「ちょっと話聞いてくれねえ?」 部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、順平が自室から顔を出し複雑そうな表情でそんなことを云った。出来れば部屋で、と順平は云ったけれど、とてもじゃないけど順平の部屋には座る場所なんてなさそうだから、俺の部屋を提案してみる。 「ああ、うん。どこでもいいんだ」 どうやら順平は、喋りながら別のことを考えているらしい。 部屋に入り、順平はベッドに、俺は椅子に座り向かい合う。しばらく順平は口を開こうとせず、俺からも何も訊ねたりしなかったから、ただ時計の音だけが部屋に響いていた。 じっと順平の顔を見つめながら、一体何を話されるのだろうと想像してみる。ひどく深刻な顔はしているけれど、多分、周り中を巻き込むような大事件ではないだろうと予想する。 きっと順平自身に、何か起こったのだろう。 困ったなと思った。話を聞くのは苦手ではないけれど、意見を求められるのはどうにも苦手だった。こんなに真剣に悩む相手に、一体何を云ってあげられるだろう。 順平にバレないように、こっそりとため息を吐く。それとほぼ同時に、順平は口を開いた。 「気になる子が、いるんだ」 「……は?」 耳を疑ったのは、まさか順平が自分にそういったことを相談してくるとは思わなかったからだ。 「いや、気になるっていっても、すっげー可愛いとか好みとか、そういうんじゃなくて…なんてゆーか…気になるんだよ」 何を思ったのかは分からないが、言い訳のように順平は慌てて言葉を並べ立てた。 いつ、どこで、どうやってその女の子と出会ったか。順平がその時どう思って(どちらかといえば否定的な言葉だった)、今何を考えているのか。 言葉を選ぶ余裕のないその話し方はとても好感が持てたし、順平って案外色んなことを真面目に見ているんだなって気付けて嬉しくなった俺は、いつの間にか頬がゆるんでいた。「会いに行けばいいんじゃないかな」自然とそんな言葉が漏れる。 「え…」 「もう一度会って、確かめてみたらいいと思う。一度で分かんないなら、何回でも会ってみたらいいと思う」 順平は何度も瞬きをし、そして「そうだよな…」と呟いて、全身の力を抜けたようにベッドに倒れていった。 「そうだよな」 先程より力強く、同じ言葉を呟く。 「うん」 案外良いアドバイスができたじゃないか。俺は一人、自分を褒め称えた。 (がんばれ、順平) |
「そういえば最近、タルタロスに行ってないよねー。まあ正直、まだ宿題残ってるし助かるけどさ」 「うーん…なんか最近リーダー忙しいみたい…」 「そういえばいつも眠そうだよね。昼間は毎日映画観に行ってるみたいだけど、他にも何かしてるのかな」 「……世界陸上」 「は?」 「見てんだよ、アイツ、毎晩…」 「えっと…世界陸上って、深夜の…」 「そう!深夜も深夜!ちょー深夜!」 「そ、そうなんだ…」 「てかなんで順平がキレてんの…」 「……毎晩付き合わされてんだよ…」 (真田先輩、俺、三段跳びを極めようと思います) (は?ああ…まあ、いいんじゃないか?) |
「きりじょーせんぱーい!」 「なんだ、伊織。…まあ大体何を云われるかは分かるが…」 「分かってるならなんとかしてくださーいーよー!どーして世間一般はお盆のこの時期に夏期講習なんてあるんすかー!」 「…それについては教師陣からも不満が出ているらしい…が、前も云っただろう?一生徒である私にはどうしようもないんだ」 「でも生徒会長として、学園の悪しき伝統は変えていかなきゃいけないと思うんですよね!」 「まあ、それはそうかもしれないな」 「ね!そうでしょ!」 「…それはそうと、伊織。そろそろ行かないと遅刻するんじゃないか?」 「へ?あれ?俺、アイツ待ってるんすけど…?」 「彼ならもうとっくに出かけたぞ」 「え、嘘!?」 「ちなみに岳羽と山岸もすでに行っている」 「えー!俺、置いてかれたー?!」 (…高校生というのは大変なのでありますね) (え、アイギスさんもそうじゃないんですか?) (いいえ、アイギスは…) (ワンッ!) (え、何、コロマル?えっ、何だよ遊んで欲しいの?) (ワンワン!) (了解しました、コロマルさん) (え?な、何?) |
「シンジ、誕生日おめでとう」 「は?…あーああ」 「なんだ?まさか忘れていたのか?」 「忘れてたっていうか…まあ、どっちでもいいだろ」 「よくないと思うが…まあいいか。それで、だ。折角だから映画にでも行かないか?」 「俺とアキとで?」 「他に誰がいる?」 「いや…」 「後輩に前売り券を2枚もらったんだ。お前、好きだろう?犬」 「まあ…そう、だな」 「じゃあ決まりだな。行くぞ」 「……」 (他に一緒に行くヤツはいないのかよ) (とか、突っ込んでもいいのだろうか…) |
世界にはいつだって、ふたつのものが存在している。 朝と夜、表と裏、現と夢、真と嘘、光と闇。 ふたつあって、ひとつ。 どちらか一方が存在するだとか、どちらも存在しないだなんて状態はありえない。そんな状態はもはや、世界とは呼べないに違いない。 生きるのか、死ぬのか。世界はいつだって単純で、分かりやすい問いを投げ掛けている。 「ないよ、特に」 前日の戦いの疲れがまだ取れないのか、彼は重そうにゆっくりと瞬いた。半分しか閉じられていないカーテンの隙間から、少しだけ欠けた月が覗いている。 「じゃ、嫌いなものは?」 「それも、ない」 「ホントに?」 「ほんとうに」 「なんにも?」 「なあんにも」 そう云って彼はベッドの下に置いてあったペットボトルに手を伸ばした。多分温くなっているのだろうな、とペットボトルの中で水が跳ねるのを見つめる。あまりにじっと見つめていたのだろう。彼は蓋を取ったそれを無言で僕の目の前に差し出した。 僕はゆるりと首を横に振って、彼は不思議そうな表情のまま口にそれを運ぶ。こくり、と喉が鳴る。その音に、何故か無性に悲しくなる。 世界にはいつだってふたつしかないのに、人にはそれを選ぶ権利すら、与えられないのだろうか。 「ファルロスは?」 「え?」 「ファルロスの好きなもの」 大きくひとつ、瞬く。 そんなの、答えは決まっている。逆の答えだって、決まってる。だけどなんとなく、その言葉は飲み込んだ。代わりに、彼の眸をじっと見つめる。 「君が、答えを見つけたら」 すると彼は少しだけ困ったように微笑み、「そう」と小さく呟いた。 もしかしたら彼の中には既に、ぼんやりと答えが存在しているのかもしれない。 たとえば、二択を超えた答え、だとか。 (好きなものは、君) (嫌いなものは、君のいない世界) (だけど僕には何も守れなくて)(もしかしたら君になら何かが守れるんじゃないかって期待していて) (そして誰よりも君の傍にいた僕ならばきっと、君の力になれるんじゃないかって) (たとえば)(それくらいの希望があったっていいんじゃないかな)(なあんて、そんなことを考えていたりするんだけど) もうすぐ終わりがくるね、無意識に僕は少しだけ欠けた月を見上げ呟いた。 彼は微かに口端を上げ、ゆっくりと瞼を下ろす。 |