小話 | ナノ



没作「逃走」
2016/11/21 02:11

暗い夜の街を、私は全速力で駆けていた。
「はぁ……はぁ……」
いつもは息を吸い込めば熱い空気が肺に流れ込んでくるけれど、今の空気はとても冷えている。夜なのだから当たり前のことだし、今は火照っている身体には有り難い。荒く乱れた息を整えるように私は呼吸を繰り返す。
私は夜の街をうろついていた。そしたら賊に目をつけられ、正体がばれてしまい、捕まりそうになった。運よく逃げだせたのは良かったけれど、今でも追われている。警備兵に助けを求めたいのは山々なんだけど。
(……ここ、どこ?)
でたらめに走り回って、よく分からない路地裏とかにも逃げ込んで、すっかり迷子になってしまった。辺りを見回しても暗いし寒いしで、よく分からない。下手に走り回って賊に見つかるともっと厄介だし、どんな目に会うかもわからない。分からないことだらけでいやになってくる。
(とりあえず、ずっとここにいても仕方ない。……どこか隠れられそうなとこ)
「見つけたぞ!」
男の声に振り返れば、そこにはナイフを持った賊が私を見つけて仲間に知らせていた。私はそれに驚いて走って逃げたけれど、それなりに大きな道に出たときにまた他の賊に見つかってしまう。賊は何人か集まってできた集団のよう。急いで辺りを見渡すけれど、どこにどう逃げたらいいのか分からない。目の前から迫ってくる賊の数人に、私は後ずさりして距離を取る。けれど、背中にひんやりとした壁が当たるのを感じてしまった。
恐怖で表情が強張り、身体が震える。
「いやぁッ!」
「うるせぇ大人しく――」
しろ、という言葉は続かなかった。私の手を掴んだ賊の男は、短く悲鳴を上げて蹲る。一体なにが起きたのか分からなくて状況を把握しようとしたけれど、その前にいつの間にか傍にいた一人の人間に私は腕を掴まれた。
「こっちだ!」
綺麗な声で言われるのと同時に、私はそのまま腕を引っ張られて走る。どうやら女性のよう。その人は黒いローブのようなものを着ていて顔は見えない。一体だれなのかは分からないけれど、賊から助けてくれたのは明白だから、多分敵ではないと思う。
私の前を走る推定女性は、真っ直ぐ走っていたけれど、突然脇道に入って息を潜めた。私も彼女に習って荒い呼吸を繰り返す口を、両手で塞ぐ。するとすぐに、賊たちの男の声が真っ直ぐ行こうとしていた道の方から聞こえ始める。けれど、それも数秒のことですぐに足音と共に去って行った。
「はぁ……た、助かったぁ…………」
「大丈夫ですか?」
先程と同じ声の方を向くと、顔を覆っていた黒いローブを捲っていたので顔が見えた。同じ性別の私からしても、とても美しい人。容姿端麗ってこういう人のことを言うのだろうな。
「私が言うのもなんですか……このような時間に女性が一人では危ないですよ」
女性は少し困ったように微笑みながら、私にどこか躊躇うように言う。それも仕方ないこと。だって彼女の言葉通り、彼女もこんな時間に一人でいる女性なのだから。でも彼女と私の違いは、彼女は私と違って闘える人なのかもしれない。憶測でしかないけれど、さっき賊を沈めていたのを見ると、強いのだと思う。
でも、それでも私が危険を冒してまで逃げてきた理由がある。
「……助けてくれて、ありがとう。私、実は逃げ出してきたの」
「逃げ出した……?」
「ええ。……高位神官に見初められて、私は結婚を申し込まれたの。両親は手放しによろこんでいたけれど、私は嫌だった。だから結婚させられそうになって逃げ出したの」
「………………」
女性は何も言わずに俯く。無理矢理に結婚させられる私を憐れんでいるのか、どうなのかは分からないし、暗くて俯かれて表情はよく見えないから分からない。けれど、結婚した方がいいとか、勿体ないとか言われないだけ良かった。
「……ですが、それでも今の状態はとても危険です。兵がいるところへ行きましょう」
それでは親元に連れ戻されてしまうけれど、彼女はそんなことぐらい分かっているかのように、やっぱり困ったような微笑みを浮かべている。
私としても命の危険に晒されて、見ず知らずの彼女に守ってもらっている手前、これ以上彼女に我儘を言うことはできない。それに死ぬくらいなら、私は結婚させられるかもしれない状況に戻った方がいい。私は観念したように息を吐いて小さく頷いた。
「……ここからだと少し遠いのですが、行きましょう」
「…………大丈夫かな。もし、また見つかったりしたら……」
先程の光景を思い出して、私は震える。あの賊たちはナイフを持っているし、体格も良くて下手な抵抗なんて意味がない。人も何人かいたし、多勢に無勢なのは明らか。しかし彼女は震える私の肩にそっと手を置いて、にっこりと笑う。
「大丈夫です、いざとなったときの切り札もありますから」
「切り札……?」
「ええ」
自信たっぷりに言う彼女に、私も自然とほっとした笑顔になる。そしてこれから再び逃げようという頃になって、私は自己紹介していないことに気がついて名乗る。すると彼女も自らの名前を名乗って、再び慎重に歩き出す。
彼女は、マハードという名らしい。



歩き出して数分、目の前を歩いていた彼女、マハードが唐突に私を振りかえる。
「そうだ、これ……」
そう言いながらマハードは、自分が来ていたローブを私に差し出してくる。顔を隠すことぐらいには役に立つだろうということらしい。確かに暗い夜に黒いローブを着ていたら、見つかりにくいかもしれない。それに寒かったので正直有り難かったけれど、マハードが寒くはないだろうかと心配になる。けれどマハードは腰辺りまでかかる長い肩掛けを巻いているから大丈夫だと言う。それに安堵した私は、身体の冷えも酷くなってきていたので有り難くローブを借りた。
小声でありがとうと言うとマハードはまるで気にしないで、といわんばかりに微笑む。そしてそのまま無言で私に背を向けて、周囲を探り始める。マハードはさっきから、こんな風に予知したかのように時々立ち止まる。私には全然分からないけれど、マハードは敵の気配を探るのが上手みたい。普通の一般人には見えないけれど、一体なにをしている人なのだろうか。
「……挟まれそうですね」
「え!?」
「少し危険ですが、今のうちに向こうの路地裏に走りましょう」
「わ、わかった……」
承諾したものの、私は怖くて思わずマハードの手を縋り付くように強く握る。少しはこれで怖さも薄れるし、心強い。マハードはそんな私の行動を見て、相変わらず微笑んでくれて、無言で力を少し込めて握りしめてくれた。
「行きましょう」
小声で合図を出したら走って、というマハードの言葉に私は顔を強張らせながら頷く。道を挟んで向こうの路地裏に入りたいけれど、道は賊がいるらしい。運が良ければ見つからずに移動できるけど、見つかる可能性もある。でも、万が一のときはマハードがどうにかすると言ってくれた。
そしてマハードがタイミングを見定め始める中、私は息を飲んで、ドキドキと高まる胸を押さえていた。見つかるかもしれないという恐怖があって、緊張していたから。私はマハードが出す合図を逃さないようにジッと見つめていた。するとそう時間もかからないで、マハードから合図が出されて私は走り出した。
「…………きゃっ!!」
けれど緊張し過ぎて、私は転んでしまった。静かな夜の街に、私の悲鳴と転んだ音がよく響く。当然のことながら、賊たちは私に気付いてしまう。マハードが止まって慌てたように私の名前を呼ぶけれど、私が再び走り出すよりも賊が傍に来た方が早かった。
「見つけたぞ!」
「逃げられないようにしてやる!」
叫びながら、賊がナイフを振り上げる。私の足を傷つけて、走れないようにする気らしい。でもそれが分かっても、私は凶器が恐ろしくて動くに動けない。けれど賊が私を斬るより早くマハードが私と賊の男の間に入って、マハードが男の腹を殴る。すると見かけ倒しだったのか、体格が良い男は腹を抱えて蹲る。その間にマハードは私を立たせて逃げようとするけれど、私が立っている間にもう一人賊が襲ってくる。それに構わずマハードは私の手を引いて先に私を走らせて、私を逃がしてくれた。私は縺れそうになる足をなんとか動かして路地裏に滑り込むように逃げ、荒い呼吸のままマハードの方を覗き込む。するとすぐにマハードが一人でこちらに向かってきていた。そしてすぐに路地裏に身を潜めさせて、ひとまず安心するかのように、小さく息を吐いた。
「ご、ごめんなさい……大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。貴女は?」
「私は特に……あ、頬が」
マハードは小さく声を上げると右手で頬を触る。右頬をどうやら斬られたようで、横に線が入って、血が流れている。大した出血量ではないけれど、私は慌てて何か拭けるものがないか探し始める。しかし当の本人は呑気に「二人目のときか……」なんて呟いていた。
「何もない……」
「いえ、大丈夫です」
そう言うや否や、先程の賊から拝借してきたらしいナイフで長いスカートの先を斬る。そして布で左腕に巻き付ける。……左腕?
「あの、左腕……怪我したんですか?」
「え、ああ……まぁ」
もしかして、私が斬られそうになった時に、私を庇って左腕を怪我してしまったのかもしれない。私はさらに深く頭を下げて謝罪する。私があのとき転ばなければ。
「大丈夫ですよ、大した怪我ではありません」
「……本当に大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。それより……気絶させておいたとはいえ、いつ目覚めるかは分かりません。移動しましょう」
そう言って、マハードは再び先頭に立って移動し始める。なんだか物騒なことを言っていたけど、それは置いておこう。さっきも体格のいい男性を一撃で沈めたけれど、本当に一体この人は何をしている人なのだろうか。気になって仕方なくなって、私は小声で男に一体なにをしたのかマハードに聞いてみる。するとマハードは、胸の中央前面にくぼんだところ(鳩尾)があってそこは人が殴られると凄く痛い人体急所というところだ、と教えてくれた。呼吸困難になってしまうこともあるようで、普段は殴らないような箇所らしい。……確かに痛そう。
そうして暫く私とマハードが、見つからないように夜の道を、というか不気味でくらい路地裏を隠れながら歩いていた。どうやらここは王宮から離れたあまり治安のよくないところらしい。無我夢中で走っていたからよく分からなかったけれど、戻るには結構遠いという。思わず私は溜息を吐く。こんなに走ったり歩いたりして疲れたし、足も疲労してきているように感じていたから。
「……どうしたの?」
突然マハードが、手で止まるように制してきたものだから私は彼女に訪ねる。けれどマハードは無言のまま、警戒しているかのようにナイフを構えた。
「そこにいるのは誰だ!」
それからすぐに、男の声がした。私は思わず身を固くしてしまうと、数人の男が路地に入ってくる。マハードは私を背にして庇ってくれたけれど、どう考えても状況は良くない。
「へぇ、二人もいたとはな」
リーダーらしき男が、感心するようにこちらを見る。どうやらその男はマハードの気配じゃなくて私の気配を感じたらしい。私は気配を隠すなんてできないし、そうとしか考えられない。後ろからも賊が何人か入ってきて、前後共に塞がれてしまう。
「お前が二人、いや三人を倒したのか」
「そうだとして、それが一体何だというんだ」
「ふぅん……面白い女だな。どうだ?オレの女にならないか?強さも気配の隠し方も申し分ない」
「嫌だと言ったら?」
「この状況から、その後ろの女を逃がしてやろう」
「逃がしたあと捕まえるつもりならば意味がないだろう」
マハードがナイフを構えたまま、そう言い返すと男は茶化すように笑う。平然とバレたか、と言う男はとてもふざけているよう。私は思わず眉間に皺を寄せる。
「それに、申し訳ないが……」
そこまで言った途端、後ろの方から悲鳴が聞こえてくる。私は驚いて振り返ると賊が数人倒れていた。けれどマハードはそれに驚く様子もなく、驚いているリーダー格の男に向かって挑発的に、不敵に微笑む。
「私はもう、ある男のモノになると決めている」
そこでまた、リーダー格の男の後ろにいた数人の賊が何かの光で吹っ飛ぶ。私の日常ではあり得ない光景に呆然と口を開いてしまう。そういえば、マハードは切り札があると言っていたけれど、まさかこのことなのだろうか。男も驚いたように後ろを振り返る。
「何……!?」
「そしてこの身はあの方の剣であり、盾だ。……お前に渡せるモノなど、何もない!」
鋭い声が、一変して焦った様子を見せている男を貫く。そしてそのまま、何かを叫べばその声に従ったように光の球が男を吹き飛ばす。そのままマハードは私の手を取って走り出した。
しかし男は光の球が直撃しそうになったとき、飛んで避けていたらしい。だからすぐに膝をついて起き上ることができたようで、怒声を発すると共に自棄になったらしい男はナイフを投げてきた。走ることに夢中になっていた私は気付かなかったけれどマハードはそれに気付いたらしく、私を先に走らせてくれた。おかげで私にナイフが刺さることはなく、そのまま走り続けることができた。マハードもすぐに後を追ってきて、私が適当に入った路地裏に身を潜ませる。けれど、それでも追手を振り切れないようで、私は慌ててまた走ろうとした途端、マハードに止められた。
「なにを……!」
「よく聞いてください。ここからは一人で逃げてください」
「え、どうして……!?」
男が投げたナイフがマハードの足を斬ったらしく、白い服が紅く染まり始めている。痛みに顔を歪めるマハードの様子を見るに、どうもこれ以上走り続けることができないよう。けれど、一人になる恐怖が嫌で、我儘を言う子どものように嫌々と首を振る。それでもマハードは、凛とした声で私に指示を続ける。
「ここから真っ直ぐに進んでください。そこに兵士がいると思います。そこで私の名を出して助けを求めてください」
「嫌、嫌よ……ひとりなんて…………」
「私がここで闘います。……だから、逃げて」
こんな状況でも微笑むマハードに、私は諭されるように小さく頷く。やっぱり彼女の笑顔を見ると、なんだか大丈夫なような気がしてしまうのが不思議だ。私は瞳をぎゅっと瞑ると、断腸の思いで強く頷いた。するとマハードは私の手を取って瞳を瞑りながら何やら私には分からない言葉を呟く。次にマハードが顔を上げたときにはもうその言葉は止んでいて、貴女にも守護を付けた、と言って私の手を離した。私はそれを合図に、唇を引き締めて走り出す。兵士の姿を見つけるまで走る足を止めてはならないと言い聞かせながら、必死の思いで私は走り続ける。このままじゃマハードが死んでしまうような気がしてたまらなく怖かったから。けれど、私の思いもむなしく足は止まってしまった。
「っ、いや!離して!!」
広い道に出てすぐに、私は誰かに腕をとられてしまったのだ。それに驚いて思わず暴れてしまったけれど、呆気ないほど簡単に腕の拘束は解かれる。暴れた勢いで転んでしまったけれど、私の腕を掴んでいた人物は私の目の前にしゃがみ込むだけで、特に何かしてくる気配もない。
「悪ぃ、大丈夫か?」
「え……あ……」
「いきなり魔物-カー-の気配がしたモンだから、アイツかと思ってつい掴んじまった。……それよりその魔物、アンタのか?」
「かー……??一体、なんのこと??」
銀の髪に、鋭い切れ長の瞳を持つ眉目秀麗な男の言葉に私は首を傾げる。本当に一体なにを言っているのか分からない。けれど、私は今そのことを追求している暇などなかった。どう考えても兵士には見えなかったけれどこの際そんなことはどうでもいい。私を捕まえようとしない人なら、少なくとも敵じゃない。私は縋るように男の着ている赤い服を両手で掴んだ。
「それより、兵士はどこ!?」
「は?なんだ、いきなり」
「私、狙われてるの!それで、途中で助けてもらった人がいて、でも今危なくて……」
私の説明に、男は訳が分からないと言ったような顔になる。慌てて要領を得ない私の話なら無理はないかもしれない。でも私だって混乱してうまく整理できていない。それでも話さなくちゃと更に慌てる私に、男は小さく息を吐いて瞳を瞑る。話にならないと言外に言われているようだった。
「残念だが、てめぇの話に付き合ってる暇なんざねぇんだ。他を当たりな」
「そんな……」
「今探してる奴がいんだよ」
それでも尚、私は喰い下がろうと口を開く。逃がしてなるものかと力の入らない手で赤い服を強く握る。けれど男は少し苛立ったように私の手を振り払う。私に構っている時間はないとでも言うように。それでも私が手を伸ばそうとした瞬間、男の冷たく鋭い殺気を感じて思わず動きを止めてしまった。
今までの賊たちとは比べものにならないほどの、恐怖。怖くて息を吸い込んでしまう。殺されると感じざるを得ない死の恐怖を叩き付けられたのは、この時が一番だったと言っても過言じゃない。
男はようやく静かになった私を一瞥して、私に背を向ける。それでも私は一筋の救いに賭けるように去っていく背に向かって、声をかけた。
「お願い……!彼女を」
「…………」
「マハードを助けて……!」
瞳から涙が溢れて、私はそう言いながら俯いてしまった。声と疲労が溜まった足は震え、助けてくれたマハードを助けられないかもしれないという悔しさで身体も震える。絶望の中で、私は打ちひしがれることしかできなかった。
彼が、私の服の胸元を掴んで無理矢理に顔を上げさせるまでは。
「お前、今何て言った!?」
「え……?」
「最後に、何て言った!」
酷く慌てた様子で、男が私を問い詰める。私は震えてうまく声が出ない中でも必死にマハードという言葉を紡ぐ。戻ってきたこの男が、もしかしたらマハードを助けてくれるかもしれないという望みに賭けて。
「そう……マハードを……!」
「今どこにいる!?」
私はどう説明しようか迷った。そういえば、マハードには真っ直ぐ進めと言われたけれど、時々賊の姿を見て曲がったりしていたから。口籠る私を見て、男は厄介だと言わんばかりにチッと舌打ちをする。それから男は私の手首を掴んで無理矢理立ちあがらせる。けれど正直に言うともう歩くのもやっと、というところだった私が走れるはずもない。でも馬が入れるようなスペースはない。男は再びもどかしそうに舌打ちしながら、私を担ぎあげる。進行方向が見えるため、幸い道案内はできる。私は荷物のように担がれたまま、男と共にマハードを助けに行った。
それからすぐに、男が自分で精霊の気配を見つけて移動し始めたことで、私は完全なお荷物と化した。でも結果的にはそっちの方が良かったようで、座り込んで隠れながら精霊(=光の球を放っている攻撃しているらしい)に指示を出しているマハードを早く見つけることができた。
「マハード!」
優しいとは言えない動作で、私は地面に痛くは無かったけれど落とされる。男はすぐにマハードに駆け寄って傍にしゃがみ込むと、先程の雰囲気からは考えられないほどの優しそうな声色でマハードに声をかける。
「大丈夫か?」
「バクラ!」
「……大丈夫じゃ、なさそうだな」
男、バクラは恐らくマハードの怪我を見て顔を顰めたのだろう。マハードは苦笑いを浮かべながら、バクラと傍に歩いてきた私を見上げる。そして助けを呼んできた私に、マハードは少し疲労の色を見せながらお礼を言ってきた。
「ううん、いいの。たくさん助けてもらったのは私の方だから」
「ふふ、それにしても兵士より有り難い援助だ」
「おいおい、ンなこと言ってる場合じゃねぇだろ?」
そう言ってマハードを横抱きにするとバクラは立ちあがる。私が見た時よりも白い服に赤い血が滲んでいて、静かに男がキレているのが分かる。きっとマハードを傷付けた存在に怒りを覚えているらしい。私はそのバクラの怒りが、自分に向けられているものではないと分かっていても恐ろしかった。けれどマハードは、相変わらず苦笑しているだけだった。
「見つけたぞ!」
そこへリーダー格の男が数人の部下を連れて現れる。なんて残酷なタイミングなんだろう。バクラがゆっくりと余計な振動を与えて傷に痛みが走らないよう、そっとマハードを降ろすと男たちを振り返る。男たちはその剣幕に、思わず気圧されて後ずさりする。いつの間にか持っていたマハードのナイフを、その手で弄びながら男が憤怒の笑みを浮かべた。
それから賊たちを片づけるのはあっという間のことだった。
殴り飛ばしたり蹴り飛ばしたりして、ナイフは防御用にしか使っていなかったよう。私は呆然と倒れて行く賊たちを見ることしかできない。男も精霊を行使できるようで、時々賊たちが勝手に吹っ飛んでいくのはその精霊の攻撃を受けているかららしい。とにもかくにも、私が把握できないうちにほとんどの賊を地に沈めてしまった。中には、バクラの気迫に負けて逃げ出す者もいて、私は思わず顔を引き攣らせてしまう。
「チッ、雑魚が」
そう吐き捨ててナイフを捨てる。ほとんど怪我もしていない男、バクラは再びマハードを横抱きにすると歩き出す。私には冷たく付いてきな、と言い捨てて私のことなんてまったく気にしていない様子だった。けれど怪我をしているマハードがいるのに、まさか私を運べ!なんて言えるはずもないし言うつもりもなく、私は疲労が溜まった足を無理矢理に動かした。
「バクラ、これくらいなら歩け」
「こんな足じゃ歩かせねぇよ」
どこか拗ねているようにも感じられる声で、バクラはマハードの提案を即座に却下する。と、いうより命令しているようだった。反論は一切聞かないという雰囲気だ。
けれどそれも、きっとマハードのためなのだろうことは、私にでも分かる。
最初に会ったときとは、まるで別人だ。先程、私が言葉に詰まってしまうほどの殺気を放った人物とは、どうしても思えない。賊たちと闘っていた人物とはうまく結び付くけれど、こんな優しそうな声色を出す人物とは想像できない。思わず私は首を捻る。もしかして、マハードが言っていた『ある男』ってバクラのことなのだろうか。きっとそうだ、だってこんなに大事にされているのを見ると疑う余地さえ湧かない。あの男の鋭利な凶器のような気配を、きっと柔らかくしているのはマハードなのだ。それが分かると、不思議なほどすとん、とパズルピースが合ったように納得できた。
そうして歩き続けているうちに、私たちはひとまず傍の宿に辿り着いた。
マハードの治療も早くしたかったようだし、家に戻るまで距離があるからここで休むという彼の言葉は有り難かった。疲労しきった身体は、宿に着いた途端休息を求めて寝台に沈みこむ。疲労も限界にきていた私は、すぐに眠りにつくかと思ったけれど、頭は不思議なほど覚めていて、眠ることができなかった。身体は疲れていて指一本動かすのも辛いくらいだけれど、頭は未だに興奮が冷めていないのかもしれない。そういえば、二人はどうしているのだろうと瞳だけで追う。
するとバクラは、マハードを寝台に優しく寝かせて一番怪我が深い太腿を見ていた。傍から見ると少しアレかもしれないけれどそんな雰囲気は微塵もなく、もらってきたらしい新品の布で傷口を塞ぐ。マハードは少し顔を歪めたけれど、すぐに疲労を感じながらも申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「すまない、バクラ」
「こんなときぐらい、素直に甘えとけ」
上体を起こして寝台に座っているマハードを、バクラはそっと優しく包み込むように抱きしめる。マハードはくすぐったそうな声で「ありがとう」と呟く。
バクラはマハードに、ひたすら優しい。それは数時間、共にいなくてもすぐに分かる。でもそれは、私との対応の差に怒る気も最初から失くすぐらい、柔らかいもの。そこでやっと、当てられていると感じる。何故今まで感じていなかったのだろうか。二人が共にいて、お互いがお互いを想い合っているのが自然に見えるからだろうか。
その答えは出なかったが、そんな二人を見ていた私は、次第に安心感を覚え始める。それはいつしか興奮していた頭を落ち着かせてくれたのか、深く息を吐くと私は強い眠気に襲われる。私はそのまま眠りに落ちようとする感覚に身を任せ、バクラがマハードに顔を近づけている光景を最後に、瞳を閉じた。



翌日、私は揺さぶられる感覚で起こされた。
まだ早い時間で、しかもまだ眠くて疲れも溜まっていたから眠っていたかったけれど、二人は事情があって早く戻らないといけないらしい。置いてくぞ、とバクラに半ば脅されるかのような言葉を言われてしまえば、私は重い身体を無理矢理起こすしかない。マハードは謝ってくれたけれど、私は体力が回復しただけ良かったと、むしろ感謝しなくてはならない立場だ。私は首を振って立ちあがった。
それから親元に引き渡され、マハードとバクラは去って行った。彼らがどこに行ったのかは教えてもらえなかったけれど、兵士が街で伸びているだろう賊たちを捕まえてくれるとだけ言っていた。それでも私は命の恩人である二人に後日、お礼がしたいと食い下がったけれどマハードはそれをやんわりと断るだけだった。このまま何もお礼ができないのは嫌だったけれど、もうどうしもないのだろうか。私は残念に思いながらも、まだ回復しきっていない身体を休ませるべく眠った。
もう会えないのだろうか。眠りに落ちる間際、そんなことを思った。けれど、それは杞憂でしかなかった。
翌日、両親と共に王宮へ呼ばれて訪れたとき、私は彼らと再会した。そしてそれと同時に、王宮に呼ばれることなど滅多になかった私が感じていた緊張など、吹き飛んでしまうほどに驚いた。案内してきてくれた兵士がマハードを見て頭を下げてから私たちに「六神官マハードさまに、無礼がないように」と忠告してきたものだから。
挨拶の言葉を口にしながら現れた女性神官が、黄金と白き衣に身を包んで胸元に黄金のリングを首から下げているその人が、マハードだという。その隣に寄り添うのは見間違うはずもなく、バクラだ。一昨日の綺麗な女性が、今目の前にいる威厳と美しさを併せ持った神官が、同じ人物だなんて思えなかった。
でも、両親が女性神官に深く頭を下げている。私はあまりのことに驚愕して動くことができないけれど。だって、私はそんなこと聞いてない。
マハードが、彼女が、あの王直属の神官である六神官だなんて!
王に次いで権力や地位を持っていると言っても過言ではない。そんな高位な人、いや御方に守られていたなんて、脱力し過ぎて立っているのもやっとなほど。思考が追いつかない。
呆然と口を開けてことの展開を見ていることしかできない私を見て、バクラがククッ、と笑う。本来なら、私が身を投げたって守らないといけない人じゃなかったのか。そうおもわず問いかけそうになる。
「阿呆面だな」
「だ、だって……」
そこまで言って口籠ってしまう。何を言っていいのか、分からない。下手なことを言うと無礼になってしまうのではないか、という心配もあった。けれど、私が生み出してしまった沈黙は、男の怒声が聞こえてきたことによって破られる。
「これから、王宮裁判だとよ」
兵士に連行されてくる男を見ながら、バクラが説明してくれた。当然、その男には見覚えがある。あのリーダーらしき男だ。男は汚い言葉を吐き散らしながら、兵士に時々殴られながらこちらへ来た。すると男が視界にマハード、いやマハード様を入れるとキッと強く睨みつける。
「てめぇは、あのときの……グッ」
「貴様!六神官マハード様に向かって無礼だぞ!!」
男を連行していた兵士が殴りながら、そう告げる。すると男は「へっ?」という情けない声を上げて、呆然とマハード様を見上げる。そして次第に、がっくりと頭を落とした。
無理もない、六神官という役職名だけなら誰でも聞いたことあるような高位神官に傷を負わせてしまったのだ。さぞかし絶望に浸っていることだろう。急に大人しくなった男を連れて、兵士たちが居なくなった。
「では、私たちもこれで」
「じゃあな」
改めてお礼を言う両親と一緒に、私も感謝するとマハード様は、相変わらずの優しい笑みを浮かべて兵士たちが行った方へ向かっていった。その傍には、相変わらずバクラがいた。
どんなに姿や雰囲気が変わっていても、変わらない二人の後ろ姿に、私は思わず笑みが零れた。
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