ル イ ラ ン ノ キ


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森に朝日が射し込んだ。
少年が目を覚ますと廃墟内に男の姿は無かった。
 
「お兄ちゃん……?」
 
慌てて体を起こして外に出ると、男は竹で作られた小さな籠を片手に、ランプ草を摘んでいた。
少年に気付いた男は優しい表情を浮かべた。
 
「起きたのか。朝食までもう少し待っていろ」
 
少年は、昨日と変わらない態度を示した男に、困惑していた。
 
「どうして……?」
「…………?」
「気づいてるんでしょ……? 僕の背中……」
「…………」
 男は黙って立ち上がり、少年を見つめた。
「どうして怒らないの?! どうして嫌な顔しないの?! 僕……知ってるんだよ……この病気のこと……」
「そうか」
「知ってて言わなかったんだ……。この病気は治らなくて、死んじゃうんだって……」
 少年の目から涙がこぼれた。
「それに……人にうつる病気だってことも知ってるんだ! お兄ちゃんに会う前に、旅人と会ったよ。そのおじさんが教えてくれたんだ……空気からの感染はしないけど、肌に直接触れるとうつるんだって」
 少年はそれを知っていて、差し伸べて来た男の手を取ったのだった。
「…………」
 男は籠を足元に置き、何も言わずに少年に近付いてしゃがみ込むと、少年の顔を見上げた。
「体は痛むのか……?」  
「なんで……」 
「不治の病を治す程の力は無いが、痛みなら消せる」
 
そう言うと男は、胸元から竪琴を取り出した。しかし少年はそれを止めるように男の腕を掴んだ。
 
「痛くないよ! もう痛みも感じないんだ!」
「……それは昨夜の癒しの力がまだ効いているからだ。痛み出したならまた言え」
「どうして怒らないの?!」
 少年は命一杯叫んだ。
「僕っ……お兄ちゃんを……道連れにしようと……」
 
──突然、ザザーッと強い風が吹いた。男が摘んで籠に入れていたランプ草は、風に吹かれて散らばった。
 
「お兄ちゃん……?」
 
気が付けば男は少年を力一杯に抱きしめていた。
 
「お前は……なにも悪くない」
「でも!」
「聞こえなかったのか? お前はなにも悪くないッ!」
 
力強く抱きしめられた少年は、体中に痛みを感じていた。ギュッと強く抱きしめられると、体中に出来た傷口が痛む。痩せ細って骨が張っていた体がキシキシと痛む。男の胸元が口元を塞ぎ、息苦しい。
それでも少年は、何も言わずに、男の腕の中にいた。少年にとって、人の温もりを感じたのは、記憶の限りこの時が初めてだったからだ。
 
「道連れなんて言葉……どこで覚えたんだ」
「おじさんが……道連れにされるのはごめんだって……言ったの。近寄るなって」
「そうか……。とにかく部屋に戻っていろ」
 そう言って男は少年に背を向け、散らばったランプ草を拾い始めた。
「お兄ちゃんは……どうしてここにいるの……?」
 と、ボロボロな服の袖で涙を拭い、鼻を啜りながら少年は訊いた。
「私は……故郷を無くした」
「こきょーって……?」
「生まれ育った町だ。……小さな町で、一夜にして全焼した」
「ぜんしょーって……?」
 
思わず男は手を止め、少年の方へ振り返った。
 
「“道連れ”は知っていて、故郷も全焼もわからないのか……?」
「僕……学校行ってないから」
「全焼というのは、全て焼けて無くなるということだ」
「え……どうして?」
「さあな。原因はわからないが……全てを失った。あの町で生き残ったのは私だけだ」
「家族は……?」
「焼け死んだ」
「…………」
 少年は黙りこんだ。こんな話を聞かされるとは思ってもいなかっただろう。
「まだ聞きたいか……?」
 男の問いに、少年は首を振った。しかし男は淡々とした口調で、少しだけ話を続けた。
「私には年の離れた弟がいた。まだ赤ん坊だったが、生きていたならお前と同い年くらいだっただろう」
「そうなの……?」
「あぁ。多分な。……話は終わりだ。飯にしよう」
 
なんの因果か、この広い森の中で出会った少年と一人の男。危険な場所で寂しさを感じる暇などなかった。
 
陽が暮れ始めても、二人の会話は途切れることがなかった。
少年はこの森に入った時からの出来事をよく喋り、男はその話に耳を傾けていた。時折、竪琴を鳴らしては、また少年の言葉に耳を傾ける。
 
「でね、もうだめだ!って思ったら、モンスターが自分から木にぶつかって倒れたんだ!」
「そんな上手い話があるか」
「ほんとだよぉ! ……?! ゲホッ!! ゲホッ!」
 少年は突然苦しそうに咳込んだ。
「大丈夫か?」
 男は少年の背中を優しく摩った。
「はぁ……はぁ……ちょっと喋り……すぎちゃったかな……エヘヘ」
「……無理するな。横になっていろ」
「まだ話したいことあるのにな……」
「明日聞いてやる」
「うん。なに話そうかな!」
「……明日考えればいい」
「うん!」
 
体調を崩した少年は、布団へ横になった。男が竪琴を鳴らし、少年の苦しみを和らげながら、夢へと誘(いざな)う。
 
男が一曲弾き終わる頃には、スヤスヤと寝息を立てながら少年は眠りについた。
 
「……よく喋る少年だ。それによく食べる」
 
男は笑みを浮かべ、少年の横に寝転がった。毎晩空を見上げていた男は、今日ばかりは何も無い、皹が入った天井を眺めていた。
少年の静かな寝息を聞きながら、男も眠りについた。
 
静寂した闇が包む真夜中、男は少年の声で目が覚めた。
 
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
 
ハッと体を起こして少年に目をやると、少年は目を閉じている。
 
「お兄ちゃん……」
 
口は動いていないというのに、少年の声が男の頭の中で響く。嫌な予感がした。
 
「僕……いかなきゃ」
「何処へ行くんだ……おまえの居場所はここだ」 
「いかなきゃ………もう逝かなきゃ」
「リク……目を覚ませ……」
 男は少年の肩に手を置き、体を揺さ振った。だが、少年は目を閉じたまま、起きる気配がない。
「お兄ちゃん……聴かせて……」
「リク……目を覚ませッ……リク!!」
「竪琴……聴かせてよ……」
「頼む……まだ逝くな! まだ話したいことあるんだろう?!」
「僕……ほんとうのお兄ちゃんが出来たみたいで、嬉しかったんだ……お兄ちゃんと出会えて……よかった……」
 
男は何度も何度も少年の体を揺さ振った。まだ残る少年の体温が、男の胸を切り裂いてゆく。
 
「まだ……諦めるなッ!」
 
男の目から流れ落ちた滴が、少年の頬を濡らした。
 
「お兄ちゃん……こんなに楽しい思いをしたのも、こんなに嬉しい思いをしたのも……初めてだったよ…… 最後に聴かせて……“我が子唄”」
 
男は思わず少年を揺さ振る手を止めた。
我が子唄。それは誰もが知っている、母が子に聴かせる小守唄。
 
  お兄ちゃん……聴かせて
 
少年の声が少しずつ、遠ざかって行く。
男はグッと涙を堪え、少年の頬に手を添えて言った。
 
「聴かせてやろう……だが、リクエストしたからには最後まで聴くんだぞ……」
 
男は竪琴を手に持ち、目を閉じた。少年の姿が目の前に浮かぶ。満面の笑みで待ち侘びている少年の姿──
 
男はゆっくりと竪琴を奏でた。まだそこにいる少年に向けて、愛の篭った小守唄を。
少年は母親の記憶が全くないわけではなかった。まだ生まれたばかりの少年が眠るベッドに、沢山の風車(かざぐるま)が飾られ、少し開いた窓から入り込む風が、カラカラと回していた。
風車の音と重なるように聞こえたのは、母の声だった。我が子唄を口ずさむ母の声。唯一、少年の記憶に残っていた、母との思い出──
  
「ッ?!」
 男が奏でるメロディーが、微かに音を外した。
 
少年が天へと召されてゆくのを感じたのだ。
 
「リク……お前は私の……弟だ」
 
哀しみで指が震え、それでも弾き続けていた。竪琴の音が響き渡り、音の消える先で少年の声がした。
 
 ありがとう……ごめんね……
 
少年の声と共に、竪琴の音色も消えた。
再び静寂した夜が、男を包み込んだ。
 
「なぜ謝るんだ……なぜ最後にッ……」
 
男は少年の亡きがらをギュッと抱きしめた。
あれほどよく喋っていた少年は、もう何も発しない。呼吸も、鼓動さえも、何も……
久々に感じた孤独──
 
その時、カラカラと微かな音がした。
顔を上げて見やると、木箱の上に置かれていた風車が、風も無いのに回っていた。
 
「……母親と逢えたのか?」
 
自分が奏でた我が子唄が、先で待っていた母と少年をめぐり合わせたように思えた。
 
「幸せにな……」
 
そう呟くと、男は風車にそっと息を吹き掛けた。
永遠の眠りについた少年の表情は、母親に抱かれて安心して眠っている赤子のような微笑みを浮かべていた。
 

end - Thank you

お粗末さまでした。


≪あとがき≫
『voice of mind(本編)』・『名も無き吟遊詩人』より

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©Kamikawa

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