ル イ ラ ン ノ キ


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数年前、最小限の防御魔法だけを備えて、竪琴を胸に抱き、街の外へと踏み出した。
変わり行く地の片隅で、幾つもの年月が流れた。
 
──時に傷付いたものを音で癒す。
 
「……もう手遅れか」
 
目の前に現れたのは一匹の獣。後ろ脚を引きずりながら近付いて来たかと思えば、バタリと力無く倒れ込んだ。
呼吸は浅く、目は虚ろだ。もう限界なのだろう。
 
「せめて苦しみから開放してやろう……」
 そう呟き、竪琴を鳴らした。
 
体を蝕む痛みに唸りをあげていた獣は、静かに竪琴の音色に耳を傾け、安らかに眠る。
天に召されてゆく魂を見届け、月を見上げた。──溜息をひとつ、零した。
 
「次はなにを奪うつもりだ……?」
 
と、そのときだった。森の奥から草を掻き分けながらなにかが近づいてくる音がする。
 
「……?」
 
此処は森の奥深くにある開けた場所。遠い昔、誰かが住んでいた家。今では廃墟と化した場所を、私は塒(ねぐら)としていた。
──人と会うことは滅多に無い。獣の血の臭いを辿ってやってきた魔物だろうか。
廃墟へと身を隠した。
しかし暗闇の中、月明かりに照らされたのは随分と若い一人の女だった。
 
「……死んでる?」
 そう呟いた彼女は、息を無くしたばかりの獣に近づき、様子を窺っていた。
 そして、私がいる廃墟へと目をやった。
「……?! 誰?!」
 彼女は私と目が合うと、腰に掛けてある剣に手を添えた。
 
──剣士か? 剣士には見えないが……。
 
廃墟から歩み出て、女へと近付いた。彼女の表情は強張り、警戒している。
 
「あなた、誰……?」
 と、女は不安な面持ちで訊く。
「……私の名は無い」
「……」
 女は黙ったまま自ら一歩私へ近づくと、手を延ばし、袖越しに私の腕に触れた。
 少しどきりとする。
「……なんだ?」
「あぁよかった……幽霊かと思った」
 そう言って彼女は笑顔を見せた。
「ここで何をしているんだ……?」
 と、私は不思議に思い、尋ねた。
「あ……迷子なんです」
「迷子?」
「道に迷って。仲間と逸れてしまったんです」
「そうか」
 ここは迷宮の森。迷わずに出られる場所ではない。
「貴方は?」
「私はここに住んでいる」
「こんな場所にですか?!」
 目を丸くして驚いた女に、私は竪琴を見せた。
「出会う者に、音色を聴かせている」
「あ! 吟遊詩人?」
「…………」
 そう名乗ったことはないが、はたから見るとそうなのだろう。
「あれ……? 違いました?」
「……まぁ、そのようなものだ」
「凄い! 本当にいるんですね!」
 
そよ風が木々を揺らし、女から甘い香りが漂ってきた。
 
「甘い香りがするな……」
「え? あっ、飴いります?」
 そう言うと女はポケットから5つの飴を取り出した。
「……貰ってもいいのか?」
「沢山あるんでいいですよ。まだいりますか?」
 
ここで自然の恵みを頼りに長く生活をしていると、飴ひとつ貴重なものに思える。
彼女から受け取った赤と水色の飴玉は、軽く私の心を掻き乱した。
──遠い記憶。失った温もり……。
 
「あ、音色聴かせてください!」
「……いいだろう」
 
女の明るい笑顔に圧倒されながら、私は岩に腰掛けた。女は私の前に膝を抱えて座り、笑みを浮かべている。私はその笑みに違和感と哀愁を感じた。
 
「……どうかしたのか?」
 と、思わず問い掛ける。
「え?」
「君は…… もの悲しそうに笑う」
 
女は私の言葉に目を逸らし、まるでそれまで身に着けていた笑顔の仮面に皹が入ったかように、笑顔を無くした。そして私は一瞬、時が止まったような感覚に襲われた。
 
「……曲はなにがいい」
 思ひ消つように問い掛けた。
「……曲?」
「リクエストに応えよう」
「……なんでもいい。でも……幸せな気分になれる曲がいいです」 
「ならば、《セルポリア》という曲を聴かせよう」
  
欠けた月が浮かぶ静かな夜に、竪琴の音色が響く。風に揺られ、まるで唄うように木々や草花も共に音を奏でる。
ふと女を見やると、やはりどこか悲しげな表情で笑みを浮かべ、竪琴の音色に聴き入っていた。
 
曲が終わると彼女は立ち上がり、優しい目で私を見据えながら拍手をした。
 
「凄く綺麗な曲! セル……なんでしたっけ?」
「セルポリアだ」
「セルポリア……。覚えておきます!」
「…………」
「詩人さんはおいくつですか?」
「シジン?」
「あ、名前、無いと言ってたので……すみません」
「いや。年齢か……さあな。どれだけの年月が流れたのか、把握出来ていない。……二十代半ば辺りだろうか」
「そうですか、若いんですね」
「君のほうが随分とまだ若いようだが、なぜ旅をしている……?」
「ちょっと……色々ありまして」
 そう言うとまた、女は悲しげに笑った。「あ、それより、私は21歳ですよ」
「なに……?」
 10代かと思っていたが、20を超えていたか。
「見えませんよね……。あ、もう少しここにいてもいいですか?」
「構わないが」
「よかった。歩き回っても仲間見つからないし、仲間も導かれてここにくるかもしれないので」
「導かれ……」
「音色です。さっき聞こえてきて、音を辿って来たんですよ、私」
「そうだったのか……」
「それと私、アールっていいます」
 
月明かりの下で、アールという女性と他愛のない会話をした。
他愛もない会話だったが、人に話したことなどなかった私の過去を、何時しか語り始めていた。それは、悲しげな笑みで話す彼女だがどこか安らぎを感じる空気を持っていたからかもしれない。
人と話しをしたのは、どれくらいぶりだろうか……。
 
「じゃあこれからもずっとここに?」
 と、アールは訊いた。
「そのつもりでいる」
「寂しくはないんですか?」
「……あぁ」
「そっか……あ、来たかな」
 彼女はそう言って立ち上がると、一点を見つめた。
 暫くして、彼女が見つめていた場所に、人影が見えた。
「おーいっ!」
 と、彼女は人影の方へ手を振った。仲間が来たようだ。
「よく分かったな。 音に気付かなかったが」
「仲間? 匂いです」
「匂い?」
「私、半分モンスターなの」
 
──彼女はそう言ってまた、笑った。
 
「だから鼻が利くの!」
 
冗談を言って笑えば笑うほど、悲しみが伝わってくる。
私は何度か旅をする者と出会った。皆、疲れきった表情で、多くを語らず、竪琴の音色を聴いていた。
鳴らした音色で彼等の疲れを癒し、再び旅へと向かう者達の背中を見送った。
 
しかし、彼女ほどの悲しみを感じたのは初めてだった。
 
──音色で癒すことも出来なかったのだ。
 

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©Kamikawa

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