- ナノ -


さくさく生地のアップルパイに夏摘みのダージリン、色なら水色-1


 キバナさんは繰り返すが律儀な人で、解散した後今日は楽しかったよメッセージをくれた。続けられるまた甘いものを食べに行こうな、というリップサービス。いや、あくまで、その、キバナさんは私に好意を向けてくれているので、サービスではないのだろうけれど。
 それなのに、私の胸の内はずっと後ろめたさと申し訳なさでいっぱいだった。

「ブイ!」

 私の中の認識としてはキバナさんとの初デートを終えてから少し日を跨ぎ、古書店が定休日なのでせっせと家事をしていると、ソファの上でイーブイが元気に鳴いた。
 なんだか久々にこんな弾んだ声聞いたなと洗濯物を干していた手を止めそちらを見やると、ソファの背もたれから顔だけをぴょこりと覗かせたイーブイが何やら一生懸命に瞳で訴えていた。
 どうした?と近寄れば、イーブイの小さな手がどこかに向けられる。あれ、既視感。
 矛先は映りっぱなしのテレビで、そこにあるのは何かの番組に出演するダンデさんがキャストと話をしている場面。

「……えっ?今日じゃないよね?」

 イーブイとこんなやり取り前にもした。その時は確かすっかりとダンデさんのことを忘れ連絡を怠っていたのだが、まさかアップルパイを食べる日は今日であっただろうか。
 慌ててカレンダーを確認すると、しっかりと赤丸をつけた日にちまではまだ数日あり、ホッと胸を撫で下ろした。

「びっくりしたぁ……どうしたのイーブイ、今日は約束の日じゃないよ?」
「ぶいっぶいぃぃ」
「すっごい鳴くな」

 何事やら、感情が昂っているのか巻き舌のような鳴き方に目を丸くすると、イーブイは再び小さな手をびしっと画面に向ける。言わずもがな顔がどアップで映されている、テレビ出演だからか私が直接見てきた笑顔と比べて、どこか他人感のあるダンデさんに向けて。
 なんだろう。何を言いたいのだろう。今日が約束のアップルパイを食べる日ではないというならば、私のポンコツ頭が如何なく発揮されていたわけではないならば、一体何故こうしてダンデさんに手を必死に伸ばしているのだろうか。
 いやだがしかし、イーブイは私の手元に戻りたくないくらいダンデさんがお気に入りのようだし、ただ単にダンデさんを見られてはしゃいでいるだけでは?

 そしてこれまでのイーブイの態度と今の状況を照らし合わせ、その内一つの予想に行き着くと、愕然とした。ツウ、と冷や汗が一筋肌を滑っていく。

「イーブイ、もしかして……」
「ぶいっ……!?」

 震える私の声音を聴き留めた瞬間耳がぴんと真っ直ぐに伸び、大きな二つの可愛い瞳が途端にキラキラと星を宿しているかのように輝きだす。ごくりと息を呑み、対峙する私を期待するようにあまりにも眩しい目で見上げている。ますます閃いた予感が現実味を帯びたような気がする。

「ダンデさんちの子になりたいの……!?そんなにダンデさんが好き……!?」
「……」
「アイデッ」

 尻尾でビンタされた。


  ◇◇


 むーん、とカウンターに座ったまま腕を組む。暇なのを良いことに、雑念で遊び放題の閑古鳥の鳴く職場で存分に考えに耽っている。
 世間ではジムチャレンジ真っ盛りで、あちこちの雰囲気もビジネスもそちらにばかり傾いており、それはここラテラルタウンも例外ではない。みんなバトルに使える道具ばかり求めてくるから、このシーズン自ら進んでこの古書店にわざわざ入ってくるような人もいないのだ。
 そんな暇な空気にどっぷりと浸かっている頭の中を占拠するのは、もっぱらイーブイだ。
 本当に、とんと、ここ暫くイーブイの機嫌が損なわれている原因が、わからない。
 ダンデさんのポケモンになりたい訳でもないのにやたらとダンデさんのことを気にして、それはどうやらただ単純にダンデさんのことをめちゃくちゃ大好きだから、という理由だけではなさそうで。
 素っ気無さの要因を直接訊ねてみてもそっぽを向かれるばかり、何も教えてくれない。すっかりへそを曲げてしまっていた。そしてよく、呆れたような、悲しそうな、たくさんの感情が去来している複雑な瞳をする。

 やはり高級ポケモンフーズで釣るしかないか……ボンヤリ虚空を見つめたまま悶々と考え込んでいると、慌ただしく扉が開かれて肩がびくっ!と跳ねてしまった。いくら閑古鳥が鳴いているからといってだらけきっていた。職務怠慢すぎたかもしれない。

「っらしゃいませ!?」

 うわ、声裏返った。恥ずかしさにいたたまれなさを感じながら原因たる扉を見て、そこに佇む人を見たその途端に羞恥心など彼方に行ってしまい、今度はぽかんと口を開けてしまった。

「すっげぇ活きのいい挨拶だな」

 キバナさん。
 そこにいたのは、僅かに点々と滴を体にくっつけている、にこにことするキバナさんだった。

「何故?」
「おいおい客に対してそりゃないだろ……まぁでも、実際客かどうかも怪しいんだけど」
「お客ではないとは?」
「いきなり降ってきたからさぁ、とりあえず雨宿り。ごめんね」

 そう言って綺麗な指が窓に向けられる。つられてそちらを見てみると、いつの間にか外は雨が降っていた。今日は外にワゴンを出していないから助かったが、そうでなければ店長に土下座どころではなかったと、背筋がヒヤリとした。

「え、と。ちょっと待っててください、拭くもの持ってきます」

 裏に回って綺麗なタオルを引っ掴んで戻り、キバナさんに駆け寄る。店長は今日も寝こけていたから、こんなことしていても怒られないだろう。
 何より水と湿気は古書には大敵なので、さっさと全身乾いてもらいたい。

「でも良かった。今日アリシアが出勤の日で」
「え?適当に入ったのがココじゃないんですか?」
「いんや、元々ココに来ようと思ってたし」
「私がココで働いてるって知ってたんですか?」
「そりゃそうだろ。寧ろオレ様が知ってるのは当然だろ?」

 眉をほんのり下げてか細く笑われ、ようやく「あ」とキバナさんがこの場所を引き当てた理由に思い当たった。
 知っていて当然だ。この人と私は、かつてお付き合いをしていたのだから。

「でも、なんでわざわざ?あ、何かお探しの本が?」
「……会いたかったんだよ」
「は?」
「お前に、会いたかったの」

 この間のパンケーキのように甘く微笑まれて、ドキリと心臓が鳴ったのは、なんの理由でだろう。

「ここも久々だなぁ。せっかくだから何か探そう。歴史書でいいの入ってる?」
「……ガラルの?」
「そう」

 正直、そんなのキバナさんの膝元たるナックルシティで探せば、いくらでもあるんじゃなかろうか。あの大きな図書館しかり、資料館しかり。ナックルジムでだって歴史的な価値のある書物はいくらでも抱えている筈。
 多分、自惚れでなければ、これも口実なのだろう。きっと、私と同じ時間をより多く過ごすための。

「キバナさんも、本読める人なんですね」
「そりゃあナックルジムを、延いてはナックルシティを預かる身だからな。ガキの頃から本に囲まれて育ったよ」
「育成論とか?」
「それはもちろんだけど、色々読むよ。お前も本好きだもんな。ここは天職だろ」
「……はい」

 キバナさんおススメの本を教えてもらったので、私も気に入っているタイトルを数個教えると、嬉しそうに、ゆっくりと破顔する。あの、高い所が苦手と言うことを知れたことに対して浮かべた表情と、同じように。
 売り物の古書が並ぶ本棚の前で私の隣に立つキバナさんは、私との不必要な接触を避けているように見受けられた。あの初デートの日の、私がしてしまった拒否を気にしているのかもしれない。

 本当に、悪いことをしてしまったと思っている。
 キバナさんはこんなにも、私のことを尊重して、慮ってくれているのに。

 存外、キバナさんはわかりやすい人だと思う。片手で済んでしまう回数しか一緒に過ごしていないが、あまりに優しくて、エスコート能力に長け、そして私に対する好意を包み隠さない。私の些細な言動に逐一、愛しそうに目を細めて笑う。
 キバナさんと過ごした、失くしてしまった時間を思い出したいと願うのは今も変わっていない。寧ろ、今こうして丁寧な気遣いを目の当たりにするとより一層その気持ちは強くなっていく。

 この人のことを好きになる努力をしよう。自然と、そう思えた。


 ――その全てが不誠実極まりない驕りだと、間違いだったと気付くのは、まだまだ先のことである。

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