テンシノハシゴ
拙くても楽しげにラッパを吹き、四つ葉のクローバーを差し出す。
彼女の名前を聞いたら、誰もがそんな姿を想像するのではないだろうか。
誰かを楽しませることを喜びとし、誰かの幸せを願う少女。
それがポエットだと、自分は記憶している。
そんなポエットが、いなくなった。
同郷の友達の誰にも、何も告げず。
それはホワイトランドで行われる聖歌コンサートの前日てあった。来るべき本番に備えて、歌の合わせを行おうと言うときに、メンバーのひとりがポエットの不在に気づいたのである。
―誰か、どこに行ったか聞いてないの?
誰も何も答えられず、その場は沈黙に包まれ、やがてメンバー内がパニックになった。
その喧騒はホワイトランド中に伝わり、とうとう国の王子である自分の耳に届いたと言うわけである。
「お父さま、お母さま。ぼくに『下の世界』へ行かせてください」
ヘンリーは両親に、久方ぶりに暇を乞うた。まだまだ頼れない未来の国王たる息子の言葉に驚いた両親は、しかし息子の次の言葉を聞いて快く送り出した。
「友達を連れ戻したいのです」
下界へ行くための身支度を始めながら、ヘンリーは背中を押してくれた両親に対し少しの後ろめたさを感じていた。
「シンバル。…ぼくは、嘘をついてしまったのだ」
忙しいご主人を不思議そうに見つめるぬいぐるみに、ヘンリーはこっそり打ち明ける。
ホワイトランドの友達が誰もポエットの行方を知らないのであれば、王子たる自分が他郷へ赴いて連れ戻すのは自然な流れであろう。
…本当は。
想い人であるポエットを、誰よりも先に見つけ出したかったのだ。
一通り身支度を終え、何か不足はないかと部屋を見回すと、ベランダに花があった。
ポエットにもらった花で、名前は白百合だ。ポエットに関わるものはできる限り記憶しておこうと努めているので、きっとそうだ。
―このお花、キャンディちゃんにもらったの。
キャンディ。確か、メルへン王国の花畑に住んでいるという友達だ。
決めた。はじめに、キャンディのもとへ行こう。ポエットの行方を知るための手がかりがあるかもしれない。
こうして、王子ヘンリーは旅立った。
「さいきん、ポエットちゃんとあそんでないの。だから、わからない」
自分が探している天使の少女と同じ、金色の瞳をしたハチの化身たる少女―キャンディは寂しげに呟いた。
チューリップ、薔薇、すみれなどの多種多様な花々が咲き誇る中、キャンディはひまわりのゾーンの付近にいた。
ここはホワイトランドの直下、メルヘン王国の花畑である。
恐竜の王族が治めるちょっぴり不思議でなんでもアリのこのメルヘン王国で、キャンディは暮らしていた。
今は、地球で言うところの夏。だがこのメルヘン王国の花畑はどうやら季節の花という概念は通用しないらしく、実に色々な花が思い思いに咲き誇っている。
相変わらず不思議な王国だ――とヘンリーは思いながら、キャンディに尋ねた。
ポエットの居場所と、失踪の理由に心当たりはないかと。
その答えが、先程の寂しげな呟きである。
どこへ行ったかも知れない。ましてやポエットの胸中など、わからない。
ヘンリーはそうなんだと呟き、肩を落とした。
落ち込むヘンリーに、キャンディの嘆きが続く。
「ポエットちゃん、キャンディに会いにきてくれるたびに大きくなってるの。もうキャンディの背、追いこされちゃった」
「…ぼくの背も、追いこされたんだ」
ヘンリーは同意し、いつかのことを思い出す。
あれは、ポエットがホワイトランドに戻ってきた時のことだった。ヘンリーの姿を見つけるなり、近くまで駆けて行って、まるでとっておきの秘密を打ち明ける子供のように告げた。
――わたしね、お歌のメンバーに選ばれたの。
息を切らしながら教えてくれたポエットに対して、おめでとうと伝えたことは覚えている。だが、その時のヘンリーは、別のことが気になっていた。
見上げないと、ポエットの顔を見られないのだ。
「キャンディがこどもだから、大きくなったポエットちゃんはもうあそんでくれないのかな。キャンディのこと、わすれちゃったのかな」
「…そんなこと、ないよ」
寂しげに呟いたキャンディに、慰めの言葉をかける。しかしヘンリーの胸中には、ある思いが浮かんでいた。
――自分もまた、ポエットに置いていかれてはいないか?
ホワイトランドの未来の王に足る器に、近づけているのだろうか?
ポエットはゆっくりと、着実に成長している。へンリーの中に、焦りはなかっただろうか?
「ポエットちゃん、今どこにいるんだろう?」
「もしかして、”ようかいさんたち”ならしってるかもしれない」
ヘンリーの問いかけに、キャンディはそう答えた。
ようかいさんたち。ヘンリーにはその抽象的な呼称に心当たりがあった。
ホワイトランドの王子ヘンリーと、このメルヘン王国の王子――ディーノは親友同士である。ディーノは国民と積極的に交流する性質で、『彼ら』とも面識があった。
「ユーリは大きな翼で、ぼくといっしょに飛べるんだよ」
「アッシュのお料理はとってもおいしいんだ。おたんじょうびのとき、5段もあるケーキをたべさせてくれたんだよ」
「スマイルは『ギャンブラーZ』が大好きでね、おへやの中にグッズがたくさんあるんだ」
いつか、ディーノが『彼ら』――人気絶頂の妖怪たちのバンド、『Deuil』の話をしてくれたことを思い出す。
「ようかいさんたち、おとなだもん。ポエットちゃんのこと、しってるかもしれない」
「Deuilさんたちだよね?じゃあ、お城に行ってみるよ」
教えてくれてありがとう、と告げて次の目的地を目指すヘンリーを、キャンディは引き止める。
「ポエットちゃんにあえたら、つたえてね。キャンディは、ポエットちゃんとずっとともだちだからねって」
「わかった」
次の目的地は、Deuilのリーダー――ユーリ の住まう城である。
ヘンリーは早くも緊張していた。彼はユーリ のことが嫌いではないが、苦手であった。彼と対峙すると、――なんだか、魔王に立ち向かう勇者のような気持ちになるのだ。
[newpage]
「友達が選ばれなかったんスよ」
紅茶や焼き菓子の甘い匂いが漂う部屋の中。
城の客間に案内され、緊張の面持ちのヘンリーを迎えたのは、ドラム担当のアッシュだった。突然の来訪者に気分を悪くすることもなく、アッシュは今朝作ったのだと言うお菓子を振舞ってくれた。
ヘンリーはお礼を言い、お菓子をつまみひと段落したあと話した。
ポエットが今、メンバーである聖歌隊の練習にでず、どこかへ行ってしまったこと。
ホワイトランドのみんなは行方がわからないこと。
このメルヘン王国のポエットの友達――キャンディに尋ねても、わからないと言われたこと。
Deuilなら、なにか知っているかもしれないと言われたこと。
これまでのいきさつを聞いたアッシュは、少し考え込む仕草をして――、先程の言葉を発した。
「ホワイトランドの人たちってみんなのんびりしてるみたいなんスけど、その聖歌隊のメンバーを決めるオーディションは相当厳しかったらしくて。
ポエットちゃんとそのお友達は、結構がんばったみたいっス。
でも、選ばれたのはポエットちゃんだけで…。大泣きしたお友達に、なにも言ってあげられなくて、すごく気にしてたんスよ」
「……そうだったんだ」
「なんで教えてくれなかったのお?」
ヘンリーは驚いた。先程の話にも、突然自分の発した声にかぶさった男の声にも。
「アンタ隠れてたんスかスマイル」
「おもしろそうだからさあ。そんなことよりポエポエのことぼく初耳だよお!?」
「アンタギャンブラーZのショー観に行ってただろ!その日たまたまオレしかいなかったんスよ!」
姿を表した透明人間――ベース担当のスマイルとアッシュは軽い言い合いになる。
「まあいいや。アッシュだって知らないポエポエの秘密、ぼく知ってるもんねえ」
「そーっスか。機嫌直してくれたみたいで何よりっス」
スマイルのマウントを軽くあしらうアッシュを見て、ヘンリーは決意を固めた。
心のどこかで避けようとしていたが、……やはりユーリにも話を聞いてみよう。
アッシュとスマイルでも知らない、ポエットの抱えている悩みを知っているかもしれない。
「……ごちそうさま。あの、ユーリさんはどこにいますか?」
「長い間親しくしていた友人を喪くしたと聞いた」
城の裏を抜けた先にある丘、そこに並び立つ数個の墓。そのうちのひとつ、ひどく寂れた墓についた土を払いながら、城主のユーリは言った。
ヘンリーはユーリに会うこと、更には話をすることにハードルを感じていた。理由として、単純に怖い。吸血鬼という種族ゆえか、はたまたユーリ自身が醸し出す威厳というか、畏怖感というか。
正直、話を聞くことを避けようとさえ思っていた。
しかし先程のアッシュとスマイルの会話から、やはりユーリにもポエットの行くあてを聞こうと思い直したのだ。
考えれば、ポエットもユーリも翼を持つもの。どこにでも飛んで行ける。翼を持たない自分にはわからないことを知っているかもしれない。
そんなわけでアッシュとスマイルからユーリの居所を聞いたヘンリーは、城の向こうの丘にある墓地に向かったのだった。
「地球に降りた際に親しくなった友人でな。出会った時から病と闘っていたがとうとう、らしい。その友人の末期に間に合わなかったそうだ。件の聖歌の練習に追われて慌ただしくしていた矢先、友人が倒れてな。ひどく自分を責めていた」
話しながら墓についた土を払い、花を添える。不意にユーリは、ヘンリーに問いかけた。
「……君は、どうする」
「……え?」
「打ちひしがれているポエットに、何をしてやれるかと聞いている」
「……ええと……」
答えがすぐに浮かばないヘンリーを見つめ、やがてユーリは興味を失ったように目を離し、空を仰いだ。
「もし見つけたら、伝えてほしい。亡くなった友人の墓前に花を添えるのを、許してもらえるだろうか、と」
「わかりました。……ありがとうございました」
お礼を告げて、ヘンリーは即座にその場を離れた。
結局ユーリの問いかけには答えられないままだった。
情けない。ヘンリーは自己嫌悪した。
それにしても、ユーリと向き合うと、どうも自分を試されているような気になる。男として、どうありたいのだと問われているような。
「かごめちゃんなら、ポエポエの居場所しってるんじゃない?」
ユーリの居所を案内する際、スマイルはヘンリーに耳打ちした。
「ぼくもポエポエの居場所、なんとなくわかるけどね。ポエポエに教えてもらったから。Deuilの中で知ってるの、ぼくだけなんだよ?」
アッシュに言った、スマイルだけが知ってる秘密とはこのことだったのか。それにしてもスマイルが一番有力な情報を持っていたとは。
さすが食えない男である。
「かごめちゃんはニホンの子だから、地球にいかないとねえ」
「わかった。あの、いろいろありがとう」
城を出て、ヘンリーは得た情報をまとめる。
聖歌隊のメンバー選抜で、ポエットの同郷の友人が落選したこと。
聖歌の練習の間で、長らくの地球の友人を喪くしたこと。
ニホンの友人――かごめ、という少女(とスマイル)にのみ伝えた、とっておきの場所があること。
ポエットが聖歌コンサートの前日に消えた理由と、いまポエットがいる場所が、なんとなくわかるような気がした。
おそらく、同郷の友人の落選がはじめにポエットの心に影を落としたのだろう。そこに長らく親しかった友人の死……。それが決定打なのではないか。
「ニホンに行こう」
恐ろしくも優しい魔物たちに別れを告げて、ヘンリーは地球のニホンを目指した。
[newpage]
ニホンのとある地方の草原に聳える大樹。その樹の下で。
――あの子はたぶん『太陽を祈る宮』にいる。
闇色の髪と瞳をもち、黒を纏う少女はヘンリーに伝えた。
――何かを祈る時、いつもそこに行くと聞いた。
「……ありがとう。そこに行くね」
――ほんとうに、ポエットちゃんを探しに行くの?
「え?」
――ポエットちゃんは、放っておいてほしいかもしれない。
「……」
――わたしは、ポエットちゃんの心を尊重したい。「……」
――でも、あなたに居所を伝えた。わたしはたぶん、あなたにポエットちゃんを見つけて欲しいのだと思う。
「……」
――もう、話すことはない。
「ぼく、ポエットちゃんに何を言えばいいかわからない。でも、会いたいんだ。会って、それで……」
「隣にいてあげたい」
ヘンリーは目指す。
地球のある地方、地域にある『太陽を祈る宮』。
町はずれのある丘に、
その小さな教会はあった。
入り口前まで走って、息が切れた。はあはあと息を吐きながら、力を振り絞って扉を押した。ぎい、と重い音を立てながら少しずつ扉が押されていく。
少しずつ見えてきた、向こうの景色。その中に、
――ポエットはいた。
後ろを向いてポエットはただ、茫と立っていた。立ったまま、魂が抜けてしまったようだった。
「ポエットちゃん」
声をかけ、足音を抑えて近づく。おかしなイメージだが、今のヘンリーには、ポエットがなんだか、大きな音に怯えて逃げてしまう小鳥のように思えたのだ。
生気の抜けたポエットの後ろ姿が、ピクリと震える。彼女はゆっくりと振り向いた。その顔は、涙の跡が見てとれた。
ヘンリーの心は痛んだ。ここでずっと、ひとりで泣いていたのか。誰にも涙を見られないように。
「どうして、ここがわかったの」
「お友達が、教えてくれて……」
「……そうなんだ……」
沈黙。
ヘンリーはしばらくして、言った。
「ぼくに、お祈りさせて」
そういうと、ポエットの手を取った。ヘンリーはポエットの手を自分の手で包むと、目を閉じた。ポエットは驚いて、しかしそのまま彼に手を委ねた。
――何を祈っているんだろう。
ポエットは黙って、ヘンリーを見つめていた。
ヘンリーの姿は、敬虔な教徒のようだった。
無言の時間が過ぎた。やがてヘンリーは目を開け、ポエットの手を放した。
「……」
目を合わせるのも恥ずかしいのか、ヘンリーの視線は彷徨っている。視線は次第に窓の方へ向いて、
「あ……」
不意に漏れたヘンリーの声を合図に、ポエット も彼の視線を追った。
空。雲の切れ間から、――光が。向こうの大地に差していた。
「天使の梯子だ」
それはまるで、光が手のひらからこぼれたようで。
ポエットは差した光を見ながら、思いを馳せる。
手を精一杯広げても、そこからこぼれ落ちてしまったものたちに。ポエットにはすくえなかったものたちに。
「明日のコンサートがうまくいくように祈ってたの。でも、ここに来たら気持ちがぐちゃぐちゃになっちゃって……」
「うん」
それだけ話すと、ポエットの顔は曇り、俯いた。
「ぐちゃぐちゃ」の詳細は、語りたくはないのだろう。
天使の梯子から目を離して、ポエットはヘンリーに向き合う。
「ヘンリーくん、お城からここまで来たの、大変だったよね。ごめんね」
「そんなことないよ。いろんな人に会えた」
ヘンリーは務めて明るい声を出した。
「キャンディちゃんが、ずっとともだちでいるからねって」
ポエットは頷く。
「アッシュさんが、またお菓子を食べにきてほしいって」
ポエットは頷く。
「スマイルさんが、ギャンブラーZごっこやろうよって」
ポエットは頷く。
「ユーリさんが、お友達のお墓参りに一緒に行きたいって」
ポエットは一瞬目を見開いて、……頷いた。
「かごめちゃんがらポエットちゃんがここにいると思うって教えてくれた」
ポエットはそうだったんだ…と驚いた。
「みんな、ポエットちゃんが戻ってくるの、待ってる」
ポエットは頷いて、自分の頬を両手でピシャリと軽く叩いた。
「そうだね。戻らなくちゃ」
手のひらを精一杯広げても、こぼれ落ちるものはある。ならせめて、手のひらに残るものを大切にしなくては。
そう決めたのだ。
コンサート当日。ホワイトランドの特設ステージ。
ヘンリーは客席で、聖歌隊の歌を見届けた。
結果は大成功。最優秀賞を獲った聖歌隊のメンバーたちは、涙を流して喜びを分かち合った。
その中に、ポエットはいない。
ポエットのポジションには、彼女の友人がいた。どうも『彼女』は堅い性格らしく、半日だけ練習を共にしたかりそめの仲間たちと、ぎこちなくハイタッチを交わしていた。
会場を出て、打ち上げに向かうメンバーの後ろをついていく『彼女』に、ポエットが声をかける。
『彼女』は怒りながらも、ポエットのお祝いの言葉に対し、照れ臭そうに小さな声でありがとうと言った、気がした。
あのあと。
ホワイトランドに帰ったポエットは、聖歌コンサートのスタッフとメンバーにあるお願いをした。
――『彼女』に、自分の代役をしてほしい。
なんて無責任な、とみんなに怒られた。しかし涙で腫れた顔のポエットをステージに立たせるのもアレだ、と意見が持ち上がり、結果ポエットの願いは承諾された。
結果オーライ、というわけであった。
打ち上げに向かう『彼女』に別れを告げ、どこかへ行こうとするポエットに、ヘンリーは声をかける。
「これからどこへいくの?」
「地上でお仕事。わたしが泣いてても、――お友達は待ってくれないもの」
手のひらからこぼれ落ちたものたちを忘れない。
手のひらですくえたものたちを大切にしていく。
そう決意して、ポエットは涙跡が残る顔で、――笑ってみせた。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
翼を広げ、ホワイトランドの下の、メルヘン王国だろうか、それとも地球、はたまた宇宙か――どこかへ、ポエットは飛び立っていった。
ポエットの後ろ姿を見送って、ヘンリーは誓った。
あの日の祈りの内容は、永遠に秘密だ。
だってぼくは、――きみが天使でもなんでもない、普通の女の子になってしまえばいいのに、なんて。
目の前の幸せを享受するだけでいい、普通の女の子になってしまえばいいのに、なんて。
そう、願ってしまったのだから。
きみは、辛い目にあって挫けても再生した。
何より、天使としての誇りを失わなかった。
ならばぼくは、それを尊重しよう。きみの決意を無駄にはしない。だから、
――あの日の祈りの内容は、永遠に秘密だ。
(完)
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