ル イ ラ ン ノ キ


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光が微かに射し込む森の奥深く。一人の少年が木の上で息を切らしていた。少年が登っている木の根元には、3匹のオオカミに似た黒い魔物が少年を狙っている。
 
「あっち行けよぉ! 僕なんか食べても美味しくないぞ!!」
 
罵倒しても、魔物たちはどうにか登ってやろうと木を引っ掻いたり、どうにか落としてやろうと木に体当たりしたりと、試行錯誤している。
少年は5メートル程の高さまで登っており、体中傷だらけで、ボロ切れと化した服を身に纏っていた。そして、腰に差してある風車(かざぐるま)が風を受けてカラカラと回っている。
 
世も更けた頃、木の根元にいた魔物たちは諦めたのか姿を消し、少年は辺りを警戒しながら、木を抱き抱えるようにして地に下りた。
 
「お腹すいた……食べもの探さなきゃ」
 
少年は擦り減ったお腹を摩った。その腕は極端に痩せ細っており、顔も痩せ衰え、やつれている。
その時、突然少年は目眩に襲われ、しゃがみ込んだ。
 
「うぅ……」
 
体中がズキズキと痛み、空腹と目眩の気持ち悪さに思わず呻いた。
すると、少年の背後から男の声がした。
 
「そこで何をしている」
「?!」
 
驚いて振り返ると、色あせた灰色のコートを身に纏い、大きめの帽子を深々と被った男が立っていた。
 
「た……食べもの……ちょうだい」
 
少年はその男に震える声で要求した。今は気持ち悪さより、食事をすることが少年にとっては優先すべきことだった。
男は少年に近づくと、そっと肩に手を添えた。
 
「どこから来た……立てるか?」
 
少年は黙ったまま微かに首を振った。
 
「どこか痛むのか……?」
 
少年が頷くと、男は胸元から竪琴を取り出し、奏で始めた。
すると、見る見るうちに少年の体から痛みが和らいでいった。
 
「痛く……ない! もう痛くないよ! お兄ちゃんなにしたのー?」
 少年ははしゃぐように尋ねると、
「これはヒーリングハープという。痛みを癒しただけだ」
 と、竪琴を見せながら言った。
 
「ありがとう!! こんなに元気になったよ!」
 
そう言って跳びはねてみせた少年の足を見た男は、顔をしかめた。
 
「……右足、どうかしたのか?」
 
少年の痩せ細った足首は、左足とは明らかに違い、内側にへし曲がって不自然な形をしていた。
 
「あ、これ? モンスターに噛まれて折れちゃったんだ!」
「……まだ痛むか?」
「ううん。噛まれたのは何日も前だし、痛みは全然ないよ! 折れたまま引っ付いちゃったから曲がっちゃった!」
 と、少年は変形した右足を上げ、無邪気に笑ってみせた。
 
男は今にも衰弱しかねない少年をどこかへ案内しようと手を差し伸べた。
少年は一瞬その手を掴むことをためらったが、意を決したように男の手に触れ、笑顔を向けた。
 
男は少年を小さな廃墟へと誘った。
 
「ここは……?」
 少年は首を傾げて訊く。
「私の家だ」
「窓ないし……ボロボロだよ?」
「……果実を蓄えてある。食うか?」
「うん!」
 
少年は目を輝かせて答えると、薄暗い廃墟の中へ足を踏み入れて男から丸く美味しそうな赤い果実を受け取った。
 
「いただきまーす!」
 少年は嬉しそうに叫び、果実に噛り付いた。果汁が滴り、服を汚すもお構いなしで、頬張った。「おいひい!」
 
「……そうか」
 
男は部屋の隅に置かれた木箱から、鈴蘭のような花を取り出した。その花は不思議なオレンジ色の光を放ち、部屋を微かに照らした。
 
「ランプ草だ!」
「あぁ、クラシカという。別名がランプ草だ」
 
男が蓄えていた果実の半分をペロリと平らげた少年は、男に問い掛けた。
 
「ここで暮らしてるの?」
「あぁ。もう何年もな」
「ふーん。名前は?」
「無い」
「ナイ…さん?」
「いや……私の名は存在しない。好きに呼ぶといい。お前はどこから来た」
「…………」
 男の問いに、少年は答えずに俯いた。
「見るからに……随分と長い間森にいるようだな」
「家出したの」
 と、少年は小さな声で答えた。
「家出……?」
「何日過ぎたのかわからないけど……」
「帰り道が分からなくなったのか? それなら……」
 
“それなら出口まで案内しよう”そう言いかけた時、少年が口を挟んだ。
 
「違うよ! 僕は帰る気なんかないんだ!」
「……なにがあった?」
 
少年は、淡い光を放つランプ草を見つめながら、ゆっくりと語り始めた。
 
──少年の母親は、少年が生まれて間もなく病で死に、父親は再婚したが、上手くいかず、苛立ちから息子であるこの少年に暴力を振るうようになった。
それから繰り返し新しい女を家に連れ込んでは少年を邪魔者扱いし、しまいには父親が連れて来た女から虐待を受けるようになったのだった。
 
「でもね、僕……お父さんのこと恨んでないんだ」
「なぜだ……?」
「今ならわかるんだ。お母さんが死んで、お父さんも寂しかったんだと思うから……。それにね、どんなことされても僕のお父さんにかわりはないんだもん」
「帰らないのはなぜだ……?」
「僕の居場所、ないから」
 と、少年は悲しげに笑って言った。
 
まだ十代にも満たない少年の心には、深い傷が刻まれていた。
まだ甘えたい年頃だろうに、まるで自分に言い聞かせるような、大人びた考えをしていた。この深い森での生活が、悲しくも少年を変えたのだろう。
 
「帰っても、お父さんに迷惑かけちゃうし、一人で生きてくことにしたんだ!」
「……無謀だな」
 この日まで生き延びてこれたことが奇跡に思える。
「むぼー? あ、僕ね、武器も持ってるんだよ!」
 
少年はポケットから小さなナイフを取り出してみせた。錆び付いたナイフは、刃が欠けていた。
 
「武器……か」
 
──その時、遠くから獣の遠吠えが聞こえてきた。少年は咄嗟に立ち上がり、不安そうに外を眺めた。その手には小さなナイフがにぎられている。
 
「心配はいらない。随分離れた場所にいる」
 と、男は少年を安心させようと言った。
「……わかるの?」
「大体はな」
 
男はそう答えながら、木箱の横に置いてあった大きめの布を、床に広げた。
 
「ここで寝るといい。少しは安心して眠れるだろう」  
「……いいの?」
「あぁ。食料も水も、私が用意してやる」
「やったぁ! ありがとう!」
 
男はなぜか、少年を見捨てることが出来なかったのだ。
 
「お前の名は?」
「僕はリクだよ」
「リクか……」
 
リクと名乗った少年は、薄い布団の上へ寝転がった。
 
「風車(かざぐるま)、潰れてもいいのか?」
「あっ!」
 少年は腰に差していた風車を慌てて取り、横にあった木箱の上へと置いた。
「盗っちゃダメだよ?」  
「宝物か?」
「うん……お母さんが僕にくれたんだ」
 と、少年は風車を見つめながら、微笑んだ。
「母親は……お前が生まれてすぐに亡くなったのではないのか?」
「僕が1才になるまでは生きてたよ。僕が眠るベッドに飾ってあったんだ。それも沢山! お父さんが僕を殴ったりするようになる前に、教えてくれたの。お母さんが僕のために買ってくれたんだって」
 と、ウトウトとしながら、少年は言った。
 
母親の記憶は殆ど無いのだろう。しかし少年は自分が傷だらけになろうと、魔物に襲われようと、決して手放さなかった風車。
 
「僕もう眠いや……おやすみ……お兄ちゃん」
「……ゆっくり休め」
 
男は竪琴を胸に抱き、腰を下ろして壁に寄り掛かった。ガラスの無い窓から月を眺めては、ポロンと竪琴を鳴らした。
 
──ふと、寝返りをうった少年に目をやった男の顔が一気に青ざめた。
少年の服がめくれ、骨張った背中が見えた。その皮膚は黒く変色しており、赤い斑点が広がっている。
 
「これは……」
 
少年に近づき、服をめくって腹部を見やった。斑点は広範囲に広がっていた。
男は動揺したが、静かに服を元に戻した。
深い眠りに落ちている少年は安堵の表情で、スヤスヤと気持ち良さそうに眠っていた。
 

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©Kamikawa

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