voice of mind - by ルイランノキ


 全ての始まり1…『避難所』


 
人々は絶望を見た。テレビから目を逸らし、部屋の隅で耳を塞ぐ。それでも外から聞こえてくる叫び声。助けてくれと声がする。
ドンドンドン!と玄関のドアが揺れた。
 
「入れてやったらどうだ……?」
 と、隣に座っている見知らぬ男が言う。
 
20代半ばの女は顔見知りでもない街の住人を自宅に招いた。その結果、リビングにもキッチンにも、寝室にまで住人がひしめき合っている。
 
「廊下に入れてやったらいい」
 自分の家でもないのに偉そうに提案をしてくる。
 
女は小さく顔を左右に振って、耳を塞いだ。一人招いた途端に2、3人、雪崩のように入って来る。水をくれと勝手にキッチンの食器棚を漁り、お気に入りのコップに水道水を入れて口を付ける。
 
「なにか、包帯か、そのかわりになるものありませんか?」
 と、少し離れたところに座っている40代くらいの女性が言った。膝の上に6歳くらいの女の子が座っている。膝をすりむいて傷テープを貼っているが血がにじみ出ていた。
 
逃げるのに必死で土足で入って来るものだから玄関前の廊下は靴の裏についていた土や血で汚れている。傷テープをください。なにか食べ物はありませんか。少し寝かせてほしいからもっと端に詰めてほしい。熱があるようだから薬か氷がほしい。と、図々しくお願いをしてくる。
リビングに置いている本棚から勝手に一冊本を取り出して、ペラペラとめくる。綺麗に並べていたのに適当に本棚になおして別の本を手に取る。その手が汚れていることを気にもせずに。
 
──助けなければよかった。
そんなことを思う自分は冷たい人間なのだろうか。避難させてあげているだけありがたいと思ってほしい。勝手になにも触らないで。ここに長居しようとも思わないでよ。
 
「ねぇ、近くで子供が泣いてるんじゃない? 親と逸れたのかも」
 と、30代くらいの女性が言う。
「見てこよう」
 と、近くに居た男が立ち上がった。
「やめて……」
 この家の主である女は彼らを見ずに言った。
「助けられるかもしれない」
「勝手なことしないで!! ここは私の家なのッ!!」
 声を張り上げ、膝を抱えて顔を埋めた。
 
誰もなにも言わなかった。バツの悪い顔をしているのか、冷ややかな目を向けているのかわからないけれど、立ち上がった男が間を置いて座りなおしたのが服が擦れる音でわかった。
 
確かにすぐ近くで子供の泣き声が聞こえた。父親と母親を呼んでいる。獣の声も聞こえた。ここで助けずに魔物に殺されても、私のせいじゃない。子供の手を離した親が悪い。世界に魔物を放ったシュバルツが悪い。私はもう十分、人を助けた。そもそも家に招いたって、この家が襲撃されないという保証はない。
 
男の子かも女の子かもわからない子供が四本足の魔物に噛みつかれて貪られる。そんな映像が脳裏に浮かぶ。
 
「もう……」
 女は立ち上がり、玄関へ駆け出した。
 
結局、助けに行くのだ。玄関の靴箱の上に置かれていた、誰の物かわからないを短剣を掴む。使ったことはないが、なにも持たずに出るよりはいい。勝手に使っても文句は言われないはずだ。
玄関のドアを開けた瞬間、「助けてくれ!」と、人がなだれ込んで来た。いつの間にか玄関前や庭に人が集まっていた。周囲の家を見回すとどこも同じだ。この辺りはスーパーや公園があるため、人が多く集まっていた。魔物がうろついている中、自宅に帰れずにいる人が多いのだろう。中には重傷を負っている人もいた。足が動かないのか、腕で地面を這って来る。
 
「子供……」
 子供の泣き声は続いていた。短剣を構え、周囲を警戒しながら声がする方へと向かう。
 
家の敷地を出て、曲がり角を覗いた。コートを纏った子供がうずくまって泣いている。近くに魔物がいないことを確認し、手を差し出した。
 
「大丈夫? うちにおいで」
「うわぁあああぁあぁあぁぁん!」
 と、大声で振り返ったのはコボルトだった。初めて見る魔物に混乱し、驚いて尻餅をついた。
「ママぁ〜! パパぁ〜!」
 と、魔物の口から人間の子供の声がする。
 
女は慌てて背を向けて自宅へ走った。後ろからついて来る足音がする。追いつかれるのではと気持ちばかりが先走る。幸い家から20mも離れていない。
家に辿り着くと、庭にいた人々がコボルトを見て逃げ出した。女は玄関のドアノブに手を回した。──開かない。
 
「ねぇ……ちょっと!! 開けてよッ!!」
 
背後でコボルトが地面を蹴った音がした。家の中は玄関まで避難してきた人々で溢れていた。人ひとり入るスペースはもう残されていない。
 
「開けてってばッ!!」
 ガチャガチャとドアノブを回し、必死にドアを叩いた。
 
コボルトが女の背中に飛び乗り、首に噛みついた。血しぶきが玄関のドアに飛び散った。家を出る時に手にしていた短剣が虚しく足元にカランと落ちた。武器を使いなれていない者は咄嗟に構えることもままならない。
 
「私の家……」
 
痛みに呻く。意識が遠のきながら思う。──そうか、うちは新築だから、他より丈夫そうに見えたのだろう。だから人が集まったのだ。
 
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お腹が痛い。
なんだか熱っぽく、ふらつきを感じたミシェルはキッチンの食器棚の下にある開き戸を開けて薬箱を取り出した。床に座り込み、体温計をくわえる。
ここ最近はいろんなことがありすぎて、ストレスが多かった。仕事は順調だったけれど、新しい街での生活と、その矢先にモーメルやアールのことがあって落ち着く暇もなかった。
 
体温計が鳴る。微熱だ。ひとまず腹痛薬を手に取り、水で胃に流し込んでからトイレに入った。
入院していた時によく頭痛を引き起こしていた。突然の病院生活に眠れない日も多かった。自分よりもワオンのほうが大袈裟に騒いでいたのを思い出し、少し恥ずかしくなる。看護師は「ストレスが引き起こす体調不良もあるので、なるべく体も心も安静になさってくださいね」と言っていた。
大して便は出ず、トイレの水を流した。便秘が続いている。体がしんどかった。
 
「体調、大丈夫ですか?」
 と、17歳の女の子が心配そうにミシェルを見遣る。
 
ミシェルも逃げ遅れた住人を5人、受け入れていた。一人は17歳の女の子二人。二人で買い物に行く途中だったらしい。あとの3人は、腕に怪我を負った50代の男性と、付き添っていた40代の男性と、足腰が弱っている70代の女性だ。男性は申し訳なさそうに玄関の前に座り、リビングには入らなかった。少し休んだら出て行く、と40代の男は言った。
 
「大丈夫、大丈夫」
 と、ミシェルは笑顔を見せる。「あなたは?」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫」
 と、彼女もまた笑顔を向ける。
「わかる。大丈夫なわけないよね」
 ミシェルはリビングに戻り、テレビを観ている70代の女性に声を掛けた。
「喉が渇いたら言ってくださいね」
「ありがとう……すまないね」
「いえ。私も誰かが側にいてくれると心強いです」
 と、隣に座る。
 
テレビからは街や外の様子、そしてゼフィル城やアールたちの実況放送が流れている。
見たくない光景を見るたびにテレビを消し、情報が回ってこない不安と恐怖で結局またテレビをつける。その繰り返しだった。
 
「早く死んじゃえばいいのに」
 と、17歳の一人が言った。「シュバルツ」
 
軽々しく言えるのは、10代らいしいなと思う。
 
「女の人どこ行ったの? アール、だっけ」
「やられちゃったんじゃない……?」
 二人の会話にミシェルは眉をひそめた。
「でも“選ばれし者”なんでしょ?」
「ひとり死んでるけどね」
 
知らないからこそ、身近じゃないからこそ、軽々と口にする言葉がある。だけど決して笑いながら話しているわけではなかった。選ぶ言葉は軽々しいけれど、真剣な眼差しで画面を見つめている彼女たちは、彼女たちなりに今起きていることと向き合っているようだった。心を痛めていないわけではない。
 
耳を疑う報道が入った。世界を救う光のひとつであるルイ・ラクハウスが国王に攻撃を仕掛けたというのだ。
混乱している状況下で、間違った報道をすることもあるのだろう。と、ミシェルは信じなかった。薬箱を出しっぱなしにしていることを思い出し、キッチンへ片付けに行く。
 

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