スーパーマン(キヨ×自傷癖彼女)
深夜2時。子どもの頃は幽霊が出るほど深夜に思えていた時間も、今となってはもう起きているのが当たり前になった。暗さに恐怖を抱くこともなく、ただパソコンに向かう。画面の中で笑う愛しい愛しい彼の声を、姿を、耳と目にしっかりと焼き付けた。
「ごめん、キヨくん…。」
もう限界、と呟いてパソコンを閉じた。部屋は暗転し、窓から入る街灯の明かりだけがぼんやりと手元を照らした。
いい年して自傷行為だなんて、自分でも笑える。でも誰にも助けを求められなかったのだ。この叫びを誰に向けて聞かせればいいか分からなかったのだ。そして、もう、叫ぶ力なんて、残ってないのだ。
結局は誰かに気づいてほしい。この胸の苦しみが、傷として表れることで誰かの目にとまればいい。でもみっともないから誰にも気づかれたくない。可能であれば傷跡なんか残らないでほしい。惨めだから。
薄明かりに鈍く光った刃が手首にあたり、すっと引かれた。じんわりと赤い線が浮かび上がり、少しずつ、範囲を増していく。私は何かに酔ってしまったようにその赤に見惚れて、また、線を引く。
痛い、痛いんだよ。
見えないはずの痛みが、ここにある。私が痛い原因が、真っ赤に主張している。
「たすけて、もう、嫌だ…。」
キヨくん、と、愛しい彼の名前を呼んだ。カランと音を立てて、右手から刃物がすべり落ちる。
「助けに来たよ、美桜ちゃん。」
突然低い声がして、抱き締められた。そばに落ちていた刃物は遠くに追いやられて、胸いっぱいに彼のにおいが充満した。
「な、んで、きよくん、」
「なんでって、スーパーマンだからなぁ。助けてって言われたら駆けつけなきゃなあ。」
涙腺崩壊する私を抱き締める彼は、少し息があがっていた。本当に駆けつけてきたらしい。
「美桜ちゃん、全然返信ねぇんだもん。深夜だけどさ、いっつも起きてるだろ?この時間。心配になって来てみたら家の鍵空いてるし、真っ暗だし、なんか血出てるし。死ぬほど焦ったわ!」
「…っ、うぅ、ごめんな、さい…!」
ぎゅう、と彼の腕に力がこもる。涙は溢れて止まらない。
助けてほしかったんだ。この苦しい毎日から連れ出して欲しかったんだ。他の誰でもない、彼に。
「おー泣け泣け。謝んなくていいから。落ち着いたら手当てしような。」
深夜2時に泣き止まない成人済みの女を、キヨくんは笑うことなく慰めてくれた。
「怪我しちゃったなぁ、痛かったな。消毒と、絆創膏でいけるか…?ガーゼと包帯にしとく?」
怪我。自分で傷つけたんじゃなくて、あくまでも怪我という表現を使ってくれる、彼の優しさ。
「痛いときは泣いていいんだ。そもそもなんで我慢しなくちゃいけねぇんだよ、痛いのに。頑張れなくなったら寝りゃあいいし、耐えられないことがあったら逃げりゃあいい。俺がそれで生きれてんだからな。」
ははっ、とキヨくんは笑いながら手当てを始めてくれた。
「キヨくん…。」
目の端からこぼれて止まらない涙を拭いながら、私は彼の名を呼んだ。ん?と優しい声で反応してくれた彼は、手を止めずに一瞬視線をよこしてくれた。
「…痛いの。」
キヨくんはああ、と返事をして丁寧に包帯を巻いてくれる。そして、そっと傷の上を指で撫でた。
「ずっと、ずっとね、痛かったの。けど痛いって言えなくて、気づいたら苦しくなっちゃってた。」
耐えられると思っていたひとつひとつの苦しさが積もりに積もって、傷となって目に見える形で再び体に刻まれて、傷つけるたびに、助けは求められなくなっていった。
「そっか…。ごめんな、気づいてあげれなくて。LINEだけじゃなくてちゃんと会いにくればよかった。」
手当てが終わって、また抱き寄せられた。
「ちょっとでも痛いことあったら、すぐ呼んでくれていいから。俺スーパーマンだし。美桜ちゃんがどこにいても助けに行くから。」
もう、ひとりで悩むな。掠れた声が降ってきて、胸がいっぱいになった。
「ごめんなさい、…ありがとう。」
ぎゅ、と抱きつくとキヨくんも抱き締め返してくれた。
「明日さ、どっか遠いとこ行くか。仕事なんかやめちゃえばいいし。俺と一緒に実況してもいいしさ。」
よいしょ、とそのまま抱っこされて、ベッドに寝かされた。キヨくんもはいってきて、再び腕の中。
「北海道行くか。そろそろさみぃかもしんねーけど。北海道なら俺も案内できるからな。」
お腹をぽんぽんされて、ゆっくりとまぶたが閉じてくる。寝たらまた朝が来てしまうのに。いつも朝が怖くて眠れなかったのに。彼の腕の中にいれば悪夢さえ見ないような気がした。苦しい朝すらもきっと私が寝てる間に素敵なものに塗り替えられているのだろうと思うことができた。
「眠くなってきた?…うん、眠れそうなら寝て。最近眠れてなかったんだろ?」
キヨくんがそっと目の下を撫でてきた。クマひどかったのかなぁ。
なんて考えているうちに私は眠りに落ちていた。久しぶりにしっかり眠れる気がした。
「おやすみ、美桜。美桜の明日が、どうか楽しくなりますように。」
Fin.