呪いの言葉(弟夏)

・ハピエン以外NGの方は避けてください。



『お風呂が焚けました』
久しぶりに帰ってきた実家で洗い物をしていると、給湯器のアナウンスが聞こえた。リビングでくつろぐ姉の方をちらりと見る。スマホに夢中のようだった。
「姉さん、今日は私が先にお風呂入っても……」
「え? なんか言った?」
スマホを置き、姉が私の方を振り返る。その目つきが、完全に『ノー』と物語っていて、それを察した私は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「……いや、お風呂焚けたから先に入ってきなよ」
「うん、入ってくるね」
鼻歌を歌いながら風呂場に向かう姉を見送る。しばらくして洗ったお皿をしまったところで、廊下からバタバタという足音が聞こえてそちらに目をやった。
「ねえ傑、新しいシャンプーどこだっけ?」
バスタオル一枚の姉がたずねる。
「ラックの一番下だよ。あとそんな格好でうろうろするのやめなさい」
「なによー、いいでしょ、家なんだから。一番下ね、ありがと」
ようやく静かになった部屋で、まったく、とひとり呟く。
「テレビでもつけるか……」
番組表を見ると、十分後のバラエティに姉が好きな俳優が出るらしい。
「録画は……してないな。しておくか」
録画予約だけして、テレビは消した。スマホを手に取り、悟からのラインを返す。するとまた、慌ただしい音がして、下着姿の姉が飛び込んできた。
「どうしよう、傑! 今日私の推しが出る日なの忘れてた!」
「録画予約はしておいたよ」
スマホを見たまま、顔を上げずに答える。
「え、ほんと? よかったー傑、大好き! お礼にハグしてあげる」
後ろからぎゅうっと抱きしめられる。
「姉さん、胸当たってるから」
「サービスサービス。あ、そうだ。見て、新しい下着可愛くない?」
ハグしていた手を離し、姉は私の前で一周する。
「うん、可愛いね。いいんじゃない?」
「ふふ、なんとセールで三十パーセントオフでした」
ご機嫌でそんなことを言いながら、姉は冷蔵庫に手をかけた。
「……あれ、嘘、ストックしてたゼリーもうなかったっけ?」
「あ、なかったかも」
「えー、ゼリー食べながら推しを見ようと思ったのに。ねえ傑、コンビニまで行く用事ない?」
有無を言わさぬ表情で、私を見つめる。
「……わかった、買ってくるよ」
「ほんと? 嬉しいー」
姉は財布から千円札を出すと、それをテーブルの上に置いた。
「ん、傑も好きなの買ってきな。お姉ちゃんの奢りでいっぱい買ってきなさい」
「うん、ありがとう。アイスにしようかな」
それをポケットにしまい、早速玄関に向かうと姉が後ろから駆けてくる。
「傑、まだ夜寒いから着てきなよ」
私の部屋から持ってきたのだろう、パーカーを投げて渡された。
「ありがとう。姉さんも早く服着て。あと下着姿で玄関まで来るのはよくないよ」
「もう、わかったって! 気をつけてね!」
姉がリビングに戻ったのをしっかり確認してから、私は玄関のドアを開けたのだった。


姉は私と違って非術師だったけれど、昔から優しくて正義感が強くて弟思いな人だったと思う。小学生の頃、こんなことがあった。
『またあの子一人で変なところ見てる……気味が悪いわね』
『すぐる、なんでこっち来ないんだよ!……なんだよその目、オレたちのことバカにしてんだろ』
幼い頃から呪霊が見える身だったため、心ない言葉をかけられることが多かった。今でこそ平気だが、当時はそれなりにつらい思いをして、それを一人で抱え込んでいたのを覚えている。
「すぐる、泣いてるの?」
暗い部屋でうずくまっていると、姉が私を覗き込んだ。
「……泣いてないよ」
「うそつき。泣いてるじゃん」
姉は隣にしゃがみ込むと、俯く私の背をぽんぽんと叩く。
「すぐるは優しいから、助けてっていう声が聞こえちゃうんだね。わたしには見えないし聞こえないけど、すぐるは優しいから、いろんな人が頼っちゃうんだ」
人でなくても、救いを求めて手を伸ばされたら、私はその手を取ってしまうのだろう。姉はそんなことを言っていたと思う。今思えばそんなこと、と思わなくもないけれど、当時の私は、その言葉に救われてしまった。
「お姉ちゃんが助けてって言った時も、傑はちゃんと助けてね」
指切りをしながら、それにしっかりと頷く。それが、私の初めての呪いになったのだった。


「……」
コンビニスイーツの前で、ひとりため息をつく。姉が好きなゼリーが売り切れていたからだ。
「もう一軒いくか」
家に着く頃には、姉は俳優に夢中で、ゼリーのことなど忘れているかもしれない。それでも、姉の言いつけを守るのが弟の義務だった。


「そういや姉ちゃんどうだった? この間久しぶりに実家帰ったんだろ?」
任務の帰り、悟と街中を歩いてるとそう話しかけられた。
「ああ、元気だったよ。夜に姉のゼリーを買いにコンビニはしごしたりしたけどね」
「うえー、相変わらず尻に敷かれてんな。疲れねえの?」
呆れたようにそう呟く悟に苦笑する。
「まあまあ疲れるよ。でも、姉ってそんなものじゃないかな」
そう答え、ふと顔を上げる。
「あ」
ある店の前で私が立ち止まると、悟も数歩先で足を止めた。
「どうした?」
「ちょっと買ってくる」
「いや何をだよ。ここ女モンの下着屋だろうが。女装でもすんのか?」
「違うよ。あの部屋着、姉さんに良さそうだから。姉さん、何度注意してもお風呂上がりに下着でうろつくんだ」
それを聞いて、悟がうわっと声を上げた。
「お前……なんだかんだ言っても姉ちゃんのこと好きだよな。というかシスコン?」
「はは、シスコンかはわからないけど。私はこう言うやり方でしか恩を返せないからね」
変わらず何か言いたげな顔でこちらを見る悟を置いて、私はひとり店へと入って行ったのだった。



――なんでこんな時に、あの頃のことを思い出すのだろう。猿どもの血がついた顔を拭いながら、ぼんやりとそんなことを思う。見慣れた家のリビングには、両親だったものが転がっていた。
ガタリ、キッチンから音がして顔を上げる。
「ああ、そこにいたのか――姉さん」
そう呟くと、身をすくめてガタガタと震えるそれをじっと見下ろした。
「っ、すぐ……る……」
「姉さん、やっぱりその部屋着似合うね」
ああ、だからあの頃のことを思い出したのかな。
「なん……で……」
みっともなく歯を鳴らしながら、それがたずねる。
「姉さん、小さい頃にした約束、覚えてるかい?」
それの瞳から、ぽろぽろと涙の粒が溢れ出した。
「姉さんが助けてって言ったら、ちゃんと助けてねって言ったんだよ」
「じゃあ……たすけてよ……っ、すぐる……っ!」
悲痛な声が、暗闇の中に響き渡る。
「……うん、今助けるよ」
私を縛りつけたそれが、救いを求めて震える手を伸ばす。私はその手をしっかりと握ってやった。
「愛してるよ、姉さん」
その小さな手に、今までの感謝を込めて口付ける。
「……だから今、助けて(楽にして)あげるね」

――可哀想な姉さん。こんな醜い猿に産まれてしまって。

『すぐるは優しいから、助けてっていう声が聞こえちゃうんだね』

骸が、あのときの呪いの言葉を囁く。
「……それは違うよ、姉さん。だって、姉さんのほうが優しかったじゃないか」
それだけ呟くと、体温を失った小さな手を離したのだった。




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