【楽双】想い、想われ

「どうしたの? ぼうーっとして」
夜の縁側に、楽久さんと二人きり。楽久さんはうちにはもう泊まっていないけれど、神隠神社に戻ったあともこうして夜に会いにきてくれた。みんなに秘密で楽久さんと付き合い始めて、一月が経とうとしている。けれど、最近はある悩みがあって――大人でいつも冷静な楽久さんといると、余裕がない自分が恥ずかしくなるときがあるのだった。
「……月が綺麗だなぁって思って」
そう誤魔化すと、楽久さんはふーんと呟いて空を見上げる。
「そういえばお前、明日紅狼にリアンに呼ばれてるんだっけ?」
「はい、お願いしたいことがあるって言ってました」
そう言うと、楽久さんは不安そうな顔をする。
「あいつのお願いってなんだろ……前も、女装して踊ってくれとかだったし、変なのじゃないといいけど」
「ふふ、そんなこともありましたね」
必死に断ってたっけ、と思い出していると、楽久さんがため息をつく。
「まあ、そうは言っても、紅狼だからあまりにも無理なことは言わないと思うけど……明日のいつ頃リアン行くの?」
「お昼くらいに行こうかと思ってます」
「そう」
それだけ言うと、楽久さんは立ち上がる。
「そろそろ神社に戻る」
「あ……はい、外まで送りますね」
もう少し一緒にいたいなと、名残惜しい気持ちがないわけではない。でも、それをこらえて、座ったまま彼を見上げる。すると楽久さんは、少しだけ目を細めると、もう一度わたしの前にしゃがみこんだ。
「……なに? 寂しいの?」
そう言うと、楽久さんはわたしの額にこつんと自分の額を合わせる。
「明日もまた会えるでしょ」
優しい声でそう諭され、なにも言えなくなる。
「……はい」
そう頷くと、わたしも一緒に立ち上がった。
「明日、俺もその時間リアン行くから。紅狼が無茶言ってたら止めるよ」
「ふふ、平気だと思いますけど……でも、楽久さんに会えるのは嬉しいです」
そう話しながら家の外に出ると、楽久さんがこちらを振り返る。
「……じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
最後の挨拶を交わすこの瞬間は、ひとり夜に置いていかれるようで、いつも寂しく心細い。わたしは楽久さんの優しい言葉を思い出しながら、ひとり自分の部屋に戻ったのだった。

次の日、リアンに着くといつものように桜時さんが迎えてくれる。
「お嬢ちゃんいらっしゃい」
「こんにちは」
店内を見回すと、奥のテーブルに紅狼くん、葵くん、そして書物を広げながらからくりを修理している楽久さんの姿があった。
「双葉ちゃーん、待ってたよ♪」
紅狼くんに呼ばれ、その向かいに腰を下ろす。隣で顔を上げた楽久さんと目が合い、声をかけた。
「楽久さん、今日は何を直してるんですか?」
「蓄音機。穏月に頼まれたんだ」
そう話していると、葵くんが意外そうに呟く。
「へえ、楽久っていつも藤一郎と喧嘩してるのに、藤一郎の家の蓄音機、文句言わないで直してあげるんだ」
そう言うと、楽久さんは書物をめくりながら答える。
「別に、物に罪はないでしょ」
「なるほどーさすがガクさん、優しい♪」
抱きつこうとする紅狼くんを手で制しながら、楽久さんはため息をつく。
「そんなことより、紅狼、お前双葉に用があるんじゃなかったの?」
そう言われ、紅狼くんがそうだったとわたしの方を見る。
「あのね、双葉ちゃん、もしよかったらなんだけど……ある人に会ってもらいたくて」
「ある人……?」
「うん! あ、これその人から、双葉ちゃんにってもらったんだ」
そう言うと、紅狼くんは精巧な装飾が施された可愛らしい缶を取り出す。
「わぁーすごく可愛いね! 西洋のかな? 中には何が入って……」
思わずそう言いかけるけれど、私は本題を思い出して紅狼くんに尋ねる。
「えーと、それでその人って、紅狼くんのお友達なの?」
「うーん、友達というか先輩かなぁ。一座の人なんだけど。綱渡りがすっごく上手いんだよ♪ この間なんか……」
話が脱線しそうな紅狼くんに、葵くんは話を急かす。
「それはいいから! で、なんで双葉にその人に会ってほしいわけ?」
「うーん、えっとね……」
そう言うと、紅狼くんは少し迷いながらも、理由を説明してくれたのだった。

ひととおり説明を聞き、葵くんは呆れた様子で呟く。
「……つまり、公演を観にきた双葉に、紅狼の先輩が一目惚れして、その仲人をしてほしいってこと?」
「そう! どうしても紹介してほしいって言われてさ」
「はぁ……ったく、好きなら人に頼まないで自分で頑張りなよね!」
「そういうことなんだけど……双葉ちゃん、どう?」
「う、うーん……」
いつもお世話になってる紅狼くんの頼みは、できるだけ聞いてあげたかったけれど――そう思いながら、ふと隣の楽久さんに目をやる。
「……」
けれど、さして気にする様子もなく、からくりを直している楽久さんを見て、ちくりと胸が痛んだ。
――無茶なお願いだったら、紅狼くんを止めるって言ってたのに。大人な楽久さんにとってはそれほど気にすることじゃないのかなぁと思うと、また自分の余裕のなさを感じてしまって。
「えーと……」
そのまま、どう答えようか迷っていると。
「……」
楽久さんは不意に手に持っていた書物をテーブルに置く。そして、テーブルの下でそわそわしていたわたしの手に手を伸ばすと――きゅっと指を絡めた。突然のことに慌てて楽久さんの方を見ると、もう一方の手で頬杖をつきながらわたしの方をじっと見つめる。
「……お前はどうしたいの?」
手を握られたまま、楽久さんにそう尋ねられる。顔が熱くなったのを紅狼くんたちに悟られぬように俯くけれど、頬はどんどん火照っていくばかりで――
「双葉ちゃん? ごめん、そんなに嫌だった?」
紅狼くんと葵くんが不安げにわたしを覗き込む。
「あ、ご、ごめん! そうじゃないんだけど……!」
わたしはなんとか気持ちを落ち着けると、紅狼くんの方を見る。
「紅狼くん、ごめん、わたしその人には会えない……す、好きな人がいるから!」
「え……ええ!?」
紅狼くんと葵くんがあわせて声を上げる。
「ごめんね……」
「そ、それは全然大丈夫だけど!」
紅狼くんはぱあっと顔を輝かせると、ぐっとこちらに身を乗り出す。
「ねえねえ、好きな人ってだれなの? 教えてよ〜」
「え、あ、えっと……」
困っていると、楽久さんはようやく手を離し、席を立つ。それを見て、紅狼くんが慌てて声をかけた。
「え、ちょっと、ガクさん帰るの? 双葉ちゃんの好きな人、気にならないの?」
紅狼くんがそう声をかけると、楽久さんはからくりの道具が入った風呂敷を背負いながら、こちらを振り返る。
「帰る。……もう用は済んだから」
わたしにちらっと目をやり、そう言う楽久さんに、またどきどきと心臓が騒ぎ始める。
「わ、わたしも行きます!」
「え!待ってよ〜!」
紅狼くんや葵くんの引き止める声が、後ろから聞こえてきたけれど――
「あれー葵ちゃん、このお皿もう一枚どこだっけ?」
「はぁ? そこにあるでしょ! もう、なんでおじさんはすぐに物をなくすわけ?」
「はは! オジさん、そのお皿この間も探してなかった? オレその辺で見たよ!」
桜時さんの声に、二人がカウンターの方に向かい、棚やテーブルの上を探し始める。その隙にと楽久さんの背中を追おうとすると、桜時さんが私の前に何かを差し出した。
「お嬢ちゃん、せっかくだしこれは持ってきなよ!」
桜時さんは片目を瞑ると、わたしに紅狼くんが預かってきた缶を差し出す。
「え、でも……!」
「ほら、早く行かないと楽久ちゃん行っちゃうよ?」
「あ、はい!」
咄嗟にそれを受け取ると、わたしは心の中で二人に謝りながら、桜時さんへの小言で賑やかなリアンを後にしたのだった。

リアンを出ると、少し行ったところで、楽久さんがわたしを待っているのを見つける。
「楽久さん!」
声をかけるけれど、楽久さんはわたしが手に持っていた缶を見て、眉をひそめた。
「……なんでそれ持ってきたの?」
「桜時さんが持って行ったらって言ってくれたので……」
そう答えると楽久さんはわたしの手から缶を取り上げる。そして、何も言わずにその缶を開けた。
「……あ、中は西洋のお菓子だったんですね!」
色とりどりの華やかなお菓子の包みに、思わず声を上げる。けれど、楽久さんはなぜかすぐにその蓋を閉めた。。
「……これ没収。兄上にあげるから」
「ええ……」
楽久さんはそれを懐にしまうと、不機嫌そうな顔でわたしを見つめる。
「お前さ、なんで紅狼に言われてすぐに断らないわけ?」
「っ!」
――いつもの大人で余裕な彼とは違う、感情の滲んだ楽久さんの表情に、とくんと心臓が音を立てる。
「すみません、その……楽久さんが気にしてなさそうだったので、どう答えようか悩んじゃって……」
「は? お前が他の男と会うのに、気にしないわけないでしょ」
楽久さんはそう言うと、呆れた様子でため息を吐く。そしてぐいとわたしの腕を引きよせると、耳元に顔を寄せて――
「……お前、もう少し俺の恋人だって自覚持ちなよ」
囁かれた言葉に、かぁーっと全身が熱くなる。
「は、はい……!」
どきどきと暴れる心臓の音を感じながら、わたしはなんとかそう答えることしかできなくて――そんなわたしを見て、楽久さんはふっと微笑むと、こちらに手を差し出す。
「ん。家まで送るよ」
その手に自分の手を重ねると、楽久さんは優しく握り返してくれる。
「今日は、結楽さんに甘味買って行かなくていいんですか?」
「ああ、今日は大丈夫。これがあるし」
懐に入れた缶を撫でる楽久さんに、どうしてもそれが気になったわたしはお願いしてみる。
「楽久さん、そのお菓子、一つくらいわたしにも食べさせてもらえませんか?」
「……だめ」
小さな声でそう答える楽久さんの耳は、少しだけ赤くなっていて――。なんだか嬉しくなって、思わず呟く。
「……楽久さん、さっきは物に罪はないって言ってたのになぁ」
「は? なんか言った?」
楽久さんに睨まれ、わたしは慌てて首を振る。
好きな人の温かい愛や優しい熱を感じる時間は、きらきらと眩しくて愛おしい。わたしは幸せに胸を躍らせながら――楽久さんと並んで帝都の街を歩いたのだった。




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