火大会なんだから♪ あ、そうだ、ギンも誘ってこないと!」
そう言うと、紅狼くんはぱたぱたとリアンを出て行く。それを見て、葵くんがふうっとため息をついた。
「まったく、慌ただしいんだから……」
「紅狼ちゃんらしいじゃないの。いいねぇ」
わたしがカウンターの前に腰を下ろすと、桜時さんがその前にミルクを置いてくれる。
「ありがとうございます。そういえば、桜時さんは今日浴衣着ないんですか?」
お礼を言いつつ尋ねると。
「ああ……おじさんは留守番だよーお嬢ちゃんの浴衣姿見られなくて残念だけどねぇ」
「え?」
驚いて顔を上げると、葵くんが説明してくれる。
「明日、リアンで常連さんたちが集まって宴会するんだ。その準備があったから、僕も最初紅狼の誘い断ったんだけど……ねえおじさん、やっぱり――」
葵くんが何かを言いかけるけれど。
「はは、大丈夫だよ。たまにはおじさんも働かないとだしねぇ。お皿割るのはちゃんと三枚までに……いや、四枚かな?」
「はぁ?! もう、おじさんはお皿触らないで! 食器は全部僕が用意していくから!」
いつもと変わらぬやりとりをする二人を見ながら、ひとり膝の上で手を握る。
――みんなで花火を見るのも、もちろん楽しいけれど。
「僕、浴衣だしてくる。そこに重ねてる大皿、触らないでよね!」
「あいよー」
桜時さんは、二階に行く葵くんをにこにこと見送る。そんな桜時さんに、わたしはたまらず手を伸ばした。
「桜時さん」
ついと袖を引くと、いつものように優しい目でわたしを見下ろしてくれる。
「ん、どうした?」
「わたし、準備手伝いますよ?」
けれど、桜時さんはただ微笑むと、大きな手でぽんぽんとわたしの頭を撫でた。
「お嬢ちゃんも、おじさんがちゃんと準備できるのか心配なのか? はは、大丈夫さ。おじさん、やるときはやるからね」
「いえ、そうじゃなくて……!」
「長く生きてるけど、秋の花火なんてはじめて聞くなー紅狼ちゃんたちと目いっぱい楽しんできな。それでどんなだったか、今度おじさんに聞かせてくれ」
そう言われ、それ以上何も言えなくなる。
「……はい、楽しんできますね」
少しの寂しさを感じながら、わたしは桜時さんの袖に触れていた手を離したのだった。



その日の夕方、浴衣を着て紅狼くんたちとの待ち合わせ場所に到着する。まだ誰も着いていないようで、わたしは行き交う人たちにぼんやりと目を向けた。そこで、仲睦まじげに手を組み、嬉しそうに微笑みあう男女を見つける。
「……桜時さんとも、花火見たかったな」
――でも、花火はただの口実かもしれない。本当は、もっと桜時さんに近づきたくて。もっと桜時さんと一緒にいたくて。
「やっぱりリアンに……」
わたしが手伝えば、準備が早く終わって、もしかしたら桜時さんもみんなと一緒に花火が見られるかもしれない。そう思ったとき――
「二階から見えるはずだよ。花火」
背後から聞こえた声にはっと振り返ると、浴衣姿の葵くんが立っていた。
「葵くん!」
「紅狼たちには僕が上手く言っておくから。ったく、おじさんだって二階から花火見えるだろうってこと知ってるんだから、気を遣わないで双葉を誘えばいいのに。まあ、みんなで見たほうが双葉も楽しいと思ったんだろうけど」
やれやれといった様子で、葵くんが息をつく。
「ほら、早く行きなよ」
「うん。ごめんね。ありがとう!」
今度会ったら、ちゃんとみんなに謝らなきゃ――そう思いながら、わたしは早足でリアンへと向かった。



「桜時さん!」
リアンの扉を開けると、桜時さんがちょうど煙草に火をつけたところだった。
「お嬢ちゃん? なにか忘れ物かい?」
煙草を下ろしながらそう尋ねる桜時さんのところに、今度は迷わず駆け寄る。そしてまっすぐにその目を見つめると。
「わたし、桜時さんと花火が見たいです! 二階から見えるんですよね? 明日の準備早く終わらせて、一緒に見ましょう」
緊張で、心臓の音が大きくなっていくのを感じる。
「お嬢ちゃん……」
桜時さんはそんなわたしに少し驚いた顔をしていたけれど、やがてふっと目を細めてわたしの方に手を伸ばした。
「……走ってきたのかい? せっかく可愛くしてるのに、髪の毛乱れてるよ」
「あ……」
優しい手つきで髪を掬われ、耳にかけられる。そして少し困ったように眉尻を下げると。
「――ありがとう、双葉」
「……っ」
そう微笑まれ、とくんと心臓が大きく跳ねる。
「よーし! それじゃあ、お嬢ちゃんも来てくれたし、さっさと支度終わらせようかねぇ」
気合いが入った様子で腕まくりをする桜時さんを見て、はっと我に返ると、慌てて頷く。
「はい! じゃあ、わたしあっちでカステラ切ってきますね!」
お店の奥に行こうと、桜時さんに背を向けたとき――
「なあ、お嬢ちゃん」
「?」
振り返ると、桜時さんは悪戯っぽく片目を閉じる。
「浴衣、よく似合ってる。綺麗だよ」
「っ、ありがとうございます……!」
赤くなった顔に気づかれぬよう俯きながらも、どうしても嬉しさに口元が緩んでしまうのだった。



花火が始まって、一時間ほど過ぎた頃。わたしと桜時さんはようやく明日の準備を終え、二階に上がってきた。
「どれどれ、ちゃんと見えるかねぇ」
そう呟きながら、桜時さんが二階の障子を開けると――
「わああーっ!」
右側には、真ん丸のお月様。左側には、色鮮やかに咲く大きな花火が目に入る。
「ほーう、満月と花火か。こりゃ乙だねぇ」
「そうですね! あ、鈴虫が鳴いてるのが聞こえます」
花火の合間に聞こえる秋の虫たちの音がまた新鮮で、夏と秋が混じり合うはじめての心地にわくわくしてくる。
「こんなにきれいに見えるんですね」
話しながら桜時さんの隣に腰を下ろすと、ふわり、外から冷たい風が入ってきた。
「……くしゅんっ」
「お、大丈夫かい? もう秋だからねぇ。浴衣じゃ冷えるな。ほら、おじさんの羽織りを……」
「あ、あの! それなら……」
上に羽織っていた着物を脱ごうとするのを止めると、桜時さんにぴたりと身体を寄せる。
「……くっついてたら、あったかいので」
すぐ隣の桜時さんの熱が伝わり、どきどきと心臓が騒ぎ出す。
「それなら……お嬢ちゃん」
その声に顔を上げると、あぐらをかいていた桜時さんが、ぽんぽんと自分の脚の上を叩いた。
「こっちのほうがあったかいよ〜。ほら、おいで」
「そ、それは……あ!」
すぐにわたしの腕は大きな手にぐいと引かれ――気づくと、わたしはそこに収まってしまっていた。そのまま桜時さんに後ろからすっぽりと包まれる。ちょっとだけ苦い煙草の香りと優しい温かさに、全身が熱を帯びるのを感じた。
「あったかいだろ?」
「はい……ぽかぽかします」
身も心も、桜時さんの熱が伝わり溶けそうになる。そのとき、ひときわ大きな花火が空に打ち上がった。
「わああ! 綺麗ですね!」
「そうだな。……双葉と見れてよかった」
耳元で呟かれた桜時さんの言葉に、ますます胸が温かくなるのを感じながら――わたしたちは秋の花火を楽しんだのだった。



それからしばらくが過ぎ、花火が終わった頃。
「秋の花火もよかったねぇ」
「はい! 夏と秋を一緒に楽しめて、なんだか得した気分です」
背中に感じる熱に、いまだどきどきが収まらないままそう答える。
「桜時さん、来年も一緒に花火見に行きましょうね。今度は夏の花火だと思いますけど」
そう囁くと、桜時さんのくすりと笑う声が聞こえる。
「そうだな。楽しみだねぇ」
――大きな花火の音がなくなったことで、穏やかな虫の音だけが静かに響く。広い部屋で二人きり。すぐ後ろにはわたしを抱き寄せたままの桜時さん。突然の静寂がなんだか落ち着かなくなって、わたしは畳の上で視線をさまよわせた。
「……っ、お、桜時さん、そろそろ葵くんが帰ってきますよ?」
顔が火照っていくのを感じ、桜時さんにそう声をかけるけれど――
「ああ……そうだな」
桜時さんはそれだけ呟くと、膝の前で組んだわたしの手に指を絡める。
「お嬢ちゃん、もう寒くない?」
「は、はい、大丈夫です……!」
「そうか」
桜時さんはそう答えると、今度はわたしの肩に顔を埋める。
「っ、桜時さん!?」
「――……な」
「え?」
ぼそりと呟かれた声に、思わず肩の上を見る。桜時さんは私を見て、さっきのように眉尻を下げると――
「……離したくなくなるな、って言ったんだよ」
「!」
――桜時さんが、そっと顔を寄せる。軽く触れた唇がじわりと甘い熱を残した。
「……わたしも、離れたくないです」
心臓がとくとくと大きな音を立てるのを感じながら、なんとかそう囁く。桜時さんはそれに答えるようにまた微笑むと、絡めた指に優しく力を込めた。

開けたままの窓から、さわさわと木枯らしが吹き込む。淡く光る丸い月に照らされながら、わたしは桜時さんと過ごすはじめての秋に、幸せで胸がいっぱいになったのだった。


――秋、はじめて。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -